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《雑記帳2月a b c d e

2月3日 とりあえずラーメン話を終わらせる

 そこら辺は同感だったりもします。Whiteさんも言うとおり、今回のもあまり適当でもなかったですしね。
 …いや、作りたいものがラーメンって言われれば凄く合ってるような気もするんですが。
 「美味しい」が最終目標か、必要十分条件かの違いというか。
 完成されたラーメンが食べたい、作りたいという向きからすると、「美味しい」は重要なんだけど、そこは目的としての究極とか至高の「ラーメン」に含まれる1条件にすぎない。
 対して、美味しいものが食べたい、作りたいという向きからすると、「ラーメン」である必要は全く無く、チャーハンでもプリンでも缶詰でもいい。美味しければいい。
 でも、「ラーメン」を求める人にとっては、いくら美味しくても、それが天ぷら蕎麦やプリンじゃ駄目。
 美味しい、感動っていうのが、その人にとって最重要ではない場合もある訳です。
 ただ、「至高のラーメン」は必ず美味しいものなんですよね。美味しくなければ至高じゃないから。ラーメン全般が美味いかどうかは別として、「至高の」ラーメンは必ず美味い。
 「美味い」と「ラーメン」に関係はないけど、「美味い」と「完成度の高いラーメン(他の料理でも)」は非常に密な繋がりがあると。
 なんというか、ストーリーの御伽噺的な完成度で評価、感動する向きも非常に良く分かるし、ストーリーは感動とは関係無いことがケースとして存在するのも実感している。でもどっちも一般論ではないんじゃないか、もっとニュートラルに見て評価するべきなんじゃないかと、そういう風なことをラーメン話では言いたかったんだと思うんだけど(って自分のことでしょうが)、相変わらず上手く書けてない。
 結局、フェイさんのこの意見に凄く共感て事さえ書いていればよかったような。

ところで真琴シナリオなんですが、仮にあれが御伽噺でなく、

昔、看守にちょっとだけ情をかけられて惚れてしまった服役中の女が看守の転属を「逃げた」と勘違いして逆恨み、脱獄して整形、その看守を追いかけるが、見つけたところで行き倒れ、疲労とショックで彼が憎いということ以外の記憶を失い、看守にヒスを起こしまくった挙げ句、看守が真実に気付いた頃には目の前で病死って話

だったとしたら、その愚かさに多くの人間が愛しさを感じられるかどうかっていうと(私は感じるけど)、難しいんじゃないでしょうか。あのシナリオで非常に重要なキャラクターである天野という存在も出しにくいし。
 じゃあ、ファンタジーやSFでならどうかとか、そういう所で御伽噺っていうKanonを見極めるのも面白いんじゃないかとか思ったり。

○とはいえ、それ↑はKanonのシナリオ面だけの評価、分析なわけだ。
 Kanonという作品全体の評価じゃない。
 いや、シナリオは確かに骨子だし、それだけを分析しても面白いのは確かで(KanonやONEのそこら辺の出来の良さって凄く性質が悪いと思う)、私も非常に面白がって見たりやったりもしているけど、だけど自分はいたるさんの絵にだって、美麗な背景にだって、絶妙な劇伴にだって感動したわけで、テキストばっかりが分析評価されてるのってなんか寂しいなーとか思うことがある。シーンを構成してるのってテキストだけじゃないんだし、Kanonくらいに気を使ってBGMやCGを配置されてる作品だったら、もうちょっとCGとかBGMの意味についても考えた考察ってあっていいんじゃないかとか思うんだよね>自分がやれ

ともあれ、私はKanonは叙述の仕方ってもっと注目されていいんじゃないかと思う。私はKanonはやっぱテキスト、CG、劇伴の渾然一体となった叙述形式にこそ最大の魅力と価値を感じるし、そこにブレイクと感動両面での大きな理由もあるんじゃないかって気がしてるので、シナリオ展開だけ取り出して語られるのは正直凄く歯がゆい。小説としては相応しくなくても、電子小説的なゲーム表現としては相応しい展開というのもあるだろうし。
 だから、こういう話が出ているのは非常に嬉しく、Kanonを持ち込みたかったりもするのだけれど、如何せん作り手側からの話というのがまた歯がゆかったりもする。
 ハイエンドノベル振興会掲示板からの移行議論もそうだけど、単純なONE・Kanon萌えでは語れないんだよな、ここら辺はもう。それこそ「美味しかった」という結果とその原因となるシーンだけじゃなく、そのシーンの構成、シーンを作り出す技法や状況まで見ていかないといけなくなるから、どうしてもある程度作り手側にたった視点が必要となってくる。
 Kanon萌えとしてそういうとこ語りたいんだけど、作り手側にならないと深く語れないみたいな風潮は、それはそれで歯がゆいし、私はゲーム製作のプロではないし、受け手側から見たら作り手側からのKanonは見えないし、作り手側から見たら受け手側からの風景は見えないだろうっていうのも歯がゆい。

まぁ、単純に一番歯がゆいのはシナリオをどうこういう人はたくさんいるのに、オープニングの「夢の跡」や麻枝シナリオの「残光」が使われているシーンに象徴される、Kanonという作品における音と絵とテキストのシナリオ上での調和がもたらした美しさ、素晴らしさをどうして皆はもっと語らないんだ!? ってことなんだけど。
 泣かせる泣かせないのシナリオの完成度どうこうなんかより、絵や音楽とシンクロして詩的なテキストが降って来た事の方がよっぽど事件だし、語らなくちゃいけないことだと私には思えるのだけれど。まぁ、そこら辺は長く語るには向かないって話もあるし、それはアングラで多数の静止画マッドムービーで表現されてる、それがKanonのムービーが多く出回る理由の一つだって話もあるのだけれど(いや、俺が言ってるだけだけど)。


2月4日 ここ数日のONE考察関連サイトの更新内容は密度が濃いってば

 C.Fさんのサイト(ここは二次創作小説も必見。いたちんさん「海へ行こう」は個人的に今まで読んだKanonSSの中で一番好きですね)で「EVA・Kanon・ONE」統合評論がアップされてました。
 相変わらず簡潔に纏まっており、読みやすく内容が深いです。
 「えいえんと日常の矛盾」において描かれた「えいえん」の解釈が新しいですね。
 ちょっとFARGO宗団新興宗教に走った母親の事に触れてないのが気になるけど、麻枝さん的な「永遠」を考察するには非常に重要な論かと。
 「永遠」はこれまで数多くの論者が様々な解釈をしてきましたが、ドラマCDに倣って作中において幼い浩平がなかったと泣いた「えいえん」と、長森が「あるよ」といった「えいえん」、永遠のある場所にあった「永遠」がまずそれぞれイコールでは無いと仮定して見ていくと、色々と附に落ちる部分があります。
 幼い浩平が思った通り、「えいえん」なんて曖昧な言葉では瑞佳にその哀しみは伝わっていない。
 でも、瑞佳は分からないなりに彼を想って「えいえんはあるよ」といったのだ。
 互いに思った「えいえん」の意味は互いに全然伝わっていない。
 でも想いは通い合い、盟約はなされた。
 そこに「永遠の盟約」の面白さがあると思ったり。
 今まで私は浩平視点からだけでONEを見ていたような感じ。他の人の意見やKanonやドラマCDをきっかけにヒロイン視点でのONEが見えてきたらまた面白くなってきた。
 ちなみに、久弥さん的な「えいえんなんてなかった」は下記の記述からだとやはり「楽しい時間は必ず終わること」なんじゃないかという気もします。

それは、永遠に止まることのない日常…。
そう信じていた日常。
澪と初めて出会った日。
それは、終わりのないはずの日常の……最後の日だった。

○メモメモ
 これ↑は浩平が父親を喪う前日の事らしい。麻枝サイドでは一切触れられていない個所。
 この他、久弥サイドのヒロイン(みさき、澪、茜)は作中で浩平のことを忘れないが、麻枝サイドは忘れてしまう(七瀬は最後の「あれ?」というあの台詞は、忘れてしまった事を示唆していると思われる)等の傾向の違いが見られる。

MOON.における郁未(麻枝)と葉子さん(久弥)を比べてみると、郁未はFARGOという非日常に復讐しようとしたのに対し、葉子さんはFARGOを受け入れることで自我を保った。

ONEのエピローグにおいて、麻枝サイドは長森は告白という恋愛の進展、七瀬は夢の成就に向かっての出発、繭は成長・卒業という未来?が感じられるのに対し、久弥サイドは純粋に出発前に構築したお互いの関係の再確認、日常への帰還という意味合いが強く感じられる。
 同じ「輝く季節へ」でも、前者が春の始まりなら(むしろ私的には「夏へ」って感じなのだが)、後者は冬の終わりのような感じ?

Kanonにおいては、麻枝サイドは真琴は夢の成就、天野や舞は解放、佐祐理は前進への意志の確認。久弥サイドはあゆが夢からの帰還、名雪が7年止まっていた想いの決着、栞が非日常の中の日常から日常への回帰。

どれも結局「日常」>「非日常」>「日常」という流れなんだけど、麻枝「前進」とか久弥「継続」とかいう違いがあるような気がする。上手く言えないけれど。
 麻枝シナリオは「日常」から「非日常」を経て、それをステップに変化した新たな「日常」を構築していく。久弥シナリオは「日常」がそのまま緩やかに変化していく中に、日常を奪うものとして「非日常」が配置されているというか。
 麻枝キャラは「非日常」と真っ向から闘い、闘う日々を日常化させてしまうが、久弥キャラはそれを受け入れて待つのを日常化してしまう?
 他者との関係の「構築」が麻枝、「発見」が久弥、Kanonではそれが逆転とかいう感じもするが、検証したわけではないので現段階ではただの思い付きのメモ。



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