統一教会、統一運動が反対される理由(1) |
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私たちの住む日本において、統一教会(統一運動)が反対される 第一かつ最大の理由は、 文先生がはじめられた統一運動の一つに共産主義のもつ非人道性とその誤りを指摘し、共産主義からの解放のための思想啓蒙活動=『勝共(しょうきょう)』運動があるからだということができます。 −−−−−−− 『イエス様は 「汝の敵を愛せよ」 と言われました。 敵を愛すれば敵は敵でなくなります。 真の愛は 敵をも溶かすことができるのです。 真の愛は 地獄さえも溶かせるのです。』
−−− 『わたしは60年の生涯の中であらゆることを体験してきました。 したくなかったこと、取り組みたくなかったこと、 行きたくなかった所が、あまりにもたくさんありました。 だからこそ私は行きました。 だからこそ私はしたのです。 なぜなら私は敵を愛したいと思ったからです。』
−−− 『私は、反共と勝共運動の指導者として、世界中でよく知られています。 私が勝共運動を行う目的は、共産主義者を倒すためではありません。 彼らが生きれるように、真理と真の愛で彼らを解放することです。 これが、共産世界を助け現在の苦境から救うために私が働いている理由なのです。 ですからソ連、中国においても、私は歓迎されました。 北朝鮮の金日成でさえも決して私の敵ではありません。 最近、私の招待でソ連の著名なジャーナリストのグループが韓国を訪れました。 私は彼らに帰途、北朝鮮を訪問するように要請しました。 彼らは最初、気が進みませんでしたが、ついに平壌に行き、わたしのメッセージを金日成に手渡すという、私の切実な要請を受け入れてくれました。 そのメッセージは次に三つの内容を含んでいます。 第一に、私はあなたの敵ではありません。 第二に、韓国を共産化するというあなたの野望を捨てなさい。 第三に、世界の出来事の潮流に逆行するのをやめなさい。偽りを捨てて、真理に帰りなさい。 扉を開けて手を差し伸べれば、あなたと私は兄弟になれます。 そして私たちは繁栄と幸福の中に生きることができる、というものです。 私の提案に金日成は応える以外に方法がありません。 そうすることができなければ、彼自身の没落を早めることにしかなりません。』
『聖書には、ヤコブとエサウの兄弟に関する話が記されています。 この兄弟が神様の摂理に従って、重要な役割を担当するように定められましたが彼らの間には大きな葛藤がありました。 ヤコブは、父をだましてその祝福を受けました。 エサウがこれを知った時、彼はヤコブを殺そうとしました。 それでヤコブは逃げて行きました。 互いに離れて20年余りを生活した後になって、初めてヤコブは多くの贈り物とエサウに対する深い愛をもって戻ってきました。 長い期間を離れて生活した後で兄弟が出会った時、ヤコブはエサウに近づいて、 「お兄さんを見る時、私は神様の顔が見えます」と語りました。 彼らは互いを許し、涙を流し、互いにかき抱き合いました。 エサウはもうヤコブを殺そうとせず、ヤコブと共に住み、共に分かち合い、ヤコブから学ぼうとしました。 今日、自由世界はヤコブの位置にいます。 共産世界はエサウの位置です。 キューバと北韓のような多くの共産国家は、自由世界がヤコブのように彼らの祝福を盗んでいった(搾取している)と教わりました。 エサウと同じように、過去に彼らは自由世界の国家たちを破壊しようとしました。… しかし今からは、自由世界と共産世界は和解しなければならない時が到来しました。 長い期間、共産主義制度の下で苦痛を受けてきた兄弟姉妹たちを見た時、我々は彼らの顔に神様の顔を見出さなければなりません。 彼らを援助してあげ、慰めてあげ、信頼感を吹き込んであげ、彼らが、民主国家の国際社会の中へ入ってくることができるようにしてあげなければなりません。…』 〜文鮮明師: 第二回世界平和のための頂上会議・第8回AULA総会開会式メッセージ 「我々の時代の真なる平和、韓国の統一と東西協力」より (1990年2月2日、韓国・ソウルロッテホテルにて)〜 −−− 「私にとって、モスクワを訪問することは感動的な出来事であります。・・・ あなたがたは新しい革命に取り組んでいますが、それは心情と魂の革命でなければなりません。・・・」 〜文鮮明師:第11回世界言論人会議・基調演説より (1990年4月10日、モスクワ・メドゥナロードヤナホテルにて)〜 ----- 何故、文鮮明師と統一運動は、共産主義の誤りを指摘し、共産主義からの解放のための思想啓蒙活動=勝共(しょうきょう)運動やCAUSA(カウサ)運動を行ってきたのでしょうか? その理由の一つは、共産主義(科学的社会主義)がもたらした甚大な犯罪・被害があります。 「共産主義は世界で最大の奴隷制度である」。ロシア革命後、ロシア抽象画の巨人マレーヴィッチ(1878年−1935年)はひそかにそう書き残しましたが、不幸な事に予言は当たってしまいました。 ナチスによるユダヤ人虐殺(約600万人)や第2次世界大戦での死者をはるかに超えるおびただしい数の尊い人命の犠牲、ノーベル文学賞受賞作家・旧ソ連のソルジェニーツィン氏(逮捕、市民権剥奪、国外追放された)の『収容所群島』をみるまでもなく共産党政権下で例外なく繰り広げられた虐殺、強制労働・人権抑圧等々・・・。 日本の共産主義運動にも大きな影響を与えたベトナムは共産主義者・社会主義者によると「統一」、「解放」されたことになりますが、それは真なる意味での「解放」、「統一」とは到底言えないものでした。 それは実情からすれば、まさしく共産主義のもとでの「奴隷化」「隷属化」だったといえます。 ベトナム赤化十数年に、自由を追い求めて脱出した数十万の人々がボートピープルになって海上に息絶え、数百万の人々が粛清されました。(ベトナムの真実) いわゆる統一された共産ベトナムは、国民所得が100ドルにも満たない極貧国に転落してしまいました。 東南アジアでは共産化のドミノ現象(ラオス(現ミャンマー)は共産ベトナムの植民地となり、カンボジアでは親米政権が倒れてポルポト政権が成立)が進み、粛清と虐殺の嵐が吹き荒れ、東南アジア一体は生き地獄と化してしまいました。 インドシナ半島の共産化により200万人以上が虐殺されたカンボジアや、エチオピア等々の例を見るまでもなく、共産化(社会主義化)された国々は経済的にも例外なく極貧化・貧困化し、私有財産制度の復活や資本主義経済の導入といった本来ならば(共産主義にとって)禁じ手であるはずの改革開放政策をとる以外には、残念ながら延命できなかったというのが歴史的な事実です。 これがどうして「統一」、「解放」といえるのでしょうか? 解放されたはずのこれらの国々の実情・実態に厳粛に目をむけたら、決してそのような事は口が裂けても言うことができないのです。 このように共産主義(科学的社会主義)によってもたらされた甚大な被害、虐殺、強制労働、人権抑圧等の事実を前にしたら、人道主義を叫ぶ人々であれば、共産主義の誤り、その罪、そのもとで苦しんでいる多くの人々の解放のため、口をつぐんだまま見すごすというような態度は決して取ることができないはずです。(cf.隣人)
文鮮明師と統一運動が勝共(しょうきょう)運動やCAUSA(カウサ)運動を行ってきたもう一つの重要な理由は、共産主義の発生・伸張には、宗教者、特に当時のキリスト教に大きな責任の一端があったということです。 共産主義の発生の背後に、残念ながら神の愛を実践すべき者たち(特にキリスト教)の責任不履行があったということを指摘せざるをえません。 ある意味で、共産主義は、宗教、特にキリスト教への『讒訴状』でした。 神様不信・憎悪の究極のかたちであり、神様の愛に対する讒訴(ざんそ)状、告発状として現われた「神なき」(神抹殺の)人類救済を標榜する(思想)運動・無神論の集大成ともいえるものです。 (表面的、哲学的には、マルクス主義(科学的社会主義)はヘーゲル哲学のアンチテーゼといったほうがわかりやすいかもしれません。しかし、より本質的にはユダヤ・キリスト教をはじめとする宗教・神に対する讒訴であるといえます。 <※深く祈る人であればより霊的な意味を悟ることができるかもしれません。>) 共産主義は人類歴史に多くの悲劇と苦痛をもたらしましたが、それ以上に人類の親である神様にとって、著しく大きな苦痛と悲しみをもたらすものだったのです。 初期資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、神の愛を説く者たちが先頭に立って、社会の不正義、差別、抑圧に対して、有効な解答、解決策を身をもって提示しなければなりませんでした。 しかし、自分たちの個人的な救いに汲々とし、神の愛の実践(隣人愛の実践)ができなかった時、彼らに対する救いの喚声は、天からではなく地から聞こえてきたのです。それが共産主義でした。 「このように無慈悲な世界に(愛なる)神がいるだろうか。」と神様に対する不信の土壌に、無神論の共産主義思想が労働者解放の福音のように現われてきたのです。 このような共産主義の発生、伸張の前に、キリスト教(宗教)は無力でした。 マルクスが共産党宣言を発表して約70年後の1917年。人類歴史上初の共産主義革命が成立したロシアは、900年にわたるキリスト教(ロシア正教)国家でした。 中南米をはじめとするカトリック国等では「解放の神学」という神学の形をとって共産主義が浸透し、他のキリスト教国等でもリベラル派を中心に共産主義が伸張していきました。 キリスト教は、約2000年の年月を経て全世界人口の1/4相当の信者を獲得しましたが、神様と宗教を憎悪・否定し、「解放」という言葉とは裏腹に根底に深い敵対心と憎悪の念をもって発生してきた共産主義はその眼前で伸張し、ソ連の成立をはじめとして最盛期には世界人口の1/3以上をその体制下においていったのです。 「神は存在します。敵を許し、愛せ。」と訴えるべきキリスト教が、「神は存在しない。敵を憎め。打倒せよ。」といって現われてきた負の宗教・共産主義の前に、存在そのものさえおびやかされるまでになっていきました。 (宗教(特にキリスト教)に対する不信の次元をはるかに超える「憎悪」「蔑視」、その憎悪心に基く共産政権下で繰り広げられた虐殺・強制収容・差別・迫害等の各種抹殺政策・・・。それらを見ても、歴史上最大のアンチ・キリスト勢力、無神論の究極の存在形態だったといえるかもしれません) 共産主義(思想)の父ともいえるマルクスについていえばユダヤ教のラビの家系でした。(マルクス語録) レーニンはキリスト教(ロシア正教)の熱心な活動家(16歳まで)であり、 スターリンは神学生でした。(レーニン、スターリンとキリスト教) その彼らが、徹底した無神論に基づく共産主義理論の構築、残虐な革命、大粛清等、人類史に大きな悲劇を引き起こすことになったのです。 彼らは、共産主義の発生・成立、および人類史上初の社会主義革命を成し遂げた共産主義の宗主国=ソ連の成立にかかすことのできない最重要人物でしたが、その言動をみると、神様(の愛・正義)、ユダヤ・キリスト教(宗教)に対する不信という次元をはるかに超えた、憎悪・復讐心をもっていたことがわかります。 −−− (ご参考:マルクス語録) 「神の世界は皆なくなっても、復讐だけ残っている」 「高いところに君臨しているあの者に復讐したい」(絶望者の祈り 1837年) 「端的に言えば、すべての神々を私は憎む」(学位論文 1841年) 「俺たちの苦しみと飢えはもう永すぎる。年老いたドイツよ、俺たちはお前の経かたびらを織っているのだ。三つの呪いで織っているのだ。...... 第一の呪いは、神への呪い、盲でつんぼの神への呪いだ。...」(「織匠の歌」:マルクスが愛したハイネの詩) −−− マルクスは革命家として特異な存在だった −他の人々は、道徳的理想に訴えた。マルクスは、歴史的法則に訴えた。 (『人間マルクス』I・バーリン著/福留久大訳、サイエンス社P5) −−− 資本主義の時代の政治制度・社会制度・宗教制度・法律制度は、それぞれに雇主の利益にかなうように世界を組織する特性上の武器・知性上の武器として機能する。・・・資本主義制度を擁護し、美化し・・・資本主義の恩恵に浴している者には確信と楽観を増してやり、資本主義の犠牲になっている者には資本主義が好感の持てるものであるかのごとく見せようとしている。ルソーの言葉を借りると「鉄鎖を花の環で覆い隠そうとしている」ということになる。 (『人間マルクス』I・バーリン著/福留久大訳、サイエンス社P274) スターリンの対宗教態度 −−−−− ちょうど、イエス様とともに十字架にかけられた犯罪人のひとりが そのとき、神を信ずるものたちが、十字架にかけられたもう一人の犯罪人が嘲った男の言葉をたしなめイエス様を援護したように、「何を言うんですか。神様はいらっしゃいます。神様の愛を示しましょう。」と力強くあかしし、実践できなければならなかったのです。 しかし、実態をみるとキリスト教(および宗教)がその使命を十分全うできたとは言いがたいのです。残念ながら神の愛を説きながら、社会の様々な不正義、差別、抑圧に対して、有効な解答、解決策を提示することができませんでした。 かえって自分たちだけの救い、幸せに汲々とし、神の愛・隣人愛を身をもって実践することができなかったその姿は、宗教・神様に対する不信・憎悪・敵対心を増調させ、戦闘的無神論である共産主義思想が労働者解放の福音のように伸張する下地となってしまいました。 「これが神の愛か!」 「このように無慈悲な世界に(愛なる)神がいるといえるのか。」 「神などそもそも存在しない。 結局宗教は、迷信であり、アヘンである。現実の苦しみ・抑圧から目をそらせ、空想の中で満足させる、権力の支配の道具である。 歴史発展、革命を阻害する障害物に過ぎない。」 「であるから迷信である宗教や人間が頭で考えあげた神などに頼らず、われわれ人間の力・プロレタリアートの力・革命によって、搾取のない平等で幸福な理想社会を歴史の法則にそって実現しなければならない。」 「歴史の必然を妨げる勢力は(宗教を含め)打倒・撲滅しなければならない」 このような主張は、宗教に幻滅し神を知らない現代人には、非常に共鳴するものがありました。 科学的社会主義を標榜した共産主義は、知識人・学生にとって進歩的な理論体系として行動指針として、虐げられた人々には宗教に代わる現世的な平和・平等・幸福・解放をもたらす福音のようにみえました。 不義の追及と社会矛盾の告発、およびその解放思想は、人々の正義心に訴えたのです。 また、「(暴力)革命による社会主義段階→共産主義段階」という理想社会の実現方法や、「支配する側」と「される側」という単純でわかりやすく、一見すると真理のようにみえる階級闘争史観等、哲学・政治・経済・歴史論等に及ぶ一大理論体系は、学生や知識人の知識欲を満足させました。 それだけでなく、理論と実践を重視する実践運動によって、共産主義は、彼らが意識するか否かにかかわらず、「負の宗教」「赤い宗教」「神なき宗教」「無神論者の宗教」と呼ばれるように、人々に夢を与え、宗教的熱情と使命感を与えるものとなったのです。 キエフ出身のロシアのすぐれた宗教哲学者ニコライ・ベルジャーエフ(1874〜1948)は 「共産主義は石をパンとこの世の王国に代えようとするサタンの誘惑に負けた宗教である。」 「共産主義の...残酷な圧迫も、人間の尊厳を認めることもできない暴政も...すべては共産主義が神を否定し、人間を非人間化したところからきている」 ⇒(ロシアの作家ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を思い浮かべるかもしれません。神が存在しなければ、人間は「すべてのことは許されている(殺人や強盗でさえも)」ということになるとのイワンの主張参照。) といっていますが、共産主義の本質をついた言葉であるといえます。
共産主義は、不義・矛盾・不公平を告発し、労働者、被支配者階級の解放をもたらすという正義心に訴え夢と希望を与える理論体系、革命の前衛としての使命感、(および、反対勢力に対する無慈悲な暴力・監視・監禁等による恐怖心)により、急速に拡大していきました。 しかし、その根底に「神様」や「敵」に対する憎悪・復讐心があり、「敵を愛する」という思想がなかったこと、および神や霊界の存在の否定、人を含め存在を物質としてしか捉えられない唯物思想、人々の道徳心・良心による改革ではなく、歴史の法則・歴史の必然に従うものであるとして無慈悲な暴力革命を積極的に肯定する革命理論・歴史論など「真理」のように見えた理論が「偽り」であったことから、結果も彼らの敵と規定された約1億5千万以上もの人々が犠牲になるというとんでもない悲惨な結果となってしまったのです。(←第一次、第二次世界大戦の死者よりも多い!!!) ユートピア・理想世界を実現するためには「敵を愛する」思想が絶対不可欠です。 しかし、共産主義は、「敵を許し、愛する」ことができなかったどころか、逆に積極的に「敵を打倒せよ!」「抹殺せよ!」「それを許容する者は歴史の反動(勢力)である」と憎むことを正当化してしまいました。 そして、「偽り」の理論を「真理」としてしまったところに悲劇が生じました。 このような歴史上重大な悲劇をもたらした共産主義の発生・伸張について、大きな責任の一端が神を信ずる者たちの失敗・責任不履行にあったため、神様を真に知るものがその問題を解決しなければならないのです。 ここに、文師および統一運動が、共産主義からの解放のための思想啓蒙活動=勝共(しょうきょう)運動やCAUSA(カウサ)運動を行ってきた内的なもう一つの重要な理由があるのです。
日本には、ナチス・ドイツからの迫害を逃れようとしたユダヤ人救出のためビザを自己の英断によって発給し約6千人の命を救った杉原千畝氏や、ユダヤ人難民2万人の命を救いユダヤ人の恩人を顕彰する碑「ゴールデン・ブック」に刻まれている樋口季一郎氏といった人物がいます。 将来、社会主義・共産主義が人類にもたらした負の巨大な遺産に対する正確な評価がくだされるようになれば、共産主義のくびき・鎖から共産圏の人々を解放した人物として、東西冷戦の終結・ソ連崩壊において重要な役割を果たした米国レーガン大統領や、東欧自由革命・ポーランドにおけるワレサ氏等の自主管理労働組合「連帯」運動の精神的支えともなったカトリック信仰における重要人物(ポーランド生まれの)ローマ法王ヨハネ・パウロII世の名前があげられるかもしれません。 しかし、それ以上にかかすことのできない名前として共産主義からの人類解放の為に思想啓蒙活動・言論活動等を先頭に立って終始一貫して行い支援してきた、文鮮明師の名があげられるでしょう。 特に、政治犯・思想犯として、強制収容所・精神病院送りにされた人々で社会主義体制の崩壊により解放された人々は、その歴史の真実を知る中で、文師の活動の価値を真に理解するでしょう。 しかし、文師は、共産主義政権下の虐げられた人々を解放するというだけではなく、共産主義の体制派の人々をも救おうとされているのです。 これがわからないと、何故、文師がソ連(崩壊前)のゴルバチョフ大統領や北朝鮮の金日成主席に会い、ヤコブが自らを殺そうとしていたエサウと和解したように、自らを葬り去ろうとした彼らと和解し、救おうとされたのか、その意味と理由を理解できないと思います。 いわば、世界的な次元(さらには、天宙的な次元)におけるヤコブとエサウの和解を行ったのです。 「敵を愛し、迫害するもののために祈れ!」とイエス様が言われたように、それが神様を真に知る者の行くべき道だからです。 −−− しかし、「共産主義から解放」を強力に推進したということは、逆にいうと、(いまだに)社会主義・共産主義を信奉する人々やシンパシーを感じる人々にとっては、文師およびその運動は、到底許容できない敵・反動勢力であるということを意味します。 彼らの考えには、残念ながら「敵を愛せ」というイエス様の示された神の愛およびそのような思想はありません。多分理解すら難しいかもしれません。 また、神についても、人間の頭で作り上げたもの、空想上のもの程度の知的な理解しかないために、いきおい「宗教はアヘン」ということばを繰り返すか、「宗教の名をかたって政治活動を行う反動勢力」としてしか捉えられないようです。 彼らの特徴は、正義を口にしますが、彼らのよく使うスローガンが「(敵を)粉砕せよ」「打倒せよ」であるように、根底的には愛とは対極の憎しみを積極的に肯定しそれを運動のエネルギーにしており、また、彼らが好んで使う言葉は、「だまされている」「虐げられている」「社会の敵だ」等であるように、そのような言葉で人々に不安・敵意をあおり、憎しみをいだくようにしむけます。そして、自分たちはいかにも正義の味方であるようなふりをしています。 「闇は光に勝てなかった」とあるように、偽りは真理の前に明らかにされることでその効力を失います。 今後は、より具体的に事実を証ししていきたいと思います。 これは、彼らを共産主義の呪縛から解いてあげるためでもあります。 ・・・ つづきNEW!!(一部追加 2000.4.8) |