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《雑記帳4月》
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4月1日 優しい、嘘を

 「リヴァイアス」と「今、ここにいる僕」の最終回を立て続けに見る。
 どちらも閉鎖された空間の子供達の物語で、そして、色んな意味で対になった作品だと思う。

「リヴァイアス」において暴行を受けたアオイは言った。
「これ、現実じゃないよね? そうでしょ? そうだっていってよ! コウジが言ってくれたら、私信じられるから! 大丈夫だって言ってよ、慰めてよ!」
でも、コウジは「大丈夫」だとは言わなかった。
アオイは、どうしてそんなに酷いこと言うのかと泣き、コウジはこれが現実だと言って、泣いた。

「今僕」においてシュウは言った。
「大丈夫だから。絶対、大丈夫だから」
でも、その言葉を信じたサラは、現実に陵辱された。だから、再会したシュウに言った。「嘘吐き」と。
それでも、シュウは「大丈夫」だと、生きていればいいことがあると言った。
サラは「それも嘘」だと罵った。

 大丈夫じゃない状況に置かれた時。
 時に僕等は「大丈夫」という優しい嘘を望む。
 嘘は嘘で、決して大丈夫じゃなかった過去は消えないけれど、今も、大丈夫じゃないけれど、それでも「明日は大丈夫」だと信じたくて。
 希望を持ちたくて。
 厄災のつまったパンドラの箱から、何故に希望が出てきたのか。
 それは、希望が厄災であるからに他ならない。

「明日はきっといいことがある」

 そんな希望を持ってしまうから、人間は明日の痛みに向かって生きてしまう。

「大丈夫だよ。明日はきっといいことがあるよ」

 痛みの中で自分に言い聞かせる、或いは、他人にかけて欲しいと望むその言葉は、それは全部、優しい、嘘だ。信じたいけど、嘘だ。
 未来は誰にも、わからない。
 でも、だから――信じられる、嘘だ。

 そんな優しい嘘に縋る事は、現実逃避だろうか?
 優しい嘘を否定することは、現実受容だろうか?

 違うんじゃないかと思う。
 今を大丈夫じゃないと認めることと、明日が大丈夫かもしれないと信じることは、矛盾しない。

 でも、僕等は混同しがちなのだ。

「永遠はあるよ」

 その優しい嘘を、僕等は「過去」と「今」の事なのだと誤解したけれど、それは盟約であり、約束であり、「未来」への希望だった。

 希望に縋る事を、過去と今という現実を消してしまうことだと僕等は混同しがちだ。
 リヴァイアスにも、そんな少女がいた。

 でも、そうじゃないんじゃないだろうか。

「これが現実だ」「永遠なんてなかったんだ」

 それを認めることと、

「大丈夫だから」「明日はきっといいことがある」「永遠はあるよ」

 それを信じることは矛盾しないんじゃないだろうか。

 コウジは、過去と今は消せないと、今は大丈夫じゃないといった。
 明日なんかいらないと言った。
 当初からコウジは、Kanonネタばれ掲示板で多くの人が祐一に出来なかったといっていた現実受容をしていたと思う。
 でも、コウジはそれだけでは何も出来なかった。どうにもならないことが分かっただけだった。
 なんの根拠もなく「大丈夫」だと言い続けたシュウは、最後まで行動し続け、結局、多くの人を死なせてしまった。守りたかった少女も、守れなかった。

 最終回。
 それでもシュウは「大丈夫」だと、明日はいいことがあると言った。
 そう、思うんだと。
 コウジは、銃を突き付けられながら、やり方は分からないけど、今、やれることをやるんだと、笑いたいと言って、笑った。
 明日を信じたい、と。

 結局、肯定しようと否定しようと、嫌な現実は変わらない。
 変えられるのは神様だけだ。
 嫌な現実を正確に認識した時、人間が取る行動は二つある。
 一つは、その現実を受容して泣き寝入りすることで、もう一つはその現実を否定することだ。
 リヴァイアスのクルーも、シュウも、否定する方を選んだ。
 その方法の一つに、イクミのように、明日もどうせ変わらないから、だから、過去から今までを否定し、今を変えようとする行動があり、もう一つに、シュウのコウジのように、明日はきっといいことがあるという、優しい嘘に縋って、明日を作っていこうとする行動がある。

 どちらが正しいかなんて、分かりはしない。
 前者を真っ向勝負だと考え、後者を逃げだと捉える人もいるだろう。
 前者を過去に囚われていると考え、後者を自由だと捉える人もいるだろう。
 でも、どちらにしろ、それは現実の受容ではなく、否定だ。
 希望という優しい嘘を信じることも、否定することも、現実受容なんかじゃない。
 この二作品は、そういう、現実を認識することと受容する事、否定する事の違いを描いていた作品だったような気がする。

 僕は――現実受容して立ち止まるよりも、優しい嘘を信じて、明日を見に行く方を好ましく思った。
 だから、永遠なんていらないなんて、もう思わない。
 「永遠はあるよ」という言葉を信じたい。

 僕がONEドラマCD1のラストを好きだというのは、徹底レビューを書き直したくて仕様が無いというのは、つまりは、そういうことなのです。

#今回の雑記タイトルは、最近また更新されたたきをん師匠のサクで、もっとも私が衝撃を受けた回のタイトルだったりもします。



4月5日 神様「良い師匠に出会い、育てられたな、雪」 雪駄「へへ、ちょっとえっ(以下不敬につき削除)

 4月5日の日記の冒頭は、読んだ瞬間に泣きそうになりましたよ(感涙)。
 ああ、私はちゃんと師匠をリスペクトできてたんですね…。
 あのお返事は、握手会において美味いラーメン屋を教えてあげた時にみやむーから言われた「ありがとう」以上に嬉しいものでした。
 うう、これからも御父上共々に、追いかけさせていただきますです。

 「ありがとうございます」はこちらの台詞ですよ、本当に。

 …上記は完全な私信で、殆どの方にはいつも以上に訳が分からない文章かもしれませんが、師匠の書かれたサク(EVANGELION:SACRIFICE)や「ASTERIA」を読んで、その後で4月1日の私の雑記を、さらに4月5日のたきをん師匠の日記を読まれれば、意味は通ると思います。多分。
 ええと、つまりですね、「見よ、東方は赤く燃えているぅ〜!!」って感じなのです<余計にわけが分かりません


4月6日 フォルトゥーナ・ウェントゥス

 「ターンAガンダム」を見終えました。
 いやはや、序盤〜中盤でダレるとか、動きが少ないとか色々文句言いましたが、終わってみたら実に素晴らしい作品でありましたね。
 エピソードや伏線の回収、まとめ方が本当に見事。
 初め見た時は口あんぐりだった、奇抜なキャラを初めとする無茶苦茶な設定や場当たり的に思えたエピソードが宇宙編からこっち、一点に収束していく様は本当に快感でありました。
 最終回でも、ああ、あのシーンをやるためにギンガナムは日本刀を持ち、ロランはアデスタに立ったのかとか、燃えさせていただいたですよ。
 黒歴史、ディアナカウンターの造反、コレン軍曹、アデスタ、ギンガナム、女王陛下のロマンス、ソシエの想い、etc…
 バラバラだった一つ一つのピースが「ターンA」という世界と物語の全体像を構成し、完成させていく様は「シャイニングフィンガー全肯定とはこういうことか!」って感じでしたね。
 しかもガンダムどころかエルガイム、ダンバイン、ザブングルなんかまで肯定しちゃってるし。
 今までの蓄積をきっちり収束させた上に明日を感じさせてくれるという、実に清々しい終わりでした。
 コンプリートは、敢えてさせなかったんじゃないですかね?

 いやはや、なんにせよ、面白いものを見させていただきましたですm(_ _)m
 作画も奇麗だったし(願わくば、全編あのレベルで見たかったが)、ソシエも無茶苦茶可愛かったし、大満足のラストでした。


4月7日 最強幻想

 良いプロレスだったなぁ、小川vs橋本戦。
 STOをDDTで返した橋本、良かったなぁ。
 グローブを外し、バンテージで固めた素手で殴りかかった橋本に対しての村上の乱入、良かったなぁ。
 STOの後、締め技、関節技にいかない小川。色々と裏を想像させてくれて、緊張感を与えてくれて、良かったなぁ。
 そして、10カウントで負けた橋本、泣けたなぁ。

 実に緊張感が溢れて、色んなものを感じさせて、展開にワクワクドキドキできて、良いプロレスだったなぁ。

 ……最強幻想というものがある。
 この世界に誰かが「最強」の人間であるという事実は存在しない。
 どこかに「〜が最強」という真実は存在するかもしれないが、確かめる術はない。
 全世界、全時代の全ての人間と戦い、勝利して見せることは不可能なのだ。
 だが、「〜は最強かもしれない」という幻想は、幻想を抱かせるくらい強い男は、最強かどうかはともかく、強い、強さを感じさせるという一点で、堪らなく魅力的であり、その魅力は人々の心を捕える。
 ここに目をつけ、人々に「最強」という幻想、夢を与える商売がアントニオ猪木の提唱した「プロレス」である。
 その強さを見せ付けることでファンに「最強幻想」という夢を見せ、ファンが向ける幻想「想い」を受け止め、その幻想を守っていくのがアントニオ猪木のいう「プロレスラー」である。
 猪木プロレスとは、普段の興行で「強さ」をファンに感じさせ、幻想を与え、それを揺るがす者が出てきた時に、それと戦い勝つことで幻想を証明して見せるという事なのだ。

 橋本は、新日本という団体の中でエースを張ってきた。
 「最強」という幻想をファンに与えようとしてきた男だ。
 だが、橋本は小川に敗北し、幻想を崩された。
 最強幻想を与えることを商売とするプロレスラーが敗北する。
 これはファンに対する、重要な裏切りである。
 今の時代、小説や映画、プロレスで与えられる夢を幻想でないと知らない人間はいない。
 だが、それでも、我々がわざわざそれらに金を払うのは、それでも夢を見たいからだ。
 或いは、夢を見せようとする人間の想いやテクニックを見たいのかもしれないし、夢を本当にしてしまう様を見てみたいのかもしれない。そんな様を嘲笑いたいのかもしれない。
 何にせよ、我々は夢を見せようとする様を見に行くのだ。
 だから夢を与える側の人間が、その夢を嘘であったなどと言ってはいけないのだ。
 今回に至るまでの橋本を見ても分かるように、はっきりいって、夢を見せ続けるというのは、ひどく辛い作業だ。
 「最強」という幻想など無いとカミングアウトしてエンターテイメント路線を突っ走ったり、逆に幻想を感じさせない「競技」だけを行うことで「現実」を見せる方がある意味よっぽど楽である(勿論、現実の中で事実としての「最強」を証明しようという総合系の選手の方がある意味でプロレスラーよりよっぽど苦しいが)。
 だが、橋本は最強幻想という夢を見せる「プロレスラー」であることを望み、ついに幻想が崩れた時も、「プロレスラー」でいつづける事を望んだ。
 だから敗北という現実を否定し、失った幻想を取り戻しにいった。
 プロレスというリングに。
 結果的に、橋本はまた負けた。幻想を取り戻すことは出来なかった。

 けれど、夢を見せてくれた。

 良いプロレスだった。
 色々な方法があったと思う。
 例えば、小川が不思議なパワーで負けてやり、橋本が幻想を取り戻し、だがそれを夢でなく嘘にしてしまう方法。
 例えば、プロレスでなく、別の競技をすることで決着をつけ、それまでの橋本の、プロレスで築きあげた強さという幻想、実績を全て消してしまう方法。
 それらをせずに、正真正銘のプロレスをし、勝った小川、負けた橋本というのは、嘘でも現実でもショーでもなく、「夢」を見せる商売であるプロレスとしては実に正しく、一プロレスファンとして、実に嬉しい物でありました。

 面白かったなぁ。

(注)面白かったのは「私にとっては」だよ。先日の「ターンA」最終回絶賛にしても「4m」にしても。
 2チャンネルとか見れば、きっと酷評されてるよね、これらは(苦笑)。
 いや、なんか「ターンA」ってまだやってない地域あるって聞いたから、見てない人に変に期待抱かせるのもなんだから、一応。
 ちおねさんなんかは「ターンA」最終回は酷評してますから、まだ放送を見てない方は、そういう他の方の意見も読んで先入観のバランスとっておいてくださいね〜。


4月8日 最強幻想 その2

 プロレスというのは、タイマンの喧嘩において強い人間が必ずしも勝つという物ではない。
 藤原組の組長は、かつて新日本において、道場破りを仕掛けてきた人間をことごとく片づけ、猪木が海外の危険地帯等へ出向く際、ボディーガードとして必ずといっていいほど同行していた実力派レスラーだった。
 だが、メーンイベントは脹れない、前座であった。
 そして人気レスラーとの試合において、相手の攻撃をことごとくあしらいながら、でも最後にはきっちり負けて見せるという、プロフェッショナルであった。
 UWFとは、そういった藤原のような、実は真剣に勝負をしたらスターであるチャンピオン、或いはそれに類するエース格よりも強いのではないかとファンに幻想を抱かせていたレスラーが、その幻想の真偽を証明しようという運動であり、アントニオ猪木とは、自分は、プロレスラーは強いんだという幻想をファンに信じさせようとしたレスラーであった。

 UWFイズムも、猪木イズムも、ファンに「最強」という幻想を与え、その幻想を証明し信じさせ、夢を与えようという点で共通しているのである…

 ……いや、今回はプロレス話じゃないですよ。

 映画でもアニメでもゲームでも、良い作品が表れると、そのゲームのシリーズ、或いはスタッフという物にファンは幻想を抱きます。
「あのゲームの続編だから面白い(つまらない)はずだ」
「あのゲームを作ったあの作者が参加しているんだから、無名のゲームメーカーから出る新ゲームだけど、あのゲームのように面白いはずだ…」

 作品を作り、その製作者として名を出していれば幻想は勝手に生まれます。
 スポーツでも喧嘩でも、らしい結果をコンスタントに出していれば、世界一になろうとなるまいと、勝手に幻想は生まれますよね。
 「無冠の帝王」だとか「哀しき天才」だとかなんとか。
 それと同じで、何作品かの良作のスタッフロールに名前があれば、製作者はファンに幻想を抱いてもらえる。
 たとえ、実際には制作に関与していなくても。

 さて、この幻想というものはこのように自然発生したり、操作できたり、使いようによっては武器となったり、背負うとなると非常に重い物となったりと非常に面白い物です。

 例えば「ONE」スタッフというのも、「MOON.」「ONE」という実績があればこそユーザーに幻想を持たれ「KEY」における「KANON」ブレイクに繋がったわけですが、高まった幻想に対し「KANON」は「ONE」と同じように評価される作品でなくてはならないという十字架も背負ってしまい、結果として冒険できなかったわけですよね。
 幻想を武器にビジュアルアーツに移籍し、制作費を手に入れたわけだから、その幻想が敗れてしまったら、会社からもファンからも見放されてしまうから。
 ヒクソンに負けた高田を見ても分かるとおり、幻想を背負った人間が負けるというのは、ただ負ける以上に大きなダメージを負わされてしまうものです。幻想を売りにするというのは、相手が抱いた、或いは自分が作り出した幻想を肯定するということですから、それを破ってしまうのは詐欺みたいなものになってしまう。
 まぁ、そんなわけで負けない為に戦わない「最強」というのが格闘界なんかには多いわけですな。
 そんな中で幻想を守る為に(あらゆる手段を用いて)戦って勝ったから、猪木というのが物凄く評価されたわけですよね。実際に文句を言えないくらい強い上に、文句言うやつとは戦って、(刃牙の母親の贋物を使ってでも)勝って、「最強」幻想を守り通した。
 だから猪木は最強なわけですよね。前田日明とかヒクソン・グレイシーも同様で。

 …なんの話だっけ?

 ええと、「KEY」は幻想のせいで「KANON」で冒険できなかった。
 結果的に、「ONE」より出来が良いけど弱い、攻めてない作品「KANON」が生まれてしまった。
 ここで面白いのが、「MOON」「ONE」は麻枝さんがメインだったのが、「KANON」は久弥さんがメインだという点です。
 「MOON」「ONE」で圧倒的に人気を集めたのはサブの久弥シナリオ(葉子さん、茜、みさき先輩)、久弥キャラということで、実は「KANON」発売前っていうのは実は麻枝さんより久弥さんの方が強いんじゃないかという「久弥幻想」があって、久弥メイン作品なんてのが出来たら、ONEより強い作品が出来るんじゃないかという期待があった。
 それが、「KANON」がああで、しかも今回人気を集めたのが麻枝シナリオ(舞、真琴)ということで、「久弥幻想」はなんか崩れて、今度は逆に「麻枝幻想」というのがファンの間で生まれてきている。
 さらに、唯一「KEY」に移籍しなかった「YET11」さんがいないのが悪いんじゃないかという、「YET11幻想」なんてのも生まれていて、非常にONEスタッフを取り巻く幻想には面白い物があります。

 幻想を見せてくれるだけの強度をもった作品だからそういう幻想が出てくるんだよなぁとか考えると、非常に微笑ましい物もありますよね。
 ちなみに、私は「KEY」スタッフの中では「折戸伸治withKEY」が最強だという幻想を抱いています。
 だって「残光」とか「輝く季節へ」とか無かったら、多分泣いてないし。



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