城 山 (対馬・美津島町) .


                                           城山入口(美津島町黒瀬) → 城山頂上  (往復)
                                                                  276m

    難易度
体力 ★☆☆☆☆
技術 ★★☆☆☆
危険 ★★☆☆☆
鎖場 なし
電話 不通


                                                           阿連 (1/25000)


  城山は、現在では天智天皇四年に築くところの「対馬金田城(カネタノキ)」と認められているが、それまでは長い紆余曲折があったという。

  厳原町の佐須川の畔に、金田隈、金田原などの地名があり、刀伊・蒙古の襲来を受けた佐須浦があることから、「金田城」は佐須であるという説が有力であった。

  享保の頃、陶山訥庵先生はその著「対馬紀略」にいう。

  「城山の四面を繞すに石壁を以てす。軍門の遺址も今に至って猶存す。絶頂に登れば則ち東北西の諸峰眼下に羅立す。是乃ち天智六年築く所の金田城址ならん乎。州中別に金田城となすべき古蹟なるもの無し。州俗に神功皇后の新羅を攻むる時に築く所と為すは疑う可し。

  近年は、永留久恵先生の活動・研究により、城山が金田城と比定し、「国指定特別史跡」に指定されている。

  現在の歩道は、明治時代、日露戦争頃に城山山頂部に要塞を設け、砲台を置いた跡がある。

  その砲台を築き、軍が駐屯するために軍道を整備したため、それが現在の遊歩道となっている。

  なお、そのため、金田城の石垣の一部が破壊され、山頂部の遺構は見る影もなくなっている。

  城山入口は美津島町黒瀬にあり、看板も立っている。

  この幅2mくらいの旧軍道で思い出されるのは、ゲートルを巻いた兵隊が、荷車に砲弾を積み、ヨイショ、ヨイショと懸命に押す姿が岩陰から出てきそうな雰囲気なのである。

  今は蟹がサワサワと旧軍道を這い回っているのが二重写しになる。

  頂上付近の砲台跡は二ヶ所有り、トンネルみたいな倉庫のみが現在でも使えそうである。

  入り口には雨水を貯める施設もあり、長期的にも滞在できそうな施設である。

  砲台の先に行くと断崖絶壁であり、大きな一枚岩が垂直に切り立っており、浅茅湾から見ると壁みたいに見えるのではないかと想像される。

  ここから見た景色は絶景であり、北に浅茅湾の溺れ谷が美しく、北西部には尾崎半島と水崎半島が見える。

  大昔、新羅の軍船が浅茅湾の侵入してきたとき、防人は金田城に立て籠もり、防戦したであろう・・・。

  昔、ロシアの軍艦が日本帝国海軍の軍艦を追って、浅茅湾に侵入してきた時、城山の2基の砲台は火を噴き、撃退したであろう・・・実際に、対外戦略の一つとして築かれた防備は一度も役には立たなかった。

  対馬にとっては喜ばしいことであった。

  防人は・・・、帝国軍人は・・・何を考えて、この地に立ったのだろうか・・・。

  更に、左側の道を進み、頂上部を目指す。

  細い獣道を通り、山頂部へ。

  山頂には大きな岩が積んであり、更に周りの風景は壮観になってくる。

  南は白嶽山系が続々と連なる。

  岩の下に国土地理院の「三角点」(276m)が確認できる。

  私は頂上の岩の上に座り、空を眺める。波静かな海と島々を眺める。空は雲が動き、雨が降りそうである。