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《雑記帳8月》

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8月23日 機械仕掛けの神(大昔の演劇で多用された、収集の付かなくなった物語を無理矢理終わらせる存在のこと)

 数年前から積読していた五代ゆう「機械じかけの神々」を種々影響で読みはじめる。
 五代ゆうっていえば私にとってパンツァードラグーンのSS書きの偉い人の一人で自分ではファンのつもりだったのだが、良く考えてみたら商業単行本は買っていても読んでいないことに気づいて愕然としたり。
 まぁ、とにかく本編の一ページ目に目を通してみる…、とと、こ、これは…
轟沈。

 この世でいちばん大きな、ただひとつの勇気
 それは世界をありのままに見ること
 そして、それを愛すること

 よ、良すぎる…
 平仮名と感じのバランスといい、改行といい、勇気に対する「大きな」という形容といい…
 むっちゃツボだ。
 始めの数ページで既に読み進めるのが勿体無いなくなり、大事に読む事を決意。
 一気に読みたくなる作品はたくさんあるけど、大事に読もうって言う気分になるのは久しぶり。こういうツボのハマり方はアン・マキャフリィの「歌う船」以来かも。
 というわけで、20ページ程読んで一旦封印する。いや、描写的におかしいんじゃないかっていうのが見つかって気になっちゃったせいもあるんだけど。

 法王は地方の大地主や、古い家柄の貴族に強い支配を受けている。

 これって文脈的に大地主や古い家柄の貴族は法王派っていう意味だと思うんだけど…、なんかおかしくないだろうか。「支持」の誤字かな? とも思ったけれど、支持を受けるっていうのもなんか妙な言い回しな気がするし、ちょっと良く分からない。それともあれで正しい表現なのかな? どなたか日本語に詳しい方、教えて下さいまし。

 代わりに…と読みはじめた野尻抱介「私と月につきあって」は一気に読みたくなる作品だったので、本日読了。
 クレギオンシリーズではシリアスな描写が目立つ為か、ラストの奇蹟が予定調和、御都合主義に見えるってな批判も聞こえてきて、まぁ肯けなくもないんだけど、ロケットガールの方はキャラクター描写なんかがコミカルタッチなせいか、クレギより奇蹟が多いけどそういう批判って逆に聞こえてこないのが面白い。
 奇蹟といえば、作者の後書き「奇蹟が物理的に可能である事をどうぞ憶えておいて下さい」にSF作家の誇りと浪漫を感じる(取り敢えず皮肉は感じないでおく)。
 毎度のことながら、技術考証なんかについて本人のページの掲示板で実際の技術者やSF者からツッコミが入ってくるのは見ていて面白い。
 そういえばよく比較して語られる笹本祐一「星のパイロット」はあれよあれよと星雲賞受賞でドラマCD化までされてしまった。私は一巻があまり面白く感じられなかったんで続きを読んでなかったけど、続編はなんか1巻とフィーリングが違うらしいので、後でそっちも買って読み比べてみようかなぁ。

8月24日 でも、あなたを見ているほうはさびしくなるわ…

 Kanon真琴シナリオをやって泣けてくるっていうのは、というか、自分に起こった事でない全ての物事においてそれを知って「哀しくなって」泣けてくるのは、全て思い込みや想像がもたらす同情が理由だ。

 同情という言葉を示す分かりやすい「気持ちが痛いほど分かるよ」という言葉は、いかなる場合においても真実とはなり得ない。全て嘘だ。だが、嘘だから悪い事かというとそんな事はない。嘘も方便。同情がありがたいときだってある。例えば寂しいとき。当然、うっとおしいときだってあるが。

 同情は是が非か?
 その問題に、何時いかなる場合でも通用するたった一つの答えを探すのはナンセンスだ。
 その状況毎に一般論としてそれを論じてみればその状況毎に一般論としての答えは出るだろうが、あらゆる状況に通用する答えはないし、周囲の状況を無視して自分の行動を押し通すための答え等、迷惑以外の何者でもない。

 どうも一部のKanonの考察をしている人間を見ていると、キャラクター達に同情することで感動して泣いてしまったのを悪と考え、その後ろめたさから逃れる為に同情以外の感動の理由を探そうと躍起になっているように思える。
 キャラクターたちの問題を必死に自分自身、或いは人類全体の問題に置き換えでもして、同情したのではなく自分の問題だったから泣けたのだ、と、自分の考え(同情=悪、自分は同情なんかしない善人)を正当化するために必死なのではないか、と。

 いや、ちょっと前の自分の書いた掲示板とかの文章を考察して、そう読めるなぁとか思ったんですが。

ちなみに雪駄は物語で同情することは悪だなどと考えていない。むしろ同情という心の働きは人間の愛すべき特性だと考える。利点も弊害も含めて。それによってもたらされる行動は多くの場合、滑稽で無意味なものだし場合によっては害にしか働かないものだ。けれど同情は対象を他者を想うがゆえに発生してしまうものだ。雪駄にはその一点がいとおしく、哀しく、美しく感じられる。他人事であるうちはね。あ、相手が可愛い女の子の場合ならば自分の事でも可。善人じゃないのは自覚してます、はい。勿論、それに開き直るつもりも無いですが。私は「対象は選んで」ですが、誰かにとっていい人でありたいとは思っています。思うと行うは大違いで失敗ばかりですが。


以下、他の日記への反応ぎみ雑文。

みさき先輩の思考と行動の乖離と剥離…おおう、恥ずかしいよう。修正

ところでKanonについて書き散らした考察系の駄文は4thが一応最終的な見解で5thはオマケ。あれは新解釈ってわけじゃなくて裏4thのつもり。Kanon全体を貫くメッセージとしてのココロ問題の系統は無視してるわけでもついていけないわけでもなくて、やる意味を見出せないからやらないんだって事を示しとこうかと思って。完全に蛇足ですが。
引き合いに出しているのが漫画やゲームの文章って時点でフザケてますな、前半部分の考察っぽいアレは。後半書く為の材料だけど、ある意味ちゃかしでもあるし。
しかし、来た反応がメインのつもりで書いた後半のフォントがでかくなったあたりのKanonとその考察運動への「感想」へのモノだったんで一安心してます。良かった良かった、意図は伝わってるって。

個人的には真琴シナリオは伏線の回収もあったし、全部シーンの要素になってたと個人的には思うんですよ。あそこだけは鮮烈。まぁ、全体としてはともかく。
 私は逆にKanonは「ここぞ」っていうところは凄く良く描けてると思います。言葉のリフレインでの強調なんかもそうだし、何より今回はイベントグラフィックが非常に強力。
 そこへの持って行き方がちょっと弱いので、単体としてみたら凄く奇麗で良く出来てるシーンなんだけど、入り込めずに白けてしまうというか。
 そこら辺は立ちグラフィックのバリエーションが今回はシルエットとして見える「動き」じゃなくて、「表情」っていう、プレイヤーが文字を追ってたら見え難いものをだったっていうのがその原因の一つかも。メインの日常担当者が日常専門家(笑)の麻枝さんじゃなかった、ていうのに拍車をかけてる気がします。
 ところで終末の過ごし方の感想、読みました。反応をMoonlit Lounge掲示板の方にアップしてます。

8月26日 戦い甲斐のある話

ここら辺で書いてある事を受けたり、昨日の同情云々の話を書いていて、意志の疎通の問題について考えているうちにこんなもの↓を思い付く。

Subject:チョット厳しいようですが
Name:雪駄 Home:S.MA.P. 99/8/25 13:39:47
○○さんは、意見としてかなり良いものをもっている人だと思います。


でも同じくらい良いものもってて、「いつか誰かに分かってもらえる」って根拠無く考えてて、そのくせ何をするわけでもなく、結果、誰にも何も伝えられずに人生終わる人もゴロゴロしてるでしょうね。
日本の漫画、アニメ、ゲーム評論サイトは質・量ともに世界一ですから、その分色々な意見がひしめいています。寝っ転がってて見つけて貰えるわけ有りませんね。

厳しい事を書いてるようですがコレは冷静に考えてハッタリ無しの事実だと思います。

それでも「うーんいえない〜。どうもダメだ〜。」とおっしゃるのならどうぞご自由に。
世間はお構いなしに廻り続け、新しい意見はどんどんあなたを追い越し、先達たちは更に遠くへ進んでいきます。誰も振り向きません、マヂで。

その事実に唯一対抗できるのは叫ぶことだけでしょう。
更にいえばそれさえ報われるとは限りません。
戦い甲斐のある話だのう。

オイラは人にガンバレっていうのは大嫌いなので、言いません。
自分の人生は自分で切り開いていって下さい。

ってゆーか、こうしている間にも源内さんは一日何枚ものゲーム考察文を描き散らしているのだぞ(泣)。エッ?オイ!どうすんだチクショー(号泣)。


 言葉は意志の疎通を100%できるツールではないし、分かり合えるまで話し合おうとしても多くの場合、それは報われない疲れるだけの行為だ。でもそれが無意味でないと信じたいからこそ、こういう形ででも自分の意見を書き続け、公開しているんだよなぁ、とかしみじみ考える。
 ちなみに上のBBS書き込み風の部分はパロディで、原典はこれ
 このトライガン作者言葉は数年前からプリントアウトして机に貼っている、雪駄の座右の銘だったりする。
 どこのBBSだったか憶えてなかったですが、検索かけたら転載してるページが出てきたのでそこにリンク。ていうか、元々このページで知ったんじゃんよワシ。


以下、他の日記への反応気味雑文

多分、私の考えと私の文章を読んだ方のその捉え方にはかなりの開きがあると思います。でも、後半を前半の照れ隠しでなく、意見として読んでいただけたという、その一点で取り敢えずは自分のつたない文章力に一安心と、そういうわけです。上の雑記で私が伝わって安心したというのは、そういうことです。
 今回更に、精神病云々についても、シチュエーションについても、そういう私の視点が分かっていただけたようなので、個人的には万々歳です。自分の書いた考察系の文章は、視点さえ分かって貰えればそれでいいというのが私の考えですので。
 視点さえ分かり合えば、違う感じ方の相手でも話は通じると思うので。
 同じ視点に立った後、答えの出ないあーだこーだという話をするのも楽しいですが、個人的にはそれは余興だと考えています。

3人ていうことは…ここら辺の方々でしょうか?
 ともあれ、ゲーム論をやるならクロノアとかFFへのスタンスは、はっきりさせないといけませんよね。
 クロノアのゲーム、物語、背景世界の全てが高度に融合・調和しているという意見には賛成です。でもクロノアという表現は、必ずしもゲームである必要性は無い。ゲームでなければ出来ない表現かというと、そうじゃないと思うのです。また、アクション「ゲーム」部分の自キャラの1UPや死亡、コンティニュー、なによりクリア後のエキストラステージが物語と乖離してるように感じるのがどうも引っ掛かってONEやYU-NOとは同列に置きたくないのでしょう。こじつけられることはこじつけられるんですが、どうも引っ掛かる。
 成功した「ゲーム映画」っていうのは、「ゲーム」部分が物語上は必要ではないけれど、一応ちゃんと演出・要素になっていていることを第一条件、第二条件として「ゲーム」部分がプレイヤーを物語から乖離させていない事を持って判断しています。
 FFは戦闘シーンもミニゲームもちゃんと物語・世界観の要素になっていますから、物語と融合はしていなくても物語からプレイヤーを積極的に引き離すことは無いですから、成功していると見ています。
「同級生」なんかの、ゲームとしての物語と関連性の無い作業部分がプレイヤーを物語からどんどん引き離し、独立した作業とその報酬としての物語という構造になっているもの、プレイヤーの物語への感情移入を阻害する内容のゲームをクリアして、独立したムービーを見ることが主体の作品は「ゲーム映画」としては失敗と見ています。

8月27日 僕は永遠なんていらない

 想いを信じて。願いは叶うと…。

 信じた、願った、書き込んだぁぁ!!(?) そして、そしてついにぃぃ!

V.F.E.Verse For EVANGELION
大復活ですよぅ!!

 サクやあしゅかをまた読めるんですよぅ!!
 ララァ、僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しい事はない…、ってカンジだよ。
 さぁ、みんなも今すぐレッツラゴーしてたきをんさんの健在な日記ぶり(謎)を見てこよう! そうすればララァも喜ぶ。つーことでGO! だっゼ!!(サンライズ系アニメ馬鹿)

ところで、フラグを立てながら物語を作っていくんじゃなくて、始めにタクティクスオウガのスタート時のような、答える内容で問題の傾向が分岐していく形で100問くらいの性格・状況判断を行い、それで全てのフラグを立て、それにそった一本道のシナリオの小説なりムービーなりが展開していく作品ってどう思います?
 いや、cgi使う性格判断とか見てて、あれで出てくる結果が、それで導き出された性格の人間が主人公の小説だったら面白いかな、と思ったんですが。
 判断に具体的な行動選択肢を加えて、その通りに行動するとか…例えば、「貴方は泳げないとして溺れた子供を助けるか」YES/NO という設問にYESと答えてると、出てくる小説が同様のシチュエーションで溺れ死んで終わってる、とか。或いは状況を無視して、「その場合は違うだろ」ってプレイヤーが思う場面で選択した主義主張通りに行動するとか…右の頬を打たれたら殴りかえすと選択していて、出てくる小説で子供にふざけてぶたれたのを殴りかえして子供を殺しているとか…。
 もうありますかね、こういうの。
 無かったらどなたかcgiで遊んでる方、作ってみません?
 例によって、既にあるとか、面白そうだから作るっていう方、おりましたらアドレス教えて下さい。遊びに行きますので(笑)。

 DNMLとか、ビジュアルノベルで作ったらどうかとも思うんだけどね。流石に途中でも選択肢は出るんだけど、それは始めの性格・状況判断で導き出せないような左右の道を選ぶとかいうそういう分岐で。でも結局、始めの性格判断の方がストーリーの最終局面での選択を行うってカンジで。恋愛ものやったらプレイヤーが厭な気分になるだろうけれど、ホラーものやるんならプレイヤーのドキドキ感を煽って(そっちへ行くなー!っての)、結構いいシステムなんじゃないかと思うんだけど。
 …んー、これ、まだ出てない企画だったら、企画書か構造図に起こしてフリーのシステムアイディア文書(?)ってことでネットとかに流したいかもだ。冬コミのゲーム論の用例にもどうでしょうね? 面白いと思えれば、ですが。
 ところで、こういう話は公開して行う事に結構意義があると思うんですけど、やっぱり本を出すという事になると、クローズにする部分とか必要になってきますかね?

 あと、「著作権フリー」で出す意義を、本の冒頭で中村光一が「サウンドノベル」というジャンルの版権を取らなかった話や、コーエー(光栄)が「SLG」という版権を取得した理由(変な会社に悪用され、SLGの発展が阻害される事がないようにするため)あたりを引き合いに出して明確にしておいてはどうかと思います。


他の日記への反応

 ええと、それは分かっているつもりです。なにより、あの文章で伝えたいことを全部書けたとも思っていないですし…
 とりあえず、今回の一連の私の日記反応は、私は「読んでくれないのだろう」という人間ではなく、フェイさんの意見を読んでいたし、また、何か言われたら聞く耳を持っている人間のつもりだという事を主張したかった というのが、結局一番の目的でした。喩え主義主張が違っていたとしても、分かり合えない事を分かり合える相手だと示したかったのです(酷い日本語…)。今思うと、反応がガキでしたが(反省)。
 ところで「悪霊シリーズ」、ひょっとして悪霊の存在の理由が霊自身の死の否定と他者(生者)の追認で、除霊方法が霊や追認者との交渉による存在否定だったりします…? いや、話の流れ的にそんな感じかと推測したんですが。そのうち買って読んで見ようとは思いますが。

 あ、私だけ外様ですか(^^;;
 クロノアについてはゲームでなければ表現不可能な物語(ONE・YU-NO)と、ゲームだから100%魅力を引き出せた物語(クロノア)っていうカンジで反論しようと思ったけれど、ONEもYU-NOも別媒体で表現できない事はないと気づいてやめました。というか、分けるのは考えてみれば無意味ですね。むーん。違和感は割合で区別すればいいというのに大納得しました。
 母体がストーリーかゲームかは、アクションRPGとかになってくると製作者に尋きでもしなければ(尋いても)多分、判別不可能だとは思うし、ジャンルとして「これはゲーム映画、こっちはゲーム」って区分けしてしまうのではなく、ゲームとしてはアレだが、ゲーム映画としてみるとFFはホニャララとか、物差しの一つぐらいに見た方がいいのかな、とか思ったり。
 ゲームとしての評価、ゲーム映画としての評価があって、さらにそこでゲームである意義があり、ゲームにしかない演出特性(プレイヤーとのシンクロとか)があったならば、ゲームや映画を突破したとみなす、という感じで。むー、煮詰めんと…
 ONEはゲームとして30点、映画として95点、ゲームと映画の融合度100%、プレイヤーシンクロ率95%…(これらの項目や点数はでっち上げです)てな具合にしてレーダーチャートで表すような感じで表現すると分かりいいかも? …YU-NOやONEがばらついてる中でクロノアが全ての項目パーフェクトっていうのが…素敵かも。タクティクスオウガとか、どういうチャートになるか結構面白そう。

 映画の定義問題は…、いつぞやの中古販売訴訟のときに出てきた法的定義が頭をふらっとちらついて一本道か分岐かで単純に分けようかとも思ったけれど(ヲイ)、前述のように物差しの一つとするなら、定義はそのゲームがストーリーを語っているか否かだけで問題無い気がします。

 取り敢えず削る前の山は大きい方がいいと思うので、思った事を描き散らしていきますね。…しかし、外様で意見出ししてるだけって凄くいい身分かもだ(^^;;
 
8月31日 夏の終わりに

 たまには時事ネタなど。
 槙原敬之、麻薬所持・使用が発覚。それが原因で彼のCDは回収。
 いつも思うけど、人格と作品は関係ないと思うんだけどなぁ。
 私は「どうしようもない僕に天使が舞い下りてきた」の2番の歌詞が絵的に奇麗で好き。空き地で対峙する男女。お辞儀をして、目覚しを放り投げ、微笑む彼女。
 実際にあったら物凄く変かもしれないが、あの詩の運びは非常に奇麗だと思う。回収されちゃうのかぁ…

 奇麗といえば、いたちんさんがC.F.F. Side Story Lineの方に投稿された「Kanon」の二次創作小説「海へ行こう」が非常に奇麗な文章で、内容も夏の終わりに相応しく、読んでて幸せな気分になれました。理想的な名雪シナリオ後日談ですね。溜め息出ちゃいます。
 C.F.F.は相変わらずレベル高いですね。はぅー。

 最近、Kanonを媒介にして唯心論、共同幻想、共有幻想みたいな事への話が盛り上がりつつある(気がする)。
 物凄く身近で実感しやすい事のせいか、私はこの傾向の話や物語が大好きだったりする。
 古い作品になるけど、栗本薫の「仮面舞踏会―伊集院大介の帰還―」とか。この作品は仮想現実社会としてのネットを結構上手く描き出していたと思う。描写じゃなく、本質を(かなりロマンチックな描き方だったけれど)。
 最近だと、週刊文春1999年8月26日号の「東芝に謝罪させた男は名うての『苦情屋(クレーマー)』だった!」という見出しや、これまでの彼や東芝への、ネット上でページを開いていた人達の反応と、これからの反応の違いとか。自分自身の東芝への印象の変化も含めて。
 しかし「もう東芝の製品は買わない!」とかいってた人が文春の記事に無反応だとかいうのはかなり面白い。その人の情報の得かた、或いはどういう情報ソースを信じるか、信じないかとかいったものがこういうので少し浮かび上がってくる。
 「ネット上で東芝へ抗議活動を行った人間が多数の人間を動かして東芝に謝罪させた」という事象を見てコメントしていた人が無反応なのはともかく、アジに乗せられてしまったカタチの人達が無反応なのは、非常に面白い事なのである。
 勿論、反応があるのもまた、面白いんだけど。
 ちなみに私はみやむーAV出演疑惑問題のときに思いっきり取り乱していたので、その頃の私を見てた人にはすげえ面白かったんだろうなぁ。納期の迫った仕事を投げ出してネットで情報漁ってたくらいだものねぇ…
 あの件では自分自身について色々な事が分かって楽しかったです。
 CD買ってたし、ファンクラブにも入っていたけれど、まさかそんな報道でショックを受けるほど声優にハマっていたとは自分で分かっていなかったし、もしあの時自分の恋人に風俗嬢だと告白されていたら同様のショックを受けて、そのまま破局したんだろうなぁとか、どっかの野球選手の苦悩ってこういう感じか――とか、マスコミ等を憎む人間の気持ちってこういう感じか――とか、理性と感情の離れ具合の再確認とか。
 そういう事が分かる原因としては非常に情けないけれど、シリアスな状況になって初めて気づくよりはよっぽどマシだったし、凄くいい経験だったと思います。
 だから雪駄は宮村優子という存在には本当に感謝しているんですよね。もうCD買ってないけど、今でも彼女のファンのつもりです。もうねー、写真じゃなく実物見ると無茶苦茶可愛いのよ彼女。気さくな方だし(多分)、結婚生活も仕事も、本当、上手くいくといいなと思います。皆も日曜に早起きしたらゴーゴーファイブ見れ。
 いやしかし、彼女に札幌の上手いラーメン屋を教え、ありがとうと微笑まれたときのときめきは、多分、生涯忘れないんじゃないかと今の時点では思っていますね。
 …て、なんで宮村優子の話やねん。
 ええと、そうそう、「現実」系統の話だった。
 雪駄は「現実」とはなんぞや、てな事について語っている作品が好きです。
 勿論、ネットという、目に見えやすい幻の社会である“ここ”という「現実」や、そこにいる自分、リアルスペースやそこにいる自分自身という「現実」が一番面白いんですが、皆が生きている自分の知らない「現実」っていうのにも興味があって、皆が見ている「現実」にも興味があって、色んな「現実」を見るのは飽きないし面白い。とまぁ、そんなことを言いたいわけです(…ってわけわかりません)。

 ところで、最近遠藤浩輝関係のことでメールを頂いたWhimさんのサイトのBBSで知った、むっ茶苦茶面白いサイトがあったんだけど、そこ、筑波大の教授のページで、しかもその教授、大好きな佐倉統の本にも引用されてる星野力だし、「SFと科学」なんて講義の内容が載ってるわ、もう、なんていい学校なんだ筑波大って…って、そういえばWhiteさんの大学じゃん筑波大。…なるほどなぁ。<何かがツボに嵌まったらしい

 …という感じでしみじみ生きているって面白いなぁと心の底から思う8月の終わりの雑記でした(わけわからんて)。


他所の日記への反応気味雑文

 某所で話題になっていたアマルティア・セン「不平等の再検討――潜在能力と自由」とか、米村孝一郎だけでなく、やまむらはじめまで引き合いに出したんで、これはやっぱ読まねばなるまいな富樫ヨーコ「いつか勝てる」、更にやはり読まねばならなそう(リンクミスのご指摘、ありがとうございました)な小野不由美の「悪霊シリーズ」を探しに紀伊国屋へ出向く。
 しかし、帰宅後に手にあるのは岡田斗司夫・田中公平・山本弘「封印」。
 だて、これしか売ってないんだもん(つーか、これ当初の購入目的にねえよ)。
 こんなものがハードカバーで売っているのはどうかと思うが、とりあえず庵野秀明が坊主になったエピソードで泣く。あぅー。あれは泣ける。色んな意味で。

 取り敢えず、事前選択式分岐物語はTacticsの企画書フォーマットで書いてみようかな(単にモノが手元にあるから)、とか考えはじめる。
 ホラーというか、妖怪モノでちょっとやってみたい話があったし、その流用でストーリーもつけちゃって。
 …まぁ、単純に言うと主食が生餌で、徐々に大きな獲物、最終的に人間を必要とする妖怪娘を拾って育てるプリンセスメーカーなんですが。
 DNML化、してみます?(^^;; …MOON.とかアトラク・ナクアを使えばグラフィック描かないでも出来るかもです。二次創作になっちゃうけど。

 映画製作のお話で映画上映って、ありそで無いですよね。ダブルキャストとか…。ゲーム的に近いのはサターンのエヴァ1作めかな(二作目はやるドラの原形で似て非なるもの)。そういえばGREENとかフィルムノアールとかそこら辺の映研ストーリーな18禁ゲームはどうだったんでしょう。

 対比としてのLinuxは言われるまで思い付きませんでした。
 むー、私はPCは家電レベルでしか使ってないからなぁ。
 Windows95以降のユーザーだから、DOSも殆ど分からないし。
 wcshでcuiというモノに触れようとしてみるも良く分からず、ディレクトリの移動は出来てもドライブの移動が出来なくて困ったり。PCを使いこなせるようになるまでは先は長いようです。

 とりあえず、本のテーマとしてはそこら辺になると思うんですが、それを一言だとどう表現するか、ていうのは決めなくちゃいけない気がします。そうでないと読み手が理解しづらい。
 タイトル(?)としては「物語の表現方法としてのビデオゲーム」とか、そういうモノでいいと思うんですが、「ゲーム」部分と物語が上手く融合したもの・乖離しているものを分ける上手い表現があればいいかと。
 むー、なんか良い言葉、無いですかね。

 …なんていうか、50万に手が届こうかっていうサイトからなんて、日記からリンクしていただいただけで十分です(感涙)


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