ある木造天主堂の変遷 (三井楽天主堂) 


  1 名 称  三井楽天主堂 (諸聖人)

  2 場 所  南松浦郡三井楽町岳郷1420

  3 区 域  三井楽町浜の畔、大川、岳、渕の元、柏など




  三井楽のキリスト教徒は、寛政9(1797)年に大村藩から迫害を避け、逃れてきた隠れキリシタンの人々の流れを汲むと言われている。

  これは、五島の場合、珍しいことではなく、一般的なことのようである。

  明治13(1880)年にゴシック様式の木造天主堂を完成させたという。



  現天主堂は、昭和46(1971)年に建立され、現代的な建築物となった。

  現在の天主堂は、島内各地の貝殻のモザイク聖画が教会の正面、内部、司祭館などを飾っている。

  写真と同じものが唯一残っているのが、「鐘楼」であり、往時を偲ばせるものである。




  この天主堂は、建築様式から明治中期から後期のものと推定される。

  木造平屋建てで、瓦葺きの2層の屋根、尖頭アーチ窓の天主堂となっている。

  内部も三廊式の単層構成になっていると見込まれる。

  現在は、入り口部分の工事中であり、昭和初期と見込まれる。 
   

  この写真は、1933(昭和8)年頃の写真であると思われる。

  上の写真にが付加され、2階のベランダと窓がつけられている。

  日の丸が揚がっているのを見ると、何かの記念日であるが、献堂式と考えても良いと思われる。

  献堂式の記念写真だと推量される。
   
  写真の1943年の日付けがあり、戦時中の写真であると言うことが判る。

  この写真は鐘楼の完成を記念したものと考えられる。

  戦時中で、神国日本の「神道」が奨励される中、キリスト教を守った力は偉大である。

  いろいろな書物には、戦時中のキリスト教の迫害が記されている。
   

  天主堂内部の写真である。

  立派な祭壇と、リブ・ヴォールト(コウモリ)天井の一部が見える。

  これを見ると、この木造天主堂は本格的な日本式天主堂だったと言うことができる。

  この天主堂が残っていれば、文化財的な素晴らしいものであるが・・・。
   

  この写真の年代は1945年となっている。

  全体の色が黒く塗られ、ベランダがなくなり、少し違和感が感じられる入り口が付加されている。

  まるで、入り口部分は寺院のようである。

  少し、無惨な感じがする。
   
  この写真は、1952年の日付けがある。

  塔が大きくなり、まるで「旧大浦天主堂」(国宝)の姿を想像させる。

  全体的に高さを嵩上げしたような感じがある。

  それまで、横長の天主堂のデザインが、縦長にデザインが変更されているために、そのように感じるのであろう・・・。