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【シナリオ考察】

上月 澪

 悲しみを忘れるために切り捨てた古い記憶。
 自分の与えた言葉を絶対の「約束」と捉え、それに縛られた少女。
 「盟約」に縛られた自分の合わせ鏡。
 他者が介在しない、一方的な思い込みを「約束」「盟約」と呼ぶ滑稽さ。
 再会は閉ざした記憶を呼び覚まし、約束に囚われた愚かさに自分を見る。
 盟約に囚われて消えていく自分のようにはすまい。
 そして彼女を約束から解放したとき、
 彼女は自らの意志で、約束をくれた大好きな人を求めた。
 求めてくれた。
 …俺を。

 だから、もう一度約束を。
 必ず帰ってくるから、だから、待っててくれるか?

 …うんっ!

 約束を超えて自分を選んだ彼女のように、永遠を超えて彼女の元へ帰る。
 一方的な思い込みではない、本当の約束を守るために。

 うぐぅ。上のやつ書くだけで泣けてきた。
 私的ベストシナリオ・ベストキャラクターの澪です。

 繭は過去の主人公の姿でしたが、澪は現在の主人公の合わせ鏡といえます。
 「永遠の盟約」に囚われ、文字通り世界の全てがそれに優先される主人公に対し、澪は返せなかったスケッチブックを約束の象徴として持ち歩き、自身の行動の最優先事項として持ち主にそれを返すことを常に念頭に置いています。
 髪型を変えないのも、リボンを取らないのも、約束を交わした名も知らない男の子に見つけてもらうための目印なのです。
 喋れないという障害に負けず演劇部に入るだけの行動派でありながら、手話や声帯以外の筋肉を使っての発声法にチャレンジしていないのも、ひょっとしたらスケッチブックという約束の象徴へのこだわりなのかもしれません。

 主人公と澪との再会は偶然でした。
 学食で手を滑らせ、ラーメン(うどん?)の椀を主人公の背中にぶちまけ、上着を洗濯し、それを返すというステップを経て、数年ごしの自己紹介を終了させます。
 最初の再会では澪の仕種に引っ掛かりを憶えますが名前も聞かずに別れ、二度目の再会(このシナリオ、再会というシチュエーションのリフレインが多いです)において二度目の自己紹介を行うわけですが、数年前は「澪」という感じが読めなかったため(今もですが)、「みお」という名を知ったとき、浮かんでくるのは幼い日の澪の記憶ではなく、みおと良く似た響きを持つ妹、封印していた「みさお」の記憶でした。
 澪との再会は「みさお」の名や、長森と出会い「永遠の盟約」を結ぶ以前の記憶を呼び覚まし、思春期の到来とともに(長森シナリオ参照)主人公を「永遠の盟約」から醒ますきっかけとなっています。澪が他のヒロインと一線を画していることを窺わせますね。

 ドジだが元気一杯で何事にも一生懸命で、子供っぽく怖がりで、思い出のスケッチブックへ尋常でない拘りを持つという伏線めいたエピソードの後、澪に影響されて演劇部に入部し、公演を手伝うことを決めるところから澪シナリオ本編は始まります。
 3年間の高校生活の証めいたものを遺す。それはこの世界から消えていく自分の存在の証を遺すといった意味合いも無意識に感じていたのでしょう(事実、消える事を自覚したときそういう心境の描写があります)。澪シナリオの主人公は最も前向きな性格であるといえるでしょう。長森シナリオの後ろ向き過ぎる主人公と比べれば雲泥の差ですね。
 しかし、その前向きな主人公も、いや、前向きであっただけに公演に向け一緒に頑張ってきた仲間たちに、澪にその存在を忘れられることに強いショックを受け、現実世界に留まる努力をせずに自暴自棄になって逃げ出してしまいます。
 ここで重要なのが、深山先輩よりも先に、絆を結ぶ相手である相思相愛であるはずの澪に忘れられてしまう方が早かったという点です。
 何故澪は大好きな主人公を忘れてしまうのでしょうか?
 それは澪が囚われている幼い日のスケッチブックの「約束」に答えがあります。
 主人公が「永遠の盟約」に囚われ大人になる事を無意識に拒否し、長森との恋愛が出来なかったように、澪もまた「約束」に囚われたあの日から前に進む事が出来ず恋愛が出来なかったのです。
 茜と同様、決着が保留された初恋に囚われ、次の恋に進めなかった、という見方もできますが、約束のスケッチブックに拘る澪に苛つく主人公の描写から察するに、やはり澪は「盟約」に囚われる主人公のメタファー、幼い日の「約束」に囚われて「恋愛」が出来るほど精神が成熟しておらず、それ故に主人公への絆を生むはずの恋愛感情にストッパーがかかっていたと見るべきでしょう。
 そしてそのストッパー、果たされなかった「約束」を与えてしまったのは他ならぬ主人公自身です。
 分かっていればこそ、主人公は澪に忘れ去られたとき、澪を責める事も、思い出してくれるよう訴える事もせず、ただ拳を壁に打ち付けて去っていったのです(※)

 その後、主人公は澪の「想い」の最優先事項、また、「恋愛」や他の感情、行動へのストッパーとなってしまうスケッチブック、「約束」を取り払ってやります。
 それは、主人公が消えてしまう前に澪に果たさなければならない唯一の責任した。
 同じように「盟約」に囚われ、それ故に取り返しの付かない状況に陥ってしまった自分の轍を味合わせたくなかったのでしょう。
 もう自分が遺したくだらない「約束」なんかに囚われる必要はない、自分から解放されて羽ばたいて欲しい。
 それが最愛の少女に対する主人公の最期の願いだったのです。
 澪は、幼い日にスケッチブックをくれた男の子が主人公だとは気づかぬまま、解放されます。

 主人公は澪を解放したことで思い残す事も無くなり、自分がこの世界に最期に遺した行動の証、演劇部の公演を見届けることを最期の望みに、消えて行くことを受け入れます。
 会場に早く着いた主人公は、会場準備を行う、もう自分のことを忘れてしまった深山先輩ら、仲間を見て、それを手伝いますが、澪に会う事だけはしませんでした。
 会ったらこの世に未練が残るから。或いは、折角解放した澪を再び縛り付けてしまうかもしれないから。ここら辺の主人公の心情は、茜シナリオの最期にも通じるところがあります。
 そして公演が始まり、澪の晴れ姿を主人公は目撃します。
 衣装、似合ってるじゃないか。練習の成果、出てるじゃないか。
 この世界で自分が最期にしたことの成果を見届け、主人公は満足します。
 その瞬間、澪が独り言に肯いたような気がするというのは非常に素晴らしい演出ですね。その瞬間の二人を想像して見てください。実際はどうだったのか?
 ちなみに澪を約束から解放していないと、ここで主人公が消えてしまいバッドエンドなのですが、自分が生きた証である最愛の少女を見つめながら消えていくこのエンドは定石ですが、悲劇として非常に奇麗なもので、全シナリオ中で私が一番好きなエンドだったりします。公演終了後の澪や、永遠の世界で澪を求める主人公の自嘲というのは想像するだけでやるせないシチュエーションです。
 話が逸れました。
 さて、選択肢を間違えていなければ公演が終了しても主人公は消えず、満場の拍手を背にして去っていきます。そして自分が消える場所を探して校内を歩き回り、澪と再会を果たした学食、澪と過ごした部室を最期に見渡し、主人公は澪のスケッチブックに別れを記して、消えるに相応しいのはこの現実で自分が見た最後の夢の跡である体育館だと気づき、そこへ帰っていきます。
 澪も解放した。最期の夢も叶えた。
 もう、思い残す事はありません。
 しかし消えようと腰を落ち着けた時、そこに澪が現われます。
 よりによって、消えようというその瞬間に。
 主人公は澪を混乱させまいと、これから消えるというのに澪をまた自分の存在で縛りたくないと、他人の振りをして舞台を見たことを、それへの賞賛と激励を伝えます。
 しかし、澪から返ってきたのは唇の温もり。
 さよならを伝えた相手からの、愛しているというメッセージ。

「澪……オレのこと覚えていてくれたのか…」

うんっ
 

 思い出したのか、ではなく「覚えていてくれたのか」であることに注目。
 澪は、何時から主人公の事を思い出していたのでしょうか。
 恐らくは、約束から解放されたその後のいつかであろうと思われます。
 その時、澪は初めて主人公に恋愛感情を抱いていたことに気づいた事でしょう。しかし、その時すでに主人公は自分の前から姿を消しています。部の皆に尋ねても主人公の事など知らないと返された事でしょう。
 「永遠」のもたらす忘却は、主人公の事を思い出したとしても、忘れていた時の事は思い出しませんので、澪にしてみれば始めは主人公に捨てられたと思っていたことでしょう。その後、世界中が主人公を忘却しているという尋常でない事実に直面し、捨てられたわけではない事を悟ったことでしょう。
 ここで澪は疑問を抱くはずです。
 何故、主人公は自分に会いに来ないのか。
 他の皆は忘れてしまっても、自分だけは覚えているのに。
 その答えは、自分の主人公に対する記憶がふとしたことで曖昧になったときに気づいた事でしょう(茜と幼なじみの例を参考の事)。自分すら彼のことを忘れはじめている。彼は、世界から忘れられようとしている。
 主人公は世界から消えてしまうまでの間、誰かと絆を深める事で別れが辛くなる事を 恐れているのだ、或いは澪に哀しい想いをさせたくないのだと。
 悟った澪は、主人公の意志を汲んで、彼に会わなかったのだと思われます(※2)
 澪もまた、自分を残す事で彼に哀しい思いをさせたくなかったのです。
 しかし、公演の日。
 スケッチブックに「さよなうら、澪」の文字を見つけたとき、澪は居ても立ってもいられなくなり、主人公を探し回り、その元を訪れます。
 そして告白。
 でも彼がこの世界から消えてしまう事に気づいている事はいいません。
 主人公も澪に自分が消えてしまう事を伝えはしません。
 ただ、互いの想いを確かめ合います。
 やがて、別れの時が近づき、主人公は澪に嘘を付きます。

「また……明日な……」

 そして、澪はその嘘に気づいていながらも受け入れます。
 にっこりと微笑んで手を振り、夜の町に駆け出していく。
 あれだけ暗いところを怖がった澪が、笑顔でたった一人、夜道を帰るでしょうか?
 主人公を心配させないための演技なんですよね(流石演劇部)。
 この嘘に辿り着くための送ってやれない云々のやり取りが、主人公が消えてしまったあとの澪を思いやるダブル・ミーニングであることにも注目です。
 互いに互いを思いやって、本当の事を伝えずに、本当の事に気づかない振りをして嘘を成立させる。
 滑稽で、哀しいシーンです。
 茜シナリオにおける茜の「貴方の事を忘れます」「…知らないっ」に匹敵する哀しい嘘です。茜と決定的に違うのは、澪が完璧に演技をこなしたということでしょうか。
 このまま終わるのも非常に奇麗なラブストーリーの終わり方です。
 しかし、主人公は最後の最後、本当の最期に澪を求めます。
 駆け寄り、後ろから澪を抱きしめます。
 消えてしまうその瞬間まで。
 澪に哀しみを与えてしまうと分かっていても、ただ、澪が好きだったという想いを伝えて。
 この瞬間、澪は本当に幸せだったと思います。
 ただ、自分を求めて全てをさらけ出し、好きだと言ってくれた大好きな人。
 哀しい気遣いやそのための嘘といった、余計なもの全てを飛び越えてダイレクトに伝えられた「好きだ」という言葉は、どれほど嬉しいものだったでしょうか。

 必ず帰ってくるって。

 だからそれまで…。

 まっててくれるか…?

 再会の約束はどれだけ嬉しかったでしょうか。
 だから澪は笑顔で答えます。
 最高の笑顔で。
 その笑顔は、ここまでの笑顔が殆ど演技だった中、主人公の約束に肯き、見送ったあの涙を流しながらの笑顔だけは本物の笑顔なのです。

 一年後、約束を守って主人公は帰ってきます。
 約束というものは相手と自分の双方が覚えていてこそ成立するものです。
 かつて二人が囚われていた「永遠の盟約」「スケッチブックの約束」という二つの約束は、相手が覚えていない、片方が思い込みによって囚われてしまった、他者の介在が無い不完全な約束でした。
 しかし澪と主人公が別れの際に交わした再会の約束は、二人が誓い合った本当の約束です。自分の思い込みの「約束」に囚われていた二人が、思い込みでない、一対一の他人同士の信頼である「約束」で再会を誓う。
 長森シナリオとはまた違った意味で二人が「他者」という存在を確かめ合うシナリオ、同じ問題を抱えた二人の成長物語であったとも言えます。

 ラストシーン。

 背中、あったかいの

 背中から澪が抱きつくそのシーンは、別離で主人公が澪の背中に抱きついたシーンへの澪からのリフレインになっています。
 ニクい演出ですよねぇ。


(※)8/9追記
 ここのシーンについて、澪は主人公の事を忘れたから立ち去ったのではない、怖かったから逃げただけなのだ、という解釈もできます(指摘:朽逐艦さん)。
 澪が「他人を見る目で通り過ぎた」のが事実なのか主人公の思い込みなのかは諸説分かれるところです。
 しかし同じ久弥さんの担当である茜とみさき先輩が共に主人公の事を一瞬も忘れないことを考えると、澪もまた忘れなかった、と見る方が自然な気もしますね。雪駄は忘れた、と考察しているのですが。
(※2)
 ↑に関連して「会わなかった」のではなく、「会えなかった」と見る解釈もあり。
 澪シナリオでの澪は主人公の家を知りませんし、澪は電話をすることができないので主人公が学校に来なければ会う事は不可能ですから、説得力はこちらの方が高いですね。




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