近況と雑記:

1/6 美汐たん祭りの日

『真琴』
 もしもを問われて、あの人が口にしたのはその名前でした。
 あの時からずっと、私たちの間に、今でもいる少女。
 悲しみと微笑みを授け、記憶の鍵となり、喪われていく刻を、解き放つ存在。
 二人の間に芽生える命があるなら、これほど相応しい名はなかったでしょう。
 あの時は、私もそう思っていました。
 けれど。
 もしもが現実の問いとなったとき、私は、私たちの間にはその名しか許されない事に気づいていました。

「蝉ってさ、十年間くらいずっと土の中にいて、成虫になったら、一週間しか太陽の下で生きられないんだって」

 長い眠りから覚めて、光の中での束の間の日々。
 あの時、あの蝉たちは、泣いていたのでしょうか。
 あの子に出会った日々。
 少年だったあの人、少女だった私の胸に刻まれた、輝く季節の小さな物語。

「これから出会うことを忘れない。ぼくらは未来に還っていくんだ」

 あの子たちとの日々を通じ、得たものを答え、あの人は「泣かない」と笑いました。
 言葉にできない、かけがえのない想いたち。
 あの子たちを、大切な記憶として所有しているから、あの人は強くて、優しい。
 あの人にならって、もういないあの子を探して泣くのをやめて、これから出会うあの子たちの為にと微笑み始めた時には、まだわかっていませんでした。
 けれどやがて、あの子たちと出会った日々が、私が大人になる為の糧となり、私たちの共通の体験、思い出となって二人を繋ぎ止める鎖となっていることを知ったとき、私は気づいてしまいます。
 あの人が強かった理由、そして、あの子たちを、あの日々を自分の為に利用し、今もそうしている自分たちという存在に。
 その気づきが、私の胸を焦がしました。
 あの人が話してくれた、私たちを繋いでいる、あの子の言葉や行動の意味がそれを掻き立てました。
 私が都合の良い思い込みによって、かけがえの無い『モノ』にしてしまったあの子達は、あの時、そうなることを望んではいなかったのではないのでしょうか。
 たとえ、それが形容詞のつく思い出と呼ばれるものだったとしても、あの子はあの人のモノになりたくはなかったのではないのでしょうか。
 あの子は、所有される事を拒み、共にいたいと望み、だから人となり、そして適えられずに泣いたのではないのでしょうか?
 なのに、今の私たちは…
 立ち浮かぶ疑問が私を責め立て、贖罪という思考がついて出ます。
 償うべきあの子は、もういないのに。

 原案・テキスト引用
 白倉由美「オーギーの最後の夏」
 フジオカ・ケンキ「メダロット・ナビ」

 …というようなSSモドキを、このいつぞやのSSモドキと対にして載せるはずだったさ>美汐本
 すみません、間に合いませんでした(上に載せたのも途中までさね)。

○モノメイト
 結局、GameDeep原稿もそうなってしまっていたように、昨年末は「メダロット・ナビ」に刺激されて、ずーっと「モノ」について考えていました。
 メダロット達や真琴が何を考えていたかとは関係無く、彼ら彼女等はカスミや祐一、美汐にとってのかけがえの無いモノであり、そしてそういった意味付けを行なったのもまたメダロットや真琴ではなく、カスミや祐一たちであるということ。
 メダロットや真琴に限らず、何かや誰かを意味付けた「モノ」として自分の中に取り込んでしまうということ。自分も同様に誰かにとっての「モノ」にされるということ。モノになるということ。KtF。

 あの時、キミは泣いていたの?
 ぼくは泣かない。

 思い出というモノになってしまった相手に対する、カスミの言葉。
 モノになってしまうそのときに、泣いた真琴。
 往人・プレイヤーと過ごした時間を、僕等をかけがえの無いモノにして去っていった観鈴。
#AIRでそらが置かれた境遇って、まんま真琴だった。観鈴と晴子、祐一と美汐。そらは観鈴に会いたくて会いにいき、そして…

 トイとしての性格の強い、意味の与えられていない(或いは見出しにくい)モノであるゲームに触れ、自分なりの意味を付加して遊んでいた子供時代。
 やがて自身の意味を主張するゲームが現れはじめ、その意志を捻じ伏せるか、受け入れるかという選択が生まれる。
 その中には捻じ伏せられる事さえ自身の意味であると自覚するゲームと、捻じ伏せられる事を嫌うゲームがあった。
 最終的に彼らのモノとしての意味を決めるのは僕自身だったけれど、僕は捻じ伏せるにしろ、受け入れるにしろ、簡単に僕の意のままになろうとはしないモノを好んだ。
 自身の指向性を、僕の意志とは無関係の意志を持った存在を望むようになっていた。

 やがて出会う彼らは、僕をモノとして認識し、勝手な意味を付加しはじめる。
 僕は泣いたり、泣かなかったりする。

 観鈴ちんにとって意味あるモノになれて嬉しかった。だから僕は泣かない。
 でも、僕はまだ、観鈴ちんをいい思い出なんてモノにはしたくないのさ。
 だから、空を目指したいさね。


1/7 おおきい おおきい@だいな☆あいらん

○ぴゅあが立ち読み
 カラフルピュアガールのコラムを立ち読んでみたらば、更科氏がKtF話で加野瀬氏がMGS2話。内容的にもタイミング的(昨年はこれあったし、大塚英志「定本・物語消費論」出てたし)にもオタ達が年末やってたであろう議論って感じでなんか微笑ましい気分に。
 KtFがアニメでも漫画でも小説でもなく「ゲーム」であったことの意味を視界に入れていないあたりは相変わらずなのだけれど、それはそれでイイのかもしれないと思い始める今日このごろ。
 『こういう時代の中にいる』自らを騙る言葉を見つけ、自分語りに入り込み始めてる(ように見える)更科氏というのも面白い。
 外から知った風に分析するということ、それしかできないということ、自分が内側にいた時代を、自分自身を語れるということ。
 存在しない「大きな物語」に焦がれる人達もそれはそれで物語で、そういう自分達をを語ろうというのも、それはそれで大きな物語の創造なのかもしれないな、とか。なんか書いてる事の体現チックでもあるし。
 共同幻想ならゲームも語れ。TRPGやPBMの幻想を語れ。門倉直人と宮川たけしにインタビューし、現出した楽園であるPSOに絶望しろ…っていうような自分語りの原稿(落した)のことも思い出させてくれたし。
 「そしてキミに会いにいく」のこととか、色々と刺激もされました。


1/11 家族計画くりあー

 取り敢えず掲示板で色々ほざいてます。
 これでこじまさんのつれづれも読めるぞ(笑)。

○Re-BORN
 IRCにてthen-dさんと遭遇したので、数日前に読み終えた秋葉凪樹のサークル「Re-BORN」のKANON・AIRクロスオーバー同人誌「Return to innocent sky. かなしみのないそらにかえる」についてちょこちょこと語り合ってみたり。<互いに「いいですな」と言い合っていただけのような気もしないでもないですが。
 なぜか「ときメモ」話になったりなんだりで、なかなか面白いチャットタイムだったので、後でログ読み返そうということで自分用にメモメモ。
 しかし、「Return to innocent sky.」はイイ。
 タイトルとなっている漫画の内容も、「物語」という概念の描き方もいいのだけれど、一冊の同人誌としてもバランスがよくて良い出来。
 笑かしてくれるし、泣かしてくれるし。真琴も名雪もあゆも観鈴ちんもかーいーし。
 新作の佐祐理さんと舞の本も買おっと^^
#ああ、裏表紙には「2000 final winter」と書いてあるけど、大人の事情で2001年SUMMERの本だから(笑)2001年の個人ランキングに入れてもいいんだなぁ。
#ちなみに、この本はまだ虎の穴とかで通販できる模様でし^^

○2001年ランキング
 掲示板へのレス考えながら個人ランキング選定中。
 とりあえず、エロゲだと「BSF」と「家族計画」。
 漫画は「Return to innocent sky.」(ぉ
 映画は…千と千尋くらいしか見てない気が。あ、ビバップも観た…んだった(#+_+) …ひょっとしてアニメしか見てない?
 ライトノベルはやっぱ「BLOODLINK」。あー、2chのライトノベル板の2001大賞投票期限も押し迫ってるなぁ。ライトノベル読みはチェキするいいねー

○AYA
 ライトノベルといえば、手塚一郎「AYA」(集英社スーパーダッシュ文庫)読了。
 カバーがどどーんと目の大きい美少女二人。黒髪長髪の美少女の方が無表情で剣持って、帯コピーが「わたしに、屈しなさい。」ときたもんだ。どういうピンポイント照準ですか? 私そういうのすげー好きよ?<アンタか…
 しかし内容は手塚節炸裂! 神と悪魔と夢!! 手塚だから案の定萌えはない! しかし今回はエロもない! なんてこった!?
 …ていうかライトになった小説版「ワードナの逆襲」現代版ですか?
 手塚一郎の復活は嬉しかったけど、正直、手塚節も話の内容もライトノベルっぽさも全部中途半端って感じかなぁ。想定読者層からずれてるせいもあるんだろうけど、ちと不満。ううむ。



1/17 他にやるべきことはたくさんあるのだけれど

○色々と触発されたのでKtFとか
 KtFのCDのライナーにおける「元長柾木のしゃべり場」を読んで思ったことというのは、ああ、KtFは中田さんの読み方でよかったのね、ということだったのだけれど、最近の中田さんのKtFへの言はなんかずれてるんじゃないかという気がする今日このごろ。

>KtFは「考えるな」と促す

 とか。KtF自体からなんらかの指向とかアジを読み取っちゃってるように読める文章はどうかと。
 KtFという「身も蓋も無いエロゲー」を描く事での元長氏の指向とかアジってならともかく、「身も蓋も無いエロゲー」がメッセージかなにかを内包しているかのような書き方はまずいんじゃなかろうか。

○身も蓋も無いエロゲー「KtF」
>これは、恋愛についてのロマンチックな物語である
>(美少女ゲーム?)業界を発見した時のセンス・オブ・ワンダーを詰め込んだのが、この物語であるともい得る。
>物語という形式を利用して美少女ゲームに愛を告白するという、ただそれだけのこと

 ところで、私はこの言でKtFというものが非常に腑に落ちた。
 ラブ。美少女ゲームを見た時のワンダーを表現するために美少女ゲームそのものを作ったというのは、非常に良く分かる話。
 言われてみれば、確かにKtFは美少女ゲームのセンス・オブ・ワンダーが詰まりまくっている。
#まぁ、そんな素直すぎる元長発言の読み方はどうよ、という気もするのだけれど。
 例えば擬似恋愛なんて謳いながらも(そもそも謳ってなんかいないかもしれないけれど)、作っている人間もプレイしている人間もそれが実際の恋愛なんてものとはかけ離れている事を大前提にしているのが美少女ゲームだと思うのだけれど、その実、美少女ゲームの様々なシステムにおいて模式化された恋愛というのが、実際の恋愛という概念を高度に模しているワンダー。
 様々なカタチで美少女ゲームが模式化する物語上の恋愛。それが、プレイヤーが美少女ゲームを介して行なう擬似恋愛の模になっているという面白さ。
 擬似では無い恋愛を模した物語上の恋愛が実際の恋愛の模であるならば、擬似恋愛の模であるはずのシステムは同時に恋愛の模ともなる。それは擬似恋愛が恋愛の模である事を考えれば当然のことなのだけれど、擬似恋愛は恋愛とは全く別個のものと考えた向きにとっては愉快な状況。

#これは少女漫画なんかにおいても、恋愛なんてものを図式化し、記号としての好きやその理由(実は捨て猫を可愛がるような優しい人だから好きになったとか)を描きお約束様式化していったのを経て、固まった様式という枠を如何に使うかということで洗練され、やがてメタ的視点で様式が俯瞰・利用され、少女漫画の中で恋愛という状況がそうした様式的理由に縛られる事への問い、様式自体への直接的な問いが物語内での恋愛への問いと重なったりと色々と面白い状況にも似ている。最近はガンガン系の漫画がRPG系幼年漫画?とでもいう様式において似たような変遷を行なっていて面白い。藤原ここあ「わたしの狼さん。」とか。
#…ところでエニックス・ガンガン系はいつのまにかいつぞやの電撃的角川お家騒動にも似たブレイド騒動を引き起こしている。どうなるんだろうか。2chの裏スレは祭的で楽しかったけれど、コンプ難民的なことが再び起こるのはヤだぞ…。コンプのときのお陰で杉村麦太のチェンピオン登場・連載に余計な感慨を抱けたりもするのだけれど(ヨヨヨ

 そんな、リアルではなくフェイクとして追求されたシステムが実は真にもっとも近い不思議をはじめとして、ゲームという曖昧な建前がもたらす、「行動」とか「選択」とか「視点移動」とかなんて概念。「萌え」。それ等が物語にもたらす効果やその利用法…等等、美少女ゲームに僕等が見たワンダーがKtFには積め込まれている。
 やっぱこれはラブっすよ。
 ああ、なんかもうちょっと調べたりなんだりしてちゃんと書くべきなのだろうけれど、面倒なのでこんなとこで寝る。
 しかしわしのこの文章、恋愛恋愛と連呼しててめたくそ頭悪いな。