堕天使の鼻歌
「小森 愛とは何か」C

 '88年当時、まだ書店ではアイドルの写真集とヌード写真集が並んで平積みされて いるなどという事は珍しかった。思い返してみても、新宿の大型書店の店先で比較的 堂々と購入できた記憶がある。今やこの道の写真集の中ではマスターピースとなって いる『美少女記念日』が、現在でも入手できる状況にあるという事は異例である。 (と同時に、一部古書店では既にかなりの高値もついている)
 芸能アイドルは年を重ねると共に、消費されてしまう運命だ。そのため、手を変え 品を変え成長という名の切り売りをしてゆく訳だが、そもそも短命なヌードモデルに はそれがない。瞬間的な存在でありながら普遍的な記号たり得てしまうからだ。若か りし日の写真は懐古する物として感傷を呼ぶ。それは現在に続く時間軸の上で被写体 を見るからだが、過去に焼き付けられてしまった存在はそこで不老のまま永遠となる。 原節子などは女優として生きながらこれを実践した稀なケースだろう。
 小森愛を青春の存在下のショーケースに封印している人は意外に少なくないのかも しれない。翌年、早くもシンボリックな『美少女伝説』で文字通り伝説化を義務づけ られた少女は、続く『AI THE THIRD』でディーバにまで昇華する。ミュージシャン友 部正人に、“カメラを持った絵描き”と称された鬼才小沢忠恭による幻想的な画が瑞 々しい。後年、小沢氏の印象を尋ねた小生に小森愛は「独特の個性と世界観を持った 人」と答えていた。
 ところがディーバは天から降りてきてしまう。額縁の中の画に納まる事を良しとし ないかの様に、黒髪を切り落とし“変身”を遂げる。小学生時代までのヘアースタイ ルに戻ったというあまりにスポーティー且つ親近感溢れるイメ・チェンは、当然の如 く賛否を分けた。『metamorphosis 』における南国の躍動的イメージと、その付属ビ デオに見る自室でのプライヴェートな表情は、愉悦の仮託先たる無言のシンボルを拒 否し、自我を持ったキャラクターとして生きていこうとする決意の表れだった。その 宣言である表題に、何より彼女の意思が込められている。この人は本当に長くやって ゆくつもりなのかもしれない。小生はそう感じていた。(つづく)

荒牧 満治

※本稿はミニコミ誌『 急進派 』'99.5に掲載されたものです。
(岸君による、荒牧さんの代理投稿です。)

小森愛論(5)はこちらをご覧ください。
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