伝説は、HEROは、絶望の中から目覚める。 つまりは、そういうゲームなのである。 熱狂し、Sランクを見、世界の謎BBSや外伝を見て裏切られ、「俺が望んでいたGPMはこうじゃなかったのに…!」とプレイヤーが絶望するまでだって、ゲームの仕組の一部なのだ。 絶望を生んだ愛情と憎しみを糧に絶望から立ち上がった時、新たなミッションが始まる。 それは「こうじゃなかった、こうであるはずだったGPM」探求の旅であり、プレイヤーそれぞれが「俺GPM」を見つけ出し、それを完成させる為に戦い、成し遂げたときがGPMというゲームの終わりなのだ。 GPMとは大きく見ればそこまでの、そしてその為のゲームなのである。 …多分。 PS版と照らし合わせて考えると、このゲームにおける最終ボスとは、そうやって「俺GPM」の為にプレイヤーが戦う理由(幻獣)を作り出したアルファシステムであろう。 更にアルファの出すこのゲームのヒント(アジテーション)を読むに、どうやらPS版同様、世界(業界)を救う為には、我々は彼らの要求する絢爛舞踏となり、Sランクを取らねばならないようだ。 絢爛舞踏になるには勉強しなくてはならないらしい。 そしてSランクを取る為にはそれだけではなく、アルファを…なくてはならないと思われる(ノ*゜▽゜*) だが、我々のPS版GPMのプレイ目的が結局はSランククリアではなくなったように、必ずしもこのゲームでSを取る必要もないのではなかろうか。 世界を救いたい奴は救えばいい。 利害の一致からアルファを利用するのもいいし、アルファに利用されてやるのもいいだろう。 だが、世界なんか無視して好き勝手にやったっていいのだ。 製作者の意図に従うも、反発するも、プレイヤーの自由である。 GPMというゲームをどう遊ぶかは、我々の自由だ。 どうせなら、面白おかしく遊び倒したいものだと思うが、どうするのが一番面白いだろうか? |