プロフィール

 

 

さわみや ゆうの素顔



昭和39
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熊本県八代郡鏡町(現八代市)生まれ。実家は大正時代から続く雑貨店。有佐小学校を経て、鏡中学に進む。この頃から強迫性障害に苦しむ。一方で考古学ボーイで、遺跡や古墳を駆け回った。中学生時代から専門書を読み漁り、高校生の身分で「日本考古学会」の会員となった。

 ノンフィクション作家。主にスポーツから文学、映画、歴史、教育まで幅広く執筆している。

 主な著作に
戦前の名捕手吉原正喜の生涯を描いた『巨人軍最強の捕手』(晶文社)で第14回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。『打撃投手』『プロ野球・燃焼の瞬間』『炭鉱町に咲いた原貢野球』(以上現代書館)『プロ野球いぶし銀のベストナイン』『ドラフト1位』『ひとを見抜く 伝説のスカウト河西俊雄の生涯』(以上河出書房新社)『二十四の瞳からのメッセージ』(洋泉社)『戦国廃城紀行 敗者の城を探る』(河出書房新社)など多数。

 エッセイスト、書評家としても活動。日本経済新聞、東京新聞などで書評を書く。
エッセイ「いらすの井戸の話」が2010年度ベストエッセイ集(日本エッセイストクラブ主催)に選出される。

昭和55
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    熊本県立宇土高校入学。高校時代の成績は330人中

300番。高3の夏休みも発掘で真っ黒に日焼けし、二学期も登校し、クラスメートから失笑を買った。

シナリオ作家を目指して上京する。

昭和60
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2年間の浪人生活の後、青山学院大学文学部史学科に入学。専攻は考古学。在学中は某体育会に所属し、4年間学ラン(学生服)を着て登校。ときおり坊主頭にもなっていた。昼は下宿で寝ていて夕方のみ練習のため登校した。クラスメートは卒業まで「スポーツ推薦」で入学したと信じていた。この頃、生活の発見会で森田療法を学び、強迫性障害を克服する。

体育会では主将を務め、試合ではいつも大将で出場。

「この恐怖心から逃げなかったことが自分を成長させたと思う」

(本人談)

◆夜はシナリオライターの養成所に通い、現役プロデューサに師事し、シナリオの習作を書きまくる。

平成02
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大学を5年かけて卒業し、都内でサラリーマン(大学事務職員)生活を送る。以後就職・広報・入試・通信教育などの業務に従事し、約20年間勤務。

在職中は創立者成瀬仁蔵の研究で、「大岡蔦枝記念奨学金」を授与される。
文芸評論家であり牧師の佐古純一郎氏に出会い、以後師事する。シナリオ作家の新藤兼人、田村孟、神波史男、桂千穂氏から指導を受ける。

 新人シナリオ作家の登竜門、新人シナリオコンクールで二度最終選考に残る。新人賞である大伴昌司賞ではノミネート賞を受賞。

平成06

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早稲田大学第二文学部に学士入学し、日本文学を専攻する。学術誌「論究」に志賀直哉、倉田百三の論文を発表する。

卒業論文は指導教授の薦めもあり「わたしの精神史」(審美社)というタイトルで単行本として出版される。

 

平成10年頃

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本格的にノンフィクションを書き始め、著作を発刊する。発行まで、20社の出版社に断られ、ようやく出版。「巨人軍最強の捕手」(晶文社)として刊行。これがミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。以後、サラリーマンとして勤務しながら著作を毎年2冊刊行する。

「二足の草鞋はきついですがサラリーマンの勤務成績はAでした。ただし素行は問題があった・・・」(本人談)

 夏はスリッパに裸足で通勤し、半分以上は遅刻していた。昼休みに酒をひっかけて勤務。

「ネクタイは10年以上締めてなかった」(本人談)

 

 

現在

サラリーマンの傍ら精力的に執筆、取材、講演活動を続けていたが、平成2012月末をもって、退職独立する。

 


 

主な活動(執筆活動を除く)

 

 

 


 

テレビ・ラジオ

「野球のミカタ」(司会・伊集院光氏)の「打撃投手のミカタ」に出演。
NHK「週刊ブックレビュー」等に出演。

TBSラジオ「dig」に出演

 

講演

    駒澤短期大学の講義「メディアと表現」のゲスト講師

H15H17まで)
青山学院大学「読書教養講座」で講演「プロ野球影の主役」(読売新聞活字文化プロジェクト)、同じく同大学でソフトバンクホークス小久保裕紀氏と公開対談「一瞬に生きる」など