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手塚先生と赤いリボン
1999年発行の 「ある日の手塚治虫」 ふゅーじょんぷろだくと刊
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昭和31年、私は中学一年生でした。小学6年生の時、友達から 借りた、うしおそうじさんの「疾風どくろ党」の漫画単行本をワ ラバン紙に一冊丸ごと鉛筆で写してから漫画少年になった私は漫 画家を夢見て当時漫画を教えてくれる唯一の学校で通信教育の芸 術学院に入学した。その年、学院が初めての漫画・挿絵の全国大 会を開催することになり作品を募り私も頁漫画を応募した。中学 一年生で始めて描いた頁漫画の作品はメルへンタッチの「あげ羽 のピンちゃん」という蝶の妖精でかわいい女の子の冒険ものでし た。ぎこちないペンタッチと当時のアミ版指定の青色のポスター カラーで描きあげた作品は私にしては上出来でした。全国大会は 新宿の文化会館で催され会場は全国から集まった漫画や挿絵を目 指す人達でごった返してました。壁に展示された沢山の作品群を 見て最初に思ったことは皆さんとは格段にレベルの差があるとい う失望感でした。ほとんどの作品がプロ級でペンタッチも原稿も とてもきれいでまるで印刷された、いえそれ以上に輝いていまし
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た。ガックリしつつも自分の絵を探して壁づたいに目を移動して いると少し人だまりのした所がありました。輪の中心にベレー帽 をかぶった人が赤いリボンを作品の上に止めているところです。 何とそれは私の作品ではありませんか。そしてこの人こそ漫画の

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神様、手塚治虫さんだったのです。もちろん13歳の純情な私は 神様にお話することも「それは私の作品です。ありがとうござい ます」というお礼の言葉も申し上げられませんでした。ただ神様 が一瞬私の目を見たのです。たぶん会話をすることもできません でしたが上気して赤い顔の私を見て神様は「こいつかな」とニコ ッと微笑んでくれたのです。沢山の作品の中から私を選んで全国 第三位にしてくれた神様、以後40年間私はその一瞬のまるでフ ァンタジーのような出会いを大切に漫画を描き続けています。
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