飯  岳 (城山・飯岳城  (千々石町) .


千々石町飯岳集落  飯岳(飯岳城)  (往復) 
        362m

    難易度
体力 ★☆☆☆☆
技術 ★★★★☆
危険 ★★★☆☆
鎖場 なし
電話 不明



愛 野 (1/25000)


  「飯岳(城山)」と言って、この近所の人しか知らないと思うし、「飯岳城」は、もっと知らないんじゃないだろ言うか?

  わかりやすく言うと、愛野町から千々石町に入り、小浜方向に向かうときに、右手に猿場山、左手に姿の素晴らしい山が・・・「飯岳」(城山)である。

  地図にも載っていない山であり、25,000分の1の地図には、「飯岳」(集落名)と「飯岳川」の文字が見えるだけで、「362」(m)の標高だけ見える山なのである。

  この城は南北朝時代に林田隠岐守が築いた。

  観応3(正平7、1352)年に九州探題一色範氏は、小俣氏連を南朝方の林田隠岐守らの追討のために派遣したと言われ、閏2月16日に千々石に攻め込んだという。

  その後、応安6(文中2、1373)年に今川満範が千々石に攻め寄せ、千々石浜で南朝方(千々石勢)と合戦したと言われている。(「北肥戦誌」などのよる。)

  「日本城郭体系」には、城跡には石垣があり、最近まで水堀と見られるものがあり、付近には横堀、巳の鍔、矢迦(ヤハズシ)などの小字が地名として残っているらしい。

  この「飯岳城」は、山城で、かなりの険しさである。

  国道57号線を千々石町中心街から、小浜方向に進むと左手に谷があり、発電所前バス停か、飯岳口バス停付近から、飯岳の集落に進む。

  登山口はないから、どこから登ってもかまわないが、集落の尽きたあたり・・・、山の北西部から畑を越え、山に分け入った。

  この山も険阻で、藪こぎをしながら、山頂・・・と言っても「岡」だが・・・を目指して、登り続ける・・・人が入っている様子はなく、荒れている。

  勾配はもの凄く、石を誤って落とそうものなら、凄い勢いで数十メートルは落ちていく・・・何時までも落下する音が続くのである。

  また、木に掴まらないと、滑り落ちそうであり、「三点支持」で登らざるを得ない・・・山城の宿命である・・・小規模な山城は石垣を積む事はないから、自然・・・天然の要害を利用せざるを得ないと言うわけだ。

  やっと、平坦なところについたと思ったら、西側に一段低いところがあり、巨石が並んでいる・・・東側に進路を取り、山頂を探し、三角点か、その表示板を探し・・・回る・・・ないのだ。

  山中を探すが無く、頂上付近は人工的に掘った跡があり、建物・・・倉庫みたいな感じであり、赤土みたいな土が露出している。

  頂上を示すものがないため、付近の石と赤いプラスチックの頭の着いた杭を撮影し、頂上にした・・・。

  帰りは同じ道をたどって帰ったが、逆に「登り」より難しいかもしれない・・・。