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雑文:Kanonと心の問題

「人間の心には一種の共通した感情やイメージがあります。普段はまったく気がつかない無意識の部分のものです。共通意識の中でもめったに意識の部分に出ることがない、抑圧された劣等な性格や傾向、相反する価値観の具体的なイメージが『敵』の正体なのです。
 つまり、すべては『思い込み』です。ベルサーはどこにもいないし、どこからも来ていません」

「たかがイメージ、されどイメージ。『思い』は『想い』となり、虚構は現実となる。なぜなら人類は脳と心で視、聴き、『感じる』生物だから」

「幻影という心因的力に対して物理的力で対抗しようとしたのが最初の失敗だな。それが被害をかえって大きくした。それとダライアスに対する潜在的な禁忌感。そしてシルバーホークのパイロットは強大さや無機質への憧れを抱くようになっていった。これは心理テストでわかったのだがね。それがたまたま『敵』、即ち幻影に投影される。
 だが、シルバーホークは『敵』を倒さなくてはいけない。それも現実の物理兵器で。
 そうしなくてはシルバーホークのパイロット、そして人類は一種のトラウマを抱えて永久に幻影に悩まされる」


1994 TAITO「ダライアス外伝」同人誌「VISIONNERZ」著・辺境人より抜粋


「ここまで大きくなった騒ぎにはそれなりの結末が必要なんです。
 応援団の犯罪が暴かれるか、彼らに手を出した者が闇に葬られるか。どちらにしても最後の登場 人物が必要……つまり貴女」
「私はただの高校生よ」
「貴女がそう思っていても『他人』は違うんです。
 他人による追認が無い限り、本人がいくら主張してもそれは存在しないも同じなんです。
 皆、誰かがこう言ってくれるのを待っている。
   『あいつは変わった奴だ』
   『あいつは真面目な奴だ』
 そして彼の役割が決まる。
 皆、一所懸命自分の役割を演じているんです。
 貴女も当然、貴女の役割を演じる事を期待されてる」
「でもそれは私の役割じゃないわ」
「では別の役割が与えられるまで待ちますか? 時間は三年間しかないんですよ」

1993 富士見書房コミックドラゴンVol.2収録「蓬莱学園の疾走!」著・米村孝一郎より抜粋



「ONE」や「Kanon」というのは「思い込み」で虚構を現実にして生きていた人間が、他人(或いは自分の客観的な部分)の追認や否定でその正当化が揺らぎ、虚構が、ひいてはそれが作り出している現実が揺らぐ物語でもある。

月宮あゆの生き霊は、あゆの「事故は無かった」という思い込みが祐一によって追認され、作り出された現実である。或いは、祐一の思い込みがあゆに追認されたものだ。
あゆシナリオではその思い込みにあゆが疑念を持ったとき、あゆという存在は消え、祐一もやがて自分の思い込みが虚構である事に気づいてあゆのいない日常へと帰っていく。オチとして、そこには虚構より幸せな真実が待っていることから、「思い込み」の弊害を示しているシナリオといえる。

名雪のシナリオは、祐一の「事故やそれにまつわる嫌な出来事、自分に好意を寄せた名雪を傷つけた事実はなかった」という虚構の思い込みが名雪によって追認される物語である。名雪はそのことに心理的なストレスを覚えていると思われるが、真実を伝える事はしない。ただ、彼が虚構から醒めるのを待っている。それは彼への愛情が為せるわざであるが、自分を傷つけた祐一へのわだかまりがどこかでそれを否定している。
やがて祐一は名雪に惹かれる事で彼女に与えた心理的圧迫を思い出し、詫びる。
そのことで名雪はわだかまりを解消し、彼への愛情に気づいて二人は結ばれる。
「思い込み」のもたらす弊害を示すが、それは名雪の一途な想いが適う恋愛ストーリーにおける障害でしかない。

栞のシナリオは、思い込みを否定しながらも最終的に栞の「生きたい」という思い込みを約束というカタチで祐一が追認する物語である。
これは現実に対する「思い込み」の力の無さ、滑稽さと、それでも縋りたい人間の哀しさを示している。
しかし、その生きたいという「思い込み」が理由で栞は助かる。
「思い込み」が人間に与えるのが弊害ばかりではなく、現実を生きる力ともなり得る事を示す物語である。

真琴のシナリオは、真琴の「祐一と一緒にいたい」という思い込みが起こした奇蹟を祐一が追認する物語である。
真琴の愚かで複雑で、だがひたむきな「思い込み」を表し、その結果の現実からの離脱を示している。
「思い込み」そのものを示す物語で、その是非は問われていない。

舞のシナリオは、少々複雑になる。
真実を持って生きる舞と真実を追認しない人達との関わりを描いた物語である。
世間の人間が舞の超能力という「真実」をありふれた現実という「思い込み」で否定したため舞は孤立し、そのため「真実」を怨み、「思い込み」で真実を消し去ることで世間とのバランスをとろうとしている。しかし、その舞の真実を消そうという「思い込み」もまた、世間からは否定されている。
祐一は、世間の「思い込み」が間違いである事に気づき、はじめは「舞の思い込み」に同調し、真実を消し去る手助けをしようとするが最後の最後に、「舞の思い込み」もまた間違いである事に気づき、舞の「真実」を追認する。
そのことで舞は自分の「思い込み」を殺し、真実を受け入れる。
このシナリオは他人の「思い込み」に真実すら真実で無くなるという弊害を示しているが、舞の真実が実は強い「思い込み」の産物であることがテーマ性を深くしている。「思い込み」の力の強力さ、その怖さを示しながら、使う人間の立場ではそれがマイナスだけでなく、プラスに働く事も示しで、ニュートラルな立場で「思い込み」を見せている。

以上のように、Kanonの各シナリオでは日々の中で「思い込み」とその他人による追認、否定が作用して巻き起こす物語になっている。そしてこれらの物語は「思い込み=悪」「現実=善」という単純な二元論で全てを片づけられるものではない。
Kanonという作品はそういった画一的な二元論で語られるような「現実を見ろ!」等という心を打たれて従うべき「答え」としてのメッセージ性はない。
Kanonが心に響くというのは、そこに「現実」や「思い込み」に翻弄されながらも悩み、答えを探して生きる我々と同じ人間達の姿が描かれているからではないだろうか。
Kanonの思い込みが現実に作用する超常現象を用いて分かりやすくデフォルメしているが、自分や他人の日々の中での真実と「思い込み」とその他人による追認、否定による軋轢は、我々が生きているこの世界でも昔から普通に起こっている事で、当然、我々の身にも日常的に降りかかってくる問題だ。
だからこそ感情移入しやすく、Kanonという作品は我々の心に訴えかけてくるのであろう。



#ところで、PSの「ペルソナ2」って噂が現実になる物語だそうだけど、多分同様の「思い込み」と「他人の追認」を扱ってるんだろうと思うけど…ちがうかな?





…しかし我ながら、「御伽噺」をよくもまぁここまで都合よく心の話に曲解したもんを書けるもんである。うぐぅ。この前もテーマは「冬の物語と思い出」ってインタビューで言い切ってるのに「日常」とかいうし(爆笑)。
どうでもいいですけど、考察する間でもなくKanonにメッセージ性っていうのは無いはずなんですよね。メルヘンだ御伽噺だファンタジーだってスタッフがいってるんだから、素直にそう見れば(ファンタジーに教訓(メッセージ)は無い。あったらそれは寓話だ、…なんか混同してる向きがあるみたいだけど、メッセージは日本語にすると声明だけど、テーマは「論題」で意味は違う。例えば「恋愛」はテーマだけど、「恋愛は素晴らしい」になるとメッセージ。…だよね?)。
でもあるのかなメッセージ、やぱし…。
そういえば、あゆシナリオなど、超常現象をモチーフにしているが、その発生のメカニズムや原理は精神医学のフォリアドゥ(感応精神病)に非常に近い。
Kanonが本当に「現実受容」がどうこうなんて心の問題なんかが製作者の目的ならば、Kanonは御伽噺で塗り固めたフォリアドゥのお話っていう事なんだろう。真琴との結婚式も、あゆあゆとのキスも栞との涙の再会も、ぜーんぶ、ココロの病気治して現実を受け入れるんだお前等、ていうメッセージが込められてるの。
……。
雪駄はそれはなんか凄え厭なので、現実受容のメッセージがKanonの主題だなんて思いたくないッス(涙)。
雪駄がKanonで好きなのは劇伴やグラフィックとテキスト・SEのシンクロで、真琴シナリオの結婚式近辺のシーン、「そして泣いた」のテキストの出し方なんかがすげえ好きです。奇麗で。
Kanonの目的って、ああいうかっちょええシーンをプレイヤーに見せる事で、それまでの伏線も、物語も、ゲーム部分も、ああいうかっちょええシーンを構成する為の要素に過ぎねえんだよぅ…とかいったら袋叩きですか?

8/31 追記

 この5thは裏4thのつもりです。

 雪駄のKanon全体への考察としては一応は4thで済んでおり、それ以降、ここや他の掲示板で書いている事は裏4th、或いは4thの詳しい解説とでもいうもののつもりです。
 一応アドレスを置いていきますので、雪駄のKanonへの見方について興味があるという方は、宜しければそちらも読んで見てくださいませ。

Keyネタばれ掲示板 スレッド「Kanonの現実受容と現実逃避」


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