雑記 、或いは喪われた雪の物語。

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3/10 : 再見

 職場で出会う人の顔ぶれが変わってきたり、
 相次いで、メールのやり取りなんかもしたことのある方のページが閉鎖していってる、今日この頃。
 春は、別れの季節。
 そんな別れがきっかけで、久しぶりにメールを出してみようと思う自分、
 こんなことがなかったら、そんなことしなくなっていた自分のことを、ふと思うわけです。

 かくれんぼ。
 隠れるているうち、気がついたら、たそがれ時が過ぎていて、鬼も、自分以外の隠れん坊も、誰もいなくなっていて。
 そんな、物語でよくあるシチュエーションのことが、なぜか、頭をよぎるわけです。

 KISAさんの日記にあった、WEBの人間関係の賞味期限のお話とか、本名さんの「ネットでのお別れ」問題とかを読み返して、自分の今後について、改めて考えるわけです。

 そして、

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3/11 : Kandi

 ぼくは、ここにいる。

 「ほしのこえ」を見て僕がなにかを感じたとするなら、それは、アニメとしての内容や表現技法への興味、この作品が世に出るまで、出てからの道すがらへの興味でもあるのだろうけれど(月姫なんかのインディーズゲームの展開ともリンクしていて非常に面白い)、結局は新海誠というひとの、「自分はここにいる」という、あけひろげな宣言の力強さ、それに対する嫉妬だったんじゃないかと思う。


 僕は少し前まで、メイルゲームのマスターという、オタク業界の最底辺に関わる文筆業をしていて、そこから出ていった野尻抱介や新条カズマ、ライアーソフトの面々のように、いつかは小説やビデオゲームを作りたい、それで食って生きたいと思って生きていたのだけれど、努力と根性が足りなくてチャンスを棒に振り、信用を失い、最後には底辺に留まる事すら出来なくなって、ドロップアウトした。
 ドロップアウトする前は、自分の書くもの、書く能力、書く未来というものたちに自信があって、「俺の書いたものを、俺の能力を見ろ、賞賛しろ」という傲慢な意思を持てていて、だからこんなWEBに自分自身というものを書き散らし、「俺はここにいる」と存在を誇示することができた。それは心地よいことだった。
 けれど、ドロップアウトに至る過程で自信が喪われていくと、自分という存在、その誇示は全くの逆の意味(能力のなさ、その開陳)となり、WEBにそんな自分を表現することは自己嫌悪と羞恥を覚える行為、賞賛ではなく同情と慰めを得るのが目的のような、情けなく、楽しくない行為のように思えてきて、僕は自分の存在を積極的に肯定することをできなくなっていった。
 それでもページが閉じられず、時折何かを書いていたのは、存在したいという意思だったのだと思う。
 ここへの存在は、はじめから苦痛であったわけではない。
 どうにかしてかつての自分に、自信を持てる自分になって、ここに、その先に見えていた場所にいたかった。
 ここから、ドロップアウトしたのと別のルートから、行きたいところへいきたいと思った。
 けれど結局、僕はここで頑張り続けることも出来なかった。
 かくして、プライベートな閉じたセカイで優しさや情に縋り、或いは誰でもない誰か、名無しさんとしていられるセカイに身を沈め、安心できるそこに僕は存在していた。
 僕の存在を認知していた人の日記からもリンクが消え、某氏となり、名無しとなった。
 なんかONEみたいな話。

 僕はここからいなくなる。

 そしてそれから、どこへ行くのだろう?
 自分の消滅を前にして、ここからいなくなった人や、いなくなることについて考えている人を目にして、ふとそんな疑問が生まれた。
 ある人は意味がなくなったから消えるのだといい、あるひとは往くのだと言った。
 じゃあ、僕は?
 ここにいる意味をなくしたわけでもなく、往くべき場所へシフトするわけでもない。
 ただ辛くなって、逃げるだけだ。
 情けない話。
 自信のない自分を見せる(見られる)のに耐えられないから消えるなんて理由はあまりにもバカクセエ。

 考える。

 そして今、僕はここにいる。


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3/12 : アスカ様がみてる

 というわけで、復帰宣言めいた更新をしてみたところ、「やっとわかったの、バカシンジ!」なんて声が横から飛んできた。
 ごめん、進歩ありません俺。
 でもまぁ、きっかけはともかく、帰ると決めた理由が絆とか誰かの想いとかそーゆーのでなくて、結局自分自身の問題だったというのは、ある意味進歩だったかもしれない。
 シンジが「ただ、もう一度会いたかったんだ…」と言って帰ってきたのは第弐拾話だったかしらん。
 会いたい弐拾話じゃなくて、ここにいていいんだな最終話でもなくて、逃げたくねえという第一話。
 逆に退化なのかもしれないが、まぁ、それはそれで。

○マリア様がみてる 一巻
 ごきげんよう。
 今野緒雪「マリア様がみてる」読了しましてよ。
 というわけで、雑感。
 とてもよい少女小説。本来の読者層には本当に面白いだろうなぁと思う。
 一方で、なんでこれがオタク男子にウケているのかさっぱりわからない。
 自分としては、読んでてつまらなくはなかったけれど、積極的にこの世界や物語を欲しようとは思えなかった。
 場違いなところにきてしまったような、そんな読後感。

>マリみては単なる神輿だな。愛じゃない。抽象化された現象を消費しているだけ。

 某所でこんなテキストを見たわけだけれど(経緯を無視してここだけ抜き出すと、そこにあった意味と全然違うものになるのを承知で引用しているのでリンクはなし)、今の???な状態で、マリみての同人オンリーイベント「薔薇と十字架」のネガティブな噂話を聞いたりしていると、実際、今の男子オタクのマリみてブームって、この一文であらわせられるんじゃなかろうか、とか邪推もしてしまい、なんだか、勝手に本来の読者層や作者に申し訳ない気分に(本当にマリみてを愛している男子の方々にも申し訳ない)。
 しかし、こちらの2003年03月12日の記述などを見るに、出版社側もそんな一過性の現象程度にしか考えていないようでもある。

「なんか、ファンに失神者が出たりしたサムライトルーパーのブームのときの、声優さんの発言を思い出すね」

 ブームの理由を聞かれて、単なる異常事態ですねとかなんとかいうやつですか。
 とりあえず、二巻以降も読んでみますけれど、俺は女子高ものなら、コバルトよりやっぱ電撃の微細回路少女師団の続きの方が積極的に読みたいなぁ。やっぱ男の子としてわ。

「挿絵が雪ちゃんの好きなエロ漫画家さんだしね」

 いや男の子ってそういうわけでは、ないわけでもないけど、そうではなく。

「でも、ほんとに出るのかな〜、その小説の続き」

 …出てくれないと泣きます。

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