☆柳家喜多八・評

   新聞評

<無手勝流エンジョイ至上主義・柳家喜多八> イタクラヨシコ

     1999年「アミューズ(旧毎日グラフ)」1999年2月10日号
    「噺家12題」 より

   俗に、「食うために働く」というが、本当のところは住宅や車のローンのためだったりする。
自己表現だとか、プライドを満足させるために働いている、という向きもあるだろう。労働の真の
目的はいろいろだ。
 落語家が高座にあがる目的も、いろいろなんだろう。とにかく上手いとほめられたい、お客を
感心させたがる名人志向派。粋でシブい噺家と評価されたい江戸情緒派。人物描写に陶酔して
しまう演技派。落語を通じて自分の意見や世界観を披瀝しようとする思想派だっている。
 そこへいくと柳家喜多八は、無手勝流エンジョイ至上主義派とでもいおうか。落語をしゃべること
を勝手に楽しみ、お客さんにもただ自由勝手に楽しんでもらいたい。そういうスタンスでやっている
ように見える。要するに、媚びない、すげない、愛想がない。
 だいたい、舞台に出てきてガックリ座布団に座るときの、あのやる気のなさはどうだ。それでいて、
ふと気づくと爆笑させられているのは、じつはとても精度の高い技術の持ち主だから。まったく、憎た
らしい落語家である。
 シニカルでのほほんと構えた喜多八がしゃべると、落語の登場人物も様変わりして見える。お人好し
で健気な熊さん八さんは、すっとぼけながらつぎつぎと災難に見舞われる、たんなる不運な庶民。
しっかり者なはずのおかみさんは、シレッとしてて色気ムンムン。遊び人でやや常識外れの愛すべき
若旦那は、はた迷惑で自意識過剰なキザ野郎、といった具合。
 喜多八はたぶん、息を詰めて見守るような熱狂的ファンよりも、自分が面白いと感じた個所をいっしょに
面白がり、自由に反応を示すお客が好きなんだろうと思う。落語を楽しむには何の知識も不要、ただ楽に
耳目を向けていればいいと納得させてくれる落語家だ。

<はなし家列伝 その55 柳家喜多八> 永井啓夫

         1993年9月28日 第303回落語研究会 プログラム掲載

 本名・林寛史。昭和24年10月14日、東京・練馬で生まれた。学習院大学に進学し、落語研究会に
籍を置いて優雅な学生生活を満喫し、卒業後、縁あって当代柳家小三治に入門した。初名、小より。
名門大学に在籍していたせいか、入門当時は万事に鷹揚で、師匠夫婦をハラハラさせることが多か
った。弟子よりも師匠の方が気を使うことが多く、のんびりとしている小よりの行動に、師匠の小三治の
方が「弟子の中で一番、気を使った」と思い出を語っている。苦労しただけにかわいさも人一倍なのかも
知れない。
 4年後の昭和56年5月、小八と改名して二つ目に昇進した.。しつけのよさは、師匠が太鼓判を押すだけ
あって当代若手の随一。文章もしっかりしていて「原稿を書かせたら並ぶものはいないでしょう」とこれは
落語協会事務局での評判である。相撲界同様、大学出身の実力がこんな所にも反映しているらしい。
 得意の噺は、柳派のものは何でもござれで、演題も豊富である。その上、たとえば先日も、「やかん嘗
め」という平凡な噺で、楽屋にいる口やかましい先輩の師匠方をうならせたというから、今後の成長ぶり
が期待できる。入船亭扇橋師匠などが、陰に陽にこの有望な若手の成長を見守って、さまざまな応援を
送っていることも、今後の芸の開花に役立つことだろう。
 本年9月、喜多八と改名して真打に昇進。近頃、頓に円熟の境地に達した師匠小三治を輔佐しして、
東京の落語界を背負って立つ日も遠いことではあるまい。出囃子は、この新進にふさわしく格調高い「梅
の栄」である。

  ( この日の演目   「首提灯」)