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《雑記帳 12月》
【11-2】 【12-1】 【12-2】

12月1日 我らの流儀

「サッカーのルールってホント単純よね
 わりとあいまいだし
 だけどそこが深くて面白いって言いたいんでしょ」
「そうだよ
 世の中にはサッカーがアートだという人も居るぜ」
「球技と芸術? なんか結び付かないけど」
「まあ俺にも芸術の定義がはっきりしてるわけじゃないから でも
 もし人間の創造性とか想像力が試されて発揮される場で昇華された物が美的だとして
 それを芸術と言うんなら
 そうなんだろうと思える瞬間が確かにサッカーにはあるよ」
「一気に難解なものになっちゃうなあ」
「だな だけどそれと同時に世界で最も単純で美しい遊びだって言う人も居るのさ」
「あ それは何か納得できる
 やってても見てても楽しくなくちゃ遊びじゃないもんね」
「たださサッカーが芸術だとしても遊びだとしても日本人にはそう考える余裕がまだ足りないんだよな
 どうしても勝ち負けとか数字に気を取られちまう」
「つまりあんたがやりたいのはサッカーのそういう本質を体現してみせることでしょ」
「それだけじゃ駄目だ
 そういうサッカーをやって"勝てる"ってことを証明しなきゃ意味がない」
大竹ユキ「我らの流儀」より抜粋

 ここで語られていること。「サッカー」をゲームに置き換えると、私が見てること、考えてること、やろうとしていることに近い、かもしれない。

「日本人には余裕がまだ足りないんだよな。
 どうしてもヌけるかとか泣けるかとか実用性に気を取られちまう」
「でもゲームは道具でしょ? 実用的じゃなければもう道具じゃないよ」

○職人監督・小島秀夫のお言葉
 ゲームは使うものである、使って初めて評価されるものであるということで、僕らはアーチストではないと。ま、クリエイターという範疇ではあるんでしょうけど。人を感動させるっていうのは当然あるんですけれど、まず使ってもらう。ゲームって道具でもあるんですよね。使って初めてナンボのものなんで、独り善がりではしょーがないと。我々の商売は、色んな人に使ってもらわないとどうしようもないですよね。飲めない湯のみを作ってもしゃーない。形がカッコよくてもしゃーないんですよ。そういうことを意味して「職人」であると。使えるものの中に自分の作家性を入れることは十分可能なんですよ。ただ、ユーザーの手元に行って、それを気持ち良く操作できて、その上でアーティスティックであれば何も問題無いんですけれども、いわゆる絵画とは違いますから。切れない包丁なんかいりませんからね。3枚におろすときに、なんか音楽が鳴るとかやったら、そういうのはイイんですけど、美しいだけの包丁は買いませんよ、誰も。
ナイスゲームズvol.3より抜粋

「感情を呼び覚ます道具、とは限らないんじゃないかな。勿論、そういう道具として特化されたゲーム表現(ONEとかAIRとか)なんていうのもあるわけだけれど」
「じゃあ、ゲームってどういう風に使う道具なの?」
「ゲームという形態の本質、面白さって、”そこ”にあるんじゃないかな。受け手も作り手も等しく使い手であり、それをどのようにも使えるという。ただ、さっき言ったゲーム表現っていうのは、作り手側が受け手側をコントロールして、望む形に使わせるんだよね。受け手側は”使って”いるんだけど、ある意味強制させられているだけに、そこにはゲームの本質的な面白さは薄い、かもしれない。けれども、そこには別種の面白さと美しさがある。自分の軌跡がパズルの最後のピースとなり、全体像を完成させたという感動、達成感とでもいうべきか」

 …なんて言ってみるテスト。一応はこちらを受けて。
 随分変則的な受け方だけれど(^^;;

 で、「ONE」について。

>それが「ゲーム表現」という物語表現を採用した物語である限り、ある意味論理必然の到達点である

 というのは非常に同感です。

 ああいう物語を語りたくてああいう形式――ああいう物語をそのままに体現するゲームという形――となったのか、ゲームで語っていく中でああいう物語が生まれたのか、その両方なのか。
 分からないですけど、語るという「行為」と語っている「物語」がイコールであり、受け手の動きそのものもまたイコールであるというのは(ああ、上手く書けないな)非常に面白いと思います。


12月9日 それが世界の選択である

 仕事について考えている。

 ONEの茜シナリオについて考えている。
#ちなみにそれはここの前半部分なんかで書いたことの焼き直しであると同時に、久弥氏と麻枝氏の対比論ぽくもなるかもしれない。「お前は振られたんだ」「えいえんはあるよ」。その違い。

 GPMや、そのオフィシャルBBSで行われているゲームについて考えている。

 GameDeepの原稿について考えている。

 結局、同じ事について考えている。

 プレイヤーが望み(行動し)、それをシステムが認めたとき
 その望みはゲームの世界で現実となる
 それが「ゲーム」だ。

 システムは、システムが追認可能な望みを向けられなければ現実を作り出せない
 プレイヤーの望みはシステムに追認されない限り現実にはなれない

 プレイヤーとシステムは等価であり、不可分であり、時に役割を逆転する。
 システムがプレイヤーに望みを要求するゲームだって存在するのだ。

 そして、それはゲームに限らない。

 君が望み、私が認めたなら、それが君と私の現実だ。
 私が望み、君が認めたなら、それが私と君の現実だ。

#のぞみ。
#そういえば、そんな名前の風渡る女がいたなぁ。

 私と君が現実を選んだとき、そこには私と君の世界が生まれるのだ。

「えいえんはあるよ、ここにあるよ」

 君が望み、私が肯定すれば。或いは僕が望み、君が肯定してくれれば。
 そこに「えいえんのある場所」が、それがある世界が生まれる。
 僕と君の世界は、僕と君とで成り立っている。

 何を望み、システムに追認させる?
 どの望みを選び、追認してあげる?
 どんな世界を選ぶ?

 それが世界の選択である。

 システム(他者)に自分の望みを認めさせること、他人の望みを引き受けて実現させてあげること。
 どちらも望みが大きいほどに重労働だ。
 さて、どうしたものか。

平坦な戦場で
僕らが生き延びること

 とりあえずはこれか。はは。
 かなしいのは、俺も「めー」だからなぁ。


12月16日 おんなのこはね、ゆめをみるのよ その1

俺にとってのゲームって夢なんやね。醒めて欲しくない夢。
「とらハ2」っていう夢なんか、すげえ、好きで。
さざなみ寮の皆との生活というあの幸せな夢から帰りたくなんて、ない。
とらハ2は何がいいかって、あの空間の中で誰かを選んで恋人作っても皆と仲良く一緒にいられるじゃないですか。
あれがいい。凄く良い。
女の子とのラブラブとかナントカだと1とかの方が良いかもしれないけど、俺はそれよりもヒロイン皆が傍にいてくれて一緒に生活していけてるっていう、あの賑やかな幸せの方が好き。
#1stプレイがリスティエンド、しかもH無しっていうのは今思えば必然だったような気がする

ゲームって、楽しもう思ったらプレイ続けてまう。
プレイ続けてたらいつかクリアしてまうのに。
クリアしたら夢は終わってまうというのに。
RPGなんか、夢の世界が気に入って、その世界の人たちが好きになったら、尚更にその世界を、人たちを救うためにクリアを目指さねばならん。
困ったことに楽しい夢であるほどに俺は意識的に終わりを目指さねばならず、楽しい夢であるほどに終わりは切ない。

楽しさと切ない嫌な思いを同時に求める。…なんか矛盾しとる。疑問も生まれようというもんや。
「なんでゲームなんかやるんやろう、夢なんか求めるんやろう?」

そんなんを感じさせんようにいう優しさはある。
ゲームの終わりは夢の終わりやない、これからも皆は楽しく暮らしていくんや…と、「とらハ2」のエンドなんかは思わせてくれる。
すごい、優しい。
幸せ。
でもよくよく考えていくと楽しく暮らしていく「皆」の中に俺は入ってない。
だって俺、さっきまで耕介君の中におって視線や感情やなんやかんやを共有してはいたけれど、耕介君ではないんだもの。
幸せな気分にはなれたが、優しい嘘では疑問は消えへんかった。

「ONE」はそういうんを突きつけてきた。
永遠に楽しい夢の中にいたかった俺に「えいえんはあるよ」言うたくせに、楽しい永遠を見続ける事を許してくれたくせに、見せてくれた永遠の女の子を好きになったらその永遠を終わらせなアカン思うように仕向けてきた。
俺がゲームにENDマークをつけて終わらせな、俺は良くても大好きになった女の子達は寂しいままやいうて。
でもゲームを、永遠を終わらせて俺がその世界から離れても、別れてしもうても、本気で好きだったんなら、そこで見聞きし、経験した思い出は忘れないで、覚えているかもしれん。それはそれで永遠かもしれんよ…?
女の子達の姿を通して、そんなことも思わせてくれたけど、終わりの自覚いうんはやっぱ…切ない。
俺がゲームを終えることで、女の子達が幸せになるんや、いうこともエピローグでちゃんと見せてくれて…優しいけど、切ないゲームやった。

「ONE」の後の「AIR」は「なんで夢なんか見てるんやろう?」というそれの答えを見せてくれた。
ONEにおいての、俺が楽しいゲームを終わらせる事でヒロインが救われるというそれは、自分は我が身を犠牲に好きな子を救うヒーローや、救世主や、いうような快感を生む。
けれど、ゲームの本当の面白さはそこではないと「AIR」はいうてきた。
だって、アレだよ。
俺がゲームを進め終わらせることが、俺の夢だけでなく、往人や観鈴をも終わらせることであると言うてくるんだよ。
酷い話。
俺がゲームを進めると、観鈴は終わりへ向かう夢を見続けることになる。
そして、観鈴もまた夢を積極的に自分で見ようとする。
終わらせなアカンと、ゴールするて自分で言う。
なんで?
だって、そうせな夢で見た「空の女の子」は救われへんから。
…それは、ブラウン管の向こうの女の子を救おうとゲームをクリアしようしてた俺の姿やった。
観鈴は、そこに英雄的快感があるからゴールするわけじゃない。
空の女の子が好きで、救いたいから、ゴールするんや。
そういう風に夢を見て、夢の中の女の子を好きに思えること。
観鈴と一緒に暮らすいう夢を見て、観鈴を好きやと俺が思えたように。
そうして、好きになった、幸せやったいう、そういう思いを持ってゴールする。
それは本当に幸せだ、と。
「最後にはどうか、幸せな記憶を」
(続く)

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