番 神 山  (松岳山) (東彼杵町) .


妙法寺 → 白山神社 → 守護神社(三十番神) → 番神山(松岳城跡)  (往復) 
               224m

    難易度
体力 ★☆☆☆☆
技術 ★☆☆☆☆
危険 ★★☆☆☆
鎖場 なし
電話 不明



彼  杵 (1/25000)


  「番神山(松岳山)」・・・彼杵の宿(しゅく)の守護である。

  この山には、この交通の要衝・・・現代においても・・・中世の山城・・・「松岳城」が築かれたという・・・。

  南に「彼杵の宿」(東彼杵町)があり、峠を越えた北東に嬉野の町がある・・・長崎街道「俵坂峠」の近くにある要衝の地である。

  この地は嬉野からの入り口(長崎街道)でもある・・・また、長崎・大村からの中継地(長崎街道)・・・あるいは平戸街道の終点(平戸街道)・・・あるいは大村湾の船の出港地・・・二十六聖人も、彼杵の港から、長崎に向かった・・・と、言う。

  長崎自動車道、東そのぎICから降り、国道34号線を嬉野方向へ行くと、彼杵川を越え、その右に曲がったところが、「妙法寺前バス停」である。

  バス停から奥に入ったところに、「妙法寺」がある・・・城壁のような白壁が美しい・・・日蓮宗系の由緒ありそうなお寺である。

  「大村郷村記」に言う・・・。

  一 番守山 妙法寺 ・・・

  当寺は寛永四年大村松千代純信草創、以日忠上人為開祖号番守山妙法寺、寺領拾石餘寄附、同十八年京都本国寺より日審と云僧弘法の為当国に下向、純信日信へ帰依、境内高山の絶頂に武運長久守護の為、三十番神を勧請す、後萬治二年同氏因幡守純長自筆の額一面寄附、今本堂の額是也

  妙法寺にお参りし、右側の門から出て、上にコンクリートの小さな道を真っ直ぐに登っていく・・・小川の横の小道である。

  左手に墓が見え、左に針葉樹の人工林の中を歩いていく・・・。

  しばらく歩くと、コンクリート道路から右側が丸石の鳥居のある「古道」・・・そして、左側が四角い石で階段状の石段がある。

  丸石の「古道」を歩く・・・丸い苔生した岩が、歴史と清涼たる気分を演出してくれる。

  杉の木は大きく、わずかに木漏れ日が、冬の日が丸い石を照らし出してくれる。

  道の途中に、三段の石垣があり、いかにも城の出城みたいな感じもする・・・。

  三段の石垣を越えると、「白山神社」・・・「白山権現」が祀ってあるらしい・・・。

  松岳山 白山権現 (大村郷村記より)

  當社建立年号不知、元禄以前より此社あり、鳥居より拝殿まで三町程、山中にて坂路険し、神殿の後に大岩あり、高四間程、岩上に古松一株あり、此岩下に窟有り、石祠ハ此窟中にあり

  この白山神社は元禄以前に創建されているらしい・・・その縁起が神社の前に記してある・・・。

  ご神体は、岩窟内に安置してあり、馬上観音石像がある。

  そのため、牛馬祈願、歯痛、願い事、学業上達、家内安全、祈願等・・・各地から参詣者が多いと言う・・・登るのは、私一人だったが・・・。

  右手に、小さな池(水溜まり)があり、そこには山椒魚が生息していた・・・と、言っても、今は冬で、山椒魚の卵?が丸まっていた・・・。

  本音を言うと、丸まった山椒魚の卵は・・・少し気持ち悪かった・・。

  左手に行くと、四角い石を階段状に積んだ階段と出会う・・・。

  そこを少し上がると、清水がタラタラと湧きだしており、そこを登っていくと、視界がだんだん開けてくる。

  この頂上手前の視界は素晴らしく、東彼杵の町が眼下に霞むほど素晴らしい・・・。

  頂上付近が、「守護神社」である。

  ここには、コンクリートの建物があるが、日蓮宗系の施設であり、従来は守護神社だったのかもしれない・・・。

  松岳山 三十番神

  境内は松岳山の絶頂(番神勧請する故番神岳とも云ふ)なり、岩根より上総て境内也、社地横六間入壱四間、外は山、妙法寺境内也、鳥居より上宮まで行程六町、左右山にて険阻の坂路也、壱町毎に各標石あり

  当社は寛永十八辛巳年、京都大光山本国寺より日審と云僧弘法の為當国へ下向、干時大村丹後守純信日審へ帰依し、同年境内高山の絶頂に當社を建立、武運長久守護の為三十番神を勧請す、其後慶安四辛卯年、同氏因幡守純長再建、萬治二年純長自筆額一面寄附、今妙法寺本堂の額是也・・・

  正面右に「日蓮」の銅像を眺めることが出来る。

  周りの林は伐採され、日当たりの良い素晴らしい景色を楽しむことが出来る。

  しかし、よく考えてみると、ここは頂上ではない・・・。

  このコンクリートの建物の裏から、更に尾根づたいに林の中をたどって行く。

  すると、両側に石垣状のものが出現してくる・・・「石垣」なのである。

  再び・・・再び、「大村郷村記」を引用する・・・「松岳の古城

  三根郷妙法寺境内後の高峰にあり、番神岳続にて、高サ麓より凡六町程、至て、険阻也、東西田原、南北深谷にて山也、頂上廣東西三町、南北弐町程(元禄舊記ニ本丸百八拾坪、二の丸百八拾坪、子丑寅の方石垣と記せり) 小篠の原にて、此所に高三間、横六、七間四方程、枡形の形の井戸現存す、西南の方は崩れ落て形のミ遺れり、今に此処の地名を枡形と云ふ、水の手は辰の方一町程の処にあり、又近き比まては此郭内に井戸の形ありしと云ふ、今埋れて其所を知らす、當城は往昔丹後守純忠代、後藤伯耆守貴明(丹後守純前妾腹、武雄領主)襲来の時、當邑の郷士等、此城に楯籠り防戦せし所也、舊記ニ曰、理専純忠代ニ後藤貴明大勢を引率し、不動山より甲斐の川内通りして松岳の城に押寄せける、此松岳の城には彼杵地侍大勢にて籠り居けるか、城中より切り出、散々に戦ふたり、貴明不叶して、敗北す

  ・・・その後、後藤貴明らに攻め落とされ、再度、彼杵勢に攻め落とされ、大村方の手中に戻されている。

  そして、その最後部付近が「番神山」(224m)の頂上なのである。

  三角点はなく、石垣のみが「城郭」を想像させる・・・細長い城であったと考えられ、彼杵の宿を見渡し、守って来たろうことは騒動できる・・・。

  帰りは、元の道をたどって、・・・帰った・・・休憩は「妙法寺」境内で。(往復2時間弱)