今こそ真実を白日のもとに

        −−淳君の両親による民事訴訟裁判の開始にあたって                               

                     神戸事件の真相を究明する会


 去る八月二十六日、神戸事件の被害者・淳君のご両親が、A少年とその両親に対し、損害賠償を求める民事訴訟を神戸地方裁判所に起こしました。この訴訟の第一回口頭弁論が、十月十六日に開始されます。淳君のご両親は、訴訟に踏み切った理由を、「被害者の立場からすると、事件は何も終わっていない」「漏れ伝わっているようなことが事実なのかなど、実際にはほとんど何もわかっていない」、だから「民事訴訟でその真実を知ることにしました」(土師守さんの手記『淳』より)と述べています。
 わが子をむごたらしく殺され、遺体を自宅へ引きとることさえできなかったご両親。変わりはてたわが子と対面することさえできなかった母。にもかかわらず、被害者の親にしてなおマスコミの流す警察のリ−ク情報以外に真実を知りえないこと。……ご両親の無念のお気持ちは、察してあまりあります。しかも、ご両親は行方不明となったわが子の姿を求めて必死の思いで街や山を探し続けられたはずです。また医師でもある父・守さんは、「(淳君が)なんらかの抵抗をした痕跡がまったくない」と言われているように、還らぬ人となってしまったわが子の最期の様子を目の当たりにされているはずです。この事件についての報道の虚偽性を、身をもって感じておられるに違いないのです。おりしも神戸事件の真相究明を求める声が高まっているなかで、いま淳君のご両親が「真実が見えない」「真実を知りたい」という声をあげられたのは、当然のことなのです。
 この民事裁判は、私たちの進めてきた神戸事件の真相究明にとって、きわめて大きな意味を持っています。損害賠償の前提をなす「請求の原因」そのものが審理の爼上にのぼり、事実認定がやり直しになるならば、この民事の法廷は、A少年を犯人とみなし医療少年院送致の処分をくだした昨一九九七年十月十七日の神戸家裁の決定に対する、事実上の「再審」の場となりうるからです。実際、少年事件では、少年法を盾にして闇に封じられてきた事実が民事の法廷で明らかとなり、「逆転無罪」へと進んだ例が少なくありません。私たちは、この民事の裁判において淳君事件の事実そのものが再審理され、今度こそ真実が明らかにされることを願うものです。そして、A少年の無実が晴らされることを、心から願うものです。


(1)  

 「A少年=犯人」説の虚構性は、「凶器のノコギリ」をはじめとするすべての「物証」のインチキ性によって、またA少年の「自白調書」の虚偽性によって、さらには警察・検察の捜査の違法性によって、もはや余すところなく証明されていると言っても過言ではありません。いやそれどころか、警察・検察はいったいどのようにしてA少年を犯人に仕立てあげていったのかということさえもが、新たな事実によってこんにち明らかになってきているのです。すなわち−−
 まず第一に、警察・検察は、A少年を「任意同行」したその日(一九九七年六月二十八日)のうちに、すでに警察調書と検事調書の両方をそれぞれ作成していたという驚くべき事実が、明らかとなりました。逮捕以前に作られたこれらの調書には、実に、神戸事件のほぼ全貌が記されていたのです。しかし、こんなことはありえないことです。警察・検察は供述調書のストーリーをあらかじめ練りあげていて、これにのっとってA少年の「自白調書」をでっち上げたとしか言いようがありません。警察は、証拠が何一つなく従って逮捕状も請求できなかったがゆえにA少年を「任意同行」し、「この声明文が君が書いた字であることは分かっている。素人にも分かる」などと言ってA少年を騙し、長時間追及し、ついに黙秘を続けていたA少年に「自白」を強要して、あの調書をでっち上げたのです。
 それだけではありません。第二に、警察はA少年逮捕の約三週間もまえに、A少年とケンカして転校してしまった友人のC少年から供述調書を取っていたという事実もまた、明らかとなっています。警察は、A少年の両親・弟・先生・十数人の友人などから調書を取っていますが、逮捕前に取ったのはこのC少年だけです。C少年はこの調書で、「Aの書いた『懲役13年』をワープロで打った」とか、「Aは猫殺しをしている」とか、「ホラーマニアである」とかの、様々の虚偽の事実を並べ立てています。そして警察は、「Aならやりかねない」というこの友人の「供述」を唯一の口実として、A少年を連行し逮捕したのです。この事実もまた、A少年を犯人に仕立て上げるための筋書きがあらかじめ存在していたことを物語るものと言わねばなりません。
 第三に、警察・検察がこれまでひた隠しにしてきたA少年の父や母や弟の供述調書が、こんにち明るみに出ています。彼らの証言は、「文藝春秋」にリークされた七通の検事調書におけるA少年の「供述」とは、ことごとく食い違っています。すでに私たちは、「文藝春秋」掲載の検事調書は、淳君の殺害・頭部切断・遺棄のすべてについて、また二・三月通り魔事件について、あまりにも矛盾だらけであり、検事の稚拙な作文にすぎないことを、様々の実地検証をも踏まえて赤裸々に暴き出してきました。このことが今や、警察・検察の「捜査資料」そのものによって裏づけられるに至っているのです。
 そしてこのような権力犯罪への疑惑の深まりのなかで、第四に、こんにち、A少年の付添人のひとりであった本上博丈弁護士は、「検事による黙秘権の告知も、警察の偽計による少年の錯誤状態を解くものでない」から「検事調書もまたすべて排除されるべきであった」という見解を公にしています(「季刊・刑事弁護」一九九八年夏季号)。かつてのA少年弁護団の中からも、家裁決定への・そしてこの決定に同意してしまった弁護団の弁護方針への、疑問と批判が投げかけられるに至っているのです。
 神戸事件の真相の徹底究明をめざすたたかいは、明らかに今、新しい段階に押しあげられつつあります。この地平はもちろん、真相究明の運動をなんとしても押しつぶそうとあがいてきた権力との、毅然たる対決をとおしてのみ切りひらかれてきたのです。家裁決定以降もますます広がる真相究明の声を前にして、権力は、一方では、種々の捜査資料を「朝日新聞」等の報道機関や「文藝春秋」などに流して「少年はサイコパス……」(「文藝春秋」三月号・立花隆)などというキャンペ−ンを張りながら、他方では、真相究明をめざしてたたかう当会をはじめとするいっさいの潮流を「人心を惑わす反社会的集団」などと描きだしさまざまのフレ−ムアップや弾圧を企んできました。だが、このような焦りに満ちた対応に狂奔することによって、彼らは、逆に自らの墓穴を掘ってきたと言うべきでしょう。神戸事件における警察権力のどす黒い姿がいまや、白日のもとにさらされているのです。
 このような真相究明のたたかいの現在的地平に踏まえて、来たるべき民事の法廷においては、警察による偽計を用いての自白の強要にはじまる一切の疑惑が、今こそ徹底的に暴かれ究明されねばなりません。言い換えれば、この裁判は、昨秋の神戸家裁の決定を暗黙の前提として進められるべきではないのです。神戸家裁の決定は、@警察の捜査の違法性を認定して警察調書の全部を証拠から排除しておきながら、他方、検事調書についてはこれを詭弁を弄して証拠として採用したこと、Aこの「自白調書」を唯一の根拠にして、A少年を犯人とみなしたこと、B物的証拠の裏付けは皆無に等しいこと、等の諸点において、不当極まりないものです。「A少年の犯行」などという家裁の誤った事実認定そのものが、今こそ再審理され、覆えされなければならないのです。


(2)  

 十月十六日から始まる民事の法廷において再審理されなければならない核心点は、以下の諸点です。

■物証の非存在■

 第一に、A少年の犯行を裏付ける物証が何も存在していないということです。
 一九九七年七月六日に兵庫県警捜査本部が向畑ノ池からひきあげた真新しい金ノコギリは、A少年の供述どうりの場所から見つかったというただこの一点をもって、遺体切断の凶器とされ、あたかもA少年の犯行の裏が取れたかのようにされています。だが、この金ノコギリは、以下の諸点によって、実際に犯行に使われた凶器とは到底見なしえないのです。
 @ルミノール反応が検出されていないこと。
 A被害者(淳君)の遺体の切断面は「ギザギザでなく一様で滑らか」でありかつ「目の粗い三つずつの刃の痕」が残っていたのであるが、多くの法医学者・解剖学者の見解によれば、このような切断面は金ノコギリによってはできないこと。
 B一本の金ノコギリでアンテナ基地入口の南京錠を切断しかつ遺体も切断したとされるにもかかわらず、多量の金属粉は、基地入口付近からも、遺体の頭部及び胴体部からも、発見されていないこと(これについては、遺体の司法解剖を行なった龍野嘉紹神戸大教授の証言が存在する)。
 CA少年の供述では「金ノコギリ」ではなく「糸ノコギリ」となっている。これが単なる名称の取り違えではありえないことは、随所に見られる調書の具体的叙述によって明らかであること。
 その他の物証についても同様です。
 @アンテナ基地入口にもともと付いていた南京錠は、もしもそれが発見され提示されれば、本当に金ノコギリで切断されたものかどうかが一目瞭然になるはずである。この錠は別物にすりかえることができないからである。ところがこの錠は、向畑ノ池の水を全部汲み出し金属探知器を使い、延べ七00人以上の警官が八日間にわたって探しても、結局見つかっていないこと。
 AA少年が犯行に使ったとされる手袋・黒のビニール袋・補助カバン、また犯行当日に着ていた衣類、これらのルミノール反応の有無について、警察は一切発表を避けていること。
 B被害者の切断された頭部を洗ったとされる浴室・タライ・タオル、またこれを一晩置いたとされる天井裏、これらのルミノール反応についても、警察はやはり発表を避けていること。ちなみに神戸新聞一九九七年七月一日付は「浴室からも天井裏からも血液反応は出ていない」と報じている。

■凍結遺体を電動ノコで切断■

 第二に、一九九七年五月二十五日、A少年は死後約一日経った被害者の遺体を、タンク山のアンテナ基地内でノコギリを用いて切断した、というA少年の「供述」内容は、およそ事実ではありえないことです。
 @被害者の頚部は第二頚椎を真一文字に切断されていたのであるが、このように切断するためには遺体を平面に置いたのでは不可能であり、段差のある所で頭部を垂らす形にしなければ不可能なのである。このこともまた、多くの法医学者・解剖学者の指摘するところである。ところが、遺体切断の現場とされているアンテナ基地の局舎の裏にはそのような場所はないこと。
 A龍野教授によれば、「被害者の遺体の死斑は淡紅色で、通常よりも赤っぽかった」「腐敗の進行は遅い。とくに胴体部の方が遅かった」という。通常、死斑の色は赤紫色または暗紫色になる。それが淡紅色ないし紅色になるのは−−一酸化炭素中毒死および青酸中毒死のばあいを除けば−−死後低温(冷温)状態に置かれた場合である。被害者は絞殺後、冷温装置または大量のドライアイスの中に置かれていたに違いないのである。五月二十四日から二十七日までの三日間、遺体がアンテナ基地内に置かれていたなどというストーリーの虚偽性は、遺体の死斑そのものによって暴かれていること。
 B右のことと、遺体の切断面が−−逮捕時の記者会見で兵庫県警・山下征士捜査一課長自身が「凶器はナイフ」と述べていたように−−「滑らかで一様」であったことから推測すれば、遺体は冷凍または冷温状態において電動ノコギリのようなものによって切断されたと思われること。頚部の切断場所および切断面の状況、死斑の色、頭部および胴体部の腐敗の進行状況の差異など、被害者の遺体のきわだった諸特徴についての全ての謎が、これにより氷解するのである。

■家族らの証言はA少年の「供述」を真っ向から否定■

 第三に、A少年の両親・弟その他多くの証言は、A少年の「供述」とことごとく矛盾し、それを真っ向から否定しています。このことは、「文藝春秋」に掲載された七通の検事調書だけでなく、家裁により証拠から排除された警察調書および検事調書の添付資料(「文藝春秋」においては掲載から省かれたもの)がその後明らかになることによって、今日動かしがたいものとなっているのです。
 @五月二十四日、淳君が自宅を出たのは午後一時三十五分頃であり、胃の内容物の状況から龍野教授が推定した死亡時刻は一時四十分頃であること。被害者は家を出た直後に殺害されている。被害者をアンテナ基地入口前に誘い出し、相当時間格闘した末に靴紐で絞殺したなどというA少年の「供述」は、明らかに虚偽であること。また、この日は雨が降っており、現場の状況からして加害者も被害者も当然衣服や靴が泥まみれになるはずである。しかし、A少年の母親は「衣服に泥はなかった」と証言している。また、淳君の父親も「抵抗した痕跡がまったくない」と述べている。さらに、当時の報道によれば、捜査当局の見方として、被害者にも「衣服にも靴にも、タンク山の泥は付着していなかった」「車のシ−トカバ−の繊維片が付着していたことから、車で拉致されすぐに絞殺された可能性が強い」とされていた。これらのすべてが、調書における殺害場面の虚偽性を突き出していること。
 A五月二十五日、父親は「午後十二時半頃、北須磨公園で休んでいる時、息子(A少年)が来て自転車を交換した」と証言している。また、弟(次男)は、七月十一日付警察調書で、タンク山の入口付近で友達と一緒に遊んでいたが、「(A少年が自転車を停めていたと供述している場所に)家の自転車がとまったりしているのを見たりは、していません」とはっきり証言している。これらの証言は、「午後一時から三時の間に家を出た」「タンク山の入口に自転車を停め、アンテナ基地内で遺体を切断した」という調書におけるA少年の供述を、真っ向から否定していること。
 B母親の七月三日付警察調書によれば、五月二十六日に母親は、「私は……(被害者宅の電話番を終えて)午後二時頃に帰宅したように思います。帰宅したところ二階からAが階下へ下りてきたのですが、その時の服装は、パジャマ姿であったように思うのです」と供述している。そしてその後、「階下でAとテレビを見ていた」ところ、午後二時半頃には「生活指導担当のT先生が訪問」してきたので、三人で話したという。ところが、A少年の調書では、「B君の首を天井裏に隠した僕は、ベッドに横たわりながら(警察の捜査をどう撹乱するかを)いろいろ考えました」「(T先生が来て話したことは)覚えていません」などと供述したことになっている。このA少年の「供述」が虚偽であることは明白であるばかりか、母親の証言はこの日の行動に関する少年のアリバイの存在を証明していること。
C五月二十七日未明の「A少年の行動」について、父親は「夜、長男が二階から外にとびおりたりよじのぼったりすれば、必ず物音で気づきます。音がしないで、というのは無理です」と述べている。また弟(次男)も七月十一日付検事調書で、「僕が小学生五年生位の頃だったと思いますが、当時、家の庭側の壁のところ……に、高い棚が置いてあったので、それを台にして、Aも含め、僕や○○(三男)も二階の窓から自由に出入りしていたのです。……今は、台にしていた棚がなくなっているので、庭側から登ることはできません」と明言している。ところが調書によれば、A少年は、午前一時から三時の間に被害者の頭部を友が丘中学校正門に置きに行くために、自宅二階の窓から出入りしたとされている。この「供述」が虚偽であることは、明々白々であること。
 D同じく五月二十七日、児童相談所において、学校正門に遺棄されていた頭部発見のニュ−スに初めて接した時のA少年の様子を、母親は七月三日付警察調書で、次のようになまなましく語っている。「……Aもテレビ放送を一緒に見ており、私は残酷なことをすると思い身の毛がよだつ思いとなり全身の震えが止まらずその場で震えているとAが『怖わいなあ、早よ帰えろ帰えろ』と言って私を促すので……」と。ところが検事調書では、この時のことについて、A少年は「B君の首が発見されるように置いたのですから、その点については、当り前のことなので、何とも思いませんでした」などと供述したことになっている。調書は検事の作り話であることが歴然としていること。
 このように、多くの証言はA少年の「自白調書」の内容をことごとく否定しています。それが警察・検察によってでっち上げられたものであることは、もはや明白なのです。

■犯行声明は「A少年=犯人」説の虚構性を示す証拠■

 第四に、「酒鬼薔薇聖斗」なる人物によるふたつの犯行声明こそは、逆にA少年が犯人ではありえないことを示す動かぬ証拠だということです。
 @犯行声明の筆跡は、A少年の筆跡とは明らかに異なっていること。これについては、兵庫県警科学捜査研究所の検査回答書(一九九七年六月二十七日提出)においてさえ、「犯行声明文等と少年の中学校での作文の筆跡を比較検査した結果……同一人の筆跡か否かを判断することは困難である」とされている。筆跡鑑定の専門家も、両者の筆跡は「はっきり異なっている」と明言している。
 A警察は取り調べの過程で、A少年に第一声明文を見せ、何度も真似して書かせてみたことが、こんにち明らかになっている。しかし、両者の筆跡は明らかに異なるだけでなく、A少年には「積年の大怨」の「怨」の字が書けず、何度書いても「恐」という字になってしまっていること。
 B検事調書によれば、A少年は「(約千三百字からなるあの論理的な第二犯行声明文を、下書きも含めて)一時間半で書いた」とか「(第二声明文を書くにあたって)辞書を引いたのは四語にすぎない」とかと供述したことになっている。だが、これらは、「国語が苦手で漢字が良く書けない」(両親の証言)というA少年の実像とはあまりにもかけ離れたものであること。
 Cさらに「懲役13年」なる作文が、「国語の苦手」なA少年の作ではないことは、あまりにも自明であること。ちなみに、C少年が、一九九七年四月にA少年からこの作文を渡されてパソコンで清書し、その後「正確に思い出して紙に書いて」警察に提出した(六月七日付警察調書)とか、あるいは「パソコンで打ち出した文章を警察に提出した」(七月十二日付検事調書)とか−−C少年の「供述」は二転三転している−−という話は、「懲役13年」の出所をなんとか作りあげようとした警察・検察の作り話にすぎない。このようなでっち上げによって、逆に警察は、A少年を犯人に仕立て上げるための水先案内人としてC少年を活用したという、自らの馬脚を現してしまったのである。
〔なお、二・三月通り魔事件の疑惑については、ここでは略します。〕


(3)  

 今回、淳君のご両親によって起こされた民事裁判は、このような神戸事件にまつわる疑惑の一切を追及し、事件の真実を法廷の場で白日のもとにする、その絶好の機会なのです。
 私たちは、警察の取り調べにおいて「信じられない」「良く調べて欲しい」と何度も何度も訴えられたA少年のご両親が、今こそ勇気をふるって、自らの知る真実を堂々と語られることを、心の底から望むものです。そしてまた、A少年ならびにその両親側の弁護士の方々に対しては、「(付添人の方も)事件の真相を明らかにすることにもっと協力して欲しい」という淳君のご両親の心からの叫びに応えて、今度こそ真実の解明に尽力されるよう望むものです。「請求の原因」をめぐって争い事実関係を解明することこそが、「事実と背景が知りたい」という被害者のご家族の切実な願いにもかなう唯一の道であると私たちは思うのです。
 私たちは、国家権力が今こうした訴訟をも利用して、「A少年=犯人」宣伝にまたもや狂奔するだけでなく、これをも煙幕として少年法の改悪(非行少年への罰を厳しくすること、検事の出廷を認めること、検事に抗告権を与えること、など)を企みつつあることを、怒りをこめて弾劾するものです。そしてまたマスコミに対しては、権力の情報操作に呑みこまれる愚を繰り返すことなく、来るべき民事裁判に際しては、真実のみを追求し報道するというジャーナリズム本来の立場を取り戻すよう切望するものです。
 関東医療少年院のわずか二畳の独房におかれているA少年は今、医療スタッフに抵抗して相撲を百番、ヘドを吐くまでとらされるという懲罰を加えられていると聞きます。私たちは急がねばなりません。
 私たち「神戸事件の真相を究明する会」は、日本全国の多くの心ある人々とともに、やがて始まる民事の法廷が神戸事件の「再審」の場となり、家裁決定を覆す歴史的な場となることをめざして、あらんかぎりの力をふり絞ってたたかうことを誓うものです。


十月一日


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