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《雑記帳9月》

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9月14日 上を向いて歩こう

 まっとうなキャンパーは、誰でも自分が自然より弱いことを知っている。
 知らない人間、知ろうとしない人間はこの前の事故のように、いつか死ぬ。
 ワイドショーのコメンテーター「皆」は自分の弱さを認めない彼らを愚かだと思い、嘲った。
 彼らを嘲る人間というのは、自分の弱さを認める人間ではあるだろうが、代わりに自分の弱さを自分が何もしないことの理由にするだろう。

 弱いから、何も出来ない。

 汚いね、と彼らにいうと、彼らはこう答えるだろう。
 それも分かっている、と。
 でも汚くなくては生きてこれなかった、と。

 愚かであることと、賢く汚くいことにどれだけの差があるだろうか。

 無知故に自分が弱く汚いことに気づかず、善人だと思い込んでいる人間の愚かさと、賢い故に自分の弱さ汚さを理解しながらも、それに甘んじ自嘲しながら汚く弱いことを利用して生きる賢しさは、どちらが好ましいだろう。

 生まれつき強く、奇麗な人間というのは殆どいない。
 いても、生まれつき持った強さ奇麗さは、いずれ老いとともに喪われていく類の物だ。自力で伸ばさねば、いずれ枯渇する。
 強く、奇麗な人間になる為には「努力」という茨の道が必要となる。
 努力が茨の道である最大の理由は、苦労そのものではなく、報われるとは限らない点にある。
 長く辛い努力がより努力した人間に、或いは何の努力も無しの生まれつきの才能に負ける事もある。努力の結果が無価値だと判断されることもある。
 努力をしていればいるほど、それは辛く、哀しい。

 それは苦しいことだ。

 その苦しみから逃れる一番良い手段は、何もしないことだ。
 何もしないことで努力という苦痛、その結果という挫折を回避できる。
 しかしそれでは、何も手に入らない。
 何も手に入らないだけでなく、他人からの信用を無くす。時間も喪う(それは生まれつきの才能を喪っていくことであり、自信の喪失にも繋がる)。
 信用、時間、自信。
 これらを失った人間はどんどん弱く醜くなっていく。

 自分の弱さ、汚さを知らない人間は何も考えていない故に何もせず、自分の弱さ、汚さに自覚的である人間は賢しい故に何もしない。

 自分の弱さを知ってることも知らないことも、それだけなら全く同じである。
 彼らに違いが表われるとしたら、何をするか、しているか。それだけであろう。

 エヴァもONEもKanonも、自分の弱さ、汚さに無自覚だったり、知っていてなお逃げていた人間が、自分の弱さ、汚さを自覚するまでを描いた物語である。
 だが、自覚したその先が無いので、碇シンジも、折原浩平も、相沢祐一も、実は物語の始まりから何も変わってはいないのである。

「知っていることと知らないことは、同じなんだよ」

 アボパの「終末の過ごし方」より、全てを悟り、なお何もしないシゲさんの自嘲。
 世界が終わる日。全ての目的から切り離され、それでも走り続ける陸上部員、瑞澤千絵子。
 この二人のカップルは…いい対比だよね。

9月15日 久々にネットダイブ

 最近どうにも眠たかったので雑記更新するだけでネットサーフ(死語)を殆どしていなかったのですが、久々に色々と巡回。色々書きたいことあるけれど、今日はメモ程度に。

 色々と得るところが非常に多いKanonのこの掲示板で知った、闘山氏のハイエンドノベル振興会はかなり面白い。取り敢えずまとまった思考の抜粋の「マルチエンドAVGと物語性の相反」とか、テーマとして非常に興味深い。
 ONEを語りたくなる。うずうず。

 ええと、色々ネタ出しましたが、「物語を語る手段としてのゲームの発展・進化」について、
>ゲームとしての完成度を歪めてまでゲーム内物語の完成度を求めるオレの思想スクエア的思想。げげっ!
 と、ゲームとして完成することが物語の完成に繋がる「ONE」「クロノア」思想?という二つのカタチについて、やっぱりこれを叩き台に、書こうかと思います。
 ゲームが物語の完成を求めてスクウェア型(私はゲーム映画と呼称してましたが)からマルチエンド型ゲームと物語が融合していったONEやクロノアへと系統進化(分化)していったという論を「やるドラ」なんかも絡めて講義風に口語体で、とか考えてるんですが、どうでしょう? 被ってたら身を引きますが(^^;;


9月25日 文章の力

「寒いな…」
丘は一面、靄に覆われていた。
吐く息さえも、それに混じって見えない。
俺と真琴はしばらく黙って、風を受けていた。
ただ、手の温度から伝わる互いの存在を感じながら。
空を見上げると、人工物が視界から消え、世界が変わる。
互いだけが信じられる、そんな世界だった。

 以上はKanonよりの抜粋。
 奇麗な情景描写。
 一文毎に情報を与え、段階的、体感的に状況を理解させていく手法は文章メディアならではだよなぁとか考える。
 絵や映像だと出来なくて、文章には出来ることって、言葉にはし辛いけど、物凄く強い。
#「文字」じゃなくて、文章。映画やアニメの演出としての文字、漫画の書き文字は当たり前だけど、文章ではないのよ。誤解なきよう。
 絵と映像と音(声)と文章が同時に使えるノベルゲームって、やっぱり凄く面白い物語表現である。

9月30日 原発こわいけど、電気料金が高くなるよりは、いい

>私のkanon文の5th前半部分みたいな話がしたい人にはいい材料なんじゃないでしょうか

 なんて事を以前に書いたマトリックスだが、誰がそれを書くかと思ったら、なんと白旗の本田さんが書いていた。
 やっぱちゃんと本読んだり勉強したりしてる人は違うなぁ(ワシの書いたONE考察で触れてる同様の個所(設定考察とか氷上とか)ってなんて知識、語彙が足らないのかしら)という力作だが、そこまで力入れて書くほどなのかなぁというのが感想。
 マトリックスのそゆとこって、ONEとどっこいどっこいだし、エンタメでそれやったぐわぁっていうのもONEと一緒だし、ONEやった人間が今更もう一度ショック受けたりすることなんだろうか?
 うーん、SF特撮「映画」ってジャンルであれやられるのってそんなにショックかなぁ。
 ゲームという仮想体験の中でそれに今実際に浸っているプレイヤーに突きつけてくるONEの構造の方がショックでかかったけどなぁ。
 何処までいっても映画の中で語られる物語は他人の物語で自分の体験にはならないけれど、ゲームは条件さえ揃えば自分の体験、自分自身の物語足りうるわけで…

 物語の内容的重みについてはイコールだったとしても、その重みの突きつけ方は他のメディアとゲームでは全然違う。
 そこが物語表現としてのゲームについて語るには一番重要だと思うんだけど、どうしていわゆる考察派の人達は物語部分についてしか語らないのだろう。
 FF系というか、映画指向と言われるゲームにはゲームであることは殆どの場合に置いてはマイナスにしか働かないから、考察しても良くて「演出」悪くて「邪魔」としか言いようが無いんだけどさ。
 ああ、「風のクロノア」をみんなやっておくれ。ゲームという物語表現の物凄い可能性が分かるから。



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