君等の批評は手を抜いている。 君等には批評は荷が重い。 出向いていったMoonlit Lounge 掲示板で源内さんに一纏めで説教される。 「上っ面しか見ないでクリエイター批判までするのは軽率で僭越だ」 いちいちいってる事が尤もなのでへこむ。 うぐぅ。 感想と批判の違いについてちょっと考える。 自分の個人的感情やポリシーで製作者を批判するくらいなら、それより良いものを自分で作って見せればいい。 「俺ならこうする」って。 感情の共有という快楽を得る為に自身の感情を書き散らし、それを他人に伝える。 他人の考え、意見という自分に無い情報を知りたい。 自分が続きを知りたい作品が打ち切りにならないように、それが売れてくれるように願って作品の紹介をする…。 本のレビューをする理由は分かっている。 「ONE〜輝く季節へ〜」に拘る理由はなんだろう? すでに売れた作品で、スタッフも高い評価を市場とユーザーから受け、続きだってほぼ確実に見る事が出来るだろう。 じゃぁ、なんで拘る? 伝えたいから。 あの作品の奇蹟を。 あれはビジュアルノベルなんかじゃない。 サウンドノベルでもない。 ゲームでもない。 「ゲーム機で見る映画」でもない。 それらに似て非なる何かで、一見似ているYU-NOやクロノアやAZELとも違っていて プレイヤーを得て初めて完成する物語だった。 小説でも映画でも演劇でも漫画でもRPGでもノベルゲームでもやるドラでもない、全く新しい物語の表現装置だったんだ、「ONE〜輝く季節へ〜」は。 それは本当に凄い事で。凄い可能性があることで。 ただのゲームとして流してしまってはいけないと思ったから、だけど現実には多くの人の心からは流れていってしまっていて。 この新しい表現を突発事故と埋もれさせず、後に続けて欲しい。 自分にはその方法が見えてこないから、他の誰かに。 そのためには気づいてもらわなくちゃいけない。この作品の奇蹟に。 …そういうことか。なんて他力本願なワタクシ。
全日空61便の犯人の供述に「警備の不備を警告する文書を送ったが、改善されなかったので、それを実際の行動で示してやった」というようなものがあったらしい。 多数の人間の命を危険にさらし、実際に人一人を殺してしまったこのやり方を正しいとは言わないが、犯人に共感めいたものは感じてしまった。 というか、そんな書類を送られて何の対処もしなかった運輸省や全日空って馬鹿なんじゃないかと思う。 例の東芝の騒ぎのときもそうだったが、企業や政府のお偉いさんというのはユーザー、現場の声をハナからまともに聞く気が無いのだろうか。 犯人が不備を実際に突いて犯行をしてみせた今回の警告では、流石に聞く耳を持たざるを得ずに改善したというが、それが本当ならば、死んだパイロットや予定を狂わされた乗客には同情するが、今回のハイジャックはひょっとしたら、将来起こるかもしれなかった、もっと大きな惨事を未然に防いだのかもしれないな。 殺人を犯さなかったらば、左翼系の人達辺りに英雄視されてたかもだ。 少なくとも犯人は自分を英雄視していて罪の意識はあんまり無いんじゃないかと思う。もしそうだったら被害者や殺されたパイロットの遺族は腹ただしく、弁護士は弁護しづらかろう。 というわけで犯人に罪の意識を感じさせる方法というモノを思い付いたが、結構シャレになっていないかもなぁ… 現場を認識していないシビリアンコントロールのトップ連中が喉元過ぎて熱さ忘れて数年後、いや数週間後に警備隊性を元に戻す。結果、同様の手口でハイジャックが再発する。犯人は自分のしたことの意味、アイデンティティを喪失して残った殺人という罪の意識に苛まれる。 …いや、トップ連中のアホさ加減に大笑いしてしまうか。 どうでもいいが、報道されている「犯人は飛行機マニアでハイジャックはストーカー的、或いはバーチャルリアリティ的犯罪」、ていう言葉の意味が根本的におかしいんじゃないかと思える表現はわけが分からない。あれは単純に自分を認めなかった航空業界や運輸省へのルサンチマンだろうに。 スケールは小さいが、これって映画「パトレイバー2」の柘植の犯罪やドラマ「タブロイド」と根本的に一緒だよなー、とふと思ったり。 フィクションの世界ではそんなに珍しくも無い題材だけど、現実に起こるとやっぱ大事件だな、こういうのは。 結果までフィクションと一緒で、「それでも世界(運輸省)は変わらない」なんてことにならないことを願う。 そういえば、東芝はあれからどこか変わったのだろうか? 皆に何かを気づかせて世界を変えようなんて根本的に無理なのかもしれない。 けど、それでも私は書き続ける。 それよりいい方法を知らないから。 …と、タブロイドのラストで常磐貴子が言ったような言葉を思いながら、今日もONEについてつらつらと書いてます。
ようやく「鈴がうたう日」と「Kanon」の比較考をアップ。 なんかONEやムーンも絡んでますが、基本的にKanonのお話になっています。 本当はシステム系統についてもっと長々と書いてるんだけど、今回はぶった切ってシナリオ面の方だけ。 本当はゲームのシナリオについてはあんまり書きたくないんですけどね。 面白い物語が欲しいなら小説読めばいいし、映画見ればいいと思うわけで。 比較的自由に自分のやりたい映画が作れる、変わった映画が見られるメディアとしての側面がゲームソフトにはあると思うんだけれど、Keyスタッフには僕はそれを求めていない。 じゃあなんだ、彼らには純粋に「ゲーム」を求めているのか? と聞かれたらそれもNO。 純粋なゲームの駆け引きが楽しみたいならチェスでも将棋でもやればいいし、頭の体操がしたいならパズル雑誌を買うもの。 いわゆるストーリー付きのビデオゲームっていうメディアにはTRPGと同じように、或いはそれ以上に新しく、可能性を秘めた物語表現としての面があって、ONEはそれを如実に表していたんだよね。 その表現としての続きが見たいわけで、僕は感動的で面白い物語を彼らに求めているわけではないんで。 ただ、彼らの作る物語もまた興味深く、放っておけないのが性質悪いんです(笑)。 ところで今回の鈴とKanonの比較論考、Keyの掲示板から源内さんを追いかけて行ったMoonlit Lounge 掲示板でのやり取りとかが多分に影響しているんですが、今回の源内さんのこの掲示板への誘い方ってかなり巧妙だよなーとかふと思ったり。 同系統の議論をしている掲示板にふらっと立ち寄って、そこで議論されているよりもっとハイレベルな議論してるところがあるよ〜と挑発。 行ってみると実際にそうで、自尊心や向上心を刺激された人間はそこでの議論に参加を始める。 そしたら今度は、挑発に乗ってきた人間の度量他を篩にかけるような発言。 ううむ、これって勧誘関係、特にヘッドハンティングのテクニックなんじゃなかろうか…とか。 なんか、本当に得る事が多いなぁ、今回は。 で、今回源内さんのサイトに掲示板モラル系のリンク集が追加されていてためになるわけだが、併せてこんなのも読んでおいたらどうかと思うんで、つられてリンクしておきます。雪駄なんかは時々「自己完結型」になっちゃいますね、気をつけましょうとか。 #PUREGIRL系統のライターさんのサイトにはコラムの再収録多いですね
東野圭吾「秘密」(文芸春秋・定価1905円)読了。 平助は何時ものようにテレビのニュースを自分とは無関係の出来事として眺めていた。 しかし、その日のニュースは彼と無関係ではなかった。 ニュースキャスターは、葬式に出る為に出かけていた彼の妻と娘が乗っていたバスが転落事故に遭った事を告げていたのだ。 病院に駆けつけた平助は妻の死に目を看取ることとなり、残された娘もまた植物状態で、まず目を開ける事はないと医師に宣告される。 泣き濡れる平助。 だが、そんな彼の前で娘は目覚める。 死んだ妻の人格を持って。 妻と自分しか知らない思い出を話し、妻のようにそれを語り掛けてくる娘に平助は困惑しつつも、彼女が妻の人格を持っていることを受入れ、二人はその秘密を抱えたまま生きていく事になる。 平助の前では妻として。それ以外の人間の前では娘として生きていく彼女は、果たして一体誰なのだろう。 夫婦の間には変わらぬ愛情がある。 「しようか? 手とか口ででも」 だがそれは実の娘の口から出る申し出だ。平助は受け入れる事は出来ない(そりゃそうだ)。 悶々とする中、別の女性に惹かれたりもするが、結局、妻を思って自分の恋は封印する。 対する彼女は平助の前では妻だが、学校では年相応の少女としての新しい人生も生きている。 言い寄って来る男もいるのではないか。 平助は彼女に強い愛情を感じる一方、理不尽さや嫉妬、疑惑、不安といった感情もまた持つようになる。 やがてそれはエスカレートして彼女の電話の盗聴すらさせ、イヴにデートを申込み、行かないといった彼女とずっと待っていると言い切った男の電話を聞くことになってしまう。 結局イヴの日、彼女はデートに出かけ、平助はこっそりと現場に出向いて彼女を強引に連れ帰るのだが、彼女は平助の妻としてきっぱりと交際を断りにいっていただけだというオチがつく。 盗聴すら行っていた平助にショックを受け部屋に閉じこもる彼女と、彼女を傷つけてしまったことに傷つき、では他にどうすればよかったのかを悩み続ける平助。 目覚めるはずが無かった娘が、死んでしまった筈の妻が目の前に立っているという「奇蹟」が二人を縛ってしまっている。 互いを想い合っているからこそ、二人は共に不幸だった。 やがて平助が彼女を解放しようと決心し、妻ではなく娘の名で彼女を呼んだとき、それが引き金であったように本物の娘の意識が目覚め始める。 一つの身体に同居する妻と娘。 数年ぶりに、どこか奇妙だが家族3人の生活が始まる。 それは妻との別れの始まりであり、そして娘との再会の始まりであった―― この後の最期のオチが切ない。 あゆシナリオを再プレイ中だったりしたものだから、なんというか、Kanonを美少女ゲームじゃなく、小説として書けばこういう話になるよなー、なんて思ったり、近親相姦モノとしてパクるエロ作家が(メディア問わず)いそうだなー、泣かせる要素もついて一石二鳥だもんなー、なんて思ったり。 しかし東野圭吾を読んでもエロゲーに思考がいってしまうあたり、かなり自分が嫌だ。 えーと、相変わらず読みやすく丁寧な文章には好感です。 |
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