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《雑記帳6月》
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6月19日 アンダーグラウンド

 昔むかし、とあるパソコンのソフトが違法コピーで広まり、デファクトスタンダードとなりました。
 巷では皆そのソフトを使っているのに、開発者には一銭のお金も落ちてきません。
「なんて理不尽なんだ! これは喜劇か!? 僕の作った商品を皆が評価し、手にしているのに僕は飢え死にだなんて!!」
 開発者はコピーは犯罪だとキャンペーンを張ったり、訴訟を起こしたりしますが、焼け石に水。
 会社は倒産寸前となり、喜劇が悲劇に変わろうとしていたその時、海外から大口の輸入の話が次々と持ち上がりました。
 あまりにも彼のソフトが普及し、データをやりとりするのには不可欠となったにも関わらず、相手国にはそのソフトが無かったのです。
 いえ、実はあったのですが、それは海賊版コピーでした。
 国や法の元、公式な仕事をこなし、記録を遺しているソフトが海賊版というのは、非常に問題があります。
 しかし、正式採用しているソフトでは今更仕事になりません。
 結果として、オリジナルを公式に正式な手続きで導入しようという動きが各地で起こっていたのでした。
 法律に守られるような真っ当な企業は、法律に乗っ取ってPCの台数分だけソフトを買います。買わなくてはいけません。
 真っ当な国や企業が次々と正式に購入してくれたので、彼の会社はすんでの所で持ち直し、やがて押しも押されぬ大企業となりました。
 やがて彼は海賊版の恐ろしさと効用を身をもって知り、稼いだ金や法律を駆使して次の仕事に備えるようになりました。
 PC一台につき一枚のソフトという原則を法律を盾に徹底させました。
 無料で簡単に誰でも使える、しかし高性能なソフトをばら撒き、デファクトスタンダードとしました。
 彼の新しい製品はそのソフトをもっと使いやすく使えるようになっていると、その製品も使いやすいと宣伝し、有料ソフトもまた売れていきました…とかなんとか。

 ここ一ヶ月、BOOK・OFF問題ゲームの違法コピー、いわゆる静止画ムービー等の著作物二次使用創作なんかの、私的には一本の線で繋がる話題を妙に目にします。
 いわゆる、アンダーグラウンドな形での作品の伝播ですね。
 これは、いい、悪いは別として、無くならないと思います。
 単純な二元論の中の理論武装で「必要悪」なんて肯定するわけではないです。誰が何を思おうと、それとは関係無く、ただ存在し続けるだろうと。
 もちろんそれは「公然の秘密」とか「暗黙の了解」、「公的には存在しない」というような意味で。

 …その上で思うのですが、やっぱりこういう問題については、しのぶさんも引用されていた、「QOH'99」のマニュアルに記載されていたこの言葉で決着が着くような気がします。

「各自の価値観(モラルとは違います)に任せます」

 私の場合、作品、仕事、つまりはそれを為した人を認めるという事は、見下す事でもへりくだることでもなく、同じ位置から接することだと信じます。罵倒するにしろ、礼賛するにしろ。
 で、結局のところ、違法コピーなんかを利用する受け手というのは、作者に対して代価を支払わず、一方的に見させてもらっているような、作者や正当な所有者という一段高い位置にいる人間達から作品をめぐんで貰った、或いはおこぼれを掠め取ったというような形になるような気がするんですよね。
 作品を介して見た場合、そうした人は作者と対等の位置にはいないんじゃないかと。
 私的には、それはとっても屈辱的な状態なので、「俺はめぐんでもらってるんだぜ」なんて自慢気に話す気にはなれません。出遭えた幸運に感謝するならともかく。
 逆に、自分の好きな作品(の作者)に「俺はお客様で神様なんだぜ」、なんて偉そうにふんぞり返るのも嫌ですね。なんか恥ずかしい。
 どうでもいい作品なら「見てやってる」的に見下す事もあるけれど(殆ど全ての場合は無視だけど)、どうでもよくない作品なら、やっぱり対等な立場から評価したい、そのためには代価を払っておかなきゃな、なんていうのが私のスタイルでしょうか。

 …あやや、アングラによる伝播について書く予定が、なんか違う物になってしまった。むぅ。


6月20日 回る大仏(RタイプIIを聞き違えて)

○ぐるぐる(¨)( :)(..)(: )

 こちらこちらの6/18の日記がツボにはまる。なんだかすげー納得。特に後者のとらハ2評とか。

 しのぶさんのこちらの日記からこちらへ。大爆笑。ある意味ではとても笑えないネタなのですが(特に最近の自分を振り返ると)、しかし笑うしかありません。サイト管理人な方は必見でしょう。

 C.Fさんの日記を読みながら、ちょっと済まない気分に。
 ああいうことは一方的な感情の吐き出しでなく、C.Fさんやしのぶさんのようにちゃんとした言葉で書いていかなきゃな…。読んで下さる方の為にも、自分の為にも。

 1年数ヶ月ぶりに更新された「evangelion2(ツヴァイ)」、サブタイトル「永遠のアスカ」を読みました。さすがに1年分の量と密度。読み進める度に展開にドキドキして、泣いて、笑って、本当に堪能できました。
#6月の扉絵もかなり堪能(〃∇〃) てれっ☆
 しっかしあの終盤は…、なんというか、下僕(ネット上でのアスカファンの呼称の一つ。ちなみに綾波ファンはアヤナミストとか)で良かったと心の底から思いました。…色んな事を思い出させられ、もう、爆笑するわ、しんみりするわ、ニヤニヤ笑ってしまうわ、泣けるわ、また笑うわ…、下僕な人はあのアスカとシンジの会話の為だけにでもツヴァイは読む価値有りですね。きっと琴線にキます。
 「永遠」についての答えもまた一つ見られたし、本当、待っててよかったです。
 ある意味、今回で引きずってきた物の決着はついたといえるのですが、それ故に「これから」が気になります。
 次の更新も楽しみ♪ いくらでも待つぜd(>_< )

 捏音たむさんのサイトからぐっちー師匠の無限月光へのリンクが貼られていました。なんか嬉しい(^^)
 さらに、掲示板に感想の書込みをした人全員に向けて発表したという、ありがとう壁紙「AWARENESS.」に吃驚。当たり前の事なんだけど、私も感想を書かせていただいていたので名前が載っているのでした。
 以前にたきをん師匠の「ASTERIA」のスタッフロールに名前を載せていただいた時もそうだったけれど、予想もしていなかった嬉しい出来事に、幸せな気持ちが溢れ出てくる感じです。
#感想出せばそういう風に名前が載ると分かってたら多分、これほどまでには嬉しくなかったかも。

○で、今日はアンダーグラウンド その2の筈だったのだけれど…
 永野護の「フール・フォー・ザ・シティ」なんかを使ってコピーやパロディによる作品伝播について書こうと思ったけれど、それはまた今度ってことで。
 荒れた後でまた持ち直した2chの某スレッド、読んどかなきゃいけないし♪


6月23日 ちなみに夏コミ落ちたんで、今年も我がラブおねの出店はありません

 亜蘭さんのRumble〜バンカラ夜叉姫〜 レビューやこちらの日記のとらハ評、しのぶさんの6月の日記を読みながら、ONEの日常についてまたぼーっと考える。
 が、考えた内容はこちらとかC.Fさんの日記や統合評論に自分が書くよりよりよっぽど上手く書いてあるので、特に何も書く必要は無いのだった。
 ぼーっとしたついでに、自分がONEやその永遠を語るにあたって、そのゲームシステムに強く縛られているのに気付く。
 Whiteさんに「花ゆめ文脈」(一見ファンタジーに彩られていても、きちんとSF的/少年漫画的な解釈はするのが好み)な人だと言われたのもあるのだけれど、私がONEを語る時っていうのは、シナリオをシステムに与えられた意味としての側面ばかり強調して語っていて、シナリオ単体に与えられた小説としての部分を、どちらかといえばないがしろにしてきたような気がする(周りを見渡したら逆にゲームである部分をないがしろにしたような評が多かったので意識的にそうした部分も強いのだけれど)。
 そこら辺の議論(?)に参加する為には、一旦そういうシステムに縛られたゲーム解釈とかなんとかを置いといて、小説としてもちゃんと見ておかなければならないな、とか思ってみる。自分はONEをゲームとしてばかり見ていて、「ゲーム」である事と「小説(アート)」である事を両立させているものであるという事を見落としていたし。いや、目から鱗が落ちました(^^)

で、ゲームシステムとかSF的(?)解釈を捨て去って、至極単純にONEという物語を見ると――なんか前に書いた気もするけれど――こんな感じか。

 浩平は高校生活の中に、終わらせたくない永遠にしたい時間を見つけたけれど、過去にそうだった事から、そういう幸せな時間が決して永遠ではない事を思い出す。
 故に来るべき時間の終わりに対して葛藤し、抵抗するのだが、その結果として、周囲の人間が時間の流れに乗って先に行く中、皆のいる世界から消えてしまう(比喩なのか思い込みなのかファンタジーなのかは定かでないが、ようするに自分の愛した時間の中にたった一人取り残されたってことなんだろう。作中の永遠とか消えるとかなんとかは、こういった、何かに拘る事によって周囲から取り残される事へのただの比喩なんだろうな)。
 最終的に浩平は永遠の終わりを受け入れ、皆と同じ流れる時の中に帰っていくのだけれど、そこには、終わってしまった筈の永遠にしたかった時間の続編があった。

 なんというか、こういう風に言ってしまうと、話としては、良くあるものだな。フィクションでも、ノンフィクションでも。学園モノなら特に。
 ガキの頃の約束とか夢に、たった一人でしがみつくロマンチスト(ガキ)が、大人になってそういう物を捨てて出て行く周囲の連中とのギャップの中で悩み、で、結果として自分は大人になるのか、子供で居るのかどうなのか――という。

「夢はいつか醒めるよ。そしてその後には現実が待っている」
「お前の夢は醒めてしまったのか?」

 でもそういう目で見ると、ONEにおいて浩平がしがみ付くのは、子供の口約束やただの日常であって、旧来のそうした、やまむらはじめなんかが何度も何度も書いてる現実の中で「夢」を見続ける事の肯定否定と比べると、なんだかとてもささやかな物だ。
 これって「イエスタデイをうたって」なんかで冬目景が書く、迫る時間への抵抗や夢といった触媒を介さない、モラトリアムな自己の肯定否定の揺れなんかに近いものなのかもしれないと思ったり。
 恋愛で自己確認する恋愛信仰のようでいて、実際はそうしている自分を俯瞰して見ていたりする辺りとか。

 参考:こちら「イエスタデイをうたって #2」評とか。


6月24日 読み手の事をかなり考えていない覚え書き

 つまり、日常の幸せレベルがある一定のレベルに達してしまうと、イコールそれはいずれ終わってしまう事だと認識されてしまうわけだ。
 「あんまりおもしろくて、見ているうちに、私はこんなにおもしろくていいのかしらんと思って、そらおそろしくなりました」っていうのとはちょっと違うかもしれない。上手く言えないけれど、「終わらせたくない」と認識してしまうくらいに幸せだからこそ、「終わらせない」という認識の中から「終わり」を発見してしまって怖くなってしまうっていうような、死や不幸から逆説的に生や幸福を知ったことにより、生や幸福から逆説的に増幅された死や不幸を知ったというような。
 永遠という概念は、終わりがあって初めて成立する概念であり、始まらない物は終わらない。
 長森が告白を受け入れない、始まっていない幸せな時間は決して終わらないわけだが、それは永遠ではない。何も始まっていないだけだ。
 かといって、始まってしまった幸せな世界は、始まってしまったからこそ、終わってしまい、それもまた永遠ではない。
 では、終わってしまった閉じてしまった時間こそが永遠となるのではないかと考えるが、勿論それは、既に終わっているのだ。終わっているからもう終わらないが、終わっている物を永遠とはいわない。
 なんにせよ、始まってしまった。ではどうするか。
 始まってない事にするか? 終わらせてしまうか?
 でも、何をしても、何をしなくても、永遠は手に入らない。
 結局、永遠というものは何処にもないかもしれないという事を再確認する。
 大人になるっていうのは、それを知る事なんだ。
 けれど気付く。全ては終わってしまうかもしれないけれど、終わってしまったとしても、「永遠にしたいと思えるくらいに幸せだった時間」そのものが無意味だったわけではないし、終わってしまっても、その事実が無くなってしまうわけではない事に。
 終わってしまった時間の中で作られた人との繋がりや思い出、作品は、そこに「永遠にしたい」と願った想いがあるからこそ、決して自分や、その時間を共有した相手の中からは消えない。
 全てが終わってしまっても、世界中の誰もが忘れてしまっても、そんな時間があった証拠が何処にもなくても。

 胸の中で結晶していく、あの時間の中にあった、うれしいこと、かなしいこと。
 切ないほど透明な胸の水晶。それはきっと、永遠。
 終わらない君の唄。


6月25日 into summer

 しのぶさんの感想を読んだりして、ふと自分がONEのドラマCDについて何を書いていたか振り返ってみたところ、自分の書いた文章に色んな意味で泣きそうになっている自分を発見しました<色んな意味で馬鹿野郎
 あの頃は夏コミに合わせて徹底レビュー完成&改定するつもりだったんですね、私…。うう。「七瀬どうなってんですか」とかメールで催促も来てますが(ありがとうございます。なんか最近、はじめましてメールが続きますね。更新してないのに…<いや。してないから、か?)、既報の通り夏コミは落選しまして、自分で出店する事はありませんので、その、そういう予定もちょっと立ち消えになりました。でも「Air」やったらその勢いでKanon徹底レビュー始めるかもしれません。<その前にONEを終わらせれ
 ただ夏コミ、自分は出店しないですけど、GameDeepのVol.2への原稿は書きますんで、出向かれる方は宜しくお願いしますm(_ _)m
 ONE、Kanonについても、C.Fさんのところででなんか書かさせて頂く事になる模様…です。あと、うちのコンテンツへのリンクや引用ですが、雪踏以外の誰ぞが書いたとかいう嘘を書かなければ(いないだろうけど)、直リンクでもコピペでも書き写しでも、好きなようにやって構いませんです。>その筋の方々
 以上、夏へ向けての業務連絡でした。

 …ついでに宣伝というか予告というか。

 GameDeepで書くのは「物語を探せ!」の続きです。
 多分、「(ゲームの)物語は何処にあるかっていうと、それはプレイした人間それぞれの中にあるんだよ」ってなベタな方向から、アートとツールの違いの話なんかをする事になるでしょう。
#…ちょっとWhiteさんの原稿に被りそうですね。しかも対立するかもだ(^^;;
 その上で手塚一郎の「メタルスレイダーグローリー」に対する「もっとゲームの要素を排除してくれれば8点をあげたい」という言葉に反論したりしながら、「ONE」とか「風のクロノア」という、アートを完成させる為にゲームのツール性を利用した作品、「プレイヤー(受け手)を必要とする、プレイヤーがいて初めて完成するアート」という表現と、それが受け入れられる理由、TVゲームという「起きてみる夢」(これは山本弘がTRPGについていった言葉だけれど)という存在の意義について、やはり「クロノア」「ONE」、そして「ゼルダの伝説 夢を見る島」なんかを引き合いに、独断と偏見で騙る予定です。ここら辺とか、ここら辺でやったことを活かしたいですね。
#近日中にその独断と偏見の先行予告編みたいな雑記かSSを書くかもしれません。
 しかし、こゆことやってると、商業ゲーム誌の企画編集の立場(実績と金) or 何物をも恐れぬ若さ or コネが欲しくなってきますね。どれかがあればこの企画と連載って、自分の書きたかった事を私より上手く、更に先の事まで書いてくれそうなくこちらの方こちらの方こちらの方こちらの方なんかに企画見せて原稿依頼するんですけど。



<私信っぽく>
 あははー、なんか、暴走した挙げ句に岩にぶつかって死んだ後、サラ・ザビアロフに慰められてるカツ・コバヤシな気分です(どないやねん)。





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