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MEMO
日記   No.1〜No.40        
      
                1999 年 5月ごろから始まります。

No. 41 〜 No. 80 こちら
No. 81 〜 No.100 こちら
No.101〜 No.130 こちら
No.131〜 No.160 こちら
No.161〜 No.210 こちら
No.211〜 No.304 こちら
No.305〜 No.381  こちら
No.382〜 No.405  こちら
No.406〜 No.437 こちら
No.438〜 No.500 こちら
No.501〜 こちら

__________________________________________▼下のほうにN0.1があります。

No.40 (2000.7.5 水 AM 10:15 )


きのう、図書館へ行った。
「MOE」(ファンタジー系イラストを主に載せている雑誌)の8月号に顔見知りの方々の記事が出て
いたので椅子に腰掛けゆっくり眼を通すことにした。
井上直久氏が7月24日から青山「ピンポイント・ギャラリー」で開催する『イバラードからのお土産』
の案内が写真入りで出ていた。(写真は焼物のイバラード・ハウス。)

次に眼にとまったのはイラストレータ−の吉田稔美(よしだとしみ)さんで、本人の写真と作品が掲載
された記事である。「ボローニャ絵本原画展」入選の事にも少々触れて書かれている。
吉田稔美さんとは井上氏の個展で知合ってから6年程になるだろうか、いろいろなおもしろ情報を聞か
せてもらったりしている。実によく様々な個展、展覧会に足を運んでいたようだが最近は自分の展覧会
の作品づくりに忙しい様子である。

最後に眼にしたのが「Presents」というコーナーで、井上さんの所に「めげゾウ」がプレゼントの品
として3体登場している。そしてそのすぐ隣には「ビリケン商会」で売り出した「Z(ゼット)くん」
が姿をみせている。
「ビリケン商会」のことは[No.27]の中に少々書いたのでそちらをご覧頂きたいが、オーナーの三原さ
んは私の個展にも来ていただいており、隣り合わせに掲載された事をおもしろく感じてしまった次第で
ある。

個展に来ていただいたといえば、(株)サンク・アール社長の市田氏にもお越し頂いたのだがその時
伺った話の中で氏と赤瀬川原平氏はM美の同級生であったという事であるらしい。
そしてその当時のエピソードを1つ紹介して頂いた。よく知っている人物のひとりであったようだ。

片や私の学生時代の師であり、片や14年いた会社の現社長である。

リンクというのであろうか?
「縁」という感じなのだろうか、狭い日本なのであろうか?

16回東急ハンズ大賞
の受賞式(東急本店内)の時、準グランプリ賞をもらったT氏と会場を出るところ
で軽く挨拶し別れた。
それから数時間して渋谷ハンズの素材売り場でバッタリ会い、話しをしている内にKという人物の名前
がでてきた。そのK氏は以前サンク・アールで一時的に仕事をしたことがあった。アメリカ「ユニバー
サル・スタジオ」の「バック.トゥ−・ザ・フューチャ−」館で使われている映像のジオラマを作った
という事であった。そのビデオを紹介しながら話しを聞かせてくれた。アメリカで暮らしていたころの
話しであるらしい。そのような事をT氏に話すと、
「いっしょにやってたんだよ」という言葉が返って来た。
T氏はどうやらK氏といっしょにそのジオラマを作ったスタッフだったようだ。ここ数年、ニューヨーク
にアパートを借りてそちらを拠点に活動している、という事であった。

狭い業界ということであろうか?

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No.39 (2000.7.3 月 PM 0:15 )

「ゐわちき」さん、もうそろそろHP出る頃でしょうか?
ぜひ、掲示板にカキコミお願いします。

7月2日(日)、この「MEMO」でも何度か登場した団地の「草刈り」がついに実施された。
もちろん私も参加した。9時〜11時ぐらいまで。
ひさびさに汗をかいたのでシャワーが気持ち良かった。

HPにあった「CM好きな人のために」は「CM通信」に名前を改めた。
カウンター。次のささやかな喜びは「5000」、そして「10000」超える時。
さらに、1日のアクセス数がそれくらいになったらもっとおもしろいけど。

未来の形。
最初にこのホームページがM氏によってUPされた時、なわとびをする少女のアニメが1つ、
左端に寄せられて白い背景のなかで動いていた。
1ページに1つのアニメ。
私が描いたシルエット作品にナワの絵が簡単に3パターン付け加えられた。
それをまとめると、なわとびする少女のアニメが出来上がった。
その落書き感覚のまま、私のホームページ第1号が誕生した。
そのURLを最初に誰に送ったか、忘れてしまったが日記によると4月25日の事であった。
去年の事のように思えていたのに。

それから、M氏に教わった操作法を使ってページを増やし、写真を載せ、文章を書いて来た。
更新に次ぐ更新!世に言うところのハマッたというやつである。
4月25日最初の1ページがUPされ、6月2日にカウンターが取り付けられた。
現在約25ページ、10MB近い容量のHPであるが、さて、これからどういうものを加えて行こうかと、
未来の形に思いを巡らすのであった。


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No.38 (2000.6.28 水 PM 7:15 )

現在この「MEMO」の読者は約2名である。ひとりは少し前に出ていただいた「ゐわちき」さんと、
いぜん掲示板に新横浜の事でマニアックな情報を提供していただいた「美代子」さん、以上2名
である。(たまに、「MEMO」読みましたというカキコミがあるにはあるが)

なにぶんにも、結構な時間と労力をつかって私はこれを書いている。
よっぽどヒマなのであろうか?う〜n、そうなのだろうか。
けしてそんな訳ではないのだ。
私は現実からひと時、逃れたい。と、ただそれだけなのだ。
私のこうした時間が何か仕事にむすび付けばいいのだが、今の所さしたる当てはない。

また、愚痴っちゃいました。

そしてまた夜が来ました。
テレビを付けビールを飲まなくては。
ごはんも食べなくては。

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No.37 (2000.6.28 水 PM 1:35 )

記念すべき、カウンター数字「2000」をGet!しちゃいました。前々回見た時「1814」だったので、
なんかタイム・マシンのメーターのようで(特に近代史みたいなところが好きなので)これからしば
らく遊べるなと思っていたら一気に現在へ来てしまいました。

これからは未来のみです。
思い起こせば2000年6月2日にカウンター導入しボチボチ1ヶ月目を迎え様としています。
お陰様で順調な滑り出しを見せているんじゃないでしょうか。
ありがとうございます。

ささやかではありますが私にとっては嬉しい数字であります。
もう少しページ数、増やしたい気もします。現在あるページとそれを包括する形の何か。
その何か!が何であるのか?
ただいま手探り中、といったところですね。

ところで凄い雨です。さっきまで風があったので特にそんな感じでした。

井上直久氏より「著作権料支払い済み」を表すシールが100枚、送られてきました。
いよいよ「めげゾウ(クリめげ)」発売の準備がほぼ整いました。
あと、販売法にともなう表示という作業と最終的な値段の決定を下さなければなりません。
今週中にはページ更新し、「めげゾウ」発売!という形にする予定です。

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No.36 (2000.6.27 火 PM 7:50)

夕方、2時間ほど寝てしまった。
昼間、郵便局とスーパーに行き荷物たくさんだったので疲れてしまったのかもしれない。
それよりもっと考えられるのは最近(6月20日より)テレホーダイを始めて、夜中や早朝起きている
事が多くなったのがその最大の原因なのかもしれない。

新しく何か始めるとしたら何がいいだろう?

旅行もいいかもしれない。
さて、どこがいいだろう?


HPでしばらくは遊んでいよう!
と、書いたところでちょうど11時になった。
テレホーダイの時刻がやってきた。
きょう20ページのほとんどに何がしかの変化付けたので
これからそれをUPしようと思います。
たいした違い感じないだろうけど。


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No.35 (2000.6.26 月 AM 8:00 )

他のページに書いたものだけど、隅っこのページなのでこちらにコピー。
自分の書いたものを一ケ所にまとめて見れるようにしたい欲求。
この「MEMO」というスペースを文字で埋めつくしたい欲求。

スプートニク」とCCCP

   

1950年代、ライカ犬を載せた人工衛星「スプートニク」
が地球の周りを廻った。1号、2号と打ち上げられ、私
は多分2号の時、日本上空を通過した衛星のことを絵日
記に書き留めた。上半分の絵を描く所に小さく丸を描き、
何本かアンテナを表す線を入れた。しかし実際見えたの
は小さな動く光りの点だった様に記憶する。


去年だったか今年に入ってだったか、テレビでこの「スプートニク」がオークションで落札
された事を報じていた。直径が1mにも満たない金属製の球体とそれに取り付けられた数本のアンテナ。

その「スプートニク」のミニチュアがわたしの部屋に置いてある。
直径が3センチ程の金属の球体そこに印された通称カマトンカチのマーク。
旧ソ連の旗の中にあるあのマーク。(現在国旗はどんなやつ?同じかな?)
そういえばあのマークには何かちゃんとした呼び方があったんだろうか?

私は「CCCP」というソ連を表すあの記号も好きであった。宇宙を連想させるものだったからだろう。
(ロケットの側面や宇宙飛行士が身に付ける物にそれが印されている写真を科学雑誌などでよく見かけ
た。)その記号は手元の置き物にも刻まれている。
これはそもそもオルゴールの置き物だったのだがその部分はある時私が外してしまった。
買った時にはすでに動かなかったし、私の分解ぐせが出て少し残念な事であったかもしれない。

私の持ってる物のなかで地球儀型のラジオというのがあって、直径が20センチ程であろうか金属
とプラスティックで作られている。これは1980年半ばに横浜のアンティック・フェアで買った物
だったが、そのレトロ感のわりに値段は3000円とかなり安かった。見ると、何かにぶつけたか
落としたかして、見事旧ソ連のところに大きいヒビが入っていた。
思わせぶりなアンティックものであった、今にして想うと。

そのラジオも分解ぐせでバラバラになってしまった。
 
                  
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No.34 (2000.6.25 日 PM 5:50 )

知人のHP掲示板でアート話しをした事のある「ゐわちき」さんから、「見てますよ」というカキコミ
をいただいた。この「MEMO」を読んでいただいているという事で[No.32]で書いた不安はしばらくは
忘れられそうだ。

ところで、きょうのテレビは開票速報でほぼ全局がもりあがりを見せるんだろうなあ。内容はどうあれ。
わたしも行ってきましたよ、投票。
空想家を目指す私も1票が重いんだか軽いんだかシステムわからんけど
選挙権を有する者としてその権利を行使すべく。(これで日本語あってますか?)
小雨降る中、散歩もかねて。
近所の小学校へ。
傘さして。

でもって私も開票結果が気になるってもんです。

部屋に戻って、パソコンいじってたら眠くなり2時間ほど横になった。
これから夕食だ。
何万回食べては寝てという日々を過ごしたんだろう?
曇り空をながめ、暮れて行く景色を感じていると膨大な時間のようにも思え、
この地上に生息する生物としての行き場のなさ、閉塞感のようなものを感じた。
お腹空いて、気分がどっかへ行きそうになっているだけなんだろうけど。

言葉と水と食べ物

ビールと魚

地上の暮らし

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No.33 (2000.6.25 日 PM1:30 )

日曜の朝。くもり少々小雨。テレビのスイッチ入れ、リモコンでチャンネル操作してると
いきなり赤瀬川氏の顔が画面にあらわれた。「新日曜美術館」というNHK教育の番組だ。
おやおや今日は戦後美術でもやってるのかと思いしばらく見てると、今度は種村季弘 氏の
登場だ。以前にも少し書いたが、種村氏は私が行ってた美学校という学校の講師をされていた。
私もよく講義は聞いていた。どうやら今回は氏がメインの内容らしい。と思って情報誌を見ると
『奇想美の迷宮・種村季弘の眼』という題が付いている。

1972年、美学校の事務局でみかけたとき私の眼に種村氏は学校の先生の様にみえた。
実際、学校の講師をされていたのだが、着流しで五分狩り親分キャラの松山俊太郎バラモン教研究家
や舞踏家、笠井叡の何者?といった雰囲気の中にあっては、よけいに善良的な先生という印象を受け
てしまったのだった。
で、肝心の番組の中身なのだが私の手におえないので各自、時間あったら今夜8時の再放送を
見て下さい。

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No.32 (2000.6.24 土 PM6:10 )

マウスの調子が悪い。iMac の丸い形のマウス。画面上のカーソルが、ゼンゼン思うように動いて
くれない。分解掃除でもやるようか。

またまた不安材料が沸き上がってきた。以前にも書いたが、いったい何人の人にこの「MEMO」
が読まれているかという問題である。そういった疑問を前書いた時ふたりの人から見ているゾ
という様なことが掲示板に投稿されて来て、非常にありがたかった。なぜといってこれを私が書いて
いるのは話しを聞いてもらいたいからに他ならないからである。
しかしそのふたりも今ではどうか分からないので不安になってしまったという訳である。
どうかこれ読んでる人いたら、誤字、脱字などお気付きの点あればぜひ掲示板にカキコんで
もらいたいし感想などカキコんでもらえたら更に嬉しいので、よろしく!

さて、きょうは「CM好きな人のために」というヒネリのない題のページを作った。
これは私が勤めていた会社の仕事で経験したことをもとにして書いたミーハー丸出しの偽らざる私の
CM業界隅っこのお話である。そんな話しでよければ14年の間に見たもの聞いた事をコマゴマ書く
ので、(株)サンク・アール以外の人に読んでいただけたらと思う。
なぜなら完徹あたりまえの建て込み、撮影でがんばるサンク・アールの人たちに私の話しは呑気な
お話と想われるだろうからである。
でもこの事はここだけのことにして、
私は何か書くつもりでいるのだ。

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No.31 (2000.6.23 金 PM9:00 )

昼間、「めげゾウ」の作り方というページを作った。
そのための写真を10枚程デジカメで撮った。プラキャストを型に注ぎ込むシーンでは
容器の中に、黒砂糖ハチミツを入れてそれらしく見せた。

ところでホームページだが、もうひとつ作るとしたら自分はどんなものにしたいのだろう?
この「シルエット工場」もある種の枠を感じてきて、ちょっと違った事をやりたい様な気がしてきた。


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No.30 (2000.6.23 金 AM8:00)

きのう書いてて、あまり気分が乗らなかったのは
たぶん、トップページにある「MEMO」の脇に
毎日更新なんて余計なものを入れてしまったためなのだろう。

さっそく、その部分外すことにした。
ホッとした。

これで、また気楽にここに書いていける感じだ。

好きな時に、好きな事を。

だれに気を使うでもなく。あ〜いい湯加減。

お腹すいてきたなあ〜。何たべようかなあ。
今、外はすごい曇り空。しかも何か黄ばんだ感じの空気。風がなく細かい雨が降る。
眼下の雑木林が鬱蒼たる密林のように思える程の熱帯じみた空気感。

又してもアンコール・ワットに住んでいる気分。
寺院の中に私の部屋が設置されていて、そこでパソコンのキーボードを叩いている。

架空の密林。

いつか、あらゆることがヴァーチャルで完全に行ってしまう時。
歴史の様々なディティール観察へと旅立つ人。
あらゆるソフトで多元世界へと意識移行する。
「悟り」と題されたソフト。
多元構造宇宙への旅。
多元ねえ?

「労働」と題されたソフトの売れ行きは?
労働、空腹、残業、仕事、通勤、会社、家事、勉強、死、病気、・・・・・

空腹ゆえの現実感。

そろそろ何か食べなくては。
少し入りこんでしまった。意識が朦朧として

さて、これから朝10時の朝食である。



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No.29 (2000.6.22 木 PM2:00)

10行程書いた文章をとりあえず別の所に保存して、もう一度初めから書くことにした。
3時になろうとしている。
少し眠たくもあり、しばらくしたら寝てしまうかもしれない。

曇っていて蒸し暑い。扇風機を先程から廻している。
パソコンと扇風機のファンの音、それと彼方から聞こえるプロペラ機の音。
たまに、小鳥のさえずり。

少し眠ろう。


1時間半程、眠った。
先程とあまり変わっていない、すこし夕方の感じが、しはじめている。
5時をまわった。
実は文章を書いては消しということであまり気分が乗ってこない。
つづきは深夜。

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No.28 (2000.6.21 水 PM5:30)

新百合ヶ丘にある図書館に行って来た。自転車に乗って。
途中、郵便局に寄って現金書留を受け取った。
きのう配達されて来たものだったのだが、部屋に居たにもかかわらず留守扱いにされてしまったのだ。
Yahooオークションで売れたおもちゃの代金である。
5万円。うれしい。
しかし別に儲かった訳でなく買った値段と同じなので、ある期間持ってて楽しんだといった感じなので
ある。これで何回ぐらい、スーパーでの食料買い出しができるだろうか。
ささやかなワイルド感のある暮らしぶりではなかろうか。

きょうは大っきい魚が5、6匹釣れた感じかな?
狩猟生活じみた喜び。

図書館では新聞にザッと眼を通す。毎日新聞、日経流通、図書新聞。
続いて雑誌を少々。ここにはあまりおもしろい雑誌が置いてない。
美術関連の棚へ移動する。いつもここに一番ながく居る。
絵とか写真とか見てるのが気楽で私には向いている。
何かアイデアを探しているのか?そんな感じ。
きょうはしばらくの間、福田美蘭の作品集を見ていた。



外に出ると広場の時計が3時半をさしていた。
ひと駅分離れている道を小さな川に沿って走る。

スーパーに寄って買い物をする。
きょうは少し多めに何か買っちゃおう!って気分。
ビールを飲むのに何がいいだろ、ってことで来ました魚売り場。

まさに狩猟生活気分、満喫!



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No.27 (2000.6.20 火)

この「MEMO」を書いているのが最近は一番楽しい。気が楽である。何の制約もいらず(?)
好きかってな事を書いていればいいので、楽しくてしょうがない。これを趣味という事にしよう。
それにしてもこんな事が日課になってしまっていいものだろうか?
私は現実から逃げる様にしてこの文章を書いているのである。
ところで、つい先日Yahooオークションに出していたおもちゃの車が5万で売れた。
落札されたのは愛知県に住む同世代の男性である。
しばらくは身の回りの品物を売って暮らしていこう。あと自分の作品も少しずつ売れる様な
形にして行こう、ホームページを使って。

さて、きょうは何を書こうかな?
忘れない内に赤瀬川原平氏のことを少し書こうかと思う。

赤瀬川原平について知っている2、3の事

1972年に美学校という所に入学したのは以前に書いた。
その頃のことで印象に残っていることを少々。
原平(ゲンペーさんと普段、呼ばれていた)さんは、当時ディズニーの腕時計をしていた。
何の絵柄だったかは憶えていないが、ソフトなインパクトを感じたんだと思う、今だにその
事が頭に残っている。最近、現代美術にオタク文化を取り入れたものをよく見かけるが
そういった印象がその腕時計から感じられた。あるいは腕に巻かれたたウォーホール作品というか。

原平氏の声は低くソフトである。どうしてだろう?
そんな疑問はよいとして、最近その声を十何年かぶりで電話越しに聞いた。

私の知合いにMさんという人がいて、アンティック・トイ・ショップを持っている。
そのMさんが1960年以降の主に日本の美術関連のモノを集めていて、
例えば、横尾忠則のシルクスクリーン・ポスター、片山健の絵、つげ義春のイラスト、等々結構な
量のコレクションになっていた。ある日、店の中で立ち話しをしていると赤瀬川氏の「0円札」に関
する話題になった。私が以前、氏の家に遊びに行った時に買った「0円札」をすでにある知人にあげ
てしまった事をその時伝えた。私もMさんのコレクションが充実すればおもしろいと思ったので
後日、(日記よると3月2日)ふと思い立って赤瀬川氏に電話してみる事にした。

電話口からは低すぎる程の「赤瀬川ですが」という声が聞こえた。
20年近くも会ってないのではなかろうか、分かるだろうかという気がして「あのう72年度の」
といって名前を告げた。幸いすぐに思い出してもらえて、手短にその後の事や現在の事を話し、
今回の用件を切り出した。残念ながら今はもう売っていないという答えであった。
では失礼しますといって私は受話器を置いた。

1970年半ば、まだ氏が杉並の善福寺に居らしたころ2度程、御宅におじゃました。
近くに浜津という友人(彼も赤瀬川原平工房生徒)がいて、彼に誘われる形での訪問であった。
氏の部屋に通されて所在なく本棚などを見ていた。その時に一体何を話したのか、すっかり
忘れてしまった。
そして、桜子ちゃんという娘さんがいて幼稚園ぐらいだったのだろうか、窓から見える学校
の野球場らしきものと共におぼろげな記憶のひとつになっている。

その日の夜だったか近くの善福寺公園に赤瀬川さん一家と友人と私、散歩に出掛けた。
夏だったんだろうか、花火でもやりに出かけたんだろうか?

家に向かう途中、駐車場の月極という字を指差し「あれ、ゲッキョクってどんな意味なんだろ?」と
だれに聞くでもなく真剣にたずねると、
「つきぎめじゃないの」という素っ気無い返事がかえって来た。ポカンとして「宇宙めく字だよね」と
言った私をみて奥さんが「何座(生まれ)?」と聞かれた。そのことが一体どんな判断材料に繋がった
のか今でも私には分らない。


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No.26 (2000.6.19 月)

きのう、渋谷で友人と会った。3年ぶりぐらいかもしれない。

喫茶店に入り、しばらく雑談し店を出るまでの間に私がウォークマンを落とし、相手がコップ
をテーブルから落とした。幸い割れなかったが、店の人が慌てて床を拭きに来た。
ウォークマン落とした時には電池が飛び出、少し離れた隣のテーブルの人がそれを拾ってくれた。

騒々しい二人の客であった。

日曜日の渋谷の混雑ぶりは相変わらずで、そういえば今年の2月、パントマイマーのN君
といっしょに109前のホコ天で彼が街頭パフォーマンスをやった事を思い出した。

私はパントマイムをする彼のまわりで公演を知らせるチラシを配っていた。そして何枚かの写真
を撮った。母親に連れられた小っちゃい女の子が、そばでずっと彼の仕草を見ていた。
そこへパントマイム企画の事務をやっていた女の子が彼氏を連れて偶然現れた。さっそくチラシ
配りを手伝ってもらう事になり、おおいに助かった。ふたりは映画を観に行き、私達は原宿へと
向かった。



5ヶ月程前の事になる。でも数年前の事の様に想える。なぜだか。

人混みから逃れて松濤にある小さな公園へ友人とやって来た。水車小屋があって、池がある。幾
つかのベンチは子供から老人まで様々なタイプの人がくつろいで腰掛けている様に見える。人が
いて話しているのにどこかそれらが遠くに感じる、のんびりとした日曜の公園である。

そして私は28年程前の事を思い出していた。
東京に来て、学校以外で初めて知り合った人たちの事を。

京王線新宿駅の2F通路のような場所で、あるグループの展覧会が開かれていた。
内容がどういったものであったかまるで憶えていないが、そのグループの人たちと話す内、渋谷
にある彼らの溜まり場に来ないかという事になった。その日だか、後日だかに私は溜まり場だと
いう彼らのアパートを訪ねた。渋谷駅から東急本店脇を通り、小さな公園を過ぎてしばらく行くと
大きな道路にでる手前にそれがあった。手摺のついた鉄製の階段を上がって2DKぐらいの部屋
の片方に通された。
話しによるとその部屋の住人、グループ主宰者は二人のTVカメラマンということであった。ここ
からだと仕事場まで歩いても差程の距離はないであろう。
私は本棚にあった横尾忠則の作品集をながめていた。何人かが部屋に入ってきて話しを始める。
画学生、グラフィック・デザイナーなど数名が集まってはミニコミ誌といわれるものを作っていた。
何が書いてあったのか殆ど忘れてしまった。政治色は差程なかったと思う。
パロディが多かったのかもしれない。


溜まり場を訪れた帰りによく公園に立ち寄った。そのころ私は松濤という地名を知らなかった。
6月ぐらいだったとおもう、その日雨が降っていて傘を差しながら私は「サルビヤの花」という
曲をくちずさんでいた。同じような雨がテレビで見た日比谷野音にも降っていた様な気がして時代の
気分というものを感じた。
井上陽水の「傘がない」という曲がどこかで流れていた。そして次の日
が来て、またその次の日が来た。1年が過ぎ、そして28年の歳月が流れた。

悲しい歌と6月の雨。

1972年、まだパルコが渋谷にない頃のお話し。

久々に訪れた公園の入り口には大きなモニュメントが聳え、池には水車が廻っていた。



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No.25 (2000.6.19 月)

友部正人のHPみたいなものがあってそこの掲示板に書き込んだ文をここに
コピーします。

6月1日 投稿者:kikuo  投稿日:06月01日(木)19時27分50秒

きのう、名古屋の三越デパートで開かれている「井上直久(「イバラード」)展」と
いうのに行って来ました。私が一部キャラクターグッズ作っている事もあって、その打ち
合わせも兼ねてなんですが、行きの電車、ケチって各停にしたんです。
7時間かかりました!   風景たっぷり観ました。
その間、以前友達からまとめてCD借りて編集したカセットテープ繰り替えし聞きました。
大塚まさじ、加川良、シバ、そして友部正人。部屋を出る時いいかげんに選んだ
このテープが正解でした。

しかし友部正人の声はどこと、つながてる声なんだろう?
「だれも僕の絵を描けないだろう」という言葉が私の中でかってに
その事との関係を考えさせる。(好きかってな解釈、楽しんでます)

電車の中で聞いたテープで友部正人はディランの歌を訳して歌っていた。
「あんなふうにいつか俺も自由になれるのさ」という言葉に
いまでも私は、強いあこがれを感じている。

後藤さんのホームページおもしろかったので、またのぞいてみます。
谷保にはある高名なエッセイストの通ってた店もあるらしく(その店を舞台に
して書いていたらしいですが)、一度飲みに出かけてみたいものです。



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No.24  (2000.6.18  日)


[No22] で書いた「春季草刈り」は中止になった。
せっかく気持ちの準備して集合場所へ行ったのに、集まったのは私ともう1人年配の女性だけである。
団地内公園はここだけではないので(団地は5F建てで40棟以上ある)、すぐそばの広場へも行って
みる。少年たちが野球をしている。ここでもない。
そういえば金曜日、私が自転車で爆走してた日に皇太后が亡くなられた様子だった。
翌日、友人と電話している時にその事を知った。危篤のニュースは聞いていたのでそうかあ、と思って
納得した。で、まさかその事と今回の「草刈り」中止は関係あるのか?と一瞬そんな考えがよぎってし
まった。

しかし時刻はとうに開始予定の9時をまわっているはずだ。部屋を出る時それくらいあった。
団地は静まりかえっている。
私と年配女性は首をかしげる。そして元の場所へ戻ったとき1枚の紙が貼られた掲示板に気が付いた。

『「草刈り」は雨水により斜面が滑りやすくなっているため、本日は中止します。作業は7月2日に
延期します。』


そういえば8時半ごろ団地内に設置された拡声器でなにか放送してたけどあれはこの事を言っていたん
だな、だけどその時わたしはパソコンでどっかの掲示板にカキコミしてて以前書いたけどiMac初期タイ
プ、ファンの音がちょいとうるさくて、で私は放送の内容を「草刈り」予定どうり実施しますのでみな
さんよろしく!と聞いてしまったのであった。晴れてたし。

うれしいのか悲しいのか?

イヤな事が先延ばしになった事が悲しい。
とりあえずそのイヤな事が、きょうはなくなってうれしい。


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No.23  (2000.6.17 土)

きのう夕方5時ごろ知合いが来て1時間程話しをし彼を見送ることになった。
そのまま、少し近所を廻るつもりで自転車を持ち出した。駅まで歩くという彼と挨拶して別れ、反対
方向へと走り出した。

近所に流れる河を下流に向かってしばらく行くと、大きな月が出ている事に気付いた。きのう満月だっ
たのか、あす満月になるのかあるいは、きょうがそうなのか夜景へと変わる街の頭上に姿を見せている。
立ち並ぶ幾本かのクレーン、数百個の蛍光灯が整然と並ぶ幾棟かの高層マンション、学校や工場のシル
エット。打ち上げられるロケット花火の音。川面に反射する電車の灯り。

どれくらい走ったものか遠くに大きな競技場と高層ビルが1つ見えて来た。一瞬横浜かと思い驚いた。
(ちなみに私は小田急線新百合丘隣の柿生に住んでいる)まるで方向がわからなくなり、都内のどこか
とも思った。街の中心部に入ると、駅に通じる地下通路入り口があり、そこに「新横浜」と書かれてい
た。コンビニで弁当を買い、近くの公園でそれを食べる事にする。側に大きな河がある。腰掛けた場所
からは流れはわからない。犬を連れ散歩する人が現れる。大きなモニュメントに一体いくらの金を掛け
たのか、用途のわからないドア付きの円筒構造物2個にも存在理由を問いただしたい気持ちだ。

しかし、何よりもこれから自転車で帰らなければならないのだ。月に騙されて遠くへ来てしまった。

途中、鬱蒼と茂る木や草に襲われる恐怖を感じて夜の中の動物は一心にペダルを漕いだ。
早くあの団地に帰りつき、シャワーを浴びることだけをを願った。


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No.22  (2000.6.17 土)

アンコール・ワット

明日、私の住む麻生台団地では「春季草刈り」というのが実施される。
どうか雨天中止にでもなって、できれば半永久的になくなってもらいたいものである。
自然を大切に、であればそういったことも当然考えられてよいのである。

しかしどうなのだろう?人間がこうして自然環境に抵抗しないと多分かなり住み辛くは
成りそうだ。道路は草に覆われ、建物は陽が当たらぬ程ツタが絡むのだろう。
まるで発見以前のアンコールワットの様に。(適当なイメージです)

そんな事を考えていたら自分がアンコールワットの中に住んでいるところを想像してしまった。
どちらかというとエキゾティズムにおいて私はアンコールトム(顔が付いてる方の寺院)の方が好き
なのだが、どうも私の中に南方の事物に対する関心があって、でもそれはたぶんにイメージ
的なことで実際の場所へはあまり行く気がしないのである。

私の中の渾沌としたものへの志向、その事との関連でイメージする廃墟、密林、浸水した都市、
別な言い方でいえば、ジャングル化した廃墟のベネチアといった感じか
そこに錆さびのモノレールや遊園地の乗り物、そうですね、カオス・ファンなんですね、きっと。

映画、雑誌などで廃虚的イメージなど多くみかける事なので足を洗いたい気もしますが
物件が際限なく多いのでその都度また感慨も新たになりナカナカやめられないのです。
文体もカオス化し始めてきたので此の辺で。



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No.21 (2000.6.16)

[No.20]を書いたのは16日の朝6時ごろ。
で、現在夜の11時30分。
しかし珍しく体動かし疲れたので
きょうはこれで寝て、あしたその事を書きます。
では。って、まるでメールだ。

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No.20 (2000.6.16)


きのう渋谷、六本木に用事があって出掛ける。
六本木交差点角の書店SEISHIDOU隣、万華鏡店「マイヤーズ」に行く。
用事を済ませ、近くで食事をし外に出ると日が暮れてネオンが輝き出している。

私の作った万華鏡店の小さな看板にも照明が当てられている。
(このホームページのどこかに取り付けた際の写真が掲載されている。)


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No.19 (2000.6.15)

多少、更新。現在AM 5:03
もし、この「MEMO」いちおう読んでる人いたら
掲示板に「読んでる」とだけ入れてくれませんか。   

メールアドレスとか、もちろん要りません。名前も適当で。

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No.18 (2000.6.13)

これまでに欲しいと思ったモノ。


中西夏之のオブジェ
オパール化した貝の化石
ペンシル・ロケット

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No.17 (2000.6.13)

今度はこれからのことを書こう。
このホームページが10MBまでなのでそろそろ限界かもしれない。
まだ載せたい写真とかあるので100MBまでOKのプロバイダーにも加入しようと思う。

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NO.16 (2000.6.13)

友部正人関連のホームページに書き込んだものをコピーします。
(坂本龍一がスタジオミュージシャンとして始めて参加したのが友部正人のアルバム
だったそうですね。)


昔のことだけど 投稿者:kikuo  投稿日:05月29日(月)20時59分13秒

加川良のことがふと気になって調べてみることにしたのです。
そういえば友部正人氏とかどうしてるんだろうと、これも気になりホームページらしき
ところを覗くとこの掲示板があったので、なんだか書き込んでみたくなりました。
もうずいぶん昔なので(70年代半ばぐらい)そんな昔の話しと思われるかもしれませ
んが、赤羽の「るあん」という店で友部氏のライブがありました。
その時の歌う姿には、風を感じました。チンプな表現かもしれませんがその時はそう
思いました。
ライブ終了後、氏の方から声をかけてもらい、阿佐ヶ谷の飲み屋に行き
ました。店には永島慎二(こんな字だっけ?)とかいました。立花という絵を描く
人を紹介してくれました。そして「にんじん」のジャケットになっている人物の歌
を聞きました。(もう亡くなられたと記憶しますが)

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No.15 (2000.6.12)

初期のiMacはファンの音がうるさいです。
わたしはそう思います。
ノイズが気になり始めたらやはり大抵のものがうるさいですね。

今PM 1:00 になりました。
パソコンにむかって入力する作業は疲れます。
だれも読んでないかもしれないのに。
わたしはパソコンに向かってキーボードを叩く。

もう1杯コーヒー飲もうかな。
そうだ。コーヒー飲んでしばらくしたらパソコン切って

外に出かけよう。
別に何の用もないけど。

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NO.14 (2000.6.12)


これら現象の全て、諸展開のずッと向こう側。

宇宙空間物質変容の物語

「あんたらには宇宙空間の苦労ってもんがわからないんだよ ! 」

って、なんのことか私にもわからない。

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No.13 (2000.6.12)

宇宙の生活



雨の降る、ある地質学的時代の1日
植物群と点在する都市
シダ類の中の発光するブラウン管

水晶宮の中の錆た歯車
教会の中の溶鉱炉
20世紀という博覧会

虚空への発信
世界運河の階梯

遠く思考する塔の住人である君へ

宇宙生活の調子は、いかがですか?

ペットボトルに口を付け、奇妙にゆらめくこの美しい「水」というものを見ていると
私は、私の宇宙の生活を誰かに伝えたくなってしまった。

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No.12 (2000.6.12)

きのう書いた文章をプロフィールのところにコピーした。
文章が自動的にシンメトリックなレイアウトになってしまったが
まッいいか、といった気になったのでそのまま表示する事にした。



お腹すいて来てもうどうでもよくなって来ました。
なんか食べます、これから。テレビの中でもパン食べてます。

今テレビ消して、
これからパソコンも消します。

2000.6.12 AM 9:27

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No.11 (2000.6.11)

1972年、私は上京し神田にあった「現代思潮社・美学校」という私塾のような
学校に入学した。現代美術の作家や舞踏家を集めて運営されていたこの学校には
各々の作家が受け持つ工房と名付けられた教室があり、私は赤瀬川原平か画家の中村宏か
どちらのクラスに入るのかを迷っていた。

そして事務局で中村氏の面接を受けることになった。
私は氏の作品は数点しか知らず、稲垣足穂との共著(いつの出版だったのだろう)のこと
も当時知らなかった。中村氏の到着まで多少時間があったように思う。
室内の椅子には舞踏家の笠井叡(天使館主宰)が背筋をぴんとのばし腰掛けていた。後日、
私は「天使論」という本を読む事になり、「七つの秘蹟のための舞踏会」という名の公演に
も行った。

中村氏との話しの中で私は「ガロ」などのマンガに興味があり、多少政治的で印刷物にも
関心があることを告げていた。(「ガロ」ではつげ義春鈴木翁二が好きだった)
それではという事で私は赤瀬川原平の絵文字工房に行くことになった。

事務局の壁には赤瀬川氏の模型千円札をボルトで締めたパネルが飾られていた。

クラスには、のちイラストレーターでガロ編集長もやった渡辺和博がいた。
「アリオン」というアニメの演出をのち手掛けた浜津守が年令も近く彼のアパートには
よく遊びに行った。


赤瀬川原平氏は朝日ジャーナルで多少そのイラスト(劇画タッチの)は知っていた。
高校生の時のことで自分で買って読んでいた訳でなく、図書館にあったのをたまたま覗いた
だけの事だった。機動隊や太平小僧、馬おじさんの絵だったのだろうか。
吹きすさぶ劇画タッチの風だけを憶えている。
図書館で思い出すのは「未完への脱走」という横尾忠則の本を借りた事。他に何か借りたん
だろうかと記憶を探ると、あとたった1冊、澁澤龍彦の「夢の宇宙誌」というのが出てきた。
バルテュス、ゾンネンシュタイン、ハンス・ベルメールなどが入っていたと思うのだが。
私の頭の中にはビートルズや横尾忠則やピーター・マックスのイラスト、つげ義春のマンガ、
岡林信康などのフォーク、寺山修司唐十郎の演劇を伝える週刊誌(それと圧倒的にTV!)
などが渦巻いていた。

始めての授業の時、自己紹介のような事があったと記憶する。10人〜20人。
もう全員の顔は思い浮かばない。
「老人力」の出版などで名前見かける筑摩書房の松田哲夫氏は助手という名目で授業に参加
されていた。ここしばらくはTBSの土曜日午前「王様のブランチ」という番組で新刊本の解説を
やったりしている。路上観察学会などにも参加されていたであろう。多分。

そしてこの美学校で忘れてならないのは、授業とは別に行われる講議に関してである。
秋山清種村季弘(ドイツ文学者、美術評論家)松山俊太郎(バラモン教研究家)
1回だけあった埴谷雄高の講議、手をあげて「シャカ」に関する質問をした事を憶えている。
作家村上龍はこの埴谷雄高の賞賛があって大きく知られていったといわれるが、彼もまた
武蔵美以前にこの美学校のシルクスクリーン工房に在籍していたことが衆知のことなのか、
私は知らない。

このシルクスクリーン工房の講師、岡部徳三氏は主に靉嘔(アイオウ)の作品を手掛けられ
ており、他にもウォーホルや横尾忠則、前田常作、パイクなどのものがある。以前は家が近
くだったこともあり(小田急線の渋沢)、それに私の兄や友人知人も助手をやっていたので、
何度か皆さんと酒を飲んだりした。


助手をやっていた友人が岡部氏のアトリエを去るときにナム・ジュン・パイクのシルク刷り
のトランプをもらった、といってそれを見せてもらった事がある。以前にも彼の部屋には
横尾のシルク作品が飾られていたりして、それらの物をまるで自分が持っていた宝物である
かの様に懐かしく思い出す。




30年程前のことから少しだけ書いてみる事にしました。
あのころと現在が、あまりしっくりとは結びつきません。


もう少し書きたいことがあるかもしれません。
また気が向いたら書きます。


もしこれ読んで何か感想書きたくなった人いたら
掲示板に書き込むか、あるいはメールでもください。

メールの宛先は  kikuo@coo.net  です。
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No.10 (2000.6.10)

井上直久氏よりメールいただく。
「シルエット工場」に最近、「めげゾウ(クリめげ)」と「イバラード通信」のページを作り始め、
この先グッズ販売も考えているので、その事に関する相談のメールを送っていたのですが、
今回はそれに対する返事だったのです。  うれしい内容だったのでホッとしました。

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No.9 (2000.6.10)

[No.7]で書いた「自由の爆発」という
エッセイを、ここにメール丸ごとコピーします。


きくお 様

この度はメ-ルマガジンへの投稿、誠にありがとうございます。
さっそく、次号への掲載を決定させて頂きました。
今後ともSHINKA.Netへの御支援よろしくお願いいたします。

またのご投稿お待ちしております。

SHINKA.Net 代表 吉岡

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■ SHINKA.Net [CREATORS LINK]
■ URL : http://www.shinka.net/
■ E-Mail : creator@shinka.net
================================

> [■タイトル]
> 自由の爆発
>
> [■本文]
> ちょっと様子の変わったメールが届いたので読んでみる気になったのです。
> エッセイ風の文がたくさん並んでいます。その中に、「芸術は爆発だ!!
> 岡本太郎を見た」というのがあり、ザ−ッと目を通そうとしてスクロール
> した時、飛び込んできました、私の事が。
> 「金もうけ、名声、他人の評価」、これはまさしく私の心の姿です。
> で、これが左脳的なものであって芸術はこれらと関係なく、素の自己を出
> すことだというようなことが書かれていて、そしてその事がむずかしいと
> 続いています。私の問題はそこなんです。素の自己をだす事がアートの
> 基本だとエッセイ書いた「まこと」さんは、おっしゃるのですが犯罪的欲
> 望もアート的には表現可なんでしょうか?犯罪的がおおげさなら欲望だけ
> でもいいのですが、素の自己と欲望が密接にからむ場合、それがアートの
> 名においてアクセルふかしちゃっても構わないものなんでしょうか?
> 秩序なき世界(ゆえに法秩序を必要とするらしい社会)で表現も多元、
> 多様でその結果、危険な存在へとお互いが変容しているような現在(おお
> げさ?)、素の自己が現れにくいのはむしろ幸いと思う程、人の内奥に
> いいしれぬ魔物が住んではいませんか。そしてそんな魔物が不条理という
> 舞台で猛威をふるう、メディア社会の日常風景をついつい語りたがったのは
> わたしの右脳です。(まことさんや岡本太郎のように素の自己がどこか明る
> いものであれば私はなにも心配しませんが、それに素の自己の次元という
> 問題もあるでしょう。ところで川崎には岡本太郎のおっきい美術館あります
> ね。)
>
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No.8 (2000.6. 7)

[No.6]でのアイデアは残念ながらロサンジェルスの個人だか企業だかがすでに登録
していて、www.1110.com がだめなら www.III0.com っていうのはどうかと考え中。

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No.7(2000.6.3)

[No.6]書いて1週間はたったと思う。
3ケ所ほど頻繁にカキコミやっているのでここに書く
気力がなくなりました。きょうは土曜日で、今は夕方。
あとはテレビ見ながら酒をすこし飲んで何か食べたら、
10時ぐらいには寝ちゃうんじゃないだろうか。
あるメール・マガジン『SHINKA.Net』に投稿した「自由の爆発」
というエッセイが採用され次回分に掲載されるらしい。ヒマな
人いたら覗いてみてくだい。
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No.6


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No.5

「立体イラストレータ−」の仕事っていうのはどうだろう?
しかし、もっといいネーミングがないものだろうか?
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NO.4

小高い丘の上に立つ団地の4Fの部屋の窓から
生い茂る木々や遠くの街並が見渡せます。眼下の雑木林には
鳥の声が絶えません。のどかです。
結構な事です。
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No.3


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No.2

メールや掲示板や電話、本や雑誌やテレビやホームページ
あるいは直接、人に会って話をする。
それらの中の「言葉」。

メールや掲示板に現れる言葉を待っている
なにごとかの出現を待っている。

事物の諸展開の向こう側
物質の物語りのゆくえ
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No.1    1999 年 5月ごろ



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MEMO   No.1〜No.40       
        
No.41〜No.80    
こちら 
No.81〜No.100   
こちら
No.101〜No.130  こちら
No.131〜No.160  こちら
No.161〜No.210  こちら
No.211〜No.304   こちら
No.305〜     こちら

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川口喜久雄 「シルエット工場」