TOP 工場案内 目次 作品 取扱店 情報 プロフィール

MEMO
日記エッセイ    No.101〜No.130      

No.1〜 No.40 へは  こちら からどうぞ!   
No.41〜No.80    
こちら 
No.81〜No.100   
こちら

No.131〜No.160  こちら
No.161〜No.210  こちら
No.211〜No.304   こちら
No.305〜      こちら

__________________________________________________________________

No.130 ( 2001.3.10 PM 4:40)

3月8日(木)。
「ミスタークラフト」からケースが空いたという電話があった。幾つかのコレクションを持って
さっそく恵比寿に出掛けた。
私の作品を置いてあるケースとコレクションを売るケース。2つのケースを借りることになった。

夕方、
ケンゾー氏の事務所に行く。
縦長の大きな棚を組み立て中で、私もチョコチョコとお手伝いをする。
夜になって、酒盛り。久々「ばむきち」さんとも会う。

翌朝、朝食をいただく。
スタジオに行かれる氏と別れ、私は駅に向い本屋に寄る。練馬区立美術館に行こうと思い、地図
を見る。よく分からないので外に出ると歩いて環八に向った。バスが来たのでとりあえず乗り込
んだ。

降りた所からさらに北に向うバスに乗り京王線の「千歳烏山」に着いた。駅員に道順を聞き、新宿
経由で池袋に行き、さらにそこから西武池袋線で「中村橋」へ。

歩いてすぐの所に美術館は見つかった。
「高山良策の世界展」。やっと辿り着いた。
カネゴンなど「ウルトラQ」の怪獣や映画「大魔人」などの造形を担当したことで知られている。
しかしそれ以上に高山良策の油絵が多く展示されていて、私には予想外の収穫であった。
年表に書かれていた「東宝航空教育資料製作所」という名称にも何やらひかれるものがあった。

じっくり見て廻ったあと大通りに出て、阿佐ヶ谷行きのバスに乗った。
知合いのNが住んでいるので会おうかと思ったが、あいにくその日は仕事で部屋にいない事を思い
出した。「温室ギャラリー」という店があるような話しを聞いていたので、探してみることにした
。交番で訊ねたりお店の人に聞いたりしたが、なかなか見つからず、しかたなく気に入ったアーケ
ード街を奥へと進んで行った。

陽も暮れ掛かり再び駅近くまで戻って来た。付近の写真を1枚撮ろうとしてファインダーを覗き込
んだところで私の名前を呼ぶ声がした。見ると会社にいた時分の同僚O君の顔があった。会社では
私の向いの席に座っていた。私の「影で立つ絵」の一番最初の影は彼によって作画されたものであ
った。こんなところで会うとは意外だった。

知っている店で酒でもということになった。自転車を押しながら彼が路地を案内した。
大きな月が出ていた。

_________________________________________________________________

No.129 ( 2001.3.7 PM 19:00)

きのう、渋谷に行った。
そうだ、その前に恵比寿の
「ミスタークラフト」に行き、展示品を追加した。いつ来てもお客
さんが何人かは必ずのようにいる。結構なことである。置かれるモノがこころなしかカラフル
になって来ている気がする。

渋谷の「ウエマツ」に寄る。掛け軸を見せてもらう。絵を描く訳ではなく、あることに使うつ
もりでその下見なのである。

ギャラリー「ル・デコ」に行く。
待ち合わせの時間まで少しあったので、2Fでやっている企画展を覗いた。病院の部屋を再現し
たようなインスタレーション(かな?)をやっていた。看護婦姿の女性もいて、ナニヤラな感
じでそこだけ感心した。(^^)

ディレクターの島中さんはマスク姿で現れた。さきほどの部屋にいた訳でなく、花粉症である
らしい。私はその経験がないので、あれこれ症状に関して質問をした。
私の今回の用件は1Fにセットされているプロジェクターを使って、掛け軸に映像を映したいの
だがそれが可能であるかという相談であった。縦長になるよう光を遮り、様々な映像を投影し
てみようと思ったのである。

実際に光を遮ったり画像を小さくしたりしながら話しが「影絵」のことに及んだ。たまたま私
が見た寺山修司の短編作品のことを話すと、氏は何やら思い出した様子である映像作家の名前
を上げられた。劇団「天井桟敷」の界隈で撮影を担当された経験があるような話しである。そ
して、この「ル・デコ」の向い側あたりに、かつて「天井桟敷」があったということらしい。

言われるまで、まるで気がつかなかったのだが、30年ほど前わたしは何度か渋谷の天井桟敷を
訪れた事があった。この界隈をうろついた事があったのである。
かすかな記憶を辿ってみると・・・。

粟津潔がデザインした立体物看板が正面上部に飾り付けられていた。近所にガソリンスタンドが
あったような・・。
1Fは喫茶店になっており、置かれたテレビでは競馬中継が映し出されていたように記憶する。
地下にスペースがあったがあいにくその日は何もやってなかったようである。
そこに寺山修司はいなかったが、私は何度か他の所で氏の講演などを聞いている。
そして私が個展をやった画廊には寺山、直筆の色紙が飾られていた。


昔話しになってしまった。

30年前。
それは、どれほどの距離なのだろう?


________________________________________________________________

No.128 ( 2001.3.2 PM 17:46)

随分とご無沙汰していたものである。前回から1週間ほどが過ぎてしまった。
もう頭の中が整理できないので思い出すことから書いて行こうと思う。

まず、2月28日午後よりフレッツISDNのサービスを受けることになった。
その工事が午前中に済んで、午後になって設定をやってみたのだが、プロバイダーによって
設定が違うらしい。サービスセンターに問い合わせ、受話器を片手にパソコン操作を1時間
ほどやっていたのではないだろうか、くたくたな思いしてやっと設定が完了した。

25日(日)、目黒美術館で開かれていた「アート・アニュアル14作家の個展」という展覧会に
行った。
イラストレーター吉田稔美さんよりお知らせのハガキが来て、前から気になっていた作家も参加
しているようなので覗いてみることにしたのだった。
沼田元気のコーナーは小物類が並べられていて、楽しい雰囲気であった。

そのあと、恵比寿
「Mr.クラフト」に行った。
置いていたミニカー(5千円)が売れていて嬉しかった。

それから渋谷に行き、
ギャラリー「ル・デコ」に寄った。
ディレクターの島中さんから、1Fで開催予定の陶器作品展の話しを聞いた。近々、渋谷駅に新
たな出入り口ができ、そこからだとギャラリーがずっと近くなるとの事。

夕方になり、ハンズで買物をした。裏路地をうろうろしているうち、ちょっと怪し気な店に入り
(う〜ん、これ売ってるけど OKなの?てな感じの)、店に似合わぬ可愛気なロバの置き物を買
った。

その翌日。
西荻窪「ニヒル牛」に行き、いくつか値段表を書き替えた。居合わせたT美の女の子二人の世間
話しを聞きながら、出されたコーヒーを飲みつつ。

それから駅に向い、さらに東京女子大の方へ向って歩き出した。
かつて何度も訪れた道であったのだが、すっかり場所を忘れてしまった。女子大近くに友人の住
むアパートがあって、よく遊びに来ていたのだった。30年近くも前になるからしょうがないのだ
ろうか?友人のアパート近くに赤瀬川原平氏の住まいもあった。その友人に連れられて2度ほど
おジャマしたこともあった。そのことはこの「MEMO」にも以前書いた。(No.27)

その以前書いた時に名前のでていた場所に辿り着いた。「善福寺公園」。
面影があった。ほとんど30年前と変わってない印象だ。地面がナンダカふんわりとしている。
幾分、木に年季が入ったかもしれない。それともまだ春を迎えてない木々の印象なのだろうか?

友人の居た所はこの近所であったのだが、しかしとうとう判らないまま吉祥寺へと歩いて来てし
まった。

吉祥寺駅にほど近い雑貨店で両手いっぱいになるほどの買物をしてしまった。
すぐそばの「模型店」に入って、レジそばの人物を見てビックリ。赤瀬川つながりの、ある著述
業のお方。テレビでは見た事あったが、こんなところでバッタリとは。しかし向こうはこちらを
知らないからしばらく店内をうろついた後、駅へと向い、「ユザワヤ」に寄った。


他にどんな日があったのか、大抵の事は忘れてしまった。

いま部屋は吉祥寺で買った品物と最近取り始めた新聞とで、やけに散らかっているようだ。
今回少々ながくなってしまったので読み返す作業がナンダカかったるいです。
なので誤字などの間違い探しは後日あらためてということで今日はこのへんで失礼!


______________________________________________________________

No.127 ( 2001.2.24 PM 1:15)

曇った空。細かな雨が降っているのかもしれない。
空気という海底にでもいるような、そして先カンブリア紀の生物でもある様な、ってどんな ?

先日、「カンブリアTV」という作品を作ったのだが、こうしてiMacブラウン管画面を眺めて
いるとなにやら大きな貝を前にしているような気分になってくる。

きのう夜テレビのチャンネルを切り替えていたら、たまたま「天空の城ラピュタ」をやってい
た。しばらく見ていると、「タイガーモス」という鳥の形を連想させる飛行船が登場した。テ
レビの上を見ると、その飛行船の模型が置いてある。真鍮製エッチングパーツでできた緻密な
模型。この「タイガーモス」という形は、かつて宮崎駿の脳に仕舞われていたものであろう。
作られたものを見ると時々その元のところが気になって、「外化」というのだろうか、その仕
組みが私にはおもしろいものに感じられる。

イメージを外化する、あるいは視覚化する。
わたしはこれまで、このことを熱心に考えたことがないので知りたい気がするのだが、イメー
ジをダイレクトに視覚化することは可能なのだろうか?そのような研究をどのような学問分野
が主に取り扱っているのであろうか?

手始めに「脳」に関する本を探して読んでみようと思う。

*アイデア&工作(空想家のMEMO)」というページに多少、このことで書いています。

_______________________________________________________________

No.126 ( 2001.2.20 PM 5:55)

きのう西村太郎と渋谷で会った。
ネットカフェに行き、ある企業のホームページを見てもらうためである。

昨日は、それだけではなかった気がして考えてみると午前中、東林間でS氏と会ったのだった。

私の方の話しとしてはただひとつ。アポロ計画に先立ってA・C・クラークが撮ったフォン・ブ
ラウンの写真のことであった。(先日、「楽園の日々」というクラークの本を読んで仕入れた
話し。)国際宇宙学会で出掛けたギリシャ旅行の際、デロス島のアポロが生まれたと想定され
る場所の前でクラークがブラウンの写真を撮ったということが書かれていた。(ある時期、ア
ポロ計画というネーミングにはアメリカ南部のキリスト教根本主義勢力から抗議の声が上がっ
たそうである。)


12時半ごろ別れて、小田急線でシモキタに行き、井の頭線で吉祥寺へと向った。
「ユザワヤ」で、ある金属の棒を探したのだがついに見つけることはできなかった。西荻窪
「ニヒル牛」に行くつもりでJRに乗ったのだが西村との待ち合わせに間に合わなくなりそう
なので、しかたなく新宿経由で渋谷へと向った。

書き忘れたことがあった。
下北沢に向う途中、新百合ケ丘で降り市役所で確定申告を済ませたのだった。面倒くさそうな
ので思いきって早めに出向いたのである。思ったより申告が速く済んだので心底ホッとした。

それと西村と別れたあと、ひとりでモクモクと酒を飲んでしまった。
朝起きた時、昨夜のことがしばらく思い出せないでいた。

久々のことである。

________________________________________________________________


No.125 ( 2001.2.18 PM 11:40)

おととい、渋谷のギャラリー「ル・デコ」に行った。

ディレクターの島中氏から、いろいろな話しを聞かせてもらった。
その1つに「はっぴいえんど」の話しがある。これまで「ル・デコ」では2回、「はっぴいえん
ど」の写真展が開かれたらしい。LP「風街ろまん」のジャケット写真を撮った写真家、
野上眞宏
と島中氏、それと細野晴臣は学校(大学)がいっしょであったらしい。
写真展では「はっぴいえんど」の大瀧詠一をのぞく3人が会場を訪れたとの話しであった。

30年ほども前になるだろうか?
私は友人が持っていた「はっぴいえんど」のレコードをよく部屋で聞いたものであった。(特に
「風をあつめて」、「夏なんです」の2曲がこころに残った。)


’67年ぐらいにアメリカに行かれた時の話しも興味深く思えた。行き先が、私の知るあるアメリ
カ人の育った都市であったので奇妙な親近感を憶えてしまったのである。
また、近々ギャラリーに行く予定でいる。おもしろい話しが聞けるかもしれない。

*「風街ろまん」に使われた4人の写真(額装されたもの)を見せてもらった。

__________________________________________________________________

No.124 ( 2001.2.15 PM 7:00)

きょうも7時からテレビを見るので、あと17分しかない。

きのうは、今春大阪でオープンする「ユニバーサル・スタジオ・JAPAN」を主にアメリカ・ユニ
バーサルをメインに紹介するという番組を7時から見た。

おっ、観月ありさが出ている。
以前、CMの仕事で間近に見たタレントのひとりだった。三菱「ビーバーエアコン」。
跡が付かないようにガーゼだったかな、挟んでメガネをかけていた。
あ〜時間がない。こんなことは「CM通信」の方に書くとして、

さあ、あと5分だ。

明日は、渋谷「ル・デコ」に行く。
その前に図書館に行って、本を返さなければならない。

あと、3分。

以上。(見たら、きのうと同じ終わり方だった)

________________________________________________________________

No.123 ( 2001.2.14 PM 7:00)

7時に見たいテレビがあるから、20分ほどで「MEMO」書く予定です。

きょうは一体何をやっていたか?
メールとHP更新、あと少しだけA・C・クラークの本(エッセイ)を読んだぐらいかな。

雪も少しちらついたりした。

そういえば12日、「MEMO」の最後の方で外に出掛けたくなったと書いて文を終わらせた。
そのあと、自転車で近所の河沿いにしばらくサイクリングを楽しんだ。
なにやら人が多いので、なにかと思ったら、どうやら祝日だかその振替日であるらしい。
ついに今にいたるも、それが何の日であったのか分からずじまいでいる。

あと10分。

それと、カウンターが20000を越えた。
メデタイ。

あと5分。

う〜ん、以上。

_______________________________________________________________

No.122 ( 2001.2.12 PM 1:05)

きのう夜、風呂場の天井からポタポタと水もれ。
さっそく上の階へ行き、状況報告。そして、これから様子を見るのは困難なので、翌日朝にと
いう業者からの返答であったらしい。

で、さきほど朝9時ぐらいに検査は済んだのだが異常なしとの事。
なるほど、上の階でいくら排水その他水周りを使用してもいっこうに水もれする気配がない。
しかし、話しによると昨日洗濯機を新しいのに買い替えたとのこと。う〜ん、たぶんそれに違
いない。誤って床に水を少量こぼしたのではないかと思われる。(そんなことはなかったけど
という住人の意見もあるのだが。)
また水もれしたら今度は天井を開けて調べるということで今回は工事、見送りということにな
った。万一、天井開けて原因が分からなかった場合、工事費は保険がきかず、依頼主が負担す
ることになるらしい。

あ〜、ひさびさ社会生活を感じるできごとであった。
それに、今回初めて上の階のお宅に足を踏み入れたが、キャンバスが玄関脇にいくつも置いて
あり、おやおや絵に関係したお仕事であろうか?と少々好奇心をくすぐられたりもした。

きょう、天気はくもり空。
さて、どうしたものか。なにもやる気がしない。しょうがないので先ほどコーヒーを飲んだ。
少しテンション上がらないかと思って。が、効き目なし。
寒いし、少し眠いし。

それはそうと、きのうNHKで「エネルギーシフト」とかいったテーマのこと扱った番組をやっ
ていて、その中で「水素社会」という言葉が使われていた。「水素社会」。う〜ん、字面とし
てはナンカおもしろい気がする。あいにく内容の方はよくわからず、ほとんど忘れてしまった。
クリーンエネルギーってことなのかな?たぶん。今度なんかで調べてみようかなあ、って程度
の意識なのである。(「燃料電池の開発」がテーマでした)
今後、このことによって環境悪化に多少なりともブレーキがかけられるのであれば非常に結構
なことなんじゃないかなあ、と素朴に思ったりした。

宇宙の中の私の前に置かれたiMacというパソコンの画面上に現れた、これらの文字。
時々、このような文字のことを考えたりする。そしてその事でまた文字が増えたりする。
ただそれだけのこと。

きのう、テレビで『藤井フミヤ「サハラ砂漠」を行く』みたいな番組をやっていた。(たぶん
「藤井フミヤのサハラ」という題)その砂漠でのシーンを思いだそうとしたその直後、突然外
から「月の砂漠」のメロディーが聞こえてきた。
もちろん幻聴ではなく、単に灯油を売る車が流しているオルゴールの曲なのである。たぶん、
灯油、中近東、砂漠という連想から来た選曲なのであろう。
(ちなみに番組内で、藤井氏は訪れた小学校の教室でこの「月の砂漠」という曲を歌い披露し
ていた。)

そのオルゴール「月の砂漠」が今、ケタタマシク私の住む団地の棟の前から聞こえている。
「ただいま37号棟前でございます。」という拡声器の声がひびきわたる。

5分ほどたったであろうか、大きく響いていた曲も次第に遠ざかりつつある。
「ふたり〜ならんで〜ゆき〜ました〜」というナンカ淋し気な感じの曲です。ところでこれ誰
の作詞なんだろ?

すぐにYahoo検索。最初に出たのはペンションの名前であった。他の検索エンジンでも調べる。
すると、

月の砂漠

作詞: 加藤まさを 作曲: 佐々木すぐる

ということがわかった。さらに「加藤まさを」で検索すると歌詞全文が紹介されていた。
千葉の御宿で着想を得て作られた詩であるらしい。

いったい何故この数十分、「月の砂漠」だったのであろうか?
しばしのブームであった。

外では救急車のサイレンが聞こえ、時刻は12時40分になろうとしている。
陽も射して来て、どこかへ出掛けたい気分だ。



少し出掛けてきます。
では。


_____________________________________________________

No.121 ( 2001.2.8 PM 8:00)

きのうは1日中、ギャラリー「ル・デコ」BOX用名刺を作っていた。100枚
ほどプリントし少し改造したケースを用意した。

きょうは、Yahooオークションに出そうと思ってるオモチャのデジカメ撮影。
他にホームページの更新。掲示板へのカキコミ。ある形をした模型テレビの
原型作り。

ついでながら、おととい6日は「ル・デコ」で聞いて来たことを元にして
ページを幾つか追加した。地図に少し手を加えたり、解説文を書いたり、
写真を掲載したりした。
他に「アイデア工作の世界」というまだどうなるのか良くわからないページ
も作ったりした。
掲示板をもうひとつ付けようとしたが思うようなデザインのものが見あたら
ず、あきらめたりした。

そういえば、ニヒル牛へも最近行ったのだが何日であったか分からなくなっ
てしまった。その日は西オギの古道具屋で買物したり、バリ島SHOPみたい
なところでチョッと変った感じの金属製品を買ったりした。


相変わらず、こんな報告をして、いつもの様にむなしい。(笑)
随分と、あとになってみれば「これは、これで」ってヤツかもしれない。

________________________________________________________

No.120 ( 2001.2.6 PM 7:00)

きのう、渋谷のアートギャラリー「ル・デコ」に行って来た。
ビルの数階がギャラリーになっており大きさを感じさせる建物である。

これまで私が作品を置いてきたSHOPと同様に、このギャラリーにも1Fの広い
空間にBOXが並べられおり作品を展示する事ができるようになっている。
他にもビデオ画像のプロジェクターなどが用意されていて、広い空間は希望に
よっては様々な試みが可能であると、お会いしたディレクターの島中さんは
語られた。

現在、2月末までは無料でBOXの利用ができるということであった。
3月からはレンタル料が必要になるらしい1ヶ月1万円前後で相談によって決定
していく考えであるとの事。
どのような使い方ができるのか?これからが楽しみである。

私は、都内に3ケ所、BOXを利用して作品の展示をやっている。
恵比寿
「Mr.クラフト」、西荻窪「ニヒル牛」、そして今回の「ル・デコ」。

箱の中のほとんどのモノは縮小化傾向にある。
「Mr.クラフト」はそもそも模型自動車の店だったので、やはりそのテのもの
が一番多く、他にフィギュアが多少あるだろうか。
「ニヒル牛」はアート色のある細かな作りモノ、印刷物、オブジェといった感じ。
「ル・デコ」もほぼ上と同傾向作品という印象であった。

これら3つのSHOPは競合しているのだろうか?
たぶん、まだお互いの存在は意識してないし詳しく知らないのかもしれない。
私はこれらの店が「東京モーターショー」のように各社が寄り集まって観客
を集めるように、ネット上で人的に交流して行けばいいなと考えている。
まつ、それはそうかもしれない。私にはそれは嬉しいことに違いない。
しかし、それぞれの会社にとっても、ある種のジャンル(レンタルBOXカルチャー)
として盛り上がるのであれば、やはりそれは結構な事態と言えるのではないだろ
うか。

そんな訳で私は同業者と思われる店の情報を並べて公開する事にしたのでした。

_____________________________________________________________

No.119 ( 2001.2.2 PM 7:00)

きのう名刺を300枚ほどプリントした。
両面に印刷するので結構な時間が掛かった。しかも名刺中央に折れ線を1枚1枚入れて行くの
で夜10時くらいまでの作業になってしまった。

おやっ?きょう書くことそれだけかな?

さきほど、あるメルマガに文章を書き投稿した。これまでにも何回か投稿し、掲載していただ
いたりしている。この「MEMO」はそういった時に材料探しとして多少役に立っている。
なぜそんなことを言い出したかというと、普段この「MEMO」を書くという行為にあまり価値
を見出せないでいるので、「役立っている」と思える事があると何やら安心したりするのだっ
た。

言葉によって何がなされるというのだろう?
しかし日常、言葉は非常に重要な役割を持つ。ひとりひとりの命が関わるほどの。
日常とはせずに「時に」、と書いたほうがよいだろうか?

だからという訳でもないだろうが、私は何か「言葉」に餓えていると感じる時が多い。
あっそうだ。なんの事はない、気が付けばSOHO状態らしく私は普段あまり人と話しをしてい
ないのだった。どうりでというか、掲示板やメールの中の言葉がなにか「水」のように感じる
わけだ。

思いと思い、気持ちと気持ち、つながったり、つながらなかったり。
まっ、それはいいとして。
この文章書くのに1時間以上掛かっている。


私は一体何をやっているのだろう?

_______________________________________________________________

No.118 ( 2001.2.1 PM 4:00)

リンクのこと

図書館から借りた本を読んでいたら、著者がバンコクでインターネットの解説書(英語)を読
み始めるシーンが出てきた。
その解説書には仏陀の言葉が掲げてあったらしく、経典からの引用として紹介してあった。

「宇宙は、すべてのつながりの網として存在している」

No.99とNo.102でリンク感覚のことを少し書いたこともあり、このような言葉を目にするとナ
ンダカ感心してしまったりする。(借りた本は、「インターネット生活術」室謙二 晶文社)

生成というのはリンクの結果だろうか?
そういえば、本の中にも縁起論という言葉が使われていた。

そもそもリンクという
言葉*

(*ネット上では幾つかのページにリンクされています。)括弧内は出版物用の注釈です。

_______________________________________________________________

No.117 ( 2001.1.30 PM 7:00)

図書館に行った。帰りにスーパーに寄り買物をした。
道路に残った雪が凍っていて時々自転車を押して歩いた。なにか書くことなかったっけ?
最近書く事ないなあと思ったら、トップページに書くことが多くなったのが原因であった。
おまけに、MEMO用紙というものも作ったのでここに書くことが少なくなってしまった。

ホームページを、少し変えたいとも思う。

______________________________________________________________

No.116 ( 2001.1.26 PM 5:00)

ほんの少し部屋を片付け、メールや掲示板を読みチョコレートを食べた。

私が2年程前までいた会社(CM美術造形と博物館用模型製作)でアトリエ長(CM部門)とい
うのをやっていたY氏と電話で話しをした。
年賀状をいただいていたのだが筆無精で返事を出す様子が(我が事ながら)ないので代わりに
という訳で電話を掛けてみることにしたのである。現在はフリーでCMの仕事をしているらしい。

以前から車好きだとは知っていた。ホンダS800クーペだったかな?そのあとにはロータスなん
とかかんとか(すいません詳しくなくて)に乗っていた。共通しているのはナンかかわいい感じ
の車であったという印象である。それでというのか模型の車も好きらしく、自ら非常に繊細な自
動車模型を作ったりしているらしい。1度、1台だけ見せてもらった事があった。
そんな彼には矢張り「ミスタークラフト」の話しがふさわしいだろうと思い、恵比寿のお店の事
を手短かに伝えた。車の模型やオモチャを売る店として好きな人たちの間ではよく知られている
店ではなかろうか。

そこの5Fに「My Shop」というスペースが出来たことはさほど知られていない様子である。
Y氏は話しには聞いたらしいが実際に行った事はないらしい。私はそこで見た車の模型のことを
伝えた。緻密に作られた模型の数は少ないのだが何しろ車好きが多く詰めかける店である。

「まずは下見にでもどうですか?」
と私は「ミスタークラフト」の「まわし者か?」状態になっていたのである。

________________________________________________________________

No.115 ( 2001.1.25 PM 0:50)

いまパソコン画面にある日付けを見て驚いた。もう25日なのか!
前回(No.114)を書いてもう1週間がたつのか!と思ったら、No.114の日付けを
間違えて1.18と入力していたのだった。正しくは1.21なので今それを修正した。

この「MEMO」を書き始めた頃は、ほんとうにただのメモのつもりだったのが
いつの間にか、なんだか他所行きな感じのものに変化してしまった。
その代わりというのか、最近トップページにメモをするようになった。

用事がすむとサッサと消してしまうので思い付いたことが気楽に書け、少し楽しい。

ということで、ここにもメモ用紙を置くことにした。書いては消し書いては消し。
お気楽メモとして使おかなあ〜。

そうだ、きのう渋谷でパントマイマ−西村太郎と会った。
ネットカフェに行き、できたての彼のホームページを見てもらった。パソコンは実家
に置いたままになっていて、モデムとかも付けないと見れないらしい。今度新しく買
うような事を彼は言っている。
そういった事があり、今回のような場所で話しをすることになった。

「芸能ネット」というサイトと幾つかのパントマイム関連HPを覗いた。
店を出て「さくらや」で携帯を眺め、パルコ地下の本屋へ行った。ピエロ衣装関連の本
を彼が探していたのだが1冊も見あたらず、ネットの方で見た時も参考になるHPは皆無
であった。

1月17日(水)は大和(小田急線)の「ユザワヤ」に行った。
ある作り物の材料を探しに行ったのだが、吉祥寺店の方にしか置いてないものであった
らしい。模型売場を覗いて、少し買物をし店を出た。
普段ならここで電車を使い帰ってくるのだが、気まぐれにバスを使ってみることにした。
終点は電車でいえば1つ先の駅で、バスの旅はすぐに終わってしまった。

その駅から以前住んでいた南林間という隣の駅まで歩いて行くことにした。
さらに気まぐれに、その当時歩いてよく遊びに行っていた友人の住処へも行ってみる事
にした。
2年ほど前に1度来たのであるがその時は家が見つからずに帰ってしまった。
20数年ぶりで、すっかり風景が変わっていたためであった。
また今回も少し探したが、面影のある住処(小屋)が見つかり、同じ敷地にある大家さん
の家を訪ねてみることにした。年配の男性に当時のことを話し、庭先に見えるその小屋を
見ながら話しを聞いた。2つあった小屋のそれぞれに友人が住んでいたのだが、1つは
跡形もなく消え、庭の池になっていた。
大家さんも代が変わったということであった。当時は近所に住んでいたらしいが、あまり
この小屋に住んでいた人物に関しては知らないということであった。

小屋の裏手を覗いた。
20数年間そのままであったらしい木製の棚は薄く泥で汚れていた。その小屋の中の友人の
姿はくっきりと思い出せるのに、この棚の存在はどこかボヤケているようで、軽い痛みに似
た感情をおぼえた。
ここには女の子がひとり暮らしていた。すぐ隣には知合いがいた。
よくここで酒を飲み、レコードを聞いた。
やがて女の子は結婚し、子供が生まれ、気が付くともう何処に住んでいるのかわからなくな
ってしまった。隣にいた知合いとも連絡は途絶えた。

駅に向う途中、当時よく食べに行っていた食堂に寄った。
調理場にいる御主人と四方山話をして、最後に「いつ頃、南林間に来られたんですか?」
と聞くと昭和28年という答えであった。
「私が生まれた年ですよ」と言うと、ニコリとした顔になった。

神奈川県の小田原でその年、私は生まれたらしい。記憶がないので「らしい」と付けておこう。

私のもっとも古い記憶によると、私は林檎から生まれた。
アパートの一室にいた私が壁に向け投げた林檎が割れ、そこから私が生まれたのである。
そして、近所の路地や建物。製材所の材木置き場での卑猥な遊び。塀はコールタールが
塗られていたように思う。

小田原の中を数回引っ越したらしい。海岸のそばにいた記憶もあるし、東海道線がそばを通る
家にいた時は「こだま号」と競争して走ったこともあった。が、はたして「こだま号」という
名前であったのか自信はない。

こんな事を書いていたらキリがなくなってしまう。

部屋にいてパソコンに向いキーボード入力している事を忘れ、昭和30年代あたりを彷徨って来
てしまった。


____________________________________

No.114 ( 2001.1.21 PM 2:40)

[No.112]に登場してもらったS氏と、翌日つまり1月16日(火)に東林間(小田急線)
近くの喫茶店で会い話しをした。



________________________________________________________________

No.113 ( 2001.1.18 PM 11:15)

きょう、西荻窪の「ニヒル牛」に行った。
きのう「箱」が空いたと電話があり、これといった準備もしてなかったので大慌てで
いくつか作品作ったり、持って行くものをまとめたりした。

朝、9時ぐらいに起きて名刺や値段表をプリントアウトしていたら午後3時ぐらいに
なってしまった。両手に大きな紙袋、背中にリュックをしょってニシオギへと急いだ。

下の段に2つ、箱が空いる。「シルエット・オブジェ」と「探険世界(模型)」に分け、
それぞれの箱に作品を並べていった。
諸々の書類を書き終え、「それでは」と店を出て駅に辿り着くと書類のミスに思い当た
った。急いで店(画廊)へ引き返した。
訂正箇所を申し出て、用件が済んだところで店内に置かれた作品に似たものを袋の中に
持っていることを思い出した。井上直久氏の「3-D イバラード」という、絵画を立体視
する本(装置)のことである。

それを見てもらっているところへ「ニヒル牛」プロデューサーの石川氏(バンド「たま」
のパーカッション担当。ランニング姿で音楽番組「イカ天」などに登場)がドアを開け、
店内に入って来られた。メールでは以前1度やりとりがあったのだがお目にかかるのは
今回が初めてである。
石川氏も奥さんからその「3-D」の本を手渡され、立体視を試された。場合によっては
立体視がうまく行かない事もあるので「おっ、見える。」との声に一安心した。そして
井上氏のCD-ROM作品に関して以前奥さんが何かの媒体に書評書かれたようなことをお話
しいただいた。
これに関しては、後日メールでくわしく聞いてみるつもりである。

____________________________________________________________

No.112 ( 2001.1.15 PM 7:40)

近所に住むM氏の、これもまた近くにあるアトリエを午前中に訪問した。

昼食は彼の車で出掛け、レストランに入った。


私は「模型とCM美術に興味ある方」と、あるページに書かれていた求人情報雑誌の
事を時々思い出す。それを見て私は、(株)サンク・アールという会社を訪れた。
14年会社にいて2年ぐらい前に退職した。その時いっしょに働いていた連中と
の関係は今も続いている。

私の行った美術学校での教師は、赤瀬川原平氏であった。
そして氏は「模型千円札」というものを嘗て作った。私は「模型」という字がとて
も好きである。模型という字の前や後に文字を置くと大抵のものが何か「サマ」に
なる様、私には思える。


模型という字を使ったタイトルで、近々何かページを作ってみたいと思う。

______________________________________________________________


No.111 ( 2001.1.14 PM 5:30)

きのう新宿で、パントマイマー西村太郎くんに会った。
私は彼のページのURLを入れた名刺数十枚を渡した。
ちなみにURLは(
http://neji.com/taroo/)である。

新宿と恵比寿で別れたあと私は渋谷に行き田園都市線梶ヶ谷駅へと急いだ。
美術品を運んでもらうために指定された運送会社に荷物を持って行き、再びバスで
駅に戻ったあと、渋谷へと向った。

ハンズで買物をし、夕飯を食べ再度恵比寿へ行き
「ミスタークラフト」(TOYS SHOP)に寄った。


きょう、西村くんは渋谷でパフォーマンスをやっている。
その様子は後日yurikaさんによって彼のページに報告される予定である。


______________________________________________________________


No.110 ( 2001.1.10 AM 5:30)

ホームページを整理していたらUPされてないページが出てきたのでここにコピーして置こうと思う。

遠く、思考する塔の住人である君へ

さて、密林の奥地が行き止まり状態になり
探険者とおぼしき方々はいかがお過ごしの事であろうか?

私は今、日常という雑木林を散策中であり
我が塔より日がな微睡み、点在する塔の住人を遠くに眺める
ただそれだけの毎日である。

きのう、「郵便配達夫シュヴァル」に関する本を読み
束の間、私の幻も実現可能のごとく思え高揚した気分を味わった。

きょう、その高揚感はなく彼シュバルの宮殿建設三十三年間に
しばし思いを馳せた。

友人よりフランス行きの話しが持ち掛けられ
その事もあって、「宮殿」所在地の地図を多少念を入れ眺めた。
見学者何人かの経験談を読んだが、交通の便の悪さが共通して
語られていた。果して旅行は実現するであろうか?
私の意志とシュバルの石。お茶を濁して話しを終えよう。っていう〜か〜オヤジギャグじゃん!


________________________________________________________

No.110 ( 2001.1.8 AM 5:20)

ある掲示板に「初雪や21世紀も飽きにけり」と書いた。

これは21世紀に対して非常に失礼な言い方をしてしまった。もちろん、飽きたのは自分の生活
なのである。しょうがないのでホームページを少しイジってみようかと思う。

今朝、目が醒めた時に考えたトップページ画面のアイデアが途中で霧散してしまった。

望遠鏡で見る画面(クリックでズームアップ)を作ろうとしていたのだが、設置場所を思案して
いる間にエネルギーを消費してしまったようだ。そんな事にでもしておいて、望遠鏡ものは次の
機会にでもやってみようかと思う。

________________________________________________________________

No.109 ( 2001.1.7 AM 3:00)

速い速い。時の流れが私には、とても速いです。
今年に入って、もう1週間が経とうとしています。

1月3日。浅草に行き、
絶対少年さんの作品が置かれている「ギャラリーエフ」に寄った事
以外にこれといったことをやっていません。まあ、正月だしこんなものでしょうか。

きょうは日曜日で、しかし曇り空のせいだろうか気分がすぐれません。
すべてが止まった感じです。

どうしてこんなに静かなんだろう?
ふだんなら聞こえる、遠くを走り去る車の音もしない。と書いたあとで車がバックする時に
鳴る警告音(?)が聞こえた。そしてドアを閉める音。

そうだ、途中で文体が変わってしまった。

朝方、変な時間に目が醒めてしまった。2時間ほどネットで時間をつぶした。
テレビを2時間ほど見て、消すと異常なほど静かになった。すこし眠いのかもしれない。
しかし、できれば何かおもしろそうなものでも読んでいたい気持ちだ。

横になって雑誌でも見ていればすぐに寝てしまうだろう。


________________________________________________________

No.108 ( 2001.1.1 AM 1:00)

ついに21世紀。
ここは未来なのだろうか?時間のことはよく分からない。めずらしく何だか嬉しい。

________________________________________________________
________________________________________________________

No.107 ( 2000.12.30 PM 0:20)


12月30日になってしまった。
やはり時の流れは地味ながら確実なのであろうか?こんな感想を宇宙空間の中で述べることに
一体どれほどの意味があるのだろう。意味はなく、進行しつつあるものが認識の外で繰り広げ
られるだけの事なのか?私もただ書いてみただけなので話しを変えよう。

さきほどテレビで、三重県伊賀町にある「伊賀まちかど博物館」というものを紹介していた。
90数軒の民家が参加し、それぞれの家を博物館仕立てにして公開しているとの事であった。
その中に化石を扱っている「川口化石博物館」というのがあった。趣味で化石集めをしている
川口さんという方が館長であるらしい。
私は、まるで自分が博物館を持っているかの様な錯覚におちいった。できれば私もその様な雰
囲気の博物館を持ってみたいものである。そこで「伊賀まちかど博物館」で検索してみると、
幸いというか「川口化石博物館」はホームページがないようである。4、5軒の家のHPが紹介
されているのでそこから何とか連絡とって「川口化石博物館」のホームページを作ってみたい
ものである。

あるいは、そのようなものを私のHPに追加してみようかと思う。


____________________________________________________________

No.106 ( 2000.12.27 PM 4:40)

電車を待つ間プラットホームに佇み、向いのビルを眺めながらぼんやりと考えた。

もし、あらゆる眼球がテレビカメラで、モニターが全て私の脳にあるなら。
私が数十億の映像を同時に知覚する受像装置であるなら。

全映像細部への観光。(絶えまなく移り変わる幾千億の映像)
眼球主体への意識参入。
百億の分離への旅。

こんな文章を書きながら、私は少し眠い。

きのう恵比寿の「ミスタークラフト」に行き、作品を置いているガラスケースに名刺の入った
小さな箱を取り付けた。
名刺は真ん中で折って立てて見るようになっている。

帰りにエビス・ガーデンプレイスに寄り、水の流れ落ちるさまを眺めたりした。
真新しい建物は私の中ですぐに廃墟になった場面が想定される。
ガーデンプレイスもフォロ・ロマーノ並みの古代廃墟として楽しめた。


_________________________________________________________________


No.105 ( 2000.12.25 PM 1:40)

恵比寿「ミスタークラフト」5Fの「My Shop」という展示コーナーに作品を置くことになった。
スペースが足りないのでできれば、もう1個BOXを借りたいところである。

西荻窪の「ニヒル牛」といい、「ミスタークラフト」といい、おもしろい試みがなされていて
この様なものがアイデアを膨らませ更に拡がれば、わたしなんかには嬉しい。

くわしく知らないのだが以前「なすび画廊」というとんでもなく変なアイデアの画廊があった。
木製牛乳箱が画廊になっていてそこに作品を展示するというものだったと思う。
そしてその牛乳箱を背中にしょって街を歩いている姿の写真を見たような気がするのであるが。
検索してみると
小沢剛という人が考え出したものであるらしい。まだじっくり読んでいないの
だが「相談芸術」というのもあって、ナンカなかなかイイのである。

この人の名前が出たついでと言っては申し訳ないが、次にあげる方々の動向に私は興味を持っ
ている。

福田美蘭、会田誠、村上隆、八谷和彦、あとプラスティック定規をぐにゃぐにゃに曲げる作品
作る人。この人は青と赤がいっしょになった色鉛筆の境目のとこを削って赤芯青芯の接点を露
出させるという作品を発表している(少し記憶が曖昧である)。現物は青山の「360°」にあ
ったのを見たが、現在置かれているかどうかは知らない。

「なすび画廊」以外でも望遠鏡で見る画廊だとか他にもナニヤラいろいろあるのだろうが、
そんなたぐいのモノが見れるサイト、ご存知の方あれば掲示板に一言お願いします。

なければ、そのようなアイデアをまず書き込むページを私のところで作ろうかな。
とりあえず、アイデアある人はBBSにカキコんでみてください。

_____________________________________________________________

No.104 ( 2000.12.20 PM 5:40)

ホームページの更新作業に追われて、「MEMO」への書き込みが1週間ほど留守になって
しまった。

先日、ひょんなことから「Yahoo中国」のサイトを覗いてみた。
デザインはもちろん中国風であるし、漢字だらけであるのだが「?」マークが随所に表示
されていて少々興をそぐ雰囲気である。行き慣れ見慣れたネット歩きをたまには変えて見
てみようと思ってのことだったのだが、すぐにいつもどうりのパターンで見歩く結果にな
った。

ここ数日、HPのあちらこちらにページを作り足してリンクを張り巡らした。
楽しい作業をひさびさに味わうことができた。
「縄跳びアニメ」1コから始まったHPも10MBを溢れ出すほどのサイトになってしまった。
今年のHPに関する作業はこんなところであろうか、20世紀の真ん中あたりで私は生まれた。
その20世紀が終わろうとしている。感慨深いだろうか?よく判らない。
しかし21世紀都市風景の変化がどのようなものになるのかには興味を持っている。

私は日本語で書かれた私の文章をみつめる。
世界の多くの人にとってこの文章が得体の知れない印象の記号群であること。
古代の石碑の中に私の現在が眠ってしまうかのような。
そんな印象をわたしは感じてしまった。

ここにそんな言葉が眠っているんですが、世界の人々よ!

っていってもこんなアクセス数じゃなあ〜。


____________________________________________________________

No.103 ( 2000.12.14 PM 5:05 )

テレビの置いてある部屋に窓があって、時間によっては陽が差し込んだりもする。
テレビ画面の上に光の帯が現れ時間をかけゆっくりと移動する。それを見ながら以前住ん
でいたアパートの事を思い出した。

二階にあった角部屋の窓の一方は開けるとすぐに隣の建物の壁で、夕方になるとその窓に
わずかな西日が差し込み、窓近くに置かれたテレビ画面の上に幅数センチの光の帯を作る。
しばらくの間、現れてしばらくたつといつの間にか消えてしまう。
夕方近く束の間、光りの帯の出現。

ある日テレビを見ていると、いつものようにその光の帯が現れ画面の上にしばらくの間と
どまった。すると画面に鏡を持った人物が現れて太陽光をこちらに反射させてみせるのだ
った。屋外、草原のような丘の斜面だったように思うのだが定かではない。教育テレビの
理科の時間かもしれない。
私はしばらくの間このタマタマの出合いを怪しみつつ眺めた。
私の見た番組は多分実況ではなかったと思う。しかしこれがもし実況であったのなら、この
関係はさらに何やら奇妙な感じがすると思うのだが、どうであろうか?

_____________________________________________________________
      
No.102 ( 2000.12.12 AM 8:15 )

きのう、赤瀬川氏の名前が出たので少し関連したことを書いて置こうと思う。

今、手元に「出口」という本があって著者は尾辻克彦となっている。
赤瀬川原平のもう一方のペンネームで書かれたこの本は1991年に出版されている。何年か
前、電車の中でそばに立っていた御婦人の持つ紙袋の中に見覚えのある名前があり、題が
「出口」となっていた。おやおや赤瀬川さんの本だと思い、すぐに本屋へ行き同じものを
買い求めた。
10編の作品を収めた短編集であった。

昨晩、久々にその本をひらき収録されている「短編」と題されたものを読み始めたのだが、
そこに次のような文章が書かれていた。

『むかし、問題はばらばらに分かれていた。職業もばらばらに分かれていた。玄人と素人も
ばらばらに分かれていた。天文学と量子力学もばらばらに分かれていた。でもいまはすべて
がリンクしている。戦争も、絵画も、商売も、天文学も、すべての問題に同じ関係が通って
きている。すべてのリンケージが進行している。たぶん世の中の体温が上がりはじめている
のだろう。低温のときには各個に分断されていた問題が、高温化とともに、いずれも同質化
してきている。やがてはすべての問題が完全に1つに統合される。そういう臨界点がもう眼
視できるほどに近づき、体温はなおも上昇している。』

ここで語られるリンクが、最近私の感じているリンク感覚と同じであるのかはよく分からない。
しかし何か気になってしまった。

今ふと、帯(裏表紙の方)に小さく書かれたコピーに目がいったのだが
「現実世界のほころび目に閃く尾辻克彦の異界」
とある。

そういえば「短編」には無意識に関連して路上観察、ナイーブアート、アバンギャルド、井戸
茶碗などの事が書かれていた。

異界。無意識。  

はて?これはどこにリンクした世界のことなんだろう?

_______________________________________________________________


No.101 ( 2000.12.11 PM 3:15 )

先日、Yahooページ「芸術」関連を何気なく見ていると巨大な構造物が浮遊する風景画が目に
付いた。3Dソフトで描かれた異世界イメージとでもいうのだろうか、あちこちとクリックして
は拡大しその未来的風景を楽しんだ。サイトの持ち主は「ガラ」といわれる方らしい。
さっそく掲示板に書き込みすることにした。

そのあとリンクページを覗くと、そこに「絶対少年」という見覚えのある名前があった。
何度か美術雑誌でその作家の作品を目にしたことがあった。造型作家、小島マオ氏のアトリエ
近くに住まいがあるようなことを以前私がいた会社の誰からか聞いた憶えがある。
クリックし、HP内の写真や文章を眺め始めてしばらくすると赤瀬川原平の名が現れた。氏の本
を愛読されている様子である。
こうなると、掲示板に書かずにおれなくなって来る。赤瀬川氏のことを書いた文章が当方のサイ
トにあることを告げるカキコミを入れて、朝のネット時間を終えることにした。

その日であったか翌日であったか「絶対少年」さんと「ガラ」さんから当方BBSにカキコミが
あった。嬉しいカキコミであったので紹介させてもらおうと思う。


(以下BBSからコピー)________________________________

なんだかわくわくします。 投稿者:絶対少年  投稿日:12月 9日(土)14時41分01秒

先日はご来訪ありがとうございました。
日記エッセイのページ読ませて頂きました。わくわくです。(*^o^*)
まだNO.13ですが先を読むのがもったいないくらい…オモシロイです。
(赤瀬川原平氏の「流れ」?をくむ文体。ピンと来ました…)
ハンズ大賞入賞おめでとうございます。ボクも9,10回に出ました。
あとサンクアールには吉村さんと…え〜と、島田さんだったかな?
コスモプロの同期?です。…それとそれと〜メールしまーす。(^o^)/~~

http://user2.allnet.ne.jp/zettaishonen

_______________________________________________
はじめまして 投稿者:ガラ  投稿日:12月 9日(土)22時19分19秒

来訪ありがとうございました。
シルエットってとても面白いですね。素晴らしい。
また遊びに来ます。

では

http://www.tokyo.jcom.ne.jp/~chair_house/
________________________________________________(以上)


「絶対少年」さんが書かれたようにナルホド私の文体は、赤瀬川原平氏の「流れ」を確かに
くんでいるのだと思う。そしてときに「〜なのであった。」と書き記す場合には南伸坊氏の
顔が思い浮かぶのであった。

P.S  そしてこれは正直いって複雑な心境なのであるが(なぜなら当分こっそり楽しんでい
たい気持ちがあるから)ガラさんの宝石じみたリンク集の中には、フラッシュ作品のとんで
もなく凄いものがありますね。

______________________________________________________________
MEMO日記エッセイ    No.101〜No.130      トップページへ
No.1〜 No.40 へは  こちら からどうぞ!   
No.41〜No.80    
こちら 
No.81〜No.100   
こちら

No.131〜No.160  こちら
No.161〜No.210  こちら
No.211〜No.304   こちら
No.305〜     こちら

TOP 工場案内 目次 作品 取扱店 BBS 情報 プロフィール

川口喜久雄「シルエット工場」http://neji.com/kikuo/