| 竹 崎 街 道 (高来町〜小長井町) . |
追分(高来町) → 権現神社(高来町) → 遠嶽(小長井町)
| 難易度 | |
| 体力 | ★★★☆☆ |
| 時間 | 3時間 |
| 電話 | 良好に通信 |
湯江・肥前大浦(1/25000)
「多良海道」(多良越往還)は、諫早宿(あるいは塩田宿)を起点に、有明海の西岸を沿って、湯江、多良岳権現一の鳥居、山茶花峠、藤津郡糸岐村、多良宿、塩田宿(諫早宿)までの十二里(50km程度)で、佐賀まで至る街道を言っているようである。
そのうち、諫早から湯江宿、追分けまでの道を「諫早街道」または「浜通り」などとも呼ばれ、比較的高地を通るが、干拓されていない昔は海のそばだったのであろう。
通常ルートは「長崎街道」であるが、佐賀藩にとっては、大村領などの他藩を通過するため、領内を通る「多良海道」が便利だったようだ。一般の旅行者には「多良街道」は、多良越の難所があり敬遠され、湯江〜小長井〜大浦の竹崎港〜有明海の船便で、糸岐に行くか、直ちに佐賀の早津江(はやつえ)に上陸することが多かったようである。
この道を、「竹崎街道」と言う・・・。竹崎街道は、「追分」(高来町)から始まる・・・。
「追分」には、こう書かれている・・・「右たらさきみち」、「左たらたけみち」と書いてある・・・。
当然、三叉路の進路を右にとり、田畑の中を旧街道は走る・・・。
旧諫早街道 竹崎街道 の「小坂」で、道は意地悪く、曲がりくねった道となる。
「小坂」付近では、従来の街道筋を歩くことができる。
この地域は、当時の状況がかなり詳しく残っており、街道の様子を想像することができる。
ちょっと、狭い道を歩いていくと、坂となり、右側に水路がついた道のようである。
その先は暗く、掘削したような感じで、歩行する部分は赤土で滑りやすく、水はけは良さそうには思えなかった。
これを越えると、高来町から小長井町に入り、「大久保と井出堀権右衛門」とか書いてあるが、何ものか判別がつかなかった・・・。
次のポイントが、長里川が合流する地点に、「権現神社」がある・・・。
この神社には社殿が無く、正面に御ご神体の石像があるのみ・・・である。
もしかしたら、この山(丘?)自体がご神体なのかもしれない・・・ちょっと、変わっている神社であった・・・。
ここで地図を確認すると、正面の山を登っていくことになるが、長里川の河岸を下って「阿蘇神社」横へ行き、そこを横切ればいいと思っていた・・・。
河岸を下っていき、二つの川が合流するあたりで、珍しいものを見つけてしまった・・・。
魚の罠・・・名前はよく判らないが・・・罠を仕掛けるくらい、水が綺麗で、しかも魚が多いのかもしれない・・・。
珍しいのを見つけたのは良いのだが、寄り道をしたおかげで、足角という地区で、道に戻れないまま小半時ほどウロウロしていた・・・。
こっちの山に登ったり、あっちの道に迷い込んだり・・・いつの間にか正午を過ぎていた・・・。
地図を冷静になって眺めると、かなり戻って、山に登ることに気づき修正を行ったら、ちゃんと「竹崎街道」との標識があった・・・。
暗いジメジメした道に、コンクリート舗装がしてあるようである・・・もともと、水が出るようなところにコンクリート舗装しているものだから、ジメジメしているようなのである。
コンクリート舗装してなければ、旧街道そのもので雰囲気たっぷりだったのに・・・と惜しんだ・・・。
この坂を上りきると、小長井カントリークラブと出会う・・・ゴルフ場の横(あるいは中)を歩いていく・・・ずっとなだらかな坂が続く。
「実盛神社」を過ぎ、「新田原の一本松」までは、何とかたどり着くことができた・・・。
問題は、ここからで・・・、基盤整備などで道が見つからず、やっとのことで着いた集落が、小長井町役場のあるところの北端部であった・・・。
山の中を分け入ったり、船津川で遮られて、後に戻ったり・・・、ここでも1時間あまりウロウロして停滞してしまった。
しかし、珍しい「六地蔵」の素朴な石仏に見とれたり、湧水場の鯉を眺めたり・・・、時間は・・・経過するばかり・・・。
やっとのことで、北部の広域農道にたどり着き、船津川を越すことができた・・・。
・・・が、再び、井崎名の採石場(砕石場)を越えることができず、海岸部に行き、毘沙天岳を正面に見て、基盤整備(干拓地?)されたところを柳谷の集落に向かって歩いた。
途中で、小雨が降り出し、ビニルにヤッケを着込んだり・・・、暑いばかりで役には立たない・・・。
ここまでくると、やっと竹崎街道に戻ることになる。
目指すは、「柳南の弘法さん」という社である。
ここで小休止し、「毘沙天岳」(161m)を目指す・・・。(ここは、「山歩き」の項で紹介)
小雨が降り続け、身体は疲れ切り、足も通常のペースをつかめずに、引きずるように歩く・・・。
古文書によると、この遠嶽は、遠嶽氏の遺領であり、その名残が「南平墓石群」が、山の中にひっそりとたたずんでいる・・・。
ここも・・・兵どもの・・・夢のあと・・・か。
また、道に戻り、「八坂神社」横を通り抜け、今里川を渡り、遠竹(遠嶽)の集落に到着した。
ここが竹崎街道の長崎県部分の終点である。
帰りは、歩いて帰りたいが、体力が尽きているため、海岸部に出て、阿弥陀崎からバスに乗って帰った・・・。
| HOME . |