宗助さんの独り

2012年3月10日
 先週から調子が悪かったPCが、いまも10数回起動に失敗する。もう駄目になってしまったようだ。これでHPの更新も
しばらくできなくなるようです。・・・・・・・・・またお会いする日まで、しばし!

2012年1月28日
 年が明けて寒さが一段と厳しく堪える。庭の梅は紅梅白梅とも、12月の中ごろには咲いて3月近くまで花を付けているが、
今年は昨日27日にやっとひとつ・ふたつと花が開いた。これも寒さのきついせいであろう。隣の栗畑には先日の雪が残っている。
31日の博品館劇場の膝栗毛が待たれる寒の内なのだ。

2011年12月30日
 みな大変な一年だった。あすは大みそか。友人知人はそれぞれにどうしているだろうかと、思いめぐらす一日だった。

2011年11月29日
 今日はジョージ・ハリソンの命日だった。いま、ホワイトアルバムの While my guitar gently weeps を
聞いている。懐かしい曲である。夏になると館山の駅近くのジュークボックスで飽かず聞いたものだった。
最近独り言は回顧ばかりだなあ・・・・(年相応)

2011年10月28日
 北杜夫の訃報に・・・。50年前に「ドクトルまんぼう航海記」でこの作家に出会って、私の人生が決まった、
といってもいい。「楡家の人々」「幽霊」「ドクトルまんぼう昆虫記」「ドクトルまんぼう青春記」・・・愛読した本は多い。

2011年9月28日
 寄席フローラルが開催できなくなってどのくらい経つだろうか。1年半・・・か。
 このHPもその役割を終えようとしているのかもしれない・・・・

2011年7月15日
 13日の銀座博品館劇場「喜多八膝栗毛」は、「三味線栗毛」をだした。へっつい幽霊、寝床、三味線栗毛。
寝床は、大劇場用に変えて演ったのかなと思った。
三味線栗毛は、打ち上げの反省会?で不評だったとか。錦着のどこまでも謙虚でひたむきな暮らしぶりが、今回は希薄な感がしたが、
期待されて意識しすぎたのかな・・・などと思っている。

2011年6月4日
 梅雨の合間の晴れ。朝から窓をみな開け放って、布団を乾して、洗濯。クリーニングへ冬物を持って行った。あとはごろごろと、風に吹かれて
寝転んでいるだけで何もしない。のんびりとすごす休みの一日。(競輪はしっかりと・・・)

2011年4月11日
 東日本大震災からちょうどひと月目、博品館劇場の「喜多八膝栗毛」の仙花さんの太神楽曲芸の最中に際どいタイミングで揺れが来た。
午後5時過ぎにも結構揺れて、高座でも注意があったばかりなので客席も落ち着いていたようだ。
それにしても、「仏の遊び」も「笠碁」も地震や何かの憂さを払うような笑いの連発で、やっぱり落語はいいなとしみじみ感じた夜であった。
いや、「喜多八はやっぱりいいな!と思った」といったほうが正しいのだろう。

2011年3月17日
 2月に喜多八師の入院、3月11日に東北関東大地震。計画停電以上の大規模停電があるかも知れない夜に、
喜多八師の復活の高座は「五人廻し」だった。客席も来ることのできないひとたちのせいか半分ほどの空席だった。
扇遊師、鯉昇師と三人の睦会は楽しい。外の寒さや地震・原発のことなどを忘れさせてくれる、ひとときのタイムトラベル。

2011年3月13日
 2011年3月11日をもって世界は変わった。戦後66年の世界観は革めなければならない。何度も警鐘は鳴らされていたが
それを利かすことはできなかった・・・

2011年2月26日
 モリキド寄席「新真打 蜃気楼龍玉の会」は、喜多八師の休養で五街道雲助師の代演となり、ちょうど師弟の会になった。
会が終わるころ喜多八師が(痩せはしたが)元気な顔を見せ、復帰が来週であることを話していた。

2011年2月18日
 残念ながら寄席フローラルは、今回の中止をもって一応の終わりを迎えました。会場に使用していた区画が
使用できなくなるからなので。(30人を収容できるスペースはほかにないため。そのこと自体はいいことなのだが・・・)
長年続けてきた会ができなくなるのは淋しい。
 応援してくださったみなさまに厚く御礼申し上げます。

2011年1月29日
 寒い日が続く。ほんとうに大寒である。連日霧島の火山の噴火のニュースを聞いている。
その山の名が随分古い記憶を呼び起こす。新燃岳・・・シンモエダケ・・・・あの馬の名はこの山からとったのか。

2011年1月20日
 大相撲初場所12日目、桝席で観戦。昨日、また希勢の里に敗れた白鵬はすこしあわてていて勝つには勝ったがちょっと
 という感じであった。何と言っても人気者高見盛の「後もたれ」という変わった決まり手が、場内を沸かせていた。

2010年11月17日
 昨日から冬の寒さになってしまった。寒いときにいつも私を助けてくれた味方がいない今、この気候は堪える。
堪えるのには訳がある。いかにしつつか、我が世を渡る。鈴木翁二の漫画で、冬枯れの夜空に「応答せよ!応答せよ!」
という場面があったがまさにそんな気分だ。

2010年11月5日
 45年の付き合いについに別れの日が来た。よく付き合ってもらったな。楽しいときも苦しいときも、そして
悲しいときも・・・ほんとうに世話になった。ありがとう、そして、さらば。酒よ!

2010年10月26日
 今日はいろいろな意味で感慨深い会(寄席フローラル)であった。40年来の旧友が顔を見せてくれたし、このHPを
見てきてくれた初めての方もいた。そして、喜多八落語の歴史から言っても実に画期的な高座であったと思った。
あの若い頃の一途さとは違った、解き放たれた自身の噺を演じようという「静かなる気迫」を感じた。

2010年10月2日
 秋らしい天気になっったので神田の古本屋へ探し物に行った。目的の半分は叶えられた。ただ本が
 重くて堪えた。

2010年9月27日
 急に気温が下がってきたこの数日、自律神経失調気味の私は、気分は落ち込み意気が上がらない。
 それに不安な報が入ってさらに胃が痛くなる。やっと寝ようとしたら、急に真上の天井板に雨漏り。
 蛍光灯の器具に雨漏りなので危ないと、午前3時に布団を抱えて移動。眠れなかった・・・かなわんなア。

2010年9月14日
 博品館劇場の会から帰ってきたところ。まだ「憑き物」は落ちていないという楽屋のうわさが聞こえてきた。
 しかし、高座で噺に入るといい感じだった。

2010年8月29日
 夏休み最後の日曜。まだまだ暑さは続いている。TVで北海道のマラソンを見ていたら、あちらも
かなりの暑さでみな水を浴びながら走っていた・・・いろいろな想いが湧いてくる。

2010年8月8日
 今日、円朝祭があったはずだけれど、喜多八師の憑き物は落ちたかな?

2010年7月30日
 午後5時ころ事務所に戻ると、喜多八師がひとり椅子に座っていてびっくり。「どうも一昨日はお疲れ様です」というと、
「ちょっとお門をとおりましたもので」そして、いや昨日はまたまた扇遊師に捉まって酒ですよ・・・とおっしゃる。
違うでしょ、酒にみんなが呼ばれてるんでしょう。なんでもこれから青山のほうへ用があるとかで、自転車でそちらへと
すいっと去って行った。

2010年7月29日
 昨夜は博品館での「夏の風」。会場でこの度発売された「膝栗毛」のCDを買う。手ぬぐいが付いてきた。
Nさんは博品館に来る途中の山野楽器で2巻とも買ってきて、「こっちで買えば・・・」と。CD2枚をみせたら
手ぬぐいを出せばいいのに。ずーと前、圓生百席をLPで全部そろえると、圓生に会えるということだったが
私がすべてをそろえたとき、圓生すでになく悔しい思いをしたことをひょっと思い出した。

2010年7月20日
 猛暑が来た。昨年のころを思い出した。暑い日曜日だった。午後、数時間懐かしの学生街を
歩き、夕方に寿司で一杯。・・・もう一年か。落語の小噺じゃあないが、月日のたつのは早いもの・・・。

2010年7月13日
 梅雨のせいか「寄席フローラル」空席が2つ3つ。それでも喜多八師の噺は次第に熱を
帯びてきて、いつものように笑って・・笑って。

2010年4月25日
 1カ月ぶりです。初夏の気候から真冬に戻ってまた暑くなり、次の日に雪が降る。
こんな天候不順に桜の花も戸惑い、花見も連日とはいかなかった。いま、庭の里桜が
満開で、夕日をいっぱいに浴びた花の房が風に揺れ、一日中見上げながら過ごした。
梅と楓の若葉と桜の薄紅とが横ざまの日の光に輝いて、見飽きる事がない。

2010年3月14日
 昨日今日と4月の気候で、しばらくやらなかった庭の手入れをした。花の終った梅の剪定をして
椿の樹形を整えた。かたずけを終わって2,3分して上着をはたこうと庭へ出ようとしたら、もう
椿に二羽のメジロが来ていて花の蜜をつついていた。春だなー。コーヒーをいれて座ると、こんどは
キビタキが来た。5分もするとさらにシジュウカラが二羽来た。みな餌を探すのに余念がない。
春だなー。

2010年2月26日
 冷たい凍るような雪を踏みしめた74年前の遠い記憶が薄れて行くような温かい雨を
 傘もささずに心地よく感じるのは、今日の早稲田・東寿司こみちの会の余韻なのだろう。
 喜多八師匠の縁でこうした会が出来たのもなにやら嬉しいものである。

2010年1月20日
 昨夜の寄席フローラルは会場が小さいながらも盛況だった。
 
 打ち上げでも盛り上がっていました。

2010年1月3日
 4年前の元日、人気のない勝鬨橋から大川の水面を見ていた。今日は夕闇に沈む
勝鬨橋が鮮やかにライトアップされ、林立する高層ビルの間に赤く華やかに東京タワーが
望まれた。そのあとで東京駅から5分の蕎麦屋で、味噌漬け豆腐で一杯やった。味噌
漬け豆腐が酒に実によく合うのだ。

2009年11月25日
 21日には、師匠の還暦を祝ってファン一同が贈った着物のお披露目の落語会。
そのあとの懇親会も盛況でした。懇親会で思わず一瞬・・・の師匠。
    (Sさん撮影)

2009年10月29日
 27日の寄席フローラルは、折からの急な気候の変動で熱発し欠席せざるをえなかった。
ところが今日きけば、手違いでろべえが来なかったということで、皆さまにはお詫び申し上げます。
すみません。

2009年10月16日
 喜多八師も還暦を迎えた。その日の高座は、これまでに比しても、切れの良さと意欲が際立っていた。
これから、さらにおもしろい噺を聴かせてもらえるだろうという実感が体を通り抜けていった。

2009年9月20日
 今日も連休のこととてふらふらと浅草までいった。一人で神谷バーに入り込み、電気ブランでカツなどを食べた。
川風に吹かれ駒形橋まで散歩し、池袋東行きのバスで帰ってきたが、西口地下で扇遊師匠とばったり。(8月に
浅草へ行ったときは扇橋師匠に遇った。)扇遊師に挨拶して、池袋を終ったところか聞いたところこれから上がりだ
ということで一杯誘う訳にもゆかず「それでは・・・」とわかれた。そういえば今日もヒレかつ食べたんだった。

2009年8月15日
 小平の霊園に行ってから所用で浅草へ出た。むかしと随分と様子の変わった小路をあちこち歩いていたら
「井泉」がそのままあった。夕食時なのでヒレかつでも食べようと入った。赤ちゃんを連れた家族が
ひと組いるだけだった。カウンターでビールをたのみ、ヒレかつ定食を注文。5分程すると二人入って来た。
カウンターの向うの端に座り、店の人と言葉を交わす。「師匠、今日は・・・」とか耳に入った。ひょいと
見ると扇橋さんと連れの人である。扇橋師匠はロースかつを頼んだようだった。「どうもヒレはものたりないんだ
よね」と聞こえてきた。すみません。最近ちょっと太り気味なので・・・と言葉に出さずに弁解。最近考えた
「扇遊さんの寝言」というギャグを言いたくなったが、まさか・・・食べ終わってすぐに店を出た。夕空が光っていた。

2009年8月1日
 あっという間に7月が過ぎてしまった。仕事やその関連や落語や友達との酒や、なにやらで
忙しいなとは思っていたが、今日はもう8月である。夏も夏。おそいが、蝉が鳴き始めた。

2009年6月29日
 なにかと忙しく、それと5月末から体調を崩してうかうかと7月の声を聞こうという頃になってしまった。
6月23日に寄席フローラルが復活して、狭いながらも落ち着いた会場に3席聴けて良かった。
日本酒を五合くらい飲むのと、落語を聴く、それとライブ…体調がその度に良くなる。

2009年4月5日
 花見 第二弾。木々の立派さと種類の多さでは小石川植物園もなかなかすごい。播磨坂の桜のトンネルと
 植物園の桜や花々は、これもやんややんやなのだが、水面の面積がわたしにはちょっと物足りないのだ。

2009年4月4日
 花見に良い天気になったので、午後ふらりと出かけた。遠くは億劫。
 昨年も一昨年も、北の丸公園や神田川、四谷・上智大学前など桜を堪能した。
 思い立って、学生時代によく行っていた石神井公園に行ってみた。
  見た鳥   カラス、バン、カルガモ、カモ、カイツブリ、スズメ、ヒヨドリ、カワセミ(3羽)、シジュウカラなど
 ベンチで豊島屋で買った缶ビールを飲みながら、三宝寺池の水面と水草、木々の若芽と桜の花を見晴かす。
 隣のおじさんは日本酒を飲みながら、競馬だか競艇かの新聞を熱心にのぞき込んでいて、目の前の木の枝に
 カワセミが翡翠色の羽を煌めかせて飛んで来ても気づかない。鳥の声と散歩する人の静かな足音のみ…
 緑の若芽と桜の花の色が重なり水面に映る。何も京都まで行く事もない。カモが昔のように頭上を飛翔する。
 石神井池はボートで混んでいるが、柳の若芽の新鮮な緑の枝がやわらかく枝垂れていて、桜とよい対照で
 空と水面によく映える。木々の向こうには広い空が広がり、今の都会にとっては何よりの景観である。
 いま、東京の景観で石神井公園が第一であろう。そう思った。
 

2009年3月3日
 今日はひな祭りだというのに、寒い。一杯飲んで帰り駅を出ると、霏霏とした雪である。
 「おう、雪か」と声に出して夜空を見上げた。

2009年2月26日
 博品館の会から帰ってきたら途中で飲んで来たのでもう夜半を過ぎていた。もう226なのだ。
 「文七元結」は5年ぶりに聴いた。佐野槌の女将が特に良かった。

2009年1月22日
 大寒の頃でやはり寒い。そのせいか酒ばかり飲んでいる。今日は抜いた。
 すると熱い皿うどんとか五目あんかけご飯とかが食べたくなる。とんかつなんかも
 いいなと思う。いっそ鍋にするか・・・いや、鍋は酒がつきものだし・・・

2009年1月1日
 
      除夜

    旅館寒燈独不眠
    客心何事轉凄然
    故郷今夜思千里
    霜鬢明朝又一年

 70年前、中国唐山の宿舎でひとり、年越しをしたとき、どういう気持ちだったかを偲んで
 2009年を迎えた。

2008年12月24日
 クリスマス・イブを一人淋しく過ごすしかない者同士で忘年会をやろうとしたら、実に18人の
 大忘年会になってしまった。ところは銀座のライオンビヤホールの3階。賑やかに・・・

2008年11月23日
 はじめて庭にモズの声を聞く。冬の近づくを知る。午後「被災樹木展」へ行く。江東区岩井橋東詰。

2008年10月22日
 今日、小学校2年生の時の友達の消息を50年ぶりに聞いた。元気でしかも私と数百メートルしか
離れていないところに勤めているという。最近私と同じビルに来ていて顔見知りだった人と、
いろいろ話をしていたら、中学校が私の保育園の隣だという。年も同年と判り、私が小学校3年で転校し
その時の同級生は多くその中学へ行ったと思うので、1・2年生の時に仲の良かった友の名を言うと
中学3年で同じクラスで前に座っていたという。驚いた。この土日に30年ぶりに同窓会があるというので、
彼の消息が分かればと話したところ、今日、同窓会で会ったと知らせてくれた。
50年・・・・・・近々会えるのを楽しみにしている。

2008年9月28日
 喜多八師の「千両みかん」を聴くのは実に十二年ぶりだ。しょっちゅう聴いていたと思っていたが、
記録を調べてびっくりした。そんなに時間が過ぎたのかという驚きがあった。
 今日の高座はこの前の博品館でも感じたが、実に自然体で「これが喜多八なんだよな」と
思わせてくれる姿だった。初めて高座を見た時に感じた「切れ味」の柔らかさと非凡さを、
改めて十何年の時を越えて思ったのである。

2008年9月21日 <宗助さんの「おかしいでしょ」(1)>
  福田首相がサミットさえ終わればもう何の用もないもんねェとばかり政権を投げ出したが、
  首相は自民党の総裁がなっているのだから、自民党が後継者を出すのっておかしいでしょ。
  1年で2度も政権を投げ出す自民党が何故次の首相を出すのか?ほかの政党がやるのが
  当たり前なのじゃないの?政党政治だというのならば。

2008年9月16日
 今日の博品館劇場の喜多八は、例の気だるさを捨て、自然体に近い高座だった。
これをずっーーーと待っていたように思う。師匠は「盃の殿様」がすらすらと行かなかった
ので気に入らなかっただろうが、こちらとしては気にならなかった。

2008年8月25日
 今年のお盆は去年ほど暑さは無くやれやれと思っていたら、今度は寒いぐらいの
気候になった。天候不順というより自然が変わってきたように見える。去年庭先に
ツマグロヒョウモンの雌がいてびっくりしたが、一昨日は雄がいた。

2008年6月28日
 ぶらり鎌倉へと行ってみた。実に46、7年ぶりであった。鶴ヶ岡八幡のいちょうは
相変わらず。若宮大路の人ごみと江ノ電の混み具合に辟易としたが、七里ガ浜を
望むテラスでの食事と酒は格別であった。海の匂いと微風が心地よい。鳶の鳴き声が
海辺で暮した(?)ころを思い出させる・・・

2008年6月14日
 三渓園のホタルを見にいった。夕方の7時に入園するとかなりの人出だった。
ひとの頭越しに、水の上を飛ぶホタルの明滅する光が見えた。
 俳句で知られる師匠の句を・・『ほたるかな 躓く人の世に 生きて』 思う。

数十年前にいった栗駒の山中にあった花山の御番所の湯はどうなってしまったのか。
その時一緒に行った人ももういない。・・・・

2008年6月6日
 D−day。本日は文楽のお礼に佃島にいってきました。
暮れなずむ住吉神社で喜多八師と落ち合い、佃の渡し近くへ。
カツオ、やっこで広島の酒を・・・ちょうど窓からは夕空が見えて、
  一句「梅雨空に 三日月ばかり 佃島」
終電まで飲み、お礼に行ったというより飲みに行ったかんじでした。
帰りに池袋駅で7日になり、Mさんの三回忌だなあ・・・と呟く。

2008年5月25日
 喜多八師のお知り合いの方からのお招きで久し振りに文楽を観に行った。
「心中宵庚申」と新作「狐と笛吹き」。「心中宵庚申」で記憶に残っているのは
何といっても、半兵衛が吉田玉男、お千代が蓑助で、上田村を今の住太夫の文字太夫、
八百屋の段は越路太夫だった。八百屋の段の「手に手を取ってこの世を去る、
輪廻を去る、迷いを去る  今日は最後の羊の歩み、足に任せて・・・・」のところが
耳に残り、眼に浮かぶ。

2008年4月28日
 警官隊と軍人に十重二十重に周りを囲まれて何が「聖火リレー」か。
こんな愚劣な行事を見ることも、することもない。スポーツに政治を持ちこんでいるのは
中国の政府と自国の国威発揚に熱心な者達だ。そこにはスポーツを通して
国境を越えて結びつこうという精神がこれっぽっちもない。善光寺の住職の
言葉が五輪の精神に近かったと感じた。

2008年4月9日
 4月6日東京新聞の28面「ムシの伝言」というコラムに、北上する南方性の昆虫に
ついてツマグロヒョウモンが載っていた。
 一昨年自宅近くの路上で、見かけない蝶を見かけてびっくりしたが、それはなんだか
判らなかった。私もご多分にもれず小学生の頃は昆虫採集に熱心な子供であって、
少しはこのあたりの蝶には詳しいが、こんな蝶は見たことが無かった。それが昨年、
秋のある日ひょっと縁側を見たらその「蝶」がとまっている。あわててデジカメを取り出して
撮った。

上がその写真である。インターネットでしらべたらツマグロヒョウモンだった。関西以西
南の方の蝶で私が知らないのは当然だった。最近の温暖化のためか、箱根を越えて
神奈川や埼玉でも見られるようになったということである。食草はタチツボスミレ。私の
所の庭は一面タチツボスミレが咲く。それで来たのだろう。

2008年4月7日
 5日の土曜日に横浜に住むSさんから三渓園の夜桜を見に行こうという
お誘いがあって出かけた。昼のうちは暑いぐらいだったが夕方から冷たい
風になった。暮れて行く三渓園を散策するうちに夜になりライトアップされた
桜と三重塔が水面に映えて幻想的であった。風がなければいつまでも見て
いたかったが、体が冷えてはやく熱いのを入れないことには・・・とその後は
熱燗と湯どうふ、出汁巻き卵、そしてそば。結構でした。

2008年2月25日
 昨年11月にビクターからでた「本格本寸法ビクター落語会」の
「柳家喜多八」其の壱、其の弐の二巻は、お買い得である。
「だくだく」は映像でなければという噺だし、「らくだ」「居残り」も
喜多八らしさのでた「保存版」だ。

2008年2月1日
 今日の膝栗毛は良かったが、その後に本日のメンバー十数人と飲むに
及び実に寄席フローラルのころのメンバーが揃い懐かしさと楽しさで酒が
一入うまかった。今日の「棒鱈」は一番好きな噺のひとつだ。・・・・

2008年1月1日
 何年ぶりかに「新年を賀する」。中鯛を買ってきて塩焼きにして、黒豆、
伊達巻き、かまぼこ、数の子代わりのからすみなどばどを並べ、「自然酒
五人娘」で新年を寿いだ。

2007年12月10日
 和太鼓は・や・とのコンサートに行った。赤坂レッドシアター。
切れの良い太鼓であった。モビィーディックを思わせるA−SHU−RAは
良かった。笛と太鼓は、江戸から続く響きであった。

2007年12月1日
 随分と月日が経ったなあ、と思った昨日。飲んでいた店から「ノドグロ」を
お祝いにと出して貰った。美味くて美味くて嬉しい。☆

2007年11月19日
 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見て来た。第一作に比べると・・・・・
お涙ちょうだいと盛り込みすぎが気になったが、羽田の飛行機群と初代の
「こだま号」はいけた。一平君はよかった。

2007年11月11日
 一ヶ月書き込みが無かった。この間公私ともに忙しくしていた。
アメリカから来た(帰ってきた)友人とは神田室町のアナゴ屋で一杯、
ドイツから来た(帰って来た)友人とは赤坂見附の和食でこれまた一杯。
話は尽きないので、実際には二杯、三杯なのだが・・・・ドイツからの友人は
その後一人でチベットのラサへ行き西寧までの列車の旅をして帰って来た。
私はついに外国を見ずに終わるのか?

2007年10月11日
 昨日の喜多八膝栗毛・秋の巻は好きな「片棒」「茄子娘」であった。
よく笑った。「片棒」はとにかく可笑しい。

 新宿の芸能花伝舎で本日まで「吉田玉男を偲ぶ写真展」があって行って来た。
城明け渡しの由良之助もよかったが、知盛の白装束もよい。ほれぼれとみていると
勘十郎さんがきた。まだ、蓑太郎といった若手の頃、朝日座で、玉男さんが重ノ井をやり、
蓑太郎さんが実に可愛らしく健気な馬方三吉を演じたことを思い出した。ざっと四半世紀たって
いる勘定になる。

2007年9月8日
 帰りに駅近くのスーパーへ買い物に寄ったら蝦蛄があった。十数尾入って
380円は安い。買って帰ってすぐに生姜と酒で茹でてみた。

 酒をいっぱい飲みながら食べたのだ。

2007年9月4日
 117年前の明治23年9月16日に、日本における外国船として最も多い
犠牲者を出した海難事故があった。本州最南端の潮岬近くの海だった。
遭難したのは日本に親善のために来航したトルコの軍艦エルトゥールル号。
生存者を救助し、犠牲者を葬ったのは小さな漁村の人びとであった。この数奇な
運命の糸が日本とトルコの国をその後どう結び付けたか・・・・その本が出版される。
 9月6日に、古い知人の山田邦紀氏と坂本俊夫氏の共著で、現代書館から。
 題名は「東の太陽、西の新月」

2007年8月15日
 62回目の「敗戦」の日。群馬県の館林では狸もびっくりの40度越え。
暑い暑い日が続く。昨日はお盆休みで三鷹の文鳥舎寄席へ出かけた。
やはり暑さのためか、師匠は「御精が出ますな」と始めた。

2007年8月2日
 本当に久しぶりに師匠と某所にて一杯。暑さに負けないためにまずビール。

2007年7月30日
 まだ明けきらぬころ、第9条を改悪しようとする自民党公明党の参議院選・歴史的敗北が
次々と伝えられたことが、小田実に(少しは)安らかな眠りをもたらしたのであろうか?

2007年7月17日
 喜多八膝栗毛・夏の巻の本日は、その後の有志飲み会では喜多八師の出来よりも
ろべえの出来?にまず話題が集中した。前回と比べ「ちりとてちん」は良くなかったと
みなが言う。曰く、らしくない。曰く、しらけて演じている。曰く、若さがない・・・・・
前回では二つ目になって流石に良いと皆が言っていたのに、今回はすべて不評でした。
うーん?

2007年6月17日
 3月末にコンピュータがクラッシュしてしまい、ホームページの更新ができなくなってしまった。
新しいPCからアップしてもうまく行かない。四苦八苦して、久しぶりに復旧。

2007年3月23日
 久し振りに鈴本(昼の部)でトリをとっていた師匠の評が、毎日新聞の19日夕刊に載っていました。
「笠碁」の評でした。ここのところ体調いまいちで鈴本へいけなくて残念。

 先日高校の修学旅行に行った次男が、長崎土産に切子の猪口を買ってきてくれた。
さっそく鶏鍋で一杯やってみた。

2007年2月11日
 昨日、一番古い友とひさびさに酒をのんだ。その頃の友はこの一人になってしまった。
そのせいか昔話からになった。そして年をとった結果の話題になる。まあ、当たり前ですが。

 一昨年、下宿して家をでた息子から京都の銘酒が届いた。京大の友達の所へ遊びに行って
冬限定の「雪紫・吟醸あらばしり」を大徳寺の傍で見つけ送ってくれた。それも2本。うれしいことである。

2007年1月28日
 折角の「睦会」を風邪で休んでしまった。21日にちょっと時間があったので
「硫黄島からの手紙」を観にいってから花粉症のようになってしまい鼻から咽喉にきた。
やはりこの時期はちょっとした油断がこわい。

2007年1月5日
 喜多八師と某所で新年会。貴重な話しを聞くことができた。酒も肴も美味かったし・・・
門出にふさわしい一日か。私の第三の人生のスタートの日。

2006年12月24日
 有馬記念で今年の競馬も幕を閉じた。4角手前からのディープインパクトの脚はすごかった。
今日は中山の直線を飛んだ。一矢を報いるのはと買ったデルタブルースはインの狭い所で
もがいていた。今年も暮れる。

2006年12月15日
 今、喜多八の会から帰ってきた。69回をもって幕をとじたこの会がスタートしたのは
1995年7月14日三田の春日神社であった。あれから11年と半年が流れた・・・・
小鶴さんスタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。それから喜多八師に有難う・・・・
来年からもまた次の会場に場所を移し、つぎつぎに我らを笑いと人生の妙へ連れて行って
欲しいと願っています。

2006年10月14日
 お昼頃なにげなくTVのチャンネルをまわしていたら、前座のドキュメント番組をやっていた。
これも何気なく見ていたら、2分もしないうちに画面に見慣れた歩調で高座を降りて楽屋へ来る
喜多八師の姿が映った。思わず「これは喜多八師匠じゃ、あーりませんか」と呼びかけてしまった。
向こうには聞こえないのに。

2006年10月9日
 昨日お江戸日本橋亭の「喜多八の会」からの帰り道、もう深夜駅を降りて歩く頭上に煌煌とした月。

   「月天心 貧しき町を 通りけり」

 先週はひどい雨で、母の命日に墓参りが出来ず今日いい天気なので行った。つい一月前に
父の納骨を済ませたばかりで墓は綺麗になっている。昨日誰かが来たようで墓の花がまだ生き生きしている。
私の持っていった分も一緒にして(父母の二人分で丁度いい)、線香をあげた。西日のまぶしい夕刻であった。

2006年9月28日
 銀座博品館劇場での三夜連続「籠釣瓶花街酔醒」の最終日、小三治師がゲスト出演。
開口一番やや間があって「似たようなのが・・・・」と小三治師には珍しい表情でスタート。
その瞬間、まだ喜多八師を知るズーーーーット前、小三治師を追っかけていたころからの
ことども、それから喜多八師と知り合い、いろいろと年月を重ねてきた年月がまさに走馬灯の
ように胸の内を走り、感無量。今何をか況や。これからの道程とこれまでの歳月・・・・喜多八師匠に
ありがとう。「遠くまでいくんだ。」

2006年9月18日
 昨日は品川の船宿「大江戸」から舟に乗った。新宿のSという店の店主主催の宴だった。
霧雨に煙る東京湾へすべりでて、じつに風情のあるひと時だった。同乗の人たちのうち
以前寄席フローラルに来てくれた何人かの顔は見覚えがあった。始めは初対面かなと
思っていたが飲んでいるとだんだんと思い出す。三遊亭あし歌も同乗。歌いちのころに
春日寄席や鈴本でよく聴いた。話、歌、酒・・・涼しい風が水面を渡り楽しい宴であった。

2006年9月11日
 訃報また。我が青春の思い出「ミスターシービー」に騎乗していた吉永正人が逝った。
吉永を贔屓にしていた寺山修二は悲劇の騎手吉永の晴れの三冠を見ずに死んだ。
ゼンマツ、コウジョウ、そしてモンテプリンス、個性の騎手であった。モンテプリンスが
菊花賞に出走した時は京都競馬場の来賓席で応援していた。中野栄司のドロッポロード
と共に・・・・もう何年経つのか。あの日のスタンドのどよめきが甦る。

2006年8月27日
 往く夏を惜しむ蝉の声。昨日二つ目昇進披露の「ろべえの会」に行った。
喜多八師も朝5時まで飲んでいたといいながらも終始嬉しそうであった。
噺をきいた後は打上げ、二次会とつきあってこちらも実に楽しかった。

2006年7月27日
 3年前のこの日、我が畏友が逝った。41年にわたる付き合いであった。
その月日を胸に反復するこの3年間に、ごく親しい者がさらに何人も逝ってしまった。
唯でさえ人間関係が少ないのに・・・・・・ 

2006年7月25日
 本日夕刻にひょこっと現れた喜多八師匠・・・・一目見てビックリ!!
次回あるいは明日にでも高座を見たら私の驚愕が判ります。

2006年7月13日
 今日は今年一番の暑さになった。裏腹に身の内外を風が吹きすぎていった。
ただ遠い昔の追憶を残して・・・・・・17で家を出て・・・・・・・ついに・・父が逝った!

2006年6月3日
 今日のお江戸日本橋亭での「喜多八の会」は弟子の小たまの二つ目昇進の
口上があっていつになく「華やか」であった。新「ろべえ」は緊張もあってか
出だしにつまずいたがそのあとは元気に「蝦蟇の油」を演じた。彼が噺家として
独立する一歩目を(他でいろいろな席に出てはいようが)聞けた「幸せ」は
喜多八の追っかけとしても感無量なものがある。

2006年5月14日
 十数年ぶりか・・・・本当に久し振りに人形浄瑠璃「文楽」を観に行った。
「ひらかな盛衰記」逆櫓の段と「艶姿女舞衣」酒屋の段。鶴沢燕二郎が
鶴沢燕三を襲名。住太夫の挨拶があった。

2006年5月4日
 連休に入り久し振りにゆっくりとすることができた。天気も良いのでふらり
出かけた。谷中の全生庵は眼にも鮮やかな緑に囲まれ金色の観音が天高く
聳えている。その下にひっそりと三遊亭円朝と山岡鉄舟の墓があった。
誰も居ない明るい空の下であった。
 外へ出ると谷中墓地やこの一帯を散策する人の群れであった。ここを2時間ほど
歩き、浅草を経由して、蔵前のビストロで夜は更けていった。

2006年5月2日
 昨日の池袋芸術劇場小ホールにおける喜多八独演会終了後はCDのサイン会で
人の列が長いので断念して、飲み会に向った。

2006年4月9日
 喜多八の会に行けたのは去年10月以来。その間、睦会のみであった。
「猫の災難」は、師匠・小三治の国立「落語研究会」(30年程前)が良くて
毎日のようにテープで聞いていた。大好きな噺だ。

2006年4月3日
 今日、朝の通勤の電車より西方の高尾山の向こうにくっきりと白い富士の姿が見えた。
4月に入って、これほど綺麗に、緑の山の向こうに真っ白な富士が見えることは、珍しい。
手前には爛漫の桜の花・・・・本当に綺麗だった。

2006年3月18日
 風が吹き雨が降り晴れそして曇る。春先は天候が実に変わりやすい。
桜ももう2・3日で咲きそうだ。日本橋のたもとの桜が昨日チラホラと咲いていたそうだ。

2006年2月12日
 8日の日本橋亭は風邪のために行けなかった。どうも巡り合わせがうまくない。
5月1日の池袋・東京芸術劇場小ホール2の「皐月の独り看板」のチケットは全席指定ゆえ
早めに獲っておかないとなくなるでしょう。

2006年1月24日
 16日の月曜日の朝、ひょんなことから紅茶が気管支へだいぶ多く入り咽た。そのせいで、
二日三晩、咳のし通しで気管支と扁桃腺を腫らして、頭痛と熱とめまいに悩まされた。四日間寝たきりに近く
寒風の中、食料を買いだしに行くのが、ほとんどエベレスト登頂隊の足取りのようであった。
雪まで降り寒くて、その刺激でさらに咳が止まりにくく難儀な一週間であった。

2006年1月3日
 元日の午後2時、ほとんど人影の無い勝鬨橋の中央に居た。寒い風が吹き付けていたが
天候としてはまあおだやかであった。銀座から人気の無い通りを歩いてきて勝鬨橋から
隅田川というか東京湾というか水を眺めたかったのである。水は30年前に比すれば
驚くほど綺麗になっていた・・・が、橋から東−北−西を見回せば、林立する高層ビルの群れ。
嗚呼・・・・江戸は遠くなりにけり。

2005年12月5日
 寒い!寒い!土曜日の気温激下降により、自律神経失調の宗助さんは
大ダメージを受け、今日の日本橋亭の喜多八の会を久々に欠席せざるを得ない
状況に立ち至った。更に甲状腺機能低下による追い討ちでもはや「天は我を
見放した!」状態である。何か良い方策はないものか!

2005年12月2日
 今日仕事が7時になり、遅いのでどこかで一杯やって帰ろうと思い、
ふっと神楽坂へ行こうと思い立った。いろいろの飲み屋が金曜日で満席でやっと入った
店で9時ごろまでおでんや何かで飲んで外へ出た。路地から路地へいろいろな店が
あり、神楽坂は深いと感じていた。毘沙門天の前を通りかかると折りしも人が十数人出てきた。
眼の前にミシナさんが出てきた。「あれ!ミシナさん!」そうか、今日は喜多八師の「七転八倒の会」
だったんだ。自分で情報に載せておいてすっかり忘れていて、一杯飲みに神楽坂に来るなんて!
ああっ、なんてドジ。だいぶ脳軟化が進行している・・・・

2005年11月25日
 祝 20000アクセス!自分で見たら20002だった。

2005年11月17日
 めっきりお寒くなりました。この様子じゃあ、山は雪のようで・・・・
先日珍しく映画を見た。   「ALWAYS 三丁目の夕日」
いやーぁ、実に映画であった。画面の細部にわたる造り込みが心地よかった。
原作の漫画はスタートから読んでいる。短い時間の中でよく原作を盛り込んでいる。
見る前はキャストが?であったが、それぞれわりと流れに溶け込んでいる。まず良い出来と
言えよう。

2005年10月26日
 10月23日にディープインパクトの無敗三冠達成を見ていて、21年前の菊花賞の4角から直線を
思い出した。史上初の無敗の三冠を目指すシンボリルドルフのこの偉業を阻止できるのはこの人しか
居ないと、私は勝負師南井とゴールドウェイを選び単勝を買った。4角手前から、後方に構えるルドルフに
出し抜けを食わせるようにゴールドウェイがスパートし、直線入口からは他馬を5馬身ほど離してまっしぐらに
ゴールへ。あと300m。南井騎手は私が思い描いたとおりの戦法で馬を駆った。この時点で勝った!と思った。
ルドルフは不可能と思わせる差を見る見る詰めてきた。そしてゴールではきっちりと抜け出ていた。流石に
無敗で三冠を達成するような馬は「違う」。・・・それでも南井騎手とゴールドウェイは強烈な印象を持って、今でも
私の競馬史に光り輝いている。

2005年10月15日
 柳橋から舟が出て師匠もその一行の中で注しつ注されつ大川を下り良いひと時でした。

2005年10月7日
 昨日の喜多八の会では、柚木真理という人の「兄ちゃん、僕反省しきれません」という本を
朗読した。昭和30年代の千駄木、根津あたりにいたある家族の日常を書いた本だが、
可笑しい・・・にいちゃんとボクとお父さんがなかなかユニークなトークや体験を繰り広げ
本当に可笑しい。

2005年9月30日
 昨日の落語睦会は扇遊師が「七段目」、鯉昇師が「死神」でした。面白かった。
その余韻を楽しみながら、一緒に行った何人かと遅くまで飲んだ。楽しかった。

2005年9月21日
 暑さ寒さも彼岸まで。まさに!

2005年8月20日
 残暑厳しい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
涼みにも出かけられず、汗汗の日々です。
皆様、御身体にお気をつけ下さい。

2005年7月7日
 今日は七夕。・・・・
伊勢崎市の「落楽寄席」の伊藤さんという方から出演の喜多八師の画像をいただきました。
このところ、せっせと帰宅するので師匠となかなか話しが出来ず(酒も飲めず)いけないなと
思っています。
i伊勢崎市・伊藤さん撮影 「落楽寄席 打上げにて」


2005年6月5日
 3日の「喜多八の会」は気合が入っていて(ちょっと入りすぎ?)3席とも面白かった。
若い人が増えたようにも感じる。

2005年5月31日
 昨日の「落語睦会」は、前のほうにやたらに相槌を打ったりしゃべったりするオバサン?がいて
実によくなかった。高座の師匠たちもやりにくかったのでしょう・・・

2005年4月19日
 今日は又、桂文朝師の訃報に・・・。

2005年3月12日
 桂文枝師の訃報に接した。

2005年2月12日
 庭の白梅の花にメジロのつがいがやってきた。花の蜜をひとつひとつ
つつくようにして吸っている。穏かな午後です。

2005年2月4日
 お江戸日本橋亭の会はよんどころない事情で休んだ。
ここのところインフルエンザは3つの型が流行っているのが
特徴だそうです。B型は多い。お気をつけ下さい。

2005年1月27日
 今日は久し振りの落語である。楽しみにしていったら、鯉昇さんの亭号の「襲名披露」になっていて
ビックリ。こんなおもしろい口上は初めてであった。三人のそろった袴姿はひょっとしてたった一度の
ことかもしれない。そんな気持で見ていた。それにしても面白かった。その高座の様子を許可を貰って
カメラで撮っておきたかった。「残念!!!」ギター侍の真似ではありません。本心です。
 その後喜多八師と私の直系の後輩にあたる目白亭ショパンと池袋のとある飲み屋で飲んだ。
喜多八師と大学を訪ねたのももう2年前の3月だったのを思い出す。

2004年12月19日
 今日十数年探していた本を見つけた。絶版になっていたのだろう。全く見つけられなかった。
本屋の棚で見たときは、目を疑った。有馬頼義「遺書配達人」。この12月7日に発行になった。
私の日本映画のベスト3に入る「ああ声無き友」(渥美清 主演)の原作である。

2004年12月4日
 29日に「油ソバ」のことを書いたが、なんでもミャンマーあたりでは当たり前のメニューだと
聞いてまたビックリ。いろいろな食べ物がまだまだ沢山有るのだということを改めて知った。

2004年11月29日
 今日ちょっとびっくりした。
池袋線保谷駅南口に「時代屋」というラーメン屋がある。前からにぼしラーメンは食べていたが、
今日は「油ソバ」を食べてみた。見慣れない「油ソバ」という字面に港区の新雅のネギそばを
イメージしていたが全く違っていた。
 ラーメンに非ず、ツケ麺に非ず、汁ソバに非ず、・・・!
 なんだ?こりゃあ!!!!う、う、うまい。!ビールに馬鹿ウケじゃないの!!!!
 一度は試してみなければいけないぜよ!あたしが今迄知らなかっただけのソバなのか!!
 しかも小は、たったの500円!!!サイコーのコストパーフォーマンス!
 (飲んでいたせいか矢鱈に美味く感じた。)

2004年11月28日
 この処1年間「寄席フローラル」が開催できず、このHPも危機である。
そこで無理やり私宗助さんの日々を記してきたが、休眠している間で
新し味のないこと甚だしくどうしようかと思い迷っている。・・さて?・・・

2004年10月12日
 8月に調子を崩して以来、酒の力を借りることも出来ず・・・・
次から次にやってくる台風のようにいろいろと「歳」に堪えることとばかりで。

2004年7月28日
 1年ぶりに海に行ったが、猛暑の続いた今年は皮肉にも台風がいきなり発生して
まっすぐに来てしまった。おかげで宿もキャンセルして帰ってきてしまう羽目に・・・。
海辺には24時間しか居られなかった。

2004年7月22日
 未だ嘗て体験したことのない烈暑に加えて、いろいろの事件が次から次へと起こり、
酒の力を借りてやっと過ごしている・・・そんな日々。

2004年6月16日
 近鉄とオリックスが合併するという。日本のプロ野球がこうして凋落の道を
辿るのは、仕方の無いことである。ドラフト制で戦力が拮抗し、「金」と「ブランド」では
通用しなかったこの二十年ほどの時期が、凋落を食い止めていただけなのだ。
どこぞの金満団が何かと横槍を入れて「ドラフト」を骨抜きにし、その上なりふりかまわず
他チームの強打者、投手をかき集め、それでいて、優勝もたまに申し訳のようにするぐらい。
本当に良い選手は大リーグへ出て行ってしまうし、そうでなくとも、FAで「騒がれるセ」へと
なびく。地元もチーム色も失われ、プレイも勢いがない。はっきり言ってつまらなくなったのだ。
1リーグになったってこの様相は変わらないだろう。
 そう、宗助さんは思う。

2004年6月6日
 今日から梅雨入りとか。昨日までの晴天が嘘のように鬱陶しい空です。
隣の栗林が一斉に花をつけこの湿気と相まって窓も開けられない。
明日はお江戸日本橋亭があるので気分が晴れそうだ。

2004年4月20日
 桜が散り新緑が眼に沁みる今日この頃、皆様いかにお過ごしですか。
「睦会」は5月24日(月)です。

2004年4月10日
 先日のお江戸日本橋亭の「喜多八の会」は、まず「洒落小町」で大笑いして
「五人廻し」では廓の客五人のさまざまな顔に腹の底よりおかしみがこみ上げてきた。

2004年4月2日
 数えてみたら、この10年半で計362回、喜多八師の高座を聴いた(見た)。

2004年3月24日
 昨夜NHKのBSで2年前の8月5日の「マンガ夜話」を再放送していた。当時は見逃していたが
ゲストに江口寿史が出るというので見た。江口寿史と呼び捨ては畏れ多い。江口寿史様・・・
江口寿史さん・・・江口寿史殿・・・江口寿史先生・・・どれもピンと来ない。とにかく、その人を
ヒサシぶりにテレビの画面で見た。なにを話すのかなとドキドキしながら見ていた。最近そういった
ことがなかったので新鮮な感じ(感動に近い)があった。

2004年2月3日
 昨夜の「喜多八の会」も良かった。寄席フローラルの会員の人からもここのところ喜多八師匠の
噺がすごく良くて高座を見ていてぞくぞくするとの感想をいただく。10年前からずっと思いいれが
あるだけにこういうご感想をいただくと自分のことのようにうれしい。
 ここのところ喜多八落語はちょっと見逃せない。昨夜の高座を見ることができた人はきっとこの
言葉の意味を実感していることと思います。

2004年1月17日
 小説、随筆、コラム、雑誌などなどの氾濫する昨今、文章のジャングルに迷う心地がする。
どうしてよいか解らずに結局自分の枠から出ることができずに時間だけが過ぎていく。
このジャングルを歩く地図・コンパスの役割を果たしてくれるのが「書評」だ。ちくま文庫からの新刊
「水曜日は狐の書評」は歩く力を与えてくれる。匿名コラムの「狐」の4冊目の本になる。
日刊ゲンダイの水曜日の書評コラムを二十年以上も書いている「狐」の新刊書評約4年分をまとめた
ものだ。今まで読む興味を持てなかった本・著作もこの書評を読むと次から次へと読みたくなる。
それほど薦め上手なのだ。取り上げるジャンルも幅広く、なにより文章の力に驚く。掘り出し物だ。

     

2004年1月2日
 今年の年始は穏やかで、戸惑うほどの温かさであった。庭の梅は1月下旬から咲くの
だが、今年は12月25日は紅梅・白梅とも咲き始めた。この暖かな日差しの中で箱根路の
駅伝を見た。鐘ヶ江選手はまるで現代に甦った「飛脚」の走りのように感じた。

2003年12月19日
 昨日、とても見たいレースがあった。何故かというと・・・だからです。

2003年12月15日
 お江戸日本橋亭の「喜多八の会」通算51回の第1回目?は熱気のうちに幕を閉じた。
「大川の隠居」(池波正太郎原作)と「文七元結」の熱演。満場の熱気が身を打つ。
良かったとの声多し。小鶴さんお疲れさまです。

2003年12月7日
 阪神ジュベナイルフィリーズは15番のコンコルディアを買った。あと40mほどで
950倍の馬券がするりと逃げていった。あとちょっとだな。

2003年12月1日
 昨年はどうしようもなくひどい12月だった。今年は不順な天候とは対照的に
いいことがありそうな12月の予感。歳をひとつ重ねて・・・

2003年11月23日
 今日の「マイルチャンピオンシップ」は良かった。放送がよかった。
淡々としかし画面の詩情を醸し出す関西テレビのアナウンサーが
久しぶりの競馬放送の醍醐味を味あわせてくれた。絶叫調はいらない
見本のような。折りしも勝ち馬を祝福するかのように曇り空の一角から日差しが
降り注ぎその中を引き上げてくる馬が美しかった。。

2003年11月22日
 庭のさくらの木も一日一日の冷え込みに冬の支度を始めた。気温が21度かと
思うと次の日に10度以下に下がったりで体に変調をきたした。二日ばかり寒気に
悩まされた。

 

2003年11月14日
 先週はバークレーにいる古い友人I氏が訪ねてきてくれて、楽しい話が聞けた。喜多八師匠とも
よく「会議」するところで、しめ鯖や豆プラタを食べ、話も弾んだ。今日はまた同じところで、これもまた
長い付き合いをしている7名が集まってうまいものを中に酒、ジュースで論風団笑のひと時。

2003年10月12日
 コジンマリと割烹2階の座敷で「寄席フローラル」を開催できた。雰囲気はよいのだが畳にずっと
座るのが?という方が意外と多くて次回のことを考え直しています。

2003年9月9日
  重陽の節句で宙天に大きな月がでている。その側に大接近の火星が輝いている。
  登高して故郷の方を望み菊酒を汲まん。
 寄席フローラルもあまり間をおくと忘れられてしまうといけないので、4・5軒先の割烹の
2階で催すことになりました。ここは広くないので定員が32名。完全予約制になります。
あと10名ほどで満員締め切りになります。

2003年6月15日
 第一期の寄席フローラルを24回開催できた喜びと、休止にする残念が入り混じる・・・。

2003年6月14日
 今日は赤坂ミュンヘンの営業最終日になる。この会場で開催する「寄席フローラル」も最終回である。
おととい自分で寄席フローラルのHPにアクセスしたらジャスト10、000の数字がでた。自分で自分に
おめでとうと言った。

2003年6月1日
 今日は日本ダービーだ。28頭が4コーナーを周って怒涛のようにやってくるあの興奮はもうない。
その馬群から1頭の馬が踊り出てくる瞬間はいつも輝いていた。スローペースにはなって欲しくない。
ダービーの栄光は不可能に挑戦する者にだけそれを得る資格があると思っている。

2003年5月18日
 今日は、去年NHKマイルCで大変お世話になったテレグノシスにオークスの馬券代を贈られた。
杉浦調教師と勝浦騎手に「ありがとう」。

2003年5月12日
 日刊GのYさん、ウィンクリューガーのNHKマイル杯優勝おめでとうございました。GT制覇!
ほんの少しお裾分けを戴きました。

2003年5月4日
 新丸ビルとか汐サイト?とか六本木ヒルズとか、人が押し寄せる。創るということはいいことだと
考えていたが、果たしてこうしたタイプの「再開発」で長い年月に耐え得る街が出来るのか疑問を
持つ。それというのもこうした移り変わりの真っ只中、ひっそりと赤坂の名店が店を閉めたのだ。
美味い魚を煮付やら刺身やらてんぷらで安く食べられた・・・酒も飯もうまい。会合や気の置けない
仲間と飲むのに最適な店であった。三十数年の付き合いであった。

2003年4月26日
 去年の今頃、ヤマトヌマエビの水槽で武蔵野の昔を目指していたが・・・今では水槽が3つになってしまった。
それぞれヤマトヌマエビ、ヒメヌマエビ・コテラヒメヌマエビ、と小ヤマトヌマエビの水槽になっている。ヒメヌマエビの
水槽にはカージナルテトラを入れてある。自慢の里桜の花がはらはらと散るのを見ながら、水槽の水換えをして
いる。ミナミヌマエビとミゾレヌマエビも飼ってみたい。どうしてこんなことになってしまったのか。

2003年4月20日
 寄席フローラルも満4年になり、ここのところゲストも充実して面白さがますますというところだったのに。
第1次の寄席フローラルは24回で一応終わり、8月からは新しい会として出発する事になりそうです。
皆様には多くのご支援を頂きましてまことに有難う御座います。6月14日も盛り上がりを期待して・・・。

2003年4月6日
 昨日の寄席フローラルのゲストは、落語好きが昂じてご自身で落語を始めてしまった矢崎滋さんでした。
ここのところ舞台が忙しくて、高座に上がるのは5・6ヶ月ぶりということで「大変緊張しています。」
ベテラン俳優の矢崎さんですので演技じゃあないんですか、とお聞きすると本当に緊張していますとのこと
でした。演目は「あくび指南」。その後、喜多八師と対談があり、楽しい会でした。
 しかし赤坂ミュンヘンでの会は次回が最終回になるので、これが残念。石造りの古城のような雰囲気と
落語の取り合わせが妙にマッチしていると思っていたのに。

2003年2月16日
 今回の寄席フローラルはゲストが三遊亭歌武蔵師であったので、高座がギシギシするか、あるいは
本当にもつのか心配していた。しかし何事もなく噺もすすんでほっとしてから、聴く事が出来た。会場の
入りも上々で楽しんでもらったとおもう。

2003年2月9日
 文化とは、6・7歳の子供が何百人も集まって同じ作り笑いと同じ踊り(のようなもの)を一糸乱れずに
行う事では全くない。また、動員されて何十万人が集まって同じフレーズ同じ叫びをあげることでもない。
さらに、自国の安全を守るためと言って地球の反対側にある国を攻撃する事とも程遠い。むしろこうしたことに
疑問符を叩きつけることが文化と言えよう。川柳師の「ジャズ息子」を聴きならがそう思った。

2003年1月10日
 お餅の食べ過ぎには注意しましょう。(今月の標語)

 新年早々、調子が落ちている。落語を聞く回数が減っているせいなのかも。
今月の睦会は楽しみ。

2002年12月19日
 時が飛ぶが如くにゆく。今年の寄席フローラルもなんとか夏に休んだだけで続けられた。
いつも来て下さる方々に感謝!回も21回を数え、ここでまた新たにゲストも加わった会になって
さらに面白い会にして行きたいものです。

  有馬記念の出馬表がもうインターネットに出ている。イシノヒカルからはや30年。
  今年は「ブライアンズタイム」のゴール前の底力を買って見たい。(いや、雨が土曜日から随分と
  降っているので、シンボリクリスエスがアタマかな。12月20日)・・・・(ビンゴ!やった!22日

2002年11月29日
  落語の方面でないところで私が「師匠」と仰ぐM氏が体調を崩したり、
自分のノドが何ヶ月も治らなかったりで、全く落ちこんでいる。こういうときは、元気の素を聴くしかない。
 ヴォーカル  1.スティーヴン・タイラー
          2.ロバート・プラント
          3.アクセル・ローズ
          4.フレディー・マキュリー(ライヴ アット ウインブリースタジアム)
 このヴォーカルに、ジョー・ペりー、ジミィ・ペイジ、スラッシュ、ブライアン・メイのギターがそれぞれに
響くと、冷え切った体の底から少しずつ元気が湧いてくる。でも今日はバークレイから古い友人のI氏が
訪ねてくれた。なつかしい西岬の見物海岸の話になによりの元気をもらった。
 
2002年11月23日
 なぞなぞをひとつ。
    ふいごいああしさのじてぶなすまえ
    でぺなえほてお
さてなんでしょう。

2002年11月10日
 ここのところ喉の調子が悪くほとんど病人状態。風ももう冬のようでこたえる。皆様も
風邪にお気をつけ下さい。

2002年10月20日
 菊花賞はスタートで1番人気のノーリーズンが落馬し、雨の降る中乱戦になり、大波乱。
まさかの馬単18万馬券。4角では大外を一気に上がるダンツシェイクにやったと思った。
直線以外に伸びずミラクルな馬が2頭ゴールへ飛び込んできた。道中もうすこし前に位置取り
できたら、とすこし残念。

2002年10月18日
 次回の寄席フローラルは春風亭鯉昇師をゲストに迎え、いよいよ小「睦会」の様相を
呈してまいりました。楽しみです。

    菊花賞のワイド穴にねらっていたマイソールサウンドが除外になってしまった。
    菊花賞の注目馬  8番 ダンツシェイク号
                (8着  4角大外で一瞬やったかと…)

2002年10月15日
 20回の寄席フローラルは扇遊師をゲストに迎えて喜多八師と大好評、中身の濃い会であった。
お客様でオーストリアのウィーン大学のDr.Brigitte Stegerさんという方が、日本文化の
研究のためにこちらの大学へ来られていて、今度の鳥越落語会で話をして欲しいと喜多八師が
お願いしていました。

2002年9月26日
 今日、睦会だった。最近三田春日寄席に行けないので、池袋演芸場のこの会でいろんな人に
会えるの楽しみだ。今日は扇遊さんの「鰻の幇間」のテンションの高さが盛り上がった。良かった。
鯉昇さんの「もう半分」も意表を突かれた感じだった。

2002年9月14日
 沖縄の黒須さんのお世話で、喜多八師の落語会が浦添市で10月に開かれることが
決まった。ありがとうございます。

  < 明日の注目馬 >  セントライト記念 7番カンファーベスト・・・・  (結果 5着 9/16)

2002年9月1日
 夏休みもやっと終わりです。台風が毎週のようにやってきます。

2002年8月1日
 昨日、喜多八師と「打合せ」で、次回の寄席フローラルはゲストを呼びたいという師匠の話。
こちらはそれこそ待ってました。どなたを?扇遊師だということでまた次回は盛り上がりそうな
気配が・・・10月12日へ向かって宣伝をはじめようと思っています。

2002年7月14日
 このたび「喜多八サイクル紀行」はさすがに自転車で訪れたわけではないのですが、載せさせてもらいました。
この母校「秋川高校行き」について師匠は次のように語ってくださいました。
 喜「秋川高校へ行ったのは二つ目の時に学校寄席で行って以来なので十数年ぶりでした。
   その時と違い、もうなくなってしまったと思うと、どんな姿になっているのか期待よりも
   不安でしたね。それでも食堂はちゃんと残っていたんです。メタセコイアの碑を見たときは、
   まるで知覧の特攻隊の碑を見たようにジンとしました・・・。」喜多八師の青春の光と影なのでしょう。

2002年6月19日
 昨日の寄席フローラルの会場の準備は、Wカップ決勝トーナメント第1戦の日本×トルコをラジオで
聴きながらだった。喜多八師匠も敗戦を聞いてからの高座だったので最初はテンションが上がらず、
会場は満員御礼の状態なのに全体が沈んでいた。「居残り」の半ばからやっといつもの喜多八調が
戻ってきた。アトリエ フローラルでの「寄席」は今回で最後。次回からは同じビル地下の「赤坂ミュンヘン」
で土曜日の開催になる。

2002年6月9日
 今、1964年東京オリンピックでひっそりと「東京の奇跡」と呼ばれた勝利を思っている。アルゼンチンに
まさかの勝利で8位に入賞したサッカーは、日の当たらないごく一部の人しか知らない競技だった。
ワールドカップなんて夢のまた夢。サッカーマガジンで「ハーストのゴール」が入っていたのかどうか読んだり
する程度だった。国立競技場の日本リーグの三菱重工対古河電工なんか見に行っても、観客はパラパラ。
68年ごろの日本代表チームの試合は随分と見に行った。ポルトガルのオイセビオ(エムゼビオ)の40数メートル
の糸を引くようなゴールはなかでも一番記憶に残っている。歳月が流れ今日横浜で遂にワールドカップ1勝を
揚げた。韓国のワールドカップ1勝までの道のりも苦難の道であった。今日の日本代表チームの勝利もこうした
30有余年の長い道程を要した。
 そしてまた今日1968年からダービーや秋の天皇賞を見守ってきた東京競馬場が、改装してその役目を
新しいスタンドとコースに托すために、取り壊されるという・・・1974年と1977年のダービーはそれぞれ
ゴール板前とスタンドで人ごみの中にいた。ミスターシービーの復活を見た毎日王冠のスタンドの大歓声は
腹の底から響くようなすごさだった。思い出は尽きない・・・

2002年5月25日
 小さんの高座でなんと言っても好きなのは「睨み返し」だった。ずっと若い頃の、誰にも真似できない
ヒョウキンさと顔の動きの面白さにはいつも爆笑してしまったものだ。そのころの「試し酒」も好きだった。
老大家風になってからの小さんは以前のような爆笑がこみ上げて来ない。そのころから少し寂しかった。

2002年5月18日
 昨日冷たい雨の中、上野鈴本へ出かけた。喜多八師が鈴本でトリなのになかなか行けなかった。
扇遊師も聴けた。

2002年5月6日
 先日、喜多八師と反省会を催した。13日の「寄席フローラル」の評判や批評を伝え、私の感想と気のついた
点やらを、例によって話していた。だんだんと酒の杯を重ねるうちに、反省会が激励会になり、更に宴会になり、
気がつけば溜池から湯島に移ってまたビールから酒になっていた。それでもれろれろと御徒町まで小走りに走って、
終電には間に合った。そのころには何を話していたかもう記憶から跳んでいた。あーあ。

2002年4月19日
 18回寄席フローラルは、好評であった。喜多八師は長い噺も入って三席。ぴたり5時丁度に終わった。
さすがにプロは凄いと、長年大学教授を務めた方が感心することしきり。同じ「話す」ことが仕事
なだけに感心の仕方も・・・

2002年4月16日
 風で桜の花がまるで吹雪のように・・・ほんとうに吹雪のように・・・

2002年4月10日
 今朝、去年の11月から階段の一番上に置いてあった虫かごの縁に小さなアゲハがとまっていた。朝のうちに虫かごの中で
羽化したのだ。11月の寒風の中、庭の山椒の枯れ枝に小さな緑の幼虫が居て、このままではいかんと虫かごにまだ青さの残る
山椒の枝を入れてやっていた。10日もしないうちにさなぎになったので階段のうえに置いていたのだ。学校から帰ってきた次男が
庭へ放した・・・2年前にはさなぎから孵ったアゲハを見られなかったので、今回は満足そうであった。庭の自慢の里桜は明日にも
満開になる。

2002年4月9日
 またまた三田春日寄席を休んでしまった。月末を越えるとほっとするのか、このところ調子が悪い。いろんな事が
重なって会社を休まないのがやっとやっとという有様。また抗生物質を飲んでの一週間であった。この週末は
寄席フローラルなのでなんとしても休まないようにしなければ…小学校の同級生が何人か来るということだし、
師匠の噺も「花見の仇討ち」はやることになっている。楽しみ!

2002年4月4日
 昨年10月から飼っているヤマトヌマエビの水槽に、四十年前にこの武蔵野のそこここで見られた池や沼にいた
タナゴとモロコをいれた。今はほとんど見られないゼニタナゴもいれたいと思っている。
 
2002年4月2日
 いろいろなことが次から次へ起こり、肩のますます凝ってしまう。そんな日にふいに懐かしい「ABBEY ROAD」
を息子から渡され「これをとっておいて」と言われて今、深夜ひとり聞きながらWAVE FILEにしている。聞くと今までの
倦怠感や脱力感はまるでここ三十年の自身の怠惰であるような責められているような「叱咤」を感じるのはどうした
ことだ!三十年前この曲を聞いていた時の何も持っていないけど、気力だけはあったそのパワーが甦るような気がする。
だがこの三十年に自分が失ったもの、この国の失ったもの、我々の世代が失ったもの・・・そう、失っていくものばかりが見える。
そして、何を得られたのか?なんで失うもののほうが大きくて得たものを少なく感じるのか?

2002年3月28日
 桜がぱっと咲いたら、急に寒さが戻ってしまった。風が吹き荒れ、こちらの鼻がぐずぐずになってしまった。
庭はめちゃくちゃな様相を呈している。4月中旬頃の花と3月の花と、つい先週までは寒中の福寿草が咲いていた。
梅が散るのを待たずにつばきが咲きすみれは庭一面に薄紫色の小さな花をつけている。
 花粉症だか気管支炎だか風邪だか分からない、状態で頭もかすんでいる。朝、駅のホームの向かいに咲いている
大きな染井吉野が、寒いどんよりとした暗い雨空の下はらりはらりと一片ずつはなびらを落としているのを見ていると、
まるで雪が落ちてきているように見えた。

2002年3月19日
 21日には、田根楽子さんが出演している井上ひさしの「国語元年」を噺舎で総見に紀伊国屋ホールへ。
もう桜の花が咲いている。芝居がはねた後は両国あたりの某ちゃんこ料理へ行くことになっている。

2002年3月8日
 名古屋のほうからも喜多八師の評判が聞えてきた。うん、うん。

2002年3月5日
 1月にトロットスター号のスプリンターS優勝祝賀会があったが、その日の昼頃、TVをつけると同じ
勝負服がちらっと映った。新馬戦に出る馬の映像だった。日刊ゲンダイの競馬欄で見るとどうもT氏の
馬らしい名前だった。すぐに投票で単勝を買ってレースを観た。不良馬場だった。レースではやや前の
インコースを進んでいたが、直線苦しいインから外へたてなおし伸びてきた。おうっ、と真剣に画面を見入っていると
あれよあれよ、勝ってしまった。5200円ほどつけたのでさらにびっくりした。ほんに良い日だった。それから
競馬はよいリズムで来ている。ロト6でも当たらないかなあ・・・

2002年2月10日
 あーっ!また三田春日寄席に行けなかった。前日電車の隣の席に座ったおっさんがずっとイヤな
咳をしていたが、はたして8日の朝はノドが痛み困った。抗生物質を飲んでなんとか会社は休まなかったが
すぐに帰って休んだほうが良いのはわかった。とうとう師匠の「晴れ姿」を見られるのが寄席フローラルまで
伸びてしまった。寄席フローラルも間近だし無理は禁物と自分に言い聞かせた(プロジェクトXの口調)。

2002年2月5日
 東京かわら版に載せてもらった「寄席フローラル」の演目が「大工調べ」になっていたのですが、
このホームページの「二番煎じ」が正しいのです。来週ですので皆様よろしくお願いします。

2002年1月18日
 年末の予感は当たっている。4日の仕事始めは日枝山王神社でおみくじを引いたら、「大吉」。
正月は何年ぶりかで無事乗り切った。もうすぐ新調のナニも出来るし・・・。楽しみな年頭です。

2001年12月30日
 秋に入ってからずっと下がっていたバイオリズムが、心温まる「ふぐ鍋」から上昇しつつある。
フォアグラと鴨にも遇えたし、新年目指してさらに気運の充実が見えてきた。新年そうそう
良い話も聞けそうだし・・・!皆様、よいお年を!

2001年12月16日
 今年も無事?寄席フローラルを隔月で開催できた。この12日は満員だった。(会場が小さい)
すこしほっとしている。喜多八師のノリも良くなって来たのでお客サンの評判も上がっている。

2001年12月7日
 あーっ!三田春日寄席を休んでしまった。飲み過ぎに注意しましょう。

2001年11月28日
 10日の土曜日に「たばこと塩の博物館」で「浮世絵に見る落語展」の一環として第1回たばこにちなむ落語会
があり、喜多八師が出演した。「煙草好き」を演じた。宗助さんは出かけられなかったが、行った人に聞くと
面白い企画で豪華パンフレットもあり、喜多八師の「型」の写真が何枚も載っていてなかなか貴重な資料になる
とのことであった。12月2日には第2回の落語会があり三三さんと鯉昇さんが出演。

2001年11月4日
 長年飼っていた金魚が死んでしまった後、水槽をすべてやり直してヤマトヌマエビを飼うことにして、10匹ほど
買ってきた。観察していると結構性格やら行動が皆癖が在っておもしろい。透き通った体に赤い斑点と筋がついている。



2001年10月29日
 今日パリから宗助さんはメールをいただきました。うれしいですなあ!このホームページをこの方は喜多八師のテープを
聴きながらパリの空の下、ワインを飲みながらみてくださる!うーん!

2001年10月26日
 昨日の突然の不通はどうやらプロバイダーの方の問題らしく、まったくもって腹の立つ・・・

2001年10月25日
 さっき突然メールが出来なくなった。ルーターが何度設定しても初期値(?)になってしまう。
HDBackUpをインストールしたせいなのか?1時間以上やっているが復旧しない。泣く・・・

2001年10月22日
 同時多発テロ以来、あっという間に憲法9条をふっとばし戦争協力というのは、いかにも単細胞的な発想。
いくら宗助さんが単細胞だと言ってもこりゃあ眉に唾つけて、見回さなけりゃあ、と思い・・・今日もまた飲んで
飲んで飲まれてしまう。
 それはそうと、ホームページに対する励ましのメールがうれしい。マリナーズが1勝して気分も良くなってきた。

2001年10月1日
 一転して・・・(なんとなく判ってはいたが、片腕をもがれたような気持ちだ。)

2001年9月30日
 5月の第2日曜日のころ、以前書いた「トロットスター号」の「高松宮記念優勝祝賀会」に出席する誉に浴した。
今日、安田記念の無念を晴らすかのようにインを突っ込んできたトロットスターについTVの前でよっし!行けーっ!
と叫んでしまった。その直後のベルリンマラソンは、高橋尚子が当然圧勝する予感がした。途中でTVのチャンネルを
変えた旧・小のりさんと旧・助平さんが何人かとずらりそろって映っていた。小のりさんが禽太夫で助平さんが一琴という名で
真打になった。今日はめでたい日だ。

2001年9月25日
 高座で「酔った拍子につまんねえことを・・・」なんて言っていたくせにちゃんと「円朝」「圓生」の墓参りに行ってた師匠の
映像を我が諜報機関が捉えました。近日公開!
 それはそうと、やっぱり睦会は面白い・・・。三人の特色がそれぞれに良かったり、そうでもなかったりで、その奮闘と心理の
動きがいっそうの面白さを作り上げている。と思う。

2001年9月11日
 ADSLの開通できびきびしたアップロードができそうだ。

2001年9月2日
 新真打が10人誕生したが、考えてみると「延命寺寄席」のメンバーがこれでみな真打になった。そして、喜多八師
が真打になりそのときに紹介してもらって知り合ってからもう8年になる。

2001年8月26日
 昨日の深川江戸資料館の「柳家喜多八独演会」は初めて聴く「牡丹灯籠」だった。以前これも独演会でやった
「乳房榎」もそうだったが、一年に一、二度はこうした噺をぜひ聴きたいものだ。

2001年8月12日
 7月17日にアップロードした直後に、HDがクラッシュしてしまい思いのほか修復に時間がかかってしまった。
「いやになる、イーヨーだ!」呟きながら何日か汗汗汗・・・・やっとほぼ元どおりになって一息。
この間あの暑さはうそのように涼しくなり、なんとかオシメリもあった。
 昨日は東京湾大華火祭を超特等席で酒、おつまみ付で堪能した。お台場を右に見て花火の台船がまん前に
望める絶好のロケーッション。ただひとつの心残りは特大の大玉が雲の上まで行ってしまいその見事であったろう
大輪の華が見られなかったことだ。雲の中で雷が光るように、緑と赤の閃光が見えた。ため息と(それでも)大きな拍手
があたりに響いた瞬間だった。

2001年7月9日
 今年はもう梅雨はないのだろうか?毎日ばかに暑い日が続く。おかげで体調もまあまあ。冷えたビールもうまい。
先日の寄席・フローラルも好評で次回も楽しみだ。

2001年6月9日
 毎回行っている「三田春日寄席」を扁桃腺のために休んでしまった。

2001年5月23日
 今日の睦会は本当に良かった。三人がそれぞれの特色を発揮した。特に扇遊師の「井戸の茶碗」は志ん朝師の
聴きなれたうまさとは違った新しい笑いを池袋演芸場の観客にアピールしたと思う。喜多八師の「百川」も意欲、
気合充分で心底笑った。楽しい会だった。

2001年4月26日
  4月21日の寄席・フローラルの日は前日の暖かさとは一変して、寒い雨だった。
そのせいばかりでなく集まりがいつもより少なく直前まで気を揉んだ。そんなことがあってか、月曜日から風邪を
ひいてしまい、喜多八師の上野・鈴本をなかなか聴きに行けずにいる。

2001年3月28日
  昭和55年の菊花賞は淀競馬場の馬主席で観戦した。(中野騎手のドロッポロード応援で京都へ・・・)
その時招いて下さった方の馬がとうとうGTレース高松宮記念で優勝した。トロットスターだ。調教師は
あの時は騎手だった中野栄治。もう20数年が経つ。おめでとうございます。

2001年3月22日
  威勢のいいで思い当たったのは、去年6月の三田春日寄席で喜多八師が演じた「宿屋の仇討ち」の
神田の三人組・ゲンキンのヨシ。超ハイテンションで登場し突っ走る。ここのところいい話も聞かないこの
ご時世でこの三人組の走りっぷりは特筆モノと思った。何度聴いても笑ってしまう・・・元気が出る噺。

2001年2月27日
  1ヶ月ぶりの「噂」はさえない。喜多八師はここ2,3日歯痛でダウンしているという。
風邪のつぎは歯痛・・・もっと、威勢のいい噂が飛び込んでこないかなあ!

2001年1月27日
  噂によると喜多八師は長引く風邪に二日ばかり寝込んでいたらしい。厳しい寒さの中、
鎌倉の会を無事乗り切るために神経を使いその結果という・・・また、その体調とは裏腹に、新しい
噺をどしどし演じたい意欲がすごいという噂も流れてきた。

2001年1月11日
  喜多八師からの電話に出てみると、かなりなガラガラ声でしかも鼻がつまったような調子で
風邪がひどい事がわかった。こちらもまわりも風邪ひきが多く、なかなか治らない。
早い回復を祈ります。無理をせずに・・・


2001年1月10日
 世紀末に無理をしていたせいで正月はほとんど寝たきりだった。まだ体がおかしいが、
その間におかげさまでアクセスカウンターが1000を超えていた。
           今年もよろしくお願いいたします。

2000年12月16日
 昨日そのミスターシービーが蹄葉炎で逝った。私がたった一つ自分の部屋に飾っている
小さな額には、トウショウボーイ・テンポイントがならんで激闘している有馬記念の写真に
トウショウボーイのデビュー戦の単勝馬券とミスターシービーの三冠・菊花賞の単勝馬券が
並んで入っている。シービーに瞑目。
 昭和51年2回東京1日 第4R 馬番18番(トウショウボーイ号) 単勝千円

2000年11月27日
 JCで威風堂々のオペラオーに「強い馬はこうでなければ!」と改めて思った。
 ミスターシービーの菊花賞以来の感動だった。

2000年11月13日 @喜多八師の話
 某所にてしめ鯖やひよこ豆サラダで喜多八師と飲んでいた。
 
 宗「そういえば師匠の好きな噺は何ですかって聞いた事ありませんよね?」
 喜「ええ・・・」
 宗「好きな噺って何ですか?」
 喜「急にあらたまって・・・そうですね、・・・大工調べは好きですね。」
 宗「ふんふん・・・」
 喜「あと不精床、湯屋番なんかも・・・」
 宗「・・・ほう」
 喜「本当は厩火事をやりたくて噺家になったんです。」
 宗「私の予想とは違いますね・・・」
 喜「包丁なんかもいいですね。・・・そう、鰻の幇間!これは大好きです。」
 宗「翻って、嫌いな噺というのもあると思うのですが?」
 喜「うーん、持参金」
 宗「その噺は聴いた事がないです。」
 喜「そうですね、真田小僧、家見舞いなんかも、ね。」
 宗「あとは?」
 喜「おかふい・・・かな。」
 宗「黄金餅なんかはどうなんです?」
 喜「まあ、どっちかといえば・・・」
 宗「それじゃあ、好きな噺家はどうですか?」
 喜「あたしが一番すきなのは三代目小さんですね。」
 
 (続き) A喜多八師の話
 宗「それでは師匠ご自身の噺で好きなものをうかがいます。」
 喜「好きなものは多いです。・・・まず、うどん屋。」
 宗「はい。」
 喜「次に笠碁とあくび指南。それから長短ですね。」
 宗「(なにかを忘れていませんか?)」
 喜「首提灯は好きです。五人廻しも。それかららくだ、二番煎じ。」
 宗「はい(そうこなくては・・・)」
 喜「そうだ、火事息子を忘れてた。火事息子。」
 宗「そうでしょうね。・・・粗忽の釘なんかも好きなんでしょう。」
 喜「ええ、勿論。」
 宗「ご自分の噺で嫌いということはないでしょうから、あまり好きでない噺はというと?」
 喜「うーん、何かな・・・子別れ・・・」
 宗「子別れですか?それは意外ですね。」
 喜「天狗裁きもそうだし、一つ穴なんかも。」
 宗「ウーン?」

 (あといくばくかの質疑応答は次回に続く予定でしたが、また後日。)
    

2000年10月29日
 天皇賞は久々に当たった。10−13、10−15のワイドもとったのでたいしてプラスにはならなかったが、
満足感があった。

2000年10月1日
 赤ワインばかり飲んでいたが、涼しくなってきてから魚と日本酒の取り合わせがうまい。

2000年9月12日
 今日は仲秋の月で見事に晴れているが、昨夜から今日にかけての名古屋東海地方の集中豪雨で名月を愛でる
気になれなかった。

2000年9月10日
  昨日豊竹呂太夫さんが亡くなった。まだ55歳という「若さ」で・・・。20年ほど前に随分と人形浄瑠璃に凝って
そのころの若手・呂太夫の颯爽とした床の姿が思い出される。私は夏祭浪花鑑の「長町裏
」の団七が好きだったが、
忠臣蔵の平右衛門を舞台左の床で、右の内蔵之助と対して語ったのも鮮明に覚えている。
  新聞欄で写真を見つけて愕然とした。   残念です。ご冥福をお祈りします。

2000年9月9日
  9月です。独り言の多くなる季節です。あまりに暑いので高きに登り一献というわけにはいきません。