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《雑記帳2月a b c d e

2月9日 東京の空の下で

 この一週間は色々な事がありました。
 別に私自身に何かがあったわけではないのですが、色々な事が起きました。
 新聞やテレビは、その起こった色々な事を伝えていました。いつものことです。
 そんな色々な事があった中で、私はとある誰かの身に起こったことに対して、困惑したり泣いたり怒ったりしていました。昨日は泣いた後で笑いました。
 私にとっての奇妙な一週間は、困惑で始まり、笑いで終わりました。
 今はその風景から離れ、当たり前の毎日を生きています。
 ちょっと周りを見渡せば、先週私がいたのと非常に良く似た風景が流れていきます。
 その中にはきっと、先週、私が見ていたような痛みがあるでしょう。
 私は目を止めずにその横を歩いていきます。
 いつもと同じように。今までと同じように。
 私は痛いのは嫌なのです。
 一週間前は、通り過ぎていこうとする風景の中の他人と私との間に、絆という鎖がかかっていました。
 それもまぁ、珍しいことではありません。
 大抵は細く脆いので、そんな時、私は鎖を断ち切って風景を通り過ぎ、いつもと同じように痛みを感じることなく、歩いていきます。
 でも、ごくたまに、簡単に引き千切れない鎖に出くわすことがあります。
 一週間前出くわした鎖は、そんな鎖でした。
 私は風景に目を止め、足を止めることになってしまいました。
 私は知りたくなかった痛みを知覚し、その中に身を置くか、逆にその中から鎖ごと友人を引きずり出すか、或いは強引に鎖を切り離すかの選択を迫られました。
 大前提として、私は痛いのは嫌でした。
 他人を引きずるのも、引きずられるのも面倒で嫌いでした。
 過去の似たような状況の自分と、それからの自分を俯瞰してみると、無数の鎖を切ってきた、切られてきた、切られるよう仕向けてきた自分に気付きました。
 どうせ切るなら、と鎖がかかるのさえ拒否してきた自分もいました。
 痛いこと、面倒なことは嫌なのです。
 一週間前。
 東京の空の下、一人の友人が痛みの中から私に繋がる鎖を引いたとき、その鎖は切れず、私の歩みを止めさせました。
 そうして、私は友人に引かれるままに、痛みの待つ風景の中に立っていました。
 彼は、痛みの中心と鎖で繋がっていました。
 一週間が経った今、幸いにも痛みが過ぎ去った風景の中で、無数の鎖の切れ端の中、切れずに、そして切らずにいた鎖の意味について、考えています。
 痛くないこと、お腹が空かないこと、寒くないこと。
 嫌な事が無い、穏やかな毎日。
 それよりその鎖が大切だったのだと気付いた時、何故か自分が生きているという事実を、他人もまた生きているという事実を急に思い出しました。

 ああ、僕の心臓、まだ動いてるんだ。

 たったそれだけが無性に可笑しくて、可笑しくて、可笑しくて。
「本当、可笑しくて、涙が出てきたのでした 」
―pure snow―
 昨日、東京で雪が降ったそうです。
 出来すぎた話に、一晩中僕たちは笑っていたのでした。



2月14日 ONEドラマCDにおける永遠 その2

 結局、ONEの「永遠」というのは、まず無くしたくない何かありきなのです。
 永遠にしたいくらい大切な何か。
 それを持っていることが、根室教授@少女革命ウテナもいう、永遠の前に立つ為の「資格」です。
 友情でも、愛情でも、思い出でもいい。
 物ではなく、無くしたくない、ずっと抱いていたい大切な「想い」の存在する時間。
 それを得ることが、それを喪う恐怖と哀しみの始まりであり、その恐怖と哀しみが「永遠」を知覚させ、その時を永遠にしたいと求めさせます。
 そして浩平は幼い頃に永遠を知覚し、求め、喪いました。
 一度喪ったからこそ、彼はより強く永遠を求め、そして強い「想い」の連鎖が、永遠を手の中に呼びよせたのです。

「永遠」の実現方法には幾つかの形があります。

一つは「ビューティフルドリーマー」「永遠の世界」に代表される、文字通り終わらない時間。
 ずっと一緒にいる、ずっと続けていくという約束。
 終わらずに継続していく時間

一つは、時間とともにゆっくりと結晶して、胸の中で水晶になる(from「So What?」)もの。
 思い出にしてしまうこと。
 何度も何度も引用しちゃいますが、ぐっちー師匠の言葉も参照ですね。

○「ここはグリーン・ウッド」の一里塚の話を思い出したり
 「資格」を手に入れた忍先輩が卒業の際に覚悟していたのが後者で、光流先輩が用意していたのが前者ですね(ボソ)。
 さて、ゲーム中の浩平は、前者で永遠を求め続けていたという前提で話を進めます。
 前者の方法では、永遠は決して適えられない夢です。
 人はいつか死にますから。
 いくら約束しても、頑張っても、いつかその時間は終わります。
 浩平は幼い頃に家族を喪い、それを知りました。
 でも、みずかは言ったのです。

「えいえんはあるよ
 わたしがずっといっしょにいてあげるよ、これからは」

 それはただの言葉です。
 自分勝手な言葉にすぎません。ただの祈りにすぎません。
 永久に続かない想いだと知っています。
 母は自分を見捨てました。
 浩平の約束や祈りなどを無視して、みさおは死んでいきました。
 でも、だからこそ浩平はその約束を信じました。
 それが「永遠の盟約」。
 そして高校二年の冬。もう一度、浩平が「資格」を手に入れた時、無くしたくない、大切な時間を手に入れてしまった時、彼は「永遠」を求め、信じたみずかの言葉は言霊のようなものとなって彼に「永遠」をもたらすのです。

 それが、永遠に続く4ヶ月の高校生活という無限循環世界「永遠のある場所」でした。

でも、彼はやがて求め焦がれた「永遠」を捨てて、永遠の無い世界へと帰還します。

 何故でしょう?
 もう永遠なんていらなくなったから?
 いいえ、違います。

「こんな永遠なんて、もういらなかった」

 いらなかったのは「こんな永遠」です。
 彼は自分の中にそうでない永遠を見つけたのです。
 思い出して下さい。
 彼が「こんな永遠なんていらなかった」と叫ぶそのシーン。
 その前に、彼は何を見ていたか。
 それはヒロインとの幸せな日々ではなく、みさおとの日々。
 みさおの、死にゆくまでの日々です。
 それは嬉しかったこと。楽しかったこと。哀しかったこと。
 自分の中にある思い出。記憶の中の色褪せない想いです。

 彼が一番初めに求めていたのは、みさおとの永遠でした。
 どんなに楽しくても、大切だったみさおとの記憶が曖昧になり、みさおがいない「こんな永遠」ではありません。
 そして、それに気付いた時、浩平は見つけたのです。
 みさおとの思い出という、哀しくて幸せな、永遠に忘れられない想いを。
 そして気づいたのです。
 永遠にしたかったくらいに大切だった日々。みさおとの日々、瑞佳達との日々。その中にあった嬉しかったこと、哀しかったこと。そうした想いの記憶こそが、決して忘れられない永遠だと。
 この時、浩平を導いた「えいえんはあるよ」という言霊はその意味を変え(無限の時間から、想いへ)、浩平を現実世界へと帰還させます。
 これがゲーム「ONE〜輝く季節へ〜」です。

これに続くONEドラマCD長森編において、永遠の世界から帰ってきた浩平は長森と以下のようなやり取りをしています。

「浩平、楽しい?」
「ああ、楽しいな」
「浩平、何処にもいかないよね?」
「大丈夫だって」
「…嘘だよ。だって浩平、泣きそうな顔してるよ? あの時の笑顔と同じ…」
(中略)
「人間は、そんな哀しみにも似た永遠の世界を…、どうして、生きていかなければならないんだろうな」
「永遠はあるよ。
 ここにあるんだよ。私が…ずっとそばにいてあげるよ
 浩平の心は、私の中にあるんだよ。もう…どこにも行けないんだから
 どこにも行かせてあげないんだから」

 帰ってきた浩平は、永遠が、思い出が哀しくて、辛いと思っています。
 永遠を作り出す、かけがえの無い日常そのものも哀しいと思い始めています。  その哀しみから逃れたいと思い始めています。
 永遠という哀しみから逃れる方法、それは、永遠を作り出す、かけがえの無い日常からの別離。
 瑞佳にはそれが分かりました。

「あの時の笑顔と同じ」

 それには、複数の意味が込められていると考えます。
 一つは、ゲーム本編で瑞佳の前から消えていった時の笑顔。
 大切だから、大好きだから瑞佳の目の前から永遠の世界へ消えてしまった浩平の自嘲の笑みと同じだという意味。
 もう一つは、哀しみから逃れる為に泣いてばかりいた、引っ越して来たばかりの頃の浩平の顔と同じだという意味。

好きだから、本当に好きだから喪失が哀しくて、なのに別れを選ぶ浩平。
 瑞佳には、それが分かりました。瑞佳もまた浩平のことが本当に好きだったから。
 だから瑞佳は言ったのです。この日常は無くならない。無くさない。
 あなたを何処へも行かせない。

「永遠はあるよ」

 と。
 世界の全てが忘れてしまっても、たった一人、浩平の思い出を抱いていた瑞佳。
 それは、永遠が存在するという何よりの証明でした。

今の浩平は、思い出が永遠であることを知っています。それが幸せで、でも哀しくて辛いと知っています。
 だから、永遠なんていらないと考え始めています。
 浩平が世界から消えた一年で、瑞佳も、それを知っています。
 でも、瑞佳は言いました。永遠はあるよ、と。
 そこに込められた想いが分かるでしょうか。
 二度目の盟約。
 その言葉には、思い出という永遠があるという事実を伝えるだけでなく、思い出や想いが永遠になるのならば、この日常だって永遠にできるという、保証の無い、自分勝手な願いが込められています。
 あの幼い日と同じ、子供じみた言葉です。
 ただの祈りです。
 でも、それは、浩平が信じたい言葉で、そしてそこに込められた想いは本物で、永遠で、だから、浩平は瑞佳との日々を永遠をしたいと自分も祈り、行動を開始するのです。
 かつて幼い瑞佳と結んだ、一緒にいよう、それを永遠にしようという口約束をした時間の流れに、帰っていくのです。
 ずっと一緒にいる。
 その永遠は、そこにまだありました。
 これからも、続いていくのです。  だからドラマCDで瑞佳が最後に浩平に言う言葉は「お帰り」なのです。

いつか、その言葉は嘘になるでしょう。
 浩平はそれを知っています。いつか永遠は終わる。それは、人が人である限り、変わらない。
 でも幸せな毎日を、永遠を二人でずっと続けて行こうとするなら、結果がどう出たって、瑞佳と自分のこの気持ちは本当です。
 この瞬間の、この気持ちだけは、真実です。
 いつか、この日常が壊れてしまっても。

「私が…ずっとそばにいてあげるよ」

 その言葉が嘘になってしまっても。
 永遠を願い行動した、その思い出だけは永遠に変わらない真実。
 他人には結果しか見えないかもしれない。
 自分の持っている「思い出」や想いを本当だと、永遠だと話しても、それは認めてもらえないかもしれない。
 でも一緒に思い出を集めた二人は、それが永遠だと知っている。

私が見たドラマCD「ONE〜輝く季節へ〜長森編」とは、人が永遠を求め続ける、ただそれだけの過程の物語でした。
 永遠という、人間がけして適えられない夢への想いと行動の物語りでした。
 手に入れてはいない。でも、いつか手に入るかもしれない。
 そんな子供じみた想いを人が時を越えて伝えることが出来るようになった時、人は本当の永遠を手に入れられるのかもしれません。


2月19日 カキカキ○O0o。。。.φ(_ _).。o○グウウウ

GameDeep関連なメモ

コモンノリッジとネットワークRPG
我が望みは己れ自身の物語
■理想のシナリオ分岐(ざるの会蓼沼日記2000年の2月13日)

 ONEとかYU-NOとかの分岐ADVを考察するのに面白いかと。
 美少女ゲームを持ってくると、シナリオ分岐=ヒロイン選択っていうので、ギャルゲー・エロゲーの原理も絡んできてややこしくなるのだけれど。

テキストライターのお仕事

 ここ読んでて思い出したのこと。
○まわれまーわれめりごーらんど

はい、「海がきこえる」アニメ版のラスト…ですね。
 実を言うと私も記憶は不確かなのですが。

○創作活動
 Whiteさんたきをん師匠は元々がオリジナルで活動していたのが、エヴァで二次創作活動にも参加、結果として人の輪を広げ、今の位置でオリジナルを書いている。
 なんだか凄く素敵な話の気がする。作品という共通言語、共通体験。それを元にした二次創作という同一ルールでの競い合いや共同作業。そこから始まる人と人の触れ合いがもたらす様々な経験と人脈。
 そういえば、かつて私がPBMで目指していたのはこれだったような気がする。
 …考えてみれば学校や職場にも転がっているはずなのだが。

だって本当に良い言葉だと思うのですよ>ぐっちー師匠
 皆さんもぐっちー師匠のONE二次創作小説は読んでおいた方が良いですよ。




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