| 烽 火 山 ・ 武 功 山 (長崎市) . |
春徳寺 → 七面山妙光寺 → 烽火山 → 武功山 →
426m 349m
| 難易度 | |
| 体力 | ★★☆☆☆ |
| 技術 | ★★★☆☆ |
| 危険 | ★★★☆☆ |
| 鎖場 | なし |
| 電話 | 良好に通信 |
(烽火山) N 32゜ 45’ 50.9”
E 129゜ 54’ 24.9”
(武功山) N 32゜ 45’ 31.5”
E 129゜ 54’ 23.7”
長崎東北部(1/25000)
烽火山は長崎を取り巻く長崎火山帯に属し、標高426mで、長崎七高山の一つで、西に金比羅山、南に彦山と相対している。
もとは斧山とか遠見岳と呼ばれていたが、島原の乱平定後、老中松平定信が1638(寛永15)年に異国船入港の異変を急報させるために「烽火番所」を長崎奉行に命じて、頂上に狼煙台を設置させたために、この山に「烽火山」と呼ばれるようになった。
烽火山(「長崎名勝図絵」巻之一)
長崎の東北、八気山の東。もとは斧山という。高さ二百余仞。西南を俯してのぞめば、天塹千里一目に悉く収まる。といった景観である。寛永年中始めて烽火台が設けられた。方八尺ほどの石のかまどを築く。薪役人が詰めている。山の少し廣くなっている所を華萼と名づける。
春日野にあらねとたかき山の名の飛火もたえてうこきなき御世 南畝 太田 覃
デパート玉屋前の駐車場に駐車し、ガイド・ブックどおりに「春徳寺」(トードス・オス・サントス跡)まで歩き、芭蕉の時雨塚を見物し、東海氏の墓前を通り、上に登って、林の中を歩くと、「城の古趾」があるが、石の祠が残っているのみである。
唐渡山(「長崎名勝図絵」巻之一)
・・・さまで高くない。長崎氏の城跡で、城の古趾という。昔応永年中領主長崎氏が、その家臣を屡々明国に遣わしていたので、唐渡山と名づけたという。又東土とも書く。慶長年中この山の麓に切支丹寺(トードス・オス・サントス教会)が建った。今の春徳寺の地で、古くは東土参台といった。・・・この山はまた舞岳ともいう。
そして、ガイド・ブックどおりに・・・あれっ・・・登山道が住宅地の造成工事により、消えているばかりか、立入禁止となっている。
泣く、泣く・・・、鳴滝三丁目に降り、一番下の道を通り、七面山妙光寺を目指す。(たぶん、道があるだろうと言う簡単な期待から・・・選択した。)
今日は、少し重装備のため、七面山妙光寺の急坂の参道はきつい・・・。
後から・・・他のガイド・ブックを見ると、昔からの本道であったらしい。
一番上の本堂に着くと、右手に折れ、山道を歩いていく。
急勾配でかなりきつい坂である。
この程度の坂の山道は少なく、島原の七面山くらいであろう。(あれっ!どっちも七面山だ?)
この道を歩いていくとT字路になっており、左側に歩いていき、尾根道を歩くと良い。(よく、踏まれている。)
しばらく、尾根道を歩くと頂上である。
最高部には狼煙台(直径4.8m、高さ3.6m)が復元され、1968(昭和43)年に県指定史跡に指定されている。(1時間半程度)
狼煙台の上でオニギリをパクついていると、登山者二名と出会った。
「長崎七高山めぐり」か・・・?
狼煙台の上からは、長崎港全景と雲仙普賢岳?らしい景観が見えるだけで、木々が高すぎて周囲が見渡せない。
案内板どおりに南に進路を取り、降り始める。
ほとんど下りか平坦であり、容易に武功山に到着できる。
武功山(「長崎名勝図絵」巻之一)
長崎の東北にあり、俗に向分と名づけている。松樹鬱蒼と生い茂る。ここは真道氏の旧壘の趾である。真道は、長崎、大村、戸田、岡田、熊野、深堀と共に長崎七家の一と言われる。
武功山頂上は標識のみで、頂上らしいものは石が3段に積み上げられていたのみである。
長崎港が綺麗に見え、景観は素晴らしい・・・。
そのまま下山すると、国の天然記念物キイレツチトリモチの自生北限地(本河内水源地北)を通る。
蛍茶屋まで行かずに、高林寺の墓地から出発地を目指す。(14,000歩)