堕天使の鼻歌
「小森 愛とは何か」D
美少女単体物AVの意義が外見(の可愛さ)と内容(の過激さ)の格差にあ
ることは、その有史以来基本的に変化を見ない。だがどうだろう。今の少年た
ちには僕の様な15年来の視聴者が昔感じた様なあのギャップに対するドキド
キがあるのだろうか。そもそもそのためには当然、「エグさをひき立たせるた
めの清純への至上主義」がなければ意味がない訳だが、彼等はそんな幻想を持
っているのだろうか。
悪いけど今の僕にはそんなドキドキはほとんどない。単純に見慣れてしまっ
たから、ではないと思う。好きな女のコと恋の時を育みコトに至るのと、買っ
たオンナと安易にデキてしまうのとの差のようなものではないか。まァ、安易
だからこそのAVなんだが、つまんなければそれまでのモンでしかない訳で。
じゃあ、イメージ的プラトニックだった歌謡アイドルがヘア・ヌードになると
ファンの感慨は一入なのかって言われても、そうとも言えない。
多分解んない人には絶対解んないだろうけど、僕は小森愛の「廊下は静かに」
を観た時、ホントに興奮したんだ。そんで恥ずかしい話、V&Rにさえ慣れ切
っていたにもかかわらず、何回でも何回でもヌケたことを憶えている。のみな
らず、そのことに僅かな罪悪感さえ抱く有様だった。生娘でもあるまいに、ヌ
ードモデルがバレバレの疑似本番をしているだけなのに、それは新鮮且つ衝撃
的な光景だったのだ。なかなかヤラせないコがついにヤラせたという流れ、そ
の「物語」がうまく彼女のキャリアの上で機能していたからだろう。
各社御用達の奥多摩の廃校。酒一本のワイロで管理人をおとせて自由に使え
たという伝説の現場で、フケた男子学生の中にたった一人の女子生徒として、
小森愛は不条理劇を演じる。閑散とした風景と狂気、静寂と欲望が重く不気味
なトーンを醸し出す。三多摩地区出身者には割とリアルな空気感だったりする
んだ、これが。今から観ると表現はかなり稚拙なんだけど、その自閉的なカラ
ーは青春の或る気分を明らかに抽出してはいると思う。個人的には、「精液の
匂いだけは平等らしい」と言う小森愛のモノローグが印象的で大好きなフレー
ズだった。リコーダーや「春夏秋冬」の劇番も効果的だったし。
ま、いずれにしても廉価版を除き、彼女の出演作はこの宇宙企画からの三作
で一応の節目をつける。彼女自身にこの後のヴィジョンがどう映っていたのか。
FC会報誌やV.B誌上に於けるその決意の程に、僕らは期待した。
荒牧 満治
*本稿はミニコミ誌『急進派』99.6に掲載されたものです。
小森愛論(6)はこちらをご覧ください。