1993年10月21日 発行 光文社「週刊宝石」

レディースコミック大賞



マ-シ-
(辰己出版)刊

お約束の大団円大賞

★谷間夢路★

こんな私なのに・・・」

26歳で処女のOLが鉢植えの朝顔にむかって、『どうして私は男運がないの』とつぶやく、いきなり湿っぽい読者告白モノ。けれどその後バ-で知り合った男との初体験、不本意な4Pを経験し、結局最後は初恋の男との幸せなSEXにたどりつくというお決まりのパタ-ンでEND。  し.0かし水戸黄門の例を持ち出すまでもなく、これこそがある意味でレディスコミックの王道なのだ。夜中にせんべいをボリボリかじりながら読むには、やはりこれ以外ないだろう


1999年 8月 発行 ミリオン出版「GON!」

ゾンビが出たで賞

谷間夢路 『奇怪少女猫毛のアン』ホラーMぶんか社

谷間夢路センセはもう50歳を越した大御所である。谷間センセはレディコミでも活躍していて、独自の作風は誰にもまねできないオリジナルさを誇る。何せ、一昔前の少女漫画そのもののカワいいキャラクタ-が動くにもかかわらず、背景は妙に黒っぽくて暗黒ゴシックロマンしちゃってるギャップなんて、誰もまねできないでしょ。ラブリ-な絵柄からいきなりグロな化け物が出てくるインパクトは空前絶後

万引きの濡れ衣を着せられたかわいそうな少女。

『私は無実よ』と訴えても意地悪な校長センセは聞く耳をもたない。悲しみに打ちひしがれた少女は自殺する。すると、化け猫の霊が彼女に乗り移り、意地悪な校長に復讐する。それがただの復讐だってんなら、スプラッタ-の王者、谷間夢路センセじゃない。当然、ソ-ゼツな復讐劇がドロドロで繰り広げられちまうのだ。化け猫が呼び出した墓場のゾンビが夜の校舎を徘徊。校長に向かって、ざけんなよとメンタンかますシ-ンは グロおもの極致。

平成12年10月5日 発行 大洋図書「LAPOO」

第2回 僕の好きな劇画家たち

 エロ劇画30年目のベテラン出井州忍に会いに行く

出井州忍●3月30日東京生まれ。山羊座。

13歳で芸術学院全国漫画大会三位、15歳で貸本劇画『顔』新人賞。

以後、児童物から少女、少年、青年誌、新聞、実用書等

すべての漫画に作品を発表。現在、新たにCGによるムービングマンガを発表中。
B級ホラ-漫画の時代で谷間夢路といえば、まごうことなきベテラン作家のひとりだが、この人が昔、出井州忍の名前で三流エロ劇画を、鬼童譲二の名前で貸本劇画を描いていたことは、これまでぼんやりと知っていたが、詳しい事は知らなかった。ところが先日、八王子の古本屋で、出井州忍の名前で描かれた特集本『愛のヒ-ロ-』を発掘したら、その泥臭い絵の匂い立つような淫靡さに参ってしまい、出井州忍という作家の背景について、がぜん注目したくなった。『僕のキャリアは古いんです。もともとは劇画の創成期に、中三でデビューしたんですね。貸本劇画を出していたセントラル出版に『死の勝利』という作品を描いて送ったら、運良く入選して、『顔』という短編誌に載ったんです。それまでは『赤銅鈴之助』とか『矢車剣之助』とかいいなあと思っていたんですけど、劇画が出てきて、『おーっこれはヌーベルヴァーグだ!』って思いました。同時に思った事は『これなら自分でも書ける』ということでしたね。それからは鬼童譲二のペンネ-ムで、三洋社とか日の丸文庫とかに作品を持ち込んで、あちこち描いてました。貸本時代に描いた作品だけで50冊くらいあるんです。はじめは山森ススムに影響を受けたような絵柄で、アクション劇画を描いてたんです。同時期に描いていた人ではバロン吉本(当時は吉本正)さんなんかがいました。長井勝一さんのいた三洋社なんかも、高校生の頃に原稿を持っていくと、『坊や、また来たね』ってお小遣いまでもらったりしてね。『忍者武芸帳』を出して、景気がとても良かった頃です。白土三平さんのだんだん忙しくなる頃で、『赤目プロに入らないか』とか言われたんですよ。でも、僕はその頃、劇画だけでなくて普通の仕事もやりたかったので、TBSサービスというテレビ番組を作る会社に入って、テレビのタイトルバックなんか作ったりしてたんですね。その頃に青林堂から『ガロ』が創刊されて、4コマ漫画を描いたりもしてるんです。エロ劇画を描くようになるのは、明文社の『漫画エ-ス』あたりが始まりでしょう。七十一年頃、同年代の漫画家達が雑誌で売れっ子になりはじめて、ああやっぱり漫画描きたいと思い出して、二十八の頃、ぱっと会社を辞めたんです。それで、上司の知り合いの劇団やってる人に、大日本印刷の開発部長を紹介してもらって、明文社の編集者と知り合って、エロ劇画の道に出井州忍と名前を変えて入っていった。当時はまだ、『漫画Q』とか、実話雑誌が主流の時代で、お色気漫画と称されていましたね。劇画は実話誌の刺身のツマのようなもので、実話記事の間を埋めるようなものでした。エロ劇画の専門誌が創刊され始めるのは七十四年、五年頃じゃないですか。辰己出版とか笠倉出版とか、各社が劇画誌をばーっと出しはじめるんです。『漫画大快楽』の創刊号なんて、ぼくらが描いてたんですから。出井州忍という名前は『でいずにん』と読ませるんですが、これはもともとウォルト・ディニーが好きだったからね(笑)。エロ劇画の創世期って、月産三百枚描かなきゃいけないっていうんで、割り箸を削ってペンにして描いてました。割り箸を削って描くと、ああいう絵が描けるんですよ。当時の絵は、とにかくボインボインでお尻なんかも豊満に描いたんです。当時、若山ひろしさんと春川春平さんという劇画家がいたんですよ。この人達の絵はデフォルメがいやらしいんです。ぱっと絵を見ただけで、いやらしさが臭い立ってくる。エロの真髄とはこういうものかと教えられました。当時は思い付いたままに楽しんで描いているんですね。強調したいものがあれば、デッサンの狂いなんて気にしないで描いてました。それに誰も『お前、バランス崩れてるぞ』なんて言ってくれないし。ファンの人はみんな言いますね。昔の方がよかったねぇとか、動きがあったね、熱気が違うよとか。当時はまだ三〇代後半じゃないですか。エロ劇画の展開についていえば、僕はひとつのパターンを作ってるんですよ。女が男に姦られるんだけど、最後に女が『でも、実は、私の方が仕掛けたのよ』みたいに笑うというオチの付け方は、ぼくがほとんど作ったんです。それまでは、女が一方的に姦られて、暗い調子で終わってましたけど、そうゆう行き方をしておいて、最後に救われる。落語的なオチですね。そのパターンは、いまだに続いてるんじゃないですか。『三流劇画の界』という本に、出井州忍のことが『官能劇画の安全パイ』と描いてあるんですね。あがた有偽さんとかぼくとか、この人たちを使えば必ず雑誌が売れるって。サービス精神があるから、確実に読者をつなぎとめておけるってかんじでね。それから、まぁ、そんなに売れもしないけど、ずっと漫画を描いてきて、もう四〇数年です。その間、漫画のジャンルは、すべて網羅しましたね。ぼくは何のジャンルでもやっているんです。貸本劇画、エロ劇画、ホラー、時代物、釣り物、レディース。漫画家のタイプでも、何種類かありますよね。絵を大事にしてそれを完成していく人とか。ぼくなんかは、どっちかというと、発想が先にあるタイプ何ですね。気が多いというか、ある作品を描いているうちに『あ、こういうジャンルも描きたいな』って思っちゃうタイプだから。そうすると、ひとつの絵では表現が出来なくなって、そのテーマに合った絵を考えて描いてしまうんです。それで、自然と絵柄も変わってきた。丁度十年周期くらいで変わっていくみたいですね。今は、ペンネームは三つあるんです。谷間夢路でホラー物を描いて、出井州忍でエロチックな漫画をコンピューター・グラフィックで描いて、たにゆめじでアニメーションビデオの監督やレディースコミックの告白者を描いてるんです。今一番力を入れているのが『ムービングマンガ』略して『ムーマン』と呼んでいるもので、これはコンピュ−タ−ソフトを使って作る動くアニメーションの事で、実験的にいろいろ作ってやってます。プレステ2があれだけ出てるんだから、これからはマンガもDVDで売るのが主流になると思うんです。なかなか出版社は腰を動かそうとしないんですけど、エロ漫画誌とかホラーコミック誌は、絶対、DVDを本に挟みこむといいと思ってるんですね。そろそろ紙に漫画を印刷する時代は卒業した方がいいと思うんです。(二〇〇〇年七月二十五日)
聞き手●赤田祐一(あかた・ゆういち)フリー編集者。八月後半から『まんだらけ』の出版部に就職して。いろいろやっていきます。第一弾は海外人気テレビドラマのノベライズを十月に出版する予定。


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