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《雑記帳3月》 a b

3月1日 なんだか疲れたよ、パトラッシュ

 私には「アングラな技術や情報があることは便利だし、ある意味でのステータスになるかもしれないけれど、それを表に出すのは物凄く恥ずかしいことであり、自慢気にひけらかすのはただの馬鹿」だという意識がある。

 「○○の新作やったー? え、お前買ったの? ぎゃはは、新品買うなんて馬鹿じゃねーの? △△の奴がもう買ってたんだから借りてコピーすれば良かったのによ。われずでももうアップされてたし」

 親しい中であろうと知らん中であろうと、こういう発言を得意げにする人間は私の中では完全に馬鹿と認定される(私の中では違法行為をやってる、やってないじゃなく、行為への意識で馬鹿かそうでないかは認定されるらしいぞ)。
 関連して中古(本・CD・ゲーム・ビデオ等)関係でも、どんなに好きなシリーズや製作者の作品でも、決して新品を買うなど考えもしないような自称ファンは馬鹿と認定である(偉そうな論を持たず、ただの暇つぶしとして作品を見ているならセーフかも)。
 アンチFFな人なんかでも、新品で買って「中古売りの刑に処する」とかいうのは認めるけれど、中古で買っておいて、最近のスクウェア駄目だなぁとかブツクサ言ってる人間は馬鹿と認定。公共の掲示板なんかで偉そうにそれを書く人間は大馬鹿者。

 …そしてこういう意識を、常識だと思ってきた。
 過去形なのは、アングラでもなんでもない誰でも閲覧できるWeb上での掲示板どころか、ソフトメーカーのオフィシャルページの掲示板上で堂々とソフトのCD-Rへのコピーや著作物の二次使用同人作品の話題を書き込む人間が絶えない現実を目の当たりにし、自分の常識が世間の非常識なのではないかと甚だ不安な気分に陥っているからである。
 尤も、自分の考えが世間の非常識だとしても、だからといって主義主張が変わるわけではなく、そういった人物を馬鹿者だと認識してしまうのも、彼らの話を目や耳にするのが異様に疲れるのも変わらないのだが。


3月2日 ゲームメーカーとオタクと違法コピーユーザー

 KANONなんかの一部18禁美少女ゲームの限定グッズや初回限定盤攻勢というのは、狙ったんだかどうだかは知らないが、違法コピーユーザーへの自衛・報復手段として非常に上手く機能したと思う(金を落とさせるという意味で)。
 それは良いのだが、副産物として、コピーしたCD-Rが配りまくられることによって、関連商品や次回作の初回限定盤が売れまくるなら、メーカーにとっては打撃ではないとかいう、勘違い馬鹿が量産されたんじゃないかとかいう気がしないでもない(なんかこの論調、マイクロソフトの過去とそれから学んだ現在のようでもあるな)。
 このままいくと、グッズを買いまくってメーカーにじゃんじゃか金を落とすオタクをメーカーが優遇、一銭の金すら払わない違法コピーユーザーがそれを色んな意味でせせら笑い、そこに高額の中古初回版を買った(当然、コピーで既にプレイしている)、自称ソフトメーカーの味方の腐れオタクが噛み付きヒート、そんな連中と一緒に見られたくない普通のお客さんが離れ、ゲーム業界どんどん縮小という状況が待ち受けていそうでクラクラしてくるのは私だけだろうか。
 …というか、すでにそういう状況になっているという説もあるが。
 ソニーにエールを送りたくなる今日このごろである。


3月3日 …あうう

 1日の雑記に<B>タグを追加。
 2日の雑記をちょっとだけ追加修正。

 金を払う払わないがどうこうというより、「場所をわきまえない人間は嫌い」っての話がメインのつもりだったのだけれど、なんか中古問題で紛糾してますね、掲示板(^^;;

 えーと、あの雑記のバックボーンには「Kanonは傑作だからコピーして皆に広めます」なんていう、私にはもう理解不能な評価の仕方をする人の存在という、なんだか自分の常識では測れない事象の出現があったんです。
 それでクラクラして、その人は想像力が欠如しているか、自分が何をしているかさえ認識できない馬鹿なのか、そんな人間が傑作だという作品はとてつもない駄作か、とてつもない大傑作と認識されるよなぁ、大抵は前者か…。自分の好きな作品に対してはそういう行動はしないで頂けると助かるのでどうにかしてくれコンチクショウというショックヽ(゜Q。)ノを中心に、某ソフトハウスのオフィシャルページでの相も変わらぬ、場をわきまえぬ書込みのコンボとか色々ありまして、もう、興奮してわけが分かんない人になってたんで、えー、色々と、スマンです(ToT)>゛

 中古関係は、中古で買うことに一片の罪悪感も覚えない自称ファンという矛盾に頭を抱えたところからきています。
 私は中古に関しては、ユーザーが中古に叩き売るなんて考えもしないような傑作を作れない製作側の方にも問題あるとも思うのですが、実際問題として、旧作が消費されるから新作が売れるのであり、いつまでも消費されずにユーザーの元に残り続ける作品というのはある意味の弊害であり、消費された作品はユーザーにとってゴミと化さなければいけないという現実もまた存在しているので(こういうことを考えるとポケモンやトレーディングカードゲームが如何に優れた商品であるかというのが分かる)、一概に中古を買わないから、新品で買うからその人は正しいとは言い切れないですね
 ケースバイケースでしょう。
 そんなわけで、中古で買うっていう事の意味(その時点で作者に金を払う価値は無いっていう評価を下している)を理解できているなら中古で買ったって何の問題もないと思いますし、中古に売るっていう事の意味が理解できてれば売ったっていいと思います。
 そこら辺わきまえてるなら、お馬鹿なことって言わないはずで。
 その作品が気に入った人は中古で買ったってことを嫌でも意識してしまうでしょうし、逆に中古でアンチの人は、ある意味中古って、クソだから中古に回ってくるんであって、それを掴んだ自分をまず自覚するから、自分を棚に上げて、お金払ったわけでもない作者に文句言うようなトンチンカンなことはないでしょう。
 勿論、「所詮、俺が金を払うまでもないレベルなんだよ」って言ってるんだと自覚した上でなら一文も支払わずに絶賛、批判するというのも構わないと思いますが、金払う価値も無いけど絶賛ってのは少々説得力には欠けますよね。というか、何言ってるかようけわからん(^^;;

 ようするに、自分が何処でどういう意味の言動をしているかの自覚って大切だよなぁというお話でした。

 …ちなみに。そこら辺を自覚してれば中古だろうがアングラだろうが、いくらでも正当化できますよ。言い訳でなく、主義主張による正当化を。
 私は確信犯は好きなんですよ。少なくとも、自分のやってることの意味が分かっているから。馬鹿じゃないから。
 馬鹿っていうのは、自分が何をやっているかすら分からないから馬鹿なんですよ。たまに主義主張も無く、ただ場にそぐわない馬鹿げた発言をして目立っている人がいますが、大抵は知識が無いとか、天然だからとかいうのであって、指摘されたら恥じますよね。そういうのはまぁ、馬鹿ではない。…中には必死になって泥縄式に言い訳を始めるという、恥の上塗りをしてしまう別の意味での馬鹿もいますが。自分の馬鹿を指摘されても、自分が何をやっているか理解できていないので、何が悪かったのか理解できない、だから恥じる事も無いというのがホンマ物の馬鹿ですわな。
 しかしここ数日、馬鹿馬鹿言ってる俺が一番馬鹿っぽいわδ(⌒〜⌒ι)とほほ...



3月4日 それも一つの永遠だから…?

 ようやくアリスソフトの「アトラク=ナクア」をプレイ(手に入れるまでも長かったけど、手に入れてからも長かったなぁ(^^;;
 久方ぶりにゲームで徹夜しちゃいました。
 最終評価(客観/主観):SA/SS
 実に良く切れるノベルでしたね。
 某所での書込みと被りますが、一刀であれだけ切れるノベルは他に無いのではないでしょうか。
 痕のような高品質のノベル、癖はあるけど非常に良く切れるONE、Kanonなんかと比べても、切り口の鮮やかさ、美しさではアトラクの方が上ですね。
 何度か打ち合ったらアトラクの方が負けるような気もしますが、これほど美しく深い傷を自分に負わせたノベルはアトラク以外に知りません。
 ツグミの章がネタ、雰囲気的に非常にツボで、どの分岐でもオチの妥当性美しさとあいまって、あの章だけで既に評価Aレベルに達してたんですが、終章の入りでSAに、終わった時はSSになってました。終章は音楽の使い方が最初っから最後まで卑怯にくらい素晴らしかったです。
 いやー、ONEは突き刺さっちゃったけど、アトラク=ナクアは消えない傷を残していってくれました。
 ところで、コンプリートする為に再プレイしていて気付いたんですが、「かなことのお茶会」イベントって、選択によっては一度も見ないままでクリアできちゃうみたいですね。
 ここ最近イタい話ヤダ病にかかってるから(お陰で「夕焼け」も体験版の初っ端で止まったまんまだし、SSDにも手を付けられない)、あのイベントの存在が進めていく上で凄く大きかったっていうのもあるんですが、あれを見てるとそうでないとじゃ、終章でのプレイヤーの感情移入の度合いって随分違うんじゃないだろうかなって、ちょっと気になりました。
 初回プレイでかなことの絡みが少ないルート選んじゃった人って、なんとなく勿体無いような。

…こういうのと雫、痕なんかのあるエンディングを見た後でないとトゥルーが見られないっていうシステムを対比してみると、シナリオが分岐するゲームで立体的にストーリーを語る事っていう事の得手不得手が見えてきます。
 ここダブルキャスト考察なんか読んでいても分かるのだけれど、分岐パラレル型のゲームの複数のシナリオ視点から事件(人物)像を追うという様式は、プレイヤー自身が並列された情報(シナリオ)から真実に気付く体感という面白さを実に上手く表現できるけど、代わりに直列型のストーリーの、順々に提示し、積み上げていった情報の蓄積を利用してシナリオライターが起こすクライマックスのカタルシスは表現しづらい。
 これを考えると、YU-NOの「パラレル+一本道」という構成、雫・痕の「バッド(ノーマル)+トゥルー」という順番、ミステリーの「謎解きの解答をした後に犯人のストーリーの決着をつける」様式の意味が見えてくる。
 単純なパラレル型では表現できないクライマックスの演出。
 情報を組み合わせていった結果で出来上がる真実が、停滞していたストーリーを進ませる鍵となり、クライマックスを呼び起こすという構図。
 これはパズルを解いた結果としてご褒美のオカズ、クライマックスシーンへという、ゲームのプレイヤーが望む形でもあり、同時にストーリーを楽しみたい読み手のニーズにも合致した形なのだ。

…ふと思ったが、ONEへのプレイヤーの感情移入度が高いのは、プレイヤーを主人公と重ねる「永遠の世界からゲームを見つめるぼく」という仕掛けだけでなく、単純なパラレルな、並列された情報(シナリオ)から真実に気付く形式であるという部分も強く働いているのではないだろうか。
 「パラレル+一本道」という王道形式を蹴って、高難易度により頻発するバッドエンドという並列情報を無理矢理与えることで飽くまでプレイヤー自身が事実に気付くという形式を取ったればこそ、ONEはプレイヤーの心に深く突き刺さったのではないだろうか。

…アトラク=ナクアはどんなに奇麗でもゲーム表現、「ゲーム機で見る映画」の一形態だから、どんなに深い傷はつけても突き刺さらなかった。選択肢である程度の操作は出来ても飽くまで観客だっただけだから。
 対するONEは私にとってはある意味、紛れも無くゲームで、しかもまだ解き終わっていないから刺さったまんま。
 ONEは「すでに終わった世界」の欠片を集めて、全体像を探していくパズルだ。
 ダブルキャストやブギーポップと同様に。
 N.Hazukiさん のダブルキャストへ送った言葉を借りれば、「ONE〜輝く季節へ〜」は並列に並べられた7×α(各キャラクターのクリアシナリオ、バッドシナリオ)のストーリーが横のつながりを見せたとき、始めて全体像が理解出来る作品なのである。故に、クリアシナリオで提示されるストーリーだけを語ることは「ONE〜輝く季節へ〜」という作品全体を語る事にはならない。それは単に、7×α本のうちの一つ(或いは7つ)という、極一部を見る行為でしかない。
 一本のシナリオから見れば「永遠」という要素は浩平とヒロインの恋愛物語におけるただの障害、イベントに過ぎない。
 だが、7×αのストーリーが横の繋がりを見せ、「ONE〜輝く季節へ〜」という作品の全体像が見えてきた時、そこにあるのは「永遠」という名のパズルなのだ。
 ここゲームの「ストーリー」はプレイヤーによって「確認」されるのではなく、「発見」されなければならないという言葉はけだし名言であることだよ。
 アトラク=ナクア終章において極上のストーリーを確認する感動に気付いた時、ONEにおいて自分がストーリーを確認したことが無いと言う事実に気付いた。ゲーム表現とゲームの明確な違いが見え始めてきた今日このごろである。
 ここで私は勝手に宣言しよう。ONEはゲーム表現、ゲーム機で見る映画や小説等ではないと。もちろん、個々のシナリオは確かに物語(それも良く出来た物語)であるのだが、「ONE〜輝く季節へ〜」として語られる作品は紛れも無く「ゲーム」である。


3月5日 自分で考え、自分で決めろ

 矢追純一曰く
「今の風潮は何でもかんでも教えてしまう。これはダメなんです。質問があったら答え。この間に考えることをしないから一つも役に立っていない。一つの問いにぶつかったら『どうなんだろう?』って悩んだり考えたりして初めて身につくものなんです。
 ボクの本でも番組でも絶対答えは出していないんですよ! どうなのか? っていうのを考えるだけのデータだけは用意しましたよ。それもボク自身が行ってみてことを全部お伝えしますよ。だから、「あとはご自分で考えてみて下さい」っていう。
 ボクはプロのジャーナリストとして考えていることは人々の好奇心をいかに上手く引き出してあげるかっていうことだと思ってるんですよ。
 作るところまでが自分の役目。答えは自分自身でも出せない。この世の中に答えが出せることなんて一つも無い。あらかじめ人間が決めたこと以外は答えなんて出ない」


 スタンリー・キューブリック曰く
「見てる人が自分で解釈することが大切だ」

 まー、二人の著作なんかと照らし合わせてみていいたいことは色々あると思いますが、自分で考える面白さというのは確かにありますよね。
 だからミステリーっていう、自分で考える面白さを具現化した娯楽ものが今の今迄人気を保ち続けているわけだし。

「ゲーム」というのが根元的に自分で考える面白さを具現化した娯楽の総称的な意味を含むよなーとかふと思う。
 ONEのようなノベルが、殆どテキストを読むだけの作品であるというのに何故にゲームであるかといえば、しつこいようだが、読み進めていけば答え(ストーリー)が読者に提示されるわけでなく、プレイヤー自身が並列された情報(シナリオ)から気付くという形式であるからだ。
 小説の「ブギーポップは笑わない」がゲーム的である理由も、並列された情報(短編)から一本のストーリー、或いは真実に読者が気付く形式となっているからである。
 気付かされるのではなく、気付く。
 ここがゲーム的快感になっている。
 では、同様に謎解きを読者が楽しむミステリー小説はゲーム的であるか否か?
 ここにゲームとそうでないモノを見分ける鍵が隠されているような気がする。
 私は「アトラク=ナクア」終章で「実は〜だった」というネタばらしにとてつもないカタルシスを感じた。
 しかし同時に、これは本来ゲームで得る感動ではないとも確信していたのである。
 そしてその感覚が、ミステリーの謎解きシーンで得るカタルシスに近い事に気付いた時、ゲーム的なモノとそうでないものの決定的な違い、それは解答の有無なのではないかということに思い当たった。
 「ONE〜輝く季節へ〜」「ブギーポップは笑わない」「ミステリー小説」。
 これらは全て、読み手がテキストの中に提示された情報から、事件(ストーリー)の全体像を読み取るというゲーム的要素を含んだ読み物という共通点がある。
 しかし、ミステリーが最後に探偵役のキャラクターの手によって全ての謎が明かされる<解答>が示されるのに対して、ONE、ブギーポップでは解答が示されることはない。
 これはミステリーがトリッキーな情報の出し方をすることで、読者に考えさせると同時に「読者を騙す」事を念頭に置いた作品であることが原因である。
 ミステリーはゲームと同様、読者に考えさせる楽しみを提供するが、読者が問いの答えに辿り着く快感よりも、衝撃の真実という騙される快感を与える要素の方が強いのだ。
 ミステリーは一見、読み手が「真実」を「発見」する様式のようでいて、本質的には「真実」を「確認」するものなのだ。
 確認する為に<解答>が用意されているのである。

 対するONEやブギーポップには<解答>が用意されてはいない。
 ゲームの<解答>は、プレイヤーそれぞれが自分で考え、自分で用意するものであるからだ。
 喩えそれが一つしか用意されていないとしても、教えられるのでは意味が無い。自分で考え、自分で辿り着く快感にゲームの面白さはある。


ゲームとはプレイヤーがそれぞれの解答(必勝法、謎の答え、ストーリー)に向かって考える快感を得る娯楽なのだ。
 プレイヤーが試行錯誤して解き明かしていく面白さでなく、驚きや感動を作り手が提供してくる作品はゲームでない。ゲーム機で動いていたら、ゲームでないそれはゲーム表現である。ふー、なんだかすっきりした。そこら辺でもアトラク=ナクアには最大限の感謝ですね。今度、なんか新作買いますわ〜>アリスソフト様


3月6日 そして、私達が語り継いでいく物語

 ル子はいいですよねー、うつむき具合が特に!
 Kanonのちび名雪(7年前バージョン)とル子ってなんか似てるよなーとか思う今日このごろ(容姿だけでなく、好きな人に対する態度なんかでも)、育った後のル子と名雪の違いなんかから、如何に伊之助がいい男(っつーか大人)で祐一が酷い男(っつーか子供)だったかっていうのが見えてきて面白いです。
 幼少時の経験というのが如何に大きいかとかいうのを感じる今日このごろでもあります。
 …そういえば、過去に幼なじみにとった行動で数年後の好感度が変わるっていうのはあっても、性格まで変わってるゲームってあるかな?
 ふむ、前半で性格・能力の育成、後半で育てた娘を純愛or陵辱っていうような形式のゲームってパターン多くて楽しめそう。
 家庭教師かなんかでまず一年くらい育成パート、トラウマを与える。数年後に自分を慕って、或いは憎んで追いかけて来たヒロインと再会、そこから純愛系か陵辱系かでまたストーリーが分岐とか、そういうゲームってないかなー。

 …ではなく。

 ああ、それは私のミスです。すいません。
 4の前に3のスタッフは抜けて「Gate of Thunder」作ってますから(これは当時のファミ通にも載っていたはず)、あの書き方はちょっとおかしいですね。修正しておくです。
 4の後にアーケード版の開発が中止されたこと、その後の長いブランクとそれから空けたサターンでのゲームのへっぽこさ(いや、つまらなくはなかったのだけれど)から、4の後も抜けたんではないかという推測や3でなく4の後で抜けたという事実誤認もメガドラユーザーには多いですよね(^^;; 夏コミでR.C製作所のテープを買えばそこら辺の事情も分かるのかな?
 参考:TF3の発売が'90.6.8、「Gate of Thunder」が'92.2.21、TF4が'92.7.24、「Wings of Thunder」が1993.4.23。
 しかし、テクノソフトのゲーム業界からの撤退は、コンパイルのシューティング撤退宣言並に哀しい出来事でした。
 私はアーケードよりコンシュマーメインだから、かつての東亜やアイレムが潰れたときよりもコンパイルのSTG撤退の方が哀しかったのです。
 こちらの掲示板読んでて、コンパイルの会報の「コンパイルとしてはもうSTG作らないわけだから、メカの絵書いてもしようがないし」とかいう、絵師さん(龍王院弘さんだっかな?)のコメント呼んだ時の物寂しさを思い出したです。
 TF6、やりたかったなぁ…

妖精作戦の二巻…っていうと「ハレーション・ゴースト」ですね。平野さんのイラストカバーで持ってます。妖精作戦4部作は良かったなぁ。二巻が一番好きだけど、三巻で「作戦名カーニバル・ナイト」って台詞を聞いた時のゾクゾクした高揚感も捨て難い。ラスト・レターの終わり方もショックでした。
 そういえば確かラジオドラマもあったような…。田中芳樹の「西風の戦記」はかすかに聞いていた内容も覚えているのだけれど。
 妖神グルメ…。やっぱソノラマいいよなーとか思いながらキマイラの新刊を買いに行くが置いてない。
 また延びたかな? 獏さん、なんか格闘技雑誌に「今まで格闘技のことをなんにも分かっていなかったのに色々書いてごめんなさい」みたいな謝罪出してたのと関係あったりするのかなぁ(なんか実際は1格闘家個人への謝罪であるらしいのだけれど)。



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