雑記 、或いは喪われた雪駄の物語。

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7/14(-) : 定期更新 15


 やらなくてもいい理由にすがるのはやめよう。
 やるべき理由にすがろう。>俺
 暑いからダメだとか、疲れてるから明日とか、そういうのはいくない。うん。

 クラナドを「僕らの物語」と言ったのは、あの時点では今の僕らじゃなくて、高校生のころの僕らって意味合いからであって、上辺底辺もその頃のことだったのだけれど。だけれども。
 三ヶ月早く出てくれてたらな、とか、麻枝さん日記出すの遅いよ、とか。
 そういう、僕を救ってくれなかったエヴァみたいな見方はとても厭なのだけれど。「ダメ人間=僕ら」の物語な風に思っているのも事実ではある。
 如何な外的要素があったとしても、最終的に選ぶのは自分自身であり、責も自分が負うものだというのは私にとっても信条のようなものなのだけれど。
 だから引っかかっているのは、誰かが誰かの代わりにそれを成すことじゃない。
 多分、誰かにしてあげられなかったことを、他の誰かにすることで代償行為としていることなんだろう。

 誰か(PC)が誰か(PL)の代わりにそれを成す。
 ゲームっていうのはそういうものだ。
 私がPL、PCというものに拘るのも多分そういうことで、ゲームって言うのを自分の物語と考えられるか、PCの物語と考えるか、或いはPLとPCの物語と考えるか。
 PL=PC論。
 それはプレイヤーがPCをどう捉えているかっていう問題と直結している。ゲームを自分の物語だとPCを単なるコマと考えるなら何も考えなくていい。自分と重ならず勝手に動くPCは悪だ。とても分かりやすい原右翼的ゲーム観。
 イースという作品はターニングポイントで、PCがコマであることを放棄し始めたごく初期のゲームである。
 あさりよしとお始め、一部ゲーム好きが猛反発したのは、アドルが自分じゃなく、イースが自分ではなくアドルの物語であったからだと思う。
 しかし一方、テレビゲーム文化論にもある通りで、ある種のプレイヤーはゲームに「友達」を求めている。だから自分の意志に関係なく存在してくれているPC、その物語というのはすごい魅力的だった。
 しかし一旦、そういう風にPCの人格を感じてしまうと、そういった友達をいいように操作する自分に対して一種の絶望や罪悪感が襲ってくる。
 自分というPLがいないと存在せず動くことも出来ないPC。別個でありたいのに中途半端に一体化してしまっているもどかしさ。しかし必要とされている安心感。
 麻枝氏はイ−ス好きだ。多分、PCに人格を見てしまった世代だと思う。
 だから「さようなら」というPCの解放だったのではないかと思う。
 PCにPLから解放されて欲しかった、解放されたPCを追って、主と従ではなく、対等の友達になれないかと。
(直後に解放されたPCの世界を垣間見せたGPMに何を思っただろうか)
 掲示板で麻枝作品のことを贋物と本物の対決、というように書いたのにもそういう考えがある。
 作品内でPCには届かない喪われた血縁(PLとPL)と擬似家族(PCとPL)を対決させてきたのがPLとPCの関係性の問題になって、そういうのが込められたお話を書いて。
 「さようなら」の後。
 クラナドは自分の現実そのものとゲームを、渚たちを対決させたんじゃないかと思う。お話の中に込めるのではなく、自分の人生とクラナドの対比による対決。それも、渚たちの勝利を願って。
 お話の中くらいハッピーエンドが見たいと言わせたのは、久弥さんの方だったけれど。
 しかしそれでPCに負けたとして、負けたPLはどうなるんだろうな、とか考える。
 なんにせよクラナド、終わらせないとな。気がつけば夏で、季節感もなにもあったもんじゃないけれど。
 しかしそれにしても。渚かあいいなぁ。らぶ。

 とかなんとか言ってるうちにクラナド、たきをんさん開始。…抜かれそう。
 うう。テスも落としたはいいけどまだ読めていないのです(T_T
 電波受信発信がんばってくださいっ
 わたしもがばるぞー

 あんぱんっ


○もう終わりにしようなだめ近況吐き出し
 相変わらずAirのムービーをずっと流している。
 ぼーっとフォルダから流しつつも結局、見るのはHIMAWARIとずっと探してたものとEasterの三つになってしまい、最終的には後者二つのいずれか、或いはAirから離れ(てもないんだけど)13'+E僞Nの無限リピートになってしまうのだけれど。
 でも今日は違う。違った。Abyss。
 魅入られたように、見続けてしまう。
 吐き気がして頭が痛くなるほど見続けても、それでもやめられない。
 果てにようやく気づいた。
 何かを掴もうと伸ばされる両手。
 あれ、CCさくらのOPだ。確か第三期。プラチナVer.。

 ちなみにずっと探してたものの烏はlainのOP。

 HIMAWARIは予告編含めて素晴らしい。随一。Air映画化を知ったとき勝手にプレ予告編として見直したのもこれ。
 泣き声と「大丈夫だから」の声。
  Air映画は公式ページの種々のコメントがいい。Airへの思い入れとか、同じファンとして時に共感。出来はわからないけれど。
  顔の見えない観鈴がリボンを結んでいる例のカットが美しかった。小林明美。
  観に行こう。
 ずっと探してたもの。あの曲に込められた歌い手の背景を知ってなおいい選曲だと思う。HIMAWARIは作中の台詞を声で流していたが、こちらは文字。佳乃の「あははっ、片思いだねぇ…」や「往人さんを見つけた日から始まった、あの夏休み…」といったHIMAWARIでは採用されなかった台詞が好きだ。特に後者は流れるときの画も相まって胸にくる。PS2版のパッケージ。背中合わせの二人。
 Easter。ダサかっこいい。センスいい。今まで目にした全Airムービーの中で一番好き。美凪を背にしてのみちる。画面からはみ出すほどのドアップが流れるとこがとてつもなくいい。無限リピート。
 13'+E僞N。愛情という意味ではこれほどのものもあるまい。大好きだよ。挿入詩。
 Abyss。棺。フィルター。伸ばされる手。

 各種書き起こしな浴衣姿の観鈴やコート姿で晴子と微笑む観鈴を見ていると、なんとも言えない気分になる。
 Skyのフリートークで『真琴も観鈴も「かえってこない」と思って、いつも漫画を書いている』と言っていた衣澄れいのKey二次創作を読んだときと似たような気持ち。
 一部のFateの同人作品を読んでいるときも、似たような気持ちになる。
 あの数日間の中に納めるには多分無理のある幸せな風景に。

 伊奈さんを誘って街に出たら、彼の知り合いの女の子に出くわした。
 「今、月姫やってるんですよ」
 会話の中で冬の観鈴、或いは夏の真琴を勝手に見てしまった自分に気づいて言葉を失う。
 どうしようもなくダメ人間。

 僕は泣かない。
 喪ったのはそこにあったものというよりも可能性であって。得たのは喪失ではなく後悔だから。
 でもふと、なにげなく言葉が浮かんで。それをかける相手がもういないことが悲しかった。淋しいと思った。

 届かないもの。見れなかった景色。叶わなかったこと。
 言うべきだったこと。言うべきでなかったこと。
 もう、何もかも間に合わない。
 そんなものに想いを馳せる勝手。

 目下、一番心を焦がしているのは、
 某氏のサイトが今も続いていたならリリカルなのはTVアニメ化に日記でどう反応されていたのだろうか、というあたり。

「そこなのかよ」

 私はやはり声の変更とか、残念です。










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