フル七瀬パニック
 戦うガール・ミーツ・ボーイ

「いいか七瀬? A4のコピー用紙が2000枚だぞ?」

 職員室の扉の前。のんびりした放課後の喧騒とは裏腹に、折原浩平は深刻な声で言った。
 人差し指をぴしりと立て、目の前の女子生徒に説明する。

「用紙は500枚の束になっているので、合計4枚、こっそり持ち出すんだ。わかったか?」
「了解」

 この学校指定のとは違う可愛らしい制服を着込みんだ美少女…、七瀬留美は簡潔に答えた。
 ワインレッドのリボンでまとめられた左右のお下げを揺らし、その可愛らしい外見からは想像もできないような鋭い目付きで、職員室の扉を睨む。
 浩平と七瀬は念入りに、作戦の確認を徹底した。

「コピー用紙の場所は分かってるな?」
「ええ。職員室の最深部。コピー機の脇に積んであるわ」
「段取りは心得ているか?」
「折原がコピー機近くのターンA髭と会話し、注意を引き付けている隙に、私がコピー用紙を奪取する。その後は速やかに撤退ね」

 浩平は腕を組み、満足げに肯いた。

「よしよし、ふっふ。……教員側の連絡ミスで、2000部も公演の広告ちらしをミスプリントしたんだから、われらが演劇部としてはその損失を返してもらって当然だ。大儀は俺達にある。分かるか、七瀬?」
「は。心、洗われました。…とと、それが乙女の考え方なのね?」

 強引なその理屈に肯きつつ、七瀬は満足げに微笑む彼に質問をした。

「しかし、先生に気づかれたらどうするの? 貴方が引き付けるだけでは不十分かもしれないわ」
「ふむ。髭ならば心配ないと思うが…。まぁ、上手く工夫してくれ」
「工夫ね。…わかったわ。工夫する」
「宜しい。では七瀬、行くぞ」

 浩平は七瀬を従えて、職員室へと踏み込んでいった。顔見知りの教師に愛想よく挨拶しながら、職員室の奥、くたびれたコピー機へと歩いて行く。
 コピー機の隣の席に、二人の担任教師「髭」が座っていた。

「こんにちは、∀!」

 にこやかに声をかける。

「んあー、折原か。しつこいギャグは嫌われるぞ。どうした?」

 髭が椅子をきしませ、振り向いた。浩平はコピー機のある一角を、彼の視界から隠すように立つ。これで七瀬の姿は、髭からは見えなくなるはずだった。

「えーとですね、昨日の授業のことで質問なんですけど」
「んあー? ワシって何の教科担当してたんだっけ?」
「…そういえばそうですね。後で調べるよう作者に言っておきます。ファン同盟のリンクから用語集を作っているページへ飛べば一発でしょう」
「はっはっは。そのうち作者も用語集は作るといっているが、エヴァのも殆ど手付かずでこれからどうするつもりなんだろうな」

 髭がそこまで言ったところで――
 しゅばぁっ、と手持ち花火のような音がしたかと思うと、浩平の背後で、濃密な白煙が膨れ上がった。

「なにぃ…!?」

 驚いて振り向くより早く、白煙が一気に立ち込めて、彼の視界はゼロになる。

「んあー、ごほっ、なにごとだー、んあー!? げほげほ!」

 髭もせき込んで、煙の向こうで悲鳴を上げた。白煙はたちまち職員室全体に広がって、他の教師達を大混乱させる、

「げほごほ、…、なんなんだ?」

 激しくむせながら、間近の書類棚に寄りかかると、誰かが浩平の腕をぐっと掴んだ。

「七瀬…?」
「用は済んだわ。脱出しましょう」
「おい…」

 煙の中から現れた七瀬が、浩平に手を引き、片手でコピー用紙の束を抱え、まっしぐらに職員室の出口へ走り出す(BGM:走る!少女達)。天井のスプリンクラーが作動して、部屋中に豪雨が降り注いだ。

「た、助けてぇ!」
「火事よ、地震よ、洪水よぉ!」
「パソコンが、テラドライブがぁ!?」

 渦巻く悲鳴をかき分けて、浩平と七瀬は職員室を飛び出し、演劇部の部室前まで来てようやく立ち止まった。

「ここまで来ればもう大丈夫よ」

 二人とも、スプリンクラーの水を頭から被って、全身ずぶ濡れである。

「澪に洗濯してもらったばかりなのに…」

 憔悴しきった目で、浩平は上着を絞る。

「それで、いったい何が起ったんだ…」
「発煙弾を使ったの」

 七瀬は平然と答えた。

「な、なにぃ…?」
「折原は『工夫しろ』と言ったでしょう? 職員室の視界をゼロにすれば、安全にコピー用紙を持ち出せるし、私たちの顔を見られずに済む。陽動作戦などより、よほど効果的だわ」
「…なるほど。後でIRAなり日本赤軍なりデラーズフリートなりを名乗って、偽の反抗声明を電話で入れれば、俺達への疑いも無いというわけだな。良くやったぞ七瀬。それでこそ乙女だ」
「は。光栄です」
「しかし、まだまだだな。自分の姿を良く見てみろ」

 浩平は制服の下の下着が透けた七瀬の姿をまじまじとみながら言った。

「こういう場合、乙女というのは恥ずかしがって顔を赤くするものだ。『み、見ないで…!』とか声にならない悲鳴を上げるのもいい」
「み、見ないで…!」

 言われて七瀬は早速その通りに行動した。
 う、可愛い。

「…取り敢えず中に入ろう。風邪を引くから服を脱がなくちゃならん。俺も脱ぐ」

 七瀬は少し顔を赤くして、恥じらいのポーズをした。

「え、でも…」
「いいぞ七瀬。その表情ナイスだ。だが、恥ずかしながらもちゃんと最後には脱ぐんだ。そして裸で焚き火を挟んで向かい合い、お前はこう言うんだ『この火を飛び越えてこい』。そうしたら俺が飛び越えて行くから、俺を受け入れろ!」

 浩平の真剣な表情に七瀬はうんうんと肯く。意味は分かっているんだろうか?

「そうすればお前は乙女になれ…」

 ごすっ!!

 部室のドアを開けた浩平は、中から飛んできた強烈な右フックを食らってきりもみしながら床に倒れた。3秒弱、身じろぎもせずに突っ伏した後、彼はむくりと身を起こし、

「痛いじゃないか!?」
「お黙りなさい!」
「み、深山先輩」
「は、部長。新入部員七瀬留美、ただいま任務より帰還致しました!」

 腰に手を当てて立つソバージュがかった長い髪の先輩の前で固まる浩平の後ろで、七瀬が敬礼した。

「深山部長…じゃないでしょ! 公演前にうちの部室で不祥事を起こすつもり? 七瀬さんも折原君のそんな口車には乗せられない!」
「はぁ…、ですが彼の乙女知識は豊富ですし、瑞佳…長森瑞佳さんが貸して下さった恋の戦術教本【乙女のドキドキ、ラブラブ占星術】を参照したところ、どうやら私の恋人にするには彼が相応しいようなので乙女を目指す私、七瀬としましては…」
「お黙りなさい! だいたい、なんでパンフとアンケート用の紙か予算を職員室で貰って来るだけのお使いが、職員室の壊滅なんて任務に変わってるのよ!?」
「いや、それは不可抗力というやつで…、本来の任務はほら、このとおり…」

 浩平は七瀬の手からコピー紙の束を奪い取って深山先輩の前に差し出した。
 しかし、その用紙からポタポタと水滴がしたたり落ちる。
 水を吸った重さで束の一部が自壊し、地に落ちた。

「……ぐわぁ」

 浩平の額からも水滴が一つ流れ落ちた。

「その、ふにゃふにゃになったコピー紙をどうするって?」
「…乾かせば使えると思うんだが」
「言い訳するんじゃない!」

 深山のブーメランフックが再び浩平の顔面に飛ぼうとしたその瞬間、二人の間に割ってはいるものがあった。
 七瀬だ。
 浩平の身代わりになったような形で吹っ飛ばされる。
 しかし、間を置かず起き上がり、唖然とする深山部長の目をしっかりと見据える。

「……部長。申し訳ございません。素人とはいえ上官である折原君の命令を無視し、独断で発煙弾を使用した私です。懲罰を加えるというのならば、私から先に…」
「な、七瀬…」

 唇の血をぬぐいながら立ち上がって力説する七瀬の姿に浩平は感動の涙を流した。
 傍で見ていた部員達の目頭も熱くなる。
 右脳系の人間はこういうのにノリ易い。
 深山もまた、七瀬の体を張った献身行為に心を動かされていた。
 うるうる。

「先輩。ここは七瀬に免じて折原君を許してあげませんか?」

 そして浩平の言葉に深山は肯ず…

「ええ、そうね……って、お前がいうな馬鹿者! ギャラクティかマグナム!!」

 くわけはない。


 数分後。

「ぎいいやあああああああ!!」

 部長の命令で演劇部員1年の上月澪に傷の手当て(のつもりなのだ、彼女は)をしてもらう浩平の絶叫をBGMに、深山はしょぼくれる七瀬に説教をしながら頭を抱えていた。
(ああ、もう…)
 幼い頃から海外の紛争地帯で過ごしてきた七瀬留美は、平和な日本での常識が全く無い。
 しかも時代錯誤な純日本人的乙女とやらを目指しているらしく、何処からともなくしいれてきた時代錯誤な知識や、そんな七瀬を面白がってちょっかいを出す折原浩平の言葉に従って行動しようとするものだから、やることなすこと全てが空回りして、周囲に大迷惑をかけてしまう。
 可愛いけどバカ。桁外れの馬鹿。学校の皆(特に演劇部以外の文化部員)は、七瀬をそんな風に考えているのだが、公演の台本制作に取り掛かって外界との接触を最小限に断っていた深山はそんなことを知る由も無い。
(ったく…。みさきといい、上月さんといい、折原君といい、この七瀬さんといい…、どーしてこんな変な連中しか集まらないのかしら…? もうすぐ卒業公演なのに…。カミサマ、どうして私は、このような役立たず達と出会ってしまったのでしょうか…?)
 などと嘆いてみるが、答えは当然返ってこない。

「ところで七瀬さん、まだ入部の動機とか聞いてなかったわね。さっき乙女がどうとか言ってたけど? これから公演の配役考えるし、希望とかあったら考えておくけれど」
「そうですね。かいつまんで説明すると以下の通りです」

「赤いリボンをすれば追手に狙われる可能性があるんですが、桐子先輩の遺言で外すわけにも行かず……とまぁ、こういう理由でして」
「わかんねーよ」

 …と深山は思ったが口には出さない。大人である。

「それで乙女になるためには文科系の知識や教養を身につけるべきだと思い、転校してからこちら、ずっと茶道部や料理研究部など文化部関連を見学して回っていたのですが、何故かどこも入部を聞き入れてもらえず…、ひょんな事から知り合った澪ちゃんと折原が…」
「あー、はいはい」

 その後は聞かずとも分かる。二人に連れられてつい先ほど見学に来た七瀬のルックスを見て、速効で入部用紙に血判を押させたのは自分だ。
 しかし、こんな分けのわからない奴だったなんて…。
 くそ。ちと早まったかもしれん。
 このままでは演劇部…、私の経歴に傷が付く可能性が高くなってしまう。…むう。
 深山は策を弄することにした。

「…乙女チックなモノに憧れてるのよね?」
「はい」
「なら入部テストはシンデレラで行きましょう」
「は、入部テスト…ですか? ですが先ほど入部登録は済んだのでは…」
「ふふん、恐いの? シンデレラといえば女の子の永遠の憧れ。英語でいうとプリティ・ウーマンよ。これを演じられないものに乙女の資格はないわ」

 演劇用語なのか…?
 深山が何を言っているのか七瀬にはさっぱり分からなかったが、乙女というフレーズには飛びついた。
(桐子先輩、七瀬は今、乙女への階段を一歩踏み出しつつあります)

「…望むところです」

 七瀬は不適に微笑んだ。
 なめないでよね。私、七瀬なのよ…!(意味不明)

「ではテスト方法はシンデレラ…その即興劇をやってもらうわ」

(続く)