どうして真琴は、復讐と称して悪戯を繰り返したのだろうな?  思い出話の中でふと出た、他愛の無い話題。  アイツは天の邪鬼だったから…そんなオチがつく笑い話のはずだったのに、 気がつくと天野は笑っていなかった。  真琴の悪戯の酷さを面白おかしく誇張し過ぎた(わけでもないのだが)のが まずかったのかもしれない。 「あの子は、相沢さんにどうしても会いたかった。だから、会いに行くのに、 復讐という理由が必要だったんです」 「おいおい、自分に対する理由か仲間に対する大義名分かはしらないが、そん な照れ隠しで殺されたらたまらんぞ?」 「あの子がそんな事をするわけ…。復讐っていうのは、真琴にとっては凄く大 切な事で、『会う為』に必要で、だから果たさなくちゃいけなくて、それは、 迷惑だったかもしれないけれど、理由だってあるのに、そういう風に言うなん て相沢さんは酷い…」 「落ち着けよ、天野」  俺は天野の肩を叩いて、話を一旦中断させた。  差し出したハンカチで目を押さえる天野に、今の話が冗談であった事を伝え、 詫びた。 「誰に謝ってるんですか…? 私じゃなくて、真琴に謝って下さい」 「ああ…」  雪も降ってきて、結局、泣き止まない天野の手を引いて、俺はものみの丘を 後にしなくてはならなかった。  真琴を支えながら歩いた道を、今度は天野をそうしながら歩いている自分に 気づいて、俺は、今日ここに来た理由を思い出した。 「なぁ、天野…」  天野は答えなかったが、気にせず俺は話し始める。 「さっきの話だけどさ、真琴が大義名分を欲しがったのは、本当の理由が恥ず かしくて見えなかったからじゃないかと思うんだ」 「……」 「天野は前に言ったよな。アイツが俺の前に現れたのは、結局、会いたかった だけなんだって」 「…はい」 「それなのに復讐だなんて粋がってたのはさ、多分、会いたいってその感情が 許せないとか、ダサイとか、マヌケだとか、子供じみててカッコつかねぇとか、 そんな薄皮で本当の理由を覆って見えないようにしてただけなんだよな」  俺は顔が物凄く火照っているのを感じていた。  はっきりいって、これは俺が如何に真琴に想われていたかというノロケ自慢 である。  非常に、恥ずかしい。  だが、ここら辺をちゃんと評価しないのは、真琴の想いを冒涜することにな ると思う。  それに、照れ隠しでギャグなんぞで誤魔化したりしたら、下手すればまた天 野を怒らせたり泣かせたりしかねない。  だから我慢して続ける。 「真琴は、その薄皮を復讐心という正当なプライドの持てる理由に置き換えて、 ただ自分の本心から目を背けてた。でも、な。そりゃ自尊心でもなんでもなく て、コンプレックスなんだよな」  俺の言葉じりから何かを感じ取ったのか、天野が俺の手を握る力を強めた。 「…多分、素直に好きだと伝えても、また捨てられるに違いないっていう劣等 感を持ってたんだと思う。素直に好きだって感情を表してた昔、俺に、捨てら れちまったから。だからアイツは、素直になれなくて、あんな天の邪鬼になっ たんだ」 「でも、真琴は会いに来ました」  何時の間にか、天野は落ち着きを取り戻していた。 「あの子は純粋な心を持っていたから、だから相沢さんに会いに来て、そして、 結婚したいと、ずっと一緒にいたいと、素直な気持ちで、本心を伝えられたじゃ ないですか」  そう言われると、救われるように気持ちになる。  けれどあれは、記憶が失われ、あの頃に戻っただけに過ぎない。偶然だ。  真琴は素直になれたわけじゃない。素直になってしまったんだ。  だから俺は首を振った。 「あれは奇蹟だよ。たまたまだ。何か一つ、ボタンを掛け間違えたなら、真琴 は本心を伝えられず、俺がその想いに気づくこともなく、真琴は、何も無かっ たように消えていったさ」  もしも天野と出会えなかったら。  もしも初めに熱を出したとき、病院に入院させていたら。  もしも天野からの電話に気づかなかったら…  ……  そんな些細な違いで、俺は真琴の消失の意味を何も知ることなくここに立っ ていたのかもしれないのだ。 「劣等感で本心を覆ってた真琴は、本当なら、それに気づいて、伝えるなんて ことは出来なかったんだ」 「…でも、真琴は会いに来ました」  天野は先と同じ言葉を繰り返した。 「会いたかったから、だから――」 「真琴は、どうして俺に会いたかったんだ? 理由があるはずだろ?」 「…」 「そうだよ。アイツは、その理由に嘘をついた。復讐だなんて格好つけて。会 えれば、理由なんてどうでもいいのか? 理由なんかなくてもいいのか? そ れは、違うと思う。理由無くただ会いたいなんて、そんな安いことに真琴が命 を賭けたなんて思いたくない。でも、復讐という理由があるなら、その行為は 正当化される。価値あることになる。だからそれが大事で、必要だったんだと 天野も言ったんだろう?」  俺は足を止め、天野に向き直った。 「天野に話を聞かなかったら、いくら会いたくて会いに来てくれても、真琴は 俺にとっては、ただのはた迷惑な悪戯者のままだったかもしれない。奇蹟の中、 アイツが俺の傍にいたいと、結婚したいと言ってくれなかったら、アイツは災 禍を与えに来た、復讐者でしかなかったかもしれないんだ。再会をもたらした のが最後まで真琴の誤魔化した想いとしか感じられなかったなら、俺はあいつ にとって酷い奴のままだったし、あいつは滑稽な道化でしかなかった」 「あ、相沢さんは、天の邪鬼なあの子を、そうしてしまったご自分が、許せな い…んですか?」  ショックを受けたような表情で天野は立ちすくんでいた。 「…やっぱり、相沢さんのように強い方でも、あの子達に温もりを与えてしまっ た私達の罪を、あの子達の愚かさを、悲しさを、全てを受け入れ、許すことは 出来ません…よね」 「そういうことじゃない。許すとか、許さないとか…」  けれど天野は握っていた俺の手を振り解いて、静かに微笑み、綺麗にお辞儀 をして、すみません、と謝った。  そして、出会った頃の表情で俺に言う。 「私の勝手な期待と約束、重荷でしたよね。苦しめるつもりはなかったんです。 だから、あの約束は…」 「…破棄、か?」  特徴的な、はい、という声が聞こえた。 「判った。別に約束は重荷じゃなかったが、約束はチャラでいい」 「…そうですか。では、これでお別れ、ですね」  一瞬だけ肩を震わせ、天野はもう一度お辞儀をする。 「待てよ天野、なんで別れるんだ?」  天野が俺の声にキョトンとした風に顔を上げる。 「強くあるという約束はしたが、そもそも天野とはまだ付き合うとか結婚する とかいう約束をした憶えはないのだが」 「え、あ、それは、そうでした、ね…」  少し顔を赤らめて、本人は気づいていないのかもしれないが、物凄く哀しそ うな表情ですみません、と謝る。  俺は溜め息を吐いた。 「あの…さ、真琴は、俺に会いたかったんだよな」 「…はい」 「だから、復讐しに来た」 「そうです」 「天の邪鬼だよな」 「一言で言えば、そうでしょうね」 「つまり、『祐一が好き! だから会いに来たの』って言うのが恥ずかしいか ら、照れ隠しに正反対の復讐をしに来た困った奴だったわけだ」  やれやれ、と大袈裟に肩を竦める。 「まるで今の俺達のように」 「…ど、どういう意味ですか?」 「照れ隠しに思ってることと正反対の事をしようとしてる天の邪鬼」 「変な事言わないで下さい。私が何を恥ずかしがって、何をしてるって言うん ですか?」 「俺と別れようとしてるじゃん」 「ですから、私達はまだ付き合ってなんか…」 「じゃあ、なんで今一緒にここにいるわけだ?」 「それは、真琴の為で…」  俺は視線を下に落とす。 「…俺達二人は結構長い事一緒にいるけど、笑うのにも、泣くにも、いちいち 行動するのにさえ、『真琴』という理由を必要としてきた。正当で大事な理由 だ。真琴が俺に会うのに必要とした『復讐』と同じ、本当の気持ちを誤魔化す 為の、正当な理由だ」  真琴の望みは俺との結婚だったけれど、復讐という正当な理由の為に生きて いた頃のあいつにはそれは口に出せず、実行に移そうとすることもできなかっ た。そうする事に、アイツは正当な理由を見つけ出せなかったからだ。最終的 にアイツの望みが適ったのは、アイツが白痴になって、善悪を忘れ、正当でも 何でもない理屈で、ただ一緒にいる為だけに俺の傍にいてくれたからだ。 「泣くにも笑うにもいちいち行動するのにさえ正当な理由を欲しがって足踏み している連中を大人って言うのなら、復讐の為にしか行動できなかった真琴は 大人だった。しかし、自分の気持ちに嘘をついて望みを適えられないでいたア イツは、理知的でも何でもないただの滑稽な女だった。けれど、大人であるこ とをやめ、全てを捨て去って子供に戻り、ただ俺と一緒にいる為に一緒にいる ことを選んだあいつは、幸せだった筈なのに、それなのに、泣いた」  望んだ夢が叶っても、それを叶えたかった本当の理由を忘れてしまっている のは、ひどく悲しいことだったんじゃないかと思う。 「何かやりたいことがあって、それがどんなに恥ずかしい理由でも、ウソの理 由で動くほどイクジナシだったら、何にもならない。それに今、俺がやりたい ことは、理由無しでやっていいほど安いことじゃないし、俺はそうしたい本当 の理由を無くしたくない。だから、必死こいて理由を探した、ウソの理由を薄 皮一枚一枚はがして、自分の本当の理由を見つけたかった。そして見つけた。 俺は天野にそれを知ってもらいたいと思った。つまり、それは――」  俺は息を整えてから、少し早口で、だけどはっきりと言った。 「俺は天野が好きだ。愛してる。だから、ずっと一緒にいたい」  ああ、恥ずかしい。  非常に下らない。  けれど、健康な男女が一緒に暮らし、これからもずっとそうしていくには、 やっぱり、真琴の為になどという正当で正しいウソの理由じゃなくて(ああ、 人の為と書いて偽りとはよく言ったものだ!)、そういう、正当でなくても単 純で下らなくて恥ずかしい言葉で表せられる正直な理由が必要なんじゃないか と思って、俺は愛する女性に今更の告白をした。 「結婚しよう。お腹の真琴の為にじゃなくて、俺達の幸せの為に」  そして、「駄目…ですよ」と何かを堪えるような顔の美汐を強引に抱き寄せ、 俺は今日ここに来た目的であるプロポーズをする。  真琴の為にという理由だったなら、多分、いつものように、お互い穏やかに 微笑んで、そうして終わっていたのだろう儀式は、しかしそうはならずに、天 野は泣きながら非難の言葉を繰り返しながら俺の胸をポカポカ叩いていて、俺 は色々な意味で胸が痛くて、全然、穏やかではなかった。  ごめんな。  俺は何度も謝っていたが、天野は、もう、誰に謝っているのかとは訊かなかった。