| 小 峰 山 (川棚町) . |
小峰城解説版 → 小峰城二の丸 → 小峰山(石像) (往復)
| 難易度 | |
| 体力 | ★★☆☆☆ |
| 技術 | ★★☆☆☆ |
| 危険 | ★★☆☆☆ |
| 鎖場 | なし |
| 電話 | 不明 |
嬉 野 (1/25000)
「小峰山」(180m)は、地図にも載っていない山であるが、歴史的には有名な所である。
小峰山は、戦国時代末期(永禄9(1566)年)に、武雄城主・後藤貴明が、この山に「小峰城」を築き、大村純忠を攻める侵攻地点となったところである。
これを守る大村純忠は、木場に歌舞多城、百津に風南城を築き、対抗したと言われている。
小峰城は、東彼杵郡川棚町五反田郷小峰山山頂に築かれた中世の小さな山城である。
資料「大村郷村記」によれば・・・
一 小峰古城
東川棚村五反田と云ふ所にあり、天和の記に曰、本丸東西四拾間、南北拾五間(今改六間)、東の方石壁、西北の方に石垣あり、高三尺程、二の丸西の方竪六間(今改七間)横五間(今改七間半)高五尺、長拾壱間程の石垣あり(今改二の丸より本丸高四間)追手西の方、搦手不知、此城は後藤伯耆守貴明、此邊まて働入て陣城を構、暫く籠城致されし所なり
案内板には・・・山頂の本丸と西側の二の丸からなり、本丸は東西60m、南北25m、本丸に東に石壁と西北に高さ1mの石垣がある。
二の丸は、本丸の西に縦11m、横9mで、高さ1.7mで長さ20mの石垣があるという・・・。
川棚町中心から、県道4号(川棚有田)線を波佐見町方向に進み、五反田バス停と梅高野バス停の中間付近に、川棚町教育委員会の「小峰城」の解説版がある。
この解説版の横に、コンクリートの歩道らしきものがあり、ここから登り始める・・・すぐに藪こぎになる・・・道が全く判らなく、セイタカアワダチソウとイバラの棘に悩まされながら、登っていく。
やっと、林の中にたどり着き、更に登っていくと、また、藪こぎ・・・そして、照葉樹林帯にやっとたどり着くと、登れる状態になっていた。
そこから(登山口だと帰り際に判明)、登山道らしきものが判明せず、直登を始めた・・・かなりの急勾配で、垂直の坂にしか感じられない・・・。
木に掴まらないと、下まで滑り落ちそうな急勾配で、斜めにジグザグに切りながら登っていくと、息が切れる。
急すぎて、周囲を見渡し道なんか見つけられない状況である・・・道がついていないから、楽しいのであるが・・・ゼイゼイ喘ぎながら、楽しんでいる自分を発見する。
歩くと言うより、よじ登る・・・と言った方が正しい表現である。
この急勾配ならば、なかなか攻め手は、攻めにくい・・・山城としては最高のロケーションである・・・登っている私はさしずめ攻城軍か?。
頂上付近に、ビニルーテープを発見するが、最近のものでないことが判る・・・そこから、登山道らしきものを登っていく。
はじめに、石垣ものらしきものが現れる・・・平らな石を組んであることから人工物であることがうかがわれる・・・石垣の崩れたところから、登ると、なるほど「二の丸」らしきところである。
更にそこから登っていくと頂上に着く・・・やっと、征服した・・・城攻めで陥落させた・・・?
頂上は、東西に細長い地形で、橡の木が植えてあり、近年伐採してあるようである。
二の丸も本丸も狭いところから、十数名・・・100名未満の小さな城であることが判る。
本丸の周囲を歩いてみる・・・北側に、寄付の塔が立っており、更に東の方に行くと、・・・な、な、何と、二宮金次郎(尊徳)像が・・・今時、小学校でも、薪を担ぎ、本を読んでいる姿は見かけない・・・。
小峰山頂(180m)の二宮金次郎像の背後には、遠く、東の方に、「虚空蔵山」が特異な姿を見せていた。
帰りは、何とか、登山道らしきものを見つけ、ジグザグに降りていく・・・ところどころ、道が崩壊し、不鮮明な所がある・・・たどり着いたところは、私が登り始めたところだった。
再び、藪こぎを開始し、県道に出たときは、種子や葉っぱが、服やズボンにたくさん、ついており、まるで・・・「敗残兵」の姿であった・・・。(所要時間1時間程度)