●2月1日 引退間際の猪木を見続けた猪木ファンと今の高田ファンはどちらが苦しいだろうか |
個人や団体に入れ込むっていうのは、物凄く痛みを伴う身勝手な作業だと思う。
勝手に信じて、勝手に失望して、傷つくのは自分自身。
何があっても自分の頭の中の城田さん像を信じ続ける佐伯さんは、きっとそのうち、「オマエが信じている城田さんて、どの城田さんなんだよ!」「オマエの信じるって何だ!」とか赤木に一括されてしまうのだろう…等と思ったり思わなかったりしながら、「ダイガード」のでっかいパイルバンカーに相変わらずメロメロ。
「ダイガード」は「エヴァ」じゃなくて「ウルトラマン」、いやいや「踊る大捜査線」です…って「大捜査線」は確かどっかのインタビューで「パトレイバー」がどうのこうのといってたようなとかいうルーツ探しは、きっと辿っていけば全部エド・マクベインの「87分署」に行き着くんじゃないかなぁとかふと考えながら、「ガオガイガー」とかエヴァとか、なんか一気に吹き出したここら辺の正義の味方な組織系ドラマの系統進化図って世相の反映とかと照らし合わせて見ていくとかなり面白いんじゃなかろうかと思ったり。どっかにないかしらん?
○さて、世の中には無断相互リンクというものが存在します(笑)。
ウチと
魔法の笛と銀のすず様ですとか、
BiTmap Publishing様ですとか。
お互いに無断なので、相互になっていることに気付かない場合があって、いきなり気付いて偉い恐縮する場合があります。
今回の私がそうです。
今更ですが、本当にリンクありがとうございました>sugichさん
しのぶさんへも、今更ながら、「リンクありがとうございました」なのですm(_ _)m
たしか、そちらを迎撃したのは、そちらからリンクしていただいて間も無い頃だと思います。
ふらーっとONE系のサイトを回っていたときに発見し、ONEの長文感想に衝撃を受けつつ、こっそりライバル視(?)しながら迎撃させて頂きました。
私もしのぶさんの日記はいつも読ませて貰ってます。
tatuyaさんじゃないですが、しのぶさんの日記は心のオアシスです。物の見方などについて、色々と参考になりますし。掲示板も凄く楽しいですよね。たまにROMって情報と笑いを頂いています。
そういえば、
今木さんも最近、
しのぶさんのONE感想読まれたそうで。
○書き直したいんだよONEレビュー〜澪シナリオとか〜
今木さんの
25日の日記読んで、いや、しのぶさんのレビュー読んでから、もっといえば、発表直後に朽逐艦さんからツッコミ貰ったときからの、澪シナリオの考察について直したかった想いというのがブワーっと吹き出てきた。
あーあーあー、駄目だ
こんなのー!!
KISAさん、スマン(謎)!
そうなんだよなぁ、浩平主観の澪と、本当の澪は違うんよなぁ。
あー、8/9にした自分の追記がイタいイタい。あの時の違和感を放っておいた自分が憎い。久弥シナリオのヒロインは浩平を忘れないって、凄い重要じゃん。
しかし、雑記や掲示板で新しいものを書くたびに、というか、ただ頭の中でボーっと考えてるだけで前に正式発表した考察なんかがどんどん陳腐化していくのは本当に苦しいなぁ。
とっとと書くだけ書いて、バージョンアップさせた同人誌版(夏に出したいねー)に進みたい。
つーか、澪。澪を書き直したい。
師匠の意見に逆らってしまったくらいに澪は好きだからー。
あ、今木さんがウチの師匠を補足してる〜(*^_^*)
てへへ、
もう一人のお師匠様もですね、98年の11月中旬の日記でONEに触れてますですよ〜。って、あ、あれは休止前のだからもう無いですか…(ガク)
○ともあれ、この方たちの根底に流れる感性っていうのに非常に私は共感し、惚れ込んでいまして、しかも創作側の方たちだから、それを技術や、創作で表現しちゃうのがもう、全然適わない。
その他の部分でも色々ありますが…、なんか、自分の目指していたスタイルの具現で、師匠と呼ぶしかない方々です。
なんていうか、私も本当は二次創作でONE、Kanonにはアプローチしたかかったんですよね。
やっぱ感じたことを伝えるには、こうやってウダウダ書くより創作の方が強いですもの。
私のみさき先輩考察も、あれだけ長々と書いてしまったけれど、ONEコミックアンソロジーの2の竹内嵩の「Friends」読んだら、同じ事をなんだか凄く簡潔に言ってくれちゃってるし。分かりやすいし。
でも、どうも私はそれが上手くやれなくて。下手糞で(この前も
ドメスさんが
私の舞考察を参考にして下さったというKanon舞SS「その手をつないで」(
ここのパック5に収録されてるでし)を読んだ時に痛感しました。だってさ、自分でSS書いたらどうなるかってイメージしてたのよりずっと上なんだよ(笑))。
だからこう、自分で感じたことをばーって作品で表現しちゃうあのお二方は、私の憧れであり、師匠なんですよ。
ただ、凄く悔しいのが、ある意味でONEスタッフと同じ感性持ってる方々だってことで、この方々のオリジナルよりちょっとだけ先にONEが出ちゃったっていうのがね、結果的に被っちゃってて、すんげー切ない。
凄く凄く近いことをずーっと二次創作でやってらっしゃったんですよ。
ハイパーべるーヴ(現・
ハイパーみらーヴ)のべるめいさんじゃないけど、なんか、こう、私はやる方じゃなく見てる方だったけど、
たまに辛くなります。
なもんだから、たきをん師匠の某コンテストに応募されたオリジナルを読ませていただいたときには凄い感慨深いものがありました。
まぁ、EVA二次創作やってた方とか見てきた方がONEを見たときって、大抵は複雑な思いをしたんじゃないかと思いますが。
…しかし、こういう事いってると、
Whiteさんという二次創作から評論とオリジナルへとシフトされた方にも触れなきゃいけないんじゃないかというような向きもあるかと思いますが、氏については、ホームページのタイトルと活動内容が全てを物語っていますから。
○私個人、雪踏という人物については、ONEやKanonについて語るのは、二次創作でも評論でもこんな雑談でも、すべては
Hosさんが言われているのと同じ、オモイ故であります。
でも、別の名前で活動しているときは、いい作品を作りたいっていう創作家であり、その為にオモイを利用することがあります。
オリジナルの創作でオモイを伝えられれば迷うことも悩むことも何も無いのかもしれませんが、哀しいかな、私の力量ではオリジナル作品ではまだオモイを伝えられない。
まぁ、つまりは、そういうことなんです(訳が分かりません)。
訳が分かるような文章や作品を書きたいですね。精進しましょう。あああ。
そうですね。なんだかんだいって、身体的、精神的なコンディションは作品鑑賞の上で一番大切だと思います。
私は同じ映画を11回くらい見た経験がありますが、その時、
空腹時の映画は同じ内容でも、そうでないとき比べて無性に内容が腹ただしく感じられると悟りました(寝不足やアルコールはあんまり関係なかったんですが、空腹は凄く印象を変えます)。飯代ケチったりなんだりと、コンディションを犠牲にするんだったら、折角好きな映画を見てもそれは意味が無いと。
一期一会じゃないけど、作品を楽しむには、見る側の心構えとか準備っていうのも必要だよなと。それから、映画館はなるべく奇麗で音響良いとこを探し、真ん中辺に座れる(画面の位置より音のバランスですねー)観客が少ない早朝とか深夜に見に行くよう心がけてます。しょうもないことですが。
○永遠はあるよ
書き忘れてましたけどONEドラマCD、茜編、みさき先輩編は駄目だっていってますけど、瑞佳編はシナリオも評価してます。というか、「永遠」の解釈を。
浩平の言う永遠って一体何なのかっていうのを上手く掴んで解釈しているなぁと。
「えいえんはあるよ」
この言葉の意味の捉え方が、上手い。
浩平は無くしたくない家族みさおを喪った。
それを「永遠なんてなかった」と表現した。
瑞佳は「永遠はあるよ」と言った。
浩平はそれを「永遠なんてなかった」=みさおを喪ったという事実の否定と認識し、そして同時にもういなくならない「みさお」として瑞佳を認識する。
それが浩平が得た一方的な思い込みによる「永遠の盟約」。
ゲーム本編で浩平は瑞佳にそれを破棄され、頭の中の「永遠のある場所」へと旅立った。
しかしやがて「こんな永遠なんていらなかった」と、永遠のある場所から帰還する。
帰ってきた浩平は、「永遠」というものを哀しいものだと認識している。
この前提で、以下のような最終トラックでのやり取りがある(やまさんのメールのヒアリング結果借りちゃいましたー)。
「人間は、そんな哀しみにも似た永遠の世界を…、どうして、生きていかなければならないんだろうな」
「永遠はあるよ。
ここにあるんだよ。私が…ずっとそばにいてあげるよ
浩平の心は、私の中にあるんだよ。もう…どこにも行けないんだから
どこにも行かせてあげないんだから」
「…」
「…浩平?」
「今、誰かが『さよなら』と言ったんだ。遠い日に聞いた…とても…懐かしい声で」
「泣いたら…だめだよ?」
「ああ…。ああ…」
「そうだよ…。笑顔でいなきゃ」
「笑顔で浩平も見送ってあげるんだよ」
「その人は…浩平が元気で頑張れるから、さよならって言ったんだよ?」
「そんな顔してたら…その人が哀しむよ。心配するよ」
「そうだな。そうだよな」
「こんな永遠」を否定して帰ってきた浩平が、永遠は哀しいと、幼い頃に永遠を求めたその気持ちまで否定しようとしたところで瑞佳は言う。「永遠はあるよ」。
これ、
ぐっちー師匠の
この言葉と全く同じ意味をもったやり取りなんですよね。
思い出が「永遠」になるのは、決して哀しいばかりじゃないと。
○「思い出」が「永遠」になる話
この「思い出」が「永遠」だという話に
C.Fさんいうところの「他者」という概念を絡めて考えると、「絆」というものが見えてきます。
また共同幻想っぽい話になりますが、思い出は、一人じゃそれを本物だと証明することが出来ません。
世界中でたった一人だけ持っている記憶に、どんな意味があるでしょうか。
他人の追認が無ければ、存在しないも同じではないでしょうか。
ヒロイン以外の人の記憶から消え、永遠の世界に消えてしまった浩平っていうのは、そういう存在です。
一人で浩平の「思い出」という真実を抱き続けるヒロインも、世界中から否定されたら、いつか自分でも信じられなくなるんじゃないか。
そしてヒロインも浩平の存在を否定してしまったら、その時、浩平は本当に消えてしまう。
ヒロインが覚えているだけでも駄目です。茜だけが覚えている幼なじみは帰ってこない。
ヒロインと、浩平。二人が思い出を共有したときそれは真実になって浩平は帰り、二人がずっと思い出を共有し続けたとき、それは二人の永遠になる。
一緒に集めた幸せは、ふたりの共有する幸せ。
どっちの角度から見ても、それは幸せなんだ。
忘れちゃうこと、忘れないこと、ずっと一緒にいること。永遠の思い出。
思い出を永遠にするには、それを共有する、一緒に歩いていく他者が必要なんです。
それが絆。
浩平が欲しかった、「永遠に続くと思っていた幸せな日常」という意味の「永遠」は無かった。
でも、別の意味での、二人が共有する思い出という意味での「永遠」はある。
そういう意味で、「浩平の心は、私の中にあるんだよ」っていう台詞も出てくる。
長森編のドラマCDは、そういう話です。
ラスト、浩平に誰かがさよならをする。
誰かっていうのは、みさお。
瑞佳の言葉を受け入れることで、浩平がかつて永遠を喪ったこと、みさおの死をようやく受け入れられたということ。
二度目の、本当のみさおとの別れ。
だからこそ、あそこで浩平は泣いて、瑞佳は私がいるってことを伝える。
それは、浩平はみさおという「永遠は喪った」、でも、だから代わりに私が「新しい永遠」になってあげる。
「永遠なんてなかった」の否定じゃなくて、無かったことを認めた上で、別の永遠をまた新しく始めようよ。「私と一緒に…」と。
無くしたら、また始めればいい。
季節が移ろうように。
一番初めの「永遠の盟約」の、浩平の誤解の無い、完璧な形での再現がそこにあります。
永遠はあるよ。
永遠はあるんです。間違いなく。
一緒に歩いてくれる、瑞佳がいれば。
瑞佳とずっと一緒にいるという約束を守れば、永遠は思い出としてそこに存在する。
それが、永遠の盟約。
素晴らしい解釈ですよ。もうね、私は自説捨ててそっちに乗っかります! 徹底レビュー改訂版は凄いことになりますよ(爆)
ドラマCD、長森編だけは自信を持っておススメします。ONEファンだけにですが(笑)。