堕天使の鼻歌
「小森 愛とは何か」A

 今は亡き勝新太郎の秘蔵っ子として知られた三浦綾音登場時、その冠は脱ぐアイド ル、即ちヌードルとかいうものだった。正に3分間で出来上がりそうなこのネーミン グと存在は後に多くの亜流を輩出するのだが、それ以前のヌーディスト達はアイドル ではなかったのだろうか?現在、インテリ、スッチー、局アナ等の週刊誌ネタを筆頭 に、脱ぐ素人がホットだ。だが十余年前のヌーディスト達も全くの素人だった筈だ。 脱ぐアイドルを作らなくとも、アイドルが続々と脱いでいるからヌードルそのものの 価値も無くなった。アンチやサブ、カウンター的な意味合いを持っていた宇宙少女達 はショーケースの中で高値を付けられ風化している。幻想を仮託するその対象の変化 は、我々の欲望の本質を問おうと翻弄しているのだ。
 臆面もなく”美少女”を看板に掲げ小森愛は登場している。この新しい電波を受け た声なき声によって、彼女は確実に支持を得ていく。時代は変わったのだ。ハンパで チンケな歌謡アイドルには夢を与えるだけの物語性やフェロモンが欠落していた。 (このハードルを超えたのは森高千里だけであろう。)芸能人とヌードモデルの美少 女度は小森愛をもってして折れ線グラフ上で逆転する。ポルノグラフィーの進化は作 り手ではなく、それを見た少女達の意識改革によって図られる。モデル達の多くはイ ンタビューで、先人の美貌に魅かれ、自己を鑑みて出演した事を語っている。小森愛 の出現は、シーンそのものの改革に止どまらず、後進の発展にも多大な影響を及ぼし たと言って過言ではない。
 1987年2月のグラビア・デヴュー以降、4冊の写真集と6本のビデオを単独作とし て発表している小森愛の初期は、活発な活躍を見せていた。近年のビーイング系アイ ドルがマスコミに登場しない事で神秘性を保持している事に比べれば、余程正統派ア イドルと言えるものだったろう。レヴューと名付けられたツアー・ショーを初めとし て、舞台やライブからミニマムなイベントに到るまで実に精力的に活動していたもの た。この辺りの詳細は熱心なファンやヤング・アダルト誌の回顧的歴史記事に詳しい ので重複はしないが、年譜や数字には現れない小森愛のグラビア史に於ける位置と意 義、そして何よりその過小評価されてきた存在は、この生誕30周年の今年、再評価を 求められていると思う。
 先に述べた通り、性欲の依りしろと理想の仮託が最早カオス的状態と化している現 代は様々なテーマを内包している。彼女と同年代のモデル達の動向も時代を反映して いて興味深く、比較対象として議論の余地もあろう。いずれにせよ若いある時期、女 性観に大きな傷跡を残していったディーヴァへの検証と考察をもって、各人が自我の 深遠を探る事は決して無駄ではない筈だ。(つづく)

荒牧 満治

※本稿はミニコミ誌『急進派』99.3に掲載されたものです。
(岸君による、荒牧さんの代理投稿です。)

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