Toshi & 七海
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教えていただいたこと
お伝えしたいこと



  今までに、それはそれはたくさんの方とのお出会いを頂きました。
そして、それはそれはたくさんの事を教えていただきました。
それは、すべて「命の言葉」です。
とてもありがたい言葉です。
一人でも多くの方にお伝えさせていただきたい。
それが、ほんの少しでも、その方の「今」に生かしていただけれ
ば・・・。
ただ今日も、一人でも多くの方の笑顔に巡り合いたい。
それが、僕の人生です。
ここに、すこしずつ書いていきたいと思います。
全部丸ごとありがとうございます。
                        Toshi小島




「いただきます」
食事の前に手を合わせて「いただきます」と言います。
これは、日本人の文化・風習・習慣として古くから行われている食事の挨拶です。
これは、決して宗教的行為ではありません。
世界中の民族で、宗教的行為としてでなく、このような食前の作法はありません。
これは、日本人のとても美しい礼儀作法なのです。
この「いただきます」には、三つの感謝の意味があります。
一つは、きっと皆さんご存知のことと思いますが、「いただく命にたいする感謝」です。
この地球上の命は、例外なく、他の命を食べることで、自分の命を繋いでいます。
人間も然りです。他の命をいただかないで生きていくことはできません。
ですから、「いただく命」、かけがえのない命に心から感謝していただくのです。
もう一つは、今ここにある「私の命」は、生んでくださった両親の命があってのことです。
そして、その両親には、またその両親、さらにその両親・・・。
と、ずっと繋がっているたくさんの先祖の命が、あっての自分の命です。
ですから、自分の命に繋がるたくさんの先祖の命への感謝です。
そして、もう一つは、食事を作ってくださった方にはもちろんのこと。
たとえば、その材料を作ってくださった方、それを運んでくださった方、そのために車を使ったならば
その車を作った方、車が動くためのガソリンの素である石油を採ってくださった方・・・。
そうです、世界中の、自分が生きている間に会うことも、名前を知ることさえないたくさんの方々の命。
その命があってこそ、自分の命が明日に繋いでいけるのです。
ですから、世界中の人々の命にたいする感謝。
この三つの感謝をしたならば、どこの誰が、どこの誰に銃の先を向けるなんて事ができますか?
と、山梨のある神社の宮司さんに教えていただきました。


「陰陽結びて人と成す」
「人」は、男女の性がなければ生まれません。
命は、陰陽の結びによって初めて生まれるものです。
「人」に限らず、ほとんど全ての命は、そうであるのです。
だからこそ、この陰陽が、互いに支えあい一つの命を生かすのです。
今こそ、相対する陰陽ではなく
相交える陰陽としてのバランスを整える時なのです。


「聴こえました」
札幌で、聴覚障害の方々がコンサートに来てくださいました。
終演後、「楽器の音も、歌声も、全部聴こえましたよ。」
と、言ってくださいました。
素敵な笑顔をいただきました。


「僕には歌があります」
筋ジストロフィーで二十歳まで生きられないとお医者さんに宣言されながら
25歳を過ぎて今も尚、コンサート活動をしているミュージシャンがいらっしゃいます。
彼が、コンサートの時に、笑顔でこう言われました。
「神様は、僕からいろんなものを持っていかれましたが、声を残してくださいました。
それは、僕に、歌えと言うことだと思います。
ですから、僕は、歌い続けます」と。
それはそれはうれしそうに、輝いた声でした。
彼は、肺活量が180ccしかないとのことです。
人間って美しいのです。



「実は同じなんだよ」
「毎年、お医者さんから余命3ヶ月と言われて20年なんですよ」
肝臓がんとともに生きてこられた方が、笑顔で話されました。
「でね、余命宣告された僕と、されてない君と、実は、条件は同じなんだよね」
心の底から同意できました。
ほんとうにそうなんですよね。
明日も生きていられる保障なんて誰にもないんですね。
だからこそ、今を大切に生きたいと思います。
今この瞬間を精一杯生きたいです。
一日一生です。
その方は、2004年のはじめに亡くなられました。


ネイティブアメリカンの言葉
僕が生まれて始めて出逢ったネイティブアメリカン。
彼は、東京にいた。
あった瞬間、お互いに似ていると感じた。
彼は言った。
「お前の肌は、黄色いが、魂は私たちと同じ赤い人だ」と。
彼らは言う。
「木は、一本足の人。
人間は二本足の人。
動物は、四本足の人。
生き物は、全て人。」
そしてさらに、
「人間には、黒い人・赤い人・黄色い人・白い人がいる。
だが、それは、一本の太い幹から分かれて生えている四本の枝なんだ」
僕は、彼に出逢えた事を誇りに思った。
フルートとドラムを授かった。
「お前には、イーグルがついている」
イーグルは、伝える役割。
「風になれ」
ずっと、会いたかった、でも出逢えなかった。
「全てには、その時がある」
そう、準備が整っていたのだ。
 


「かみ」とは・・・
「神」ではありません。
「かみ」とは、大切なものという意味です。
それは、全ての命です。
命は、息です。
息が汚れるのは、命が汚れるということです。
また、「かみ」は、「火」と「水」です。
「火」は「日」を地上に降ろしたものです。
「日」と「水」が地上で結び「命」が生まれます。
ですから、「水」が汚れると命が汚れます。
「鎮守の杜」として、森の奥に社を構えたのは、
その先に人が入って森を汚さぬよう戒めたのです。
「水は命」です。
「命は、かみ」です。
これも山梨のある宮司さんに教えていただきました。


「ごちそうさま」
「いただきます」の意味を知って、「いただきます」の歌が生まれました。
そして、歌い続けていく中で、あの「ごちそうさま」という歌がいいね・・・
というお声をいただく事がありました。
「いただきます」なんですけど・・・笑
そんなある日、「ごちそうさま」という歌も生まれました。
その歌を初めて歌った日。
お客様の年配の男性の方から「ごちそうさま」の意味を教えていただきました。
「ごちそう」を漢字で書くと「ご馳走」になります。
「ごちそう」とは、決して高級な食材を使ったものだけを言うのではなく、
作ってくださった方が、「馳せ走って」食材を用意してくださった、
汗の結晶としての料理のことを言うのですよ・・・と。
ありがたいです。
 


宇宙のこと
「宇宙には、なぜはないよ」
大好きな星の博士が教えてくださいました。
「僕は、長年宇宙のことを勉強してきたけどね。分かったことが一つだけあるのさ。
それはね。宇宙は分からないってことさ。」
「何かにつまずいたら。
何か辛いことがあったら。
夜空を見上げてごらん。
人間の悩みなんてね、
大きな大きな宇宙の中では、とても些細な事だって気付くはずだよ。」
「たとえば学校なんかでね。
成績とか順番をつけるでしょ。
たとえばそこに100人いたら、1番から100番までできちゃうの。
100番の人がいないと1番の人ができないでしょ。
とりあえず、そのことだけで順番を付けただけのこと。
ただそれだけのこと。
別のことで順番をつけたらまた違う順番になるでしょ。
そんな狭いところで付けた順番なんて、たいしたことじゃないですよ。
自分の宇宙をもっと広げてみましょうね。」
たくさんのことを教えてくださいました。
そして、その博士は、
今は、お空の星になって、いつも見守ってくださっています。



何もないって楽だね。
もうすぐ70歳になる母。
僕が生まれる1年前から祖父と始めた家業。
田舎のよろずやさん。
僕が小学校に上がる前から、祖父が市議会議員になって、必然のように父が継いだ。
それからずっと、両親は、田舎のよろずやさんをしていた。
僕が、25歳で家業を継いだ。父の反対を押し切って。
祖父が応援してくれた。
そして、29歳の時、会社を興した。
喫茶と輸入雑貨の店を経営。
3年後、映画製作がきっかけで倒産。
1億8千万円の負債。
母は、毎夜身体を震わせながら泣いた。
僕の事業の失敗で、母を精神的に追い込んでしまった。
何日も震える母を抱いて眠った。

そのことは、程なく落ち着いた。
父が田畑を売って、7割がたの負債を片付けてくれた。
そして、その10年後。
父が引き続き経営していた家業の田舎のよろずやさんも
時代の流れの中で行き詰った。
全ての財産を処分した。
祖父が残してくれた大きな家も、とうとうなくなってしまった。
その時は、もう、母は、泣かなかった。
悔しさはかみ締めていたけれど・・・。
それからまた5年の月日が流れた今。(2006年現在)
両親は、元気に小さな借家で生活している。
二人ともまだ現役で働きながら・・・。
ある日、母は、笑顔で言った。
「何もなくなって楽になったね」
「元気で生きていられるだけで幸せだよ」
その言葉に、勇気をもらった。


当たり前が在り難い。
0代後半。
立て続けに身近な人の死を経験した。
母方の叔父。
お隣のおばあちゃん。

父方の祖父母。
特に祖父の死が大きかった。
原因は、様々なれど、死というものは、万人に等しく訪れる。
それも、予告なしに。
死は、常に生の隣に在る。
だからこそ、今この時の生を悔いなく生き抜く。
日々の生活が、当たり前のように繰り返されている。
そう感じている人は少なくないでしょう。
でも、同じことが繰り返されているなんて事はありえないのです。
全てこの世は無常なのです。
常に同じということは一つもないのです。
たとえ、同じと感じていても、今この時の当たり前のように思える現実は、
実は、決して当たり前のことではないのです。
この世のいのちは、如何なるものでも、無限の奇跡の積み重ねによる尊い現象なのです。
そんなことを、身近な人たちの死に遭遇することで、学ばせていただきました。



君は、本当の平和を知らないんだね。
2001年か2002年だったか?
オーストラリア人のアーティストに案内されて出会った写真家の大御所Tさん。
数年のご無沙汰を気にも留めずに、とてもよくしてくださるこころ広い方。
会うたびに、たくさんの気付きと学びをいただけます。
先日、僕のコンサートを聞いてくださって、一言。
「君は、本当の平和を知らないから、『平和』という言葉が使えるんだね」
先日観ていたTV番組で、ある部族の事を話題にしていた。
「私たちの部族の言葉には、『平和』という意味の言葉はありません」
そう言えば、オーストラリアのアボリジニ、ヨルング族には、「不安」という意味の言葉がない。
陰陽師の「言葉は呪」を思い出しました。
(「祝」も「呪」で、「呪」は、いい事も悪いことも両極を持つそうです。)


 
「愛」「幸せ」「平和」について
言葉は、概念で、ある意味「縛り」ですね。
なので、無意識に「コントロール作用」が働いてしまいます。
どういう意味で理解するかによって、大きく世の中の現象が変わってくるように思います。
そんなことを鑑みて、僕は、こう思います。
愛とは、
人から与えられたり、人に与えたりするものではなく、
そこに在る「いのち」を大切にした時、
そこに、ふっと生まれるエネルギーのことを言う。
そして、その「愛」が生まれた時、
「幸せ」を感じる。
「幸せ」には、決して条件もなく、
誰かにしてもらったり、してあげたりするものではなく、
自分が感じるもの。
そして、その「幸せ」を感じている状態を、
「平和」というのではないか、と。
人は、この地球に誕生して以来、
たくさんのことを経験して、
その中から、「言葉」という道具を生み出した。
そして、自ら生み出した「言葉」によって、
時に、自らを傷付け、陥れたりもする。
「言葉」という道具のみならず、
「お金」「エネルギー」「乗り物」「刃物」など
あらゆる道具を生み出し、
その「道具」によって、
自らのいのちの危機をもたらす。
それこそが、人間の最も優れていて、
同時に、最も愚かな性なのでしょう。
だからこそ、せめて「言葉」だけは、
「愛」そのものでありたいと願います。


若き友人へ贈った言葉
もう、何年になるだろうか?
息子・・・といえるほどの年の差がある友人。
彼は、若くして、人生の大きな挫折を経験している。
かつて、自ら招いた事故によって、人生の目標を一度失った。
しかし、その苦難を克服して、新たな夢に向かって歩いている。
その彼が、人生のパートナーを得た。
この3月に挙式。
そこで、演奏をして欲しいと依頼をくれた。
嬉しいお誘いです。
その彼に、ある時、ふと贈った言葉。
「『信じると』は、全てを受け入れること。
『愛する』とは、全てを許すこと。」
でも、いつも、誰かに贈る言葉は、自分に言い聞かせているのですね。
いい事も悪いことも全てお互い様ですね。


 
全部丸ごとありがとうございます。




 
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