雑記 、或いは喪われた雪駄の物語。
タイムカードを押したら18時間と表示が。
前日は仕事明けてから県外出張だったり、サービス残業だったり。次の日は一時間早い出社と一時間遅い退社だったり。
あ り え な い 。
わけでもないが、さすがに疲れたー
そんな月末を越えて。
○超過
同じく忙しい月末を送っていた某氏から、間に合わなかった、との報。
私が煽った6月30日〆切のTYPE-MOONのシナリオライター募集への応募。
残念。
でもそれなりの成果や思うところはあったようで。
煽ってよかった、と思えるような未来を楽しみに。
○伝
その人が二次創作を最後にすると言ったときの言葉が印象に残っている。
「ありがとう」と「いってきます」が込められた宣言。
一次作品への、その作者への敬意と謝意。
勿論、純粋にその人の紡いできたものが素敵な作品であったのが最大の理由なのだけれど、あのまっすぐな「ありがとう」が私に声をかけさせたのも事実だ。
かの人の二次創作はオリジナル要素が強いにも係わらず、明確に一次創作へのリスペクトが溢れていたのだけれど、ああいう「ありがとう」を素直に言えるひとだからなのだと納得。
受け取ったもの、伝わったものを糧に、新たな物語を紡いでいく。
そういう感情を、それを素直に表し行動に繋げていこうという姿勢が眩しく、そこに惹かれる。
進んでいく様を見ていたい。
応援くらいしかできないけれど、期待してます。ファイトっ、だよ。
○託
「十郎には、できなかったもので…」
「あのときのように…」
ふと、うしおととらを読み直す。
過去に出来なかったことの代わりに、今目の前にある過去と重なる情景に向かうことについて考える。
勝手に重ね合わされることは迷惑だろうか。そうでないとしても、本人ではない過去や他の何かへの感情を向け託すのは失礼なことだろうか。
クラナドでの渚に向けられた朋也や両親の感情を、勝手に様々なものを託す様を、私は不愉快に思ったし、AIRにおける観鈴のゴールはLaughCatさんも言っていたが、 >所詮、観鈴は『幸せな記憶』を手に入れるための駒にすぎない。 空の少女、神奈の身代わりとして勝手に押し付けられた運命であり、そこには作者なりの罪悪感が込められていたように思う。
AIR。
これの「ゲーム」を感じさせる要素の一つはPL不在の観鈴と晴子の物語であり、「さようなら」であるが、そこには物語の登場人物に自己を投影すること、ゲームキャラ、とりわけPCに自己を投影するということについての作者の罪悪感を感じる。作者やPLにいいように操られることを前提として作られたキャラクター。プレイヤーの意志を託され制限されたルールの中で過酷な生を送り、死に行く存在。彼らをPLから切り離し、仕組まれた彼らの物語を仕組みから切り離し、他の誰でもない彼らだけの物語にしたのは、彼らへの愛と、それゆえのゲームキャラとしての扱いへの罪悪感ではなかっただろうか。
託される存在として描かれる観鈴や渚がヒロインなのも、託すということへの麻枝氏のこだわりからではないだろうか。
…
……
できなかったこと。叶わなかったことについて考える。
自分も誰かにそれを託している。
クラナドが重い。