宝塚市の市の花、”すみれ”です。 歌劇と温泉と植木の街
宝塚市の市の花、”すみれ”です。
宝塚周辺の鉱山と鉱物
第一幕 宝塚と聞いて・・・
 何を連想しますか?まずは何と言っても「タカラヅカ」・・・華やかな宝塚歌劇でしょうね。次に宝塚市出身、漫画の神様・手塚治虫先生、武庫川沿いの風情あふれる宝塚温泉、植木三大産地と言われ千年の歴史を有する花卉(かき)植木産業、競馬ファンには仁川の阪神競馬場、残念ながら閉園しましたが宝塚ファミリーランド(2003.9.26より宝塚ガーデンフィールズがオープン)も忘れられませんね。しかし、宝塚市の北部にかつての重要な産業の一つとして「鉱山」があったことは殆ど知られていません。

 管理人も神戸からこの宝塚市に住まいを移して9年になりますが、当地に来て宝塚市の鉱山に関心をもつようになりました。元々規模の小さな鉱山が少数、戦前から戦中にかけて稼行していただけです。このままでは人々の記憶から消え去り、歴史の谷間に埋もれてしまうと思います。管理人と宝塚も何かの縁、管理人の故郷「大阪府の鉱物」に続く「ご当地鉱物シリーズ」として「鑛物趣味のページ」に記録しておきたいと思いたった次第です。また、宝塚市に隣接する西宮市には六甲山系に興味深い鉱物産地が在りタングステン鉱床中の鉄マンガン重石やトパーズ、そして芦屋に近い所から緑柱石も発見されています。宝塚市に隣り合った西宮市の鉱山と鉱物にも少し触れてみたいと思います。
 但し、殆ど現地調査は行っていませんので先人の研究成果を使わせていただいています。

第二幕 宝塚市周辺の鉱山

 宝塚市は右の地質略図の通り概ね地質的に三つの地域からなっています。
有馬−宝塚構造線の北部、図で黄色の部分、宝塚市の80%に達する地域で、古生層である丹波層群と流紋岩を主とする有馬層群からなります。
 南西部の方は六甲山地の東端にあたり中生代の花崗岩からなります。(図の青い部分)
 宝塚市ではこれといったものはありませんが、西宮市には船坂峠付近にタングステン鉱床が知られております。
 もう一つは武庫平野(図では緑色の部分)であり大阪層群や神戸層群を覆って沖積層が分布しています。宝塚市の都心部を形成しています。「鉱山と鉱物」の観点から重要なものは最初に述べた丹波層群と有馬層群です。宝塚の鉱山は殆どが有馬層群中に胚胎しています。

 宝塚市の鉱山は有名な多田銀銅山の一部を構成しているのです。多田銀銅山は約1,200年前の奈良時代に大仏造営の為に銅を献じたと伝えられ、室町時代から豊臣時代に最も栄えて秀吉の「天下の台所」を支え、昭和48年の日本鉱業多田鉱山閉山まで営々と続きました。多田銀銅山は日本鉱業多田鉱山のあった川辺郡猪名川町を中心に川西市、大阪府豊能郡、箕面市、池田市まで広がる一大鉱業地帯であったのです。そしてその一部が宝塚市にもあったわけです。
上記地質概略図は「白地図KenMap」の地図画像を利用させていただきました。国土地理院承認 平14総複 第149号
 宝塚の鉱山はその殆どが北部・西谷地区に集中しています。この中で重要なのが千本鉱山、駒宇佐鉱山、そして下記の鉱区一覧には載っていませんが、長谷(ながたに)の小幡鉱山です。このような鉱山が稼行中であった当時の西谷村は山村の為、不況時は男女を問わず出稼ぎに行かなければならなかったそうです。そのような中でこれらの鉱山は地元の貴重な働き口でした。
 しかし、このような鉱山も宝塚に限ったことではありませんが、都市近郊の為、宅地開発やゴルフ場の開発の為、多くが「幻の鉱山」となっており、特に私たち鉱物趣味家にとって興味のある鉱物の観察が可能なヤマは残念ながら殆ど残っておりません。
西谷村内の鉱山(大阪商工局「鉱区一覧」及び宝塚市史より)
登録番号 鉱山名 鉱種 町村名 鉱画坪数 鉱業権者 住所
登 27 紺青 銀・銅 西谷 6,412 山本憲介 神戸市
34 駒宇佐 銀・銅 西谷 26,700 宇野 誠 東京都
45 多田 銀・銅 中谷・西谷 285,100 日本鉱業 東京都
83 瑞穂 銀・銅・亜鉛 多田・西谷 113,500 村田義一 兵庫県
158 千本 金・銀・銅・鉛・亜鉛 西谷 90,932 深井喜代松 池田市
219 吉雄 亜炭 西谷 568,400 野間計一外一名 京都市
 千本鉱山
 千本鉱山については稼行当時の貴重な写真が残っており様子を窺い知ることが出来ます。千本鉱山は「奥ノ千本」と称し大正年間に試掘、大正6年頃着脈し、一時は一棟四世帯の長屋が八棟あり盛況であったようです。大正末期には閉山し、今ではゴルフ場となり面影はないそうです。
(主な産出鉱物)
自然銀、斑銅鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、赤銅鉱、緑鉛鉱、青鉛鉱、孔雀石、藍銅鉱、珪孔雀石、輝銅鉱、ブロシャン銅鉱 白鉛鉱
千本鉱山産緑鉛鉱
(益富地学会館蔵)
このゴルフ場のどこかに千本鉱山があった。
 駒宇佐鉱山
 駒宇佐鉱山はイヤ谷字小畑にあり、天正鉱山とも呼ばれたそうです。また別名「口ノ千本」とも言われ昭和5年に再開しました。8時間労働の三交代であったそうなのでなかなか盛況であったようです。
 駒宇佐鉱山だけは終戦後も続いたそうですが、昭和23年少量の残鉱を集めて出荷したのを最後に閉山しました。この鉱山もゴルフ場になったと聞いています。
駒宇佐鉱山産藍銅鉱
(益富地学会館蔵)
こんな凄い標本が出たんですね。
駒宇佐鉱山産白鉛鉱
(益富地学会館蔵)
(主な産出鉱物)
自然銀、斑銅鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、赤銅鉱、緑鉛鉱、青鉛鉱、藍銅鉱、珪孔雀石、輝銅鉱、白鉛鉱、輝銀鉱、方鉛鉱、輝安鉱
 小幡鉱山
 小幡鉱山は沿革ははっきりしませんが今でも痕跡の残る貴重な鉱山です。僅かに残るズリは有馬層群の流紋岩が優勢でわずかに石英をまじえます。石英は珪孔雀石で淡青色に染まっているものが見られます。鉱石鉱物は黄銅鉱、方鉛鉱、安四面銅鉱などが認められ稀に藍銅鉱や赤銅鉱、自然銀が認められます。
(右の写真はズリ 2003年9月)
(主な産出鉱物)
自然銀,輝銅鉱,輝銀鉱,閃亜鉛鉱,斑銅鉱,黄銅鉱,方鉛鉱,黄鉄鉱,安四面銅鉱,赤銅鉱,白鉛鉱,孔雀石,藍銅鉱,青鉛鉱,ラング石様鉱物,珪孔雀石 
安四面銅鉱、黄銅鉱 方鉛鉱 自然銀(顕微鏡写真)

第三幕 六甲山系・西宮の鉱山
宝塚鉱山と船坂鉱山
 先に述べた通り、有馬層や丹波層に比べて宝塚・西宮の花崗岩中の金属鉱床はたいへん少ないです。「日本地方鉱床誌・近畿地方」(朝倉書店 瀧本 清著)には花崗岩中のモリブデン鉱の鉱山として「宝塚鉱山」という名が挙げられています。但し、所在地は「西宮市生瀬」・・・宝塚市ではありません。
 阪神間の鉱山を知り尽くしている鉱物研究家の方に聞いてもこの鉱山はご存知ありませんでした。

 一方、僅かに記録に残っているものは西宮市山口町の船坂鉱山でしょう。位置的には丁度、阪急電鉄今津線(今津・西宮北口〜宝塚)の逆瀬川から有馬温泉へ抜ける途中にあたります。ペグマタイト中のタングステン鉱床で主要鉱石は鉄マンガン重石だそうですが、トパーズの産出が有名です。元々小規模なもので、痕跡が残っているかどうかも判りません。
西宮市の観音山近くで見つかった緑柱石。六甲山系ではたいへん稀な鉱物です。
幻のモリブデン鉱
 随分昔の話ですが昭和8年(1933年)2月11日の大阪毎日新聞に以下のような記事が掲載されました。たいへん興味深い記事ですので神戸大学附属図書館「デジタル版新聞記事文庫」より引用させて戴きます。

 『黄金狂時代の向うを張って、これはまた珍しや日本でも稀有の貴重な鉱物とされているモリブデン酸鉛を六甲山から掘り出そうという耳寄りな話−モリブデン(火鉛鉛鉱)といえば比較的軟かい銀白色の金属で王水に溶解し熱硫酸あるいは熱硝酸でも溶解するが融点は実に二千四百度といわれてダイヤモンドに次ぎその合金は大砲軍艦などに使用される重要な軍用資源、日本では主として外国品を輸入し欧洲大戦の際には一トン九千八百円の高値を唱えたもの、それが我らに親しみ深い六甲山中に埋蔵されているというのだ。「宝塚郊外武庫郡良元村西蔵人、元同村助役和田甚九郎氏はこのほど村の年寄り連中の間に伝えられている口碑を頼りに最近阪急今津沿線逆瀬川停留場から南方二里を分け入った六甲山中、有馬郡山口村船阪所属の人跡まれな山林中を探した結果はたして二銭銅貨大の斑点多数が蠣のように附着した大岩石を発見、破片を持ち帰って大阪市西淀川区大和田の私立大阪分析所平野、神戸市桑原鉱業所田中両技師らに分析試験を依頼したところまごうかたなきモリブデン鉱と判明した、ただ埋蔵量の点と採算の有無が問題であるが同氏はすでに大阪鉱山監督局に同地帯約百万坪の試掘願いを提出した』

 これをそのまま解釈すると二銭銅貨大のモリブデン酸鉛即ち「モリブデン鉛鉱」が母岩の表面にベタベタと付いてとの事。しかも当時の二銭銅貨と言えば3p以上あります。色や質感についての記述が無い為、確実な事は云えないのですが、一寸モリブデン鉛鉱とは考えにくいように思います。本邦産のモリブデン鉛鉱はせいぜい数oといった所でしょう。「蠣のように」という表現からもモリブデンが正しければ輝水鉛鉱ではないでしょうか?

 「モリブデン酸鉛」の真偽はともかく、この記事が正しいとすると船坂峠にはタングステン鉱とモリブデン鉱があったことになります。タングステン鉱とモリブデン鉱が共存するケースは島根県小馬木鉱山などでも知られており、考えられないこともありません。ただ、白神正夫先生の報告には船坂鉱山では輝水鉛鉱は報告されていません。この試掘願いの後日談が知りたいものです。また、船坂鉱山についての詳しい情報をご存知の方は是非ご教示下さい。