レーニンの真実 |
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今日、『血にまみれた独裁者』というスターリンの評価は、全世界で定着しています。
日本でも、共産党の人々等でさえ、自分たちはスターリンとは無関係だと言い切るために、徹底的に批判をしています。 しかしながら、大変申し訳ないのですが、彼らの批判すべき対象は、単にスターリンにとどまらず、レーニン、更にはマルクスにまでさかのぼらざるを得ないのです。 ここでは、ソ連共産党政権下末期の「グラスノスチ(情報公開)」によって、公開されたレーニンの秘密書簡等によって、レーニンの真実の姿をみてゆきたいと思います。
(内容をご覧いただけば、「グラスノスチ(情報公開)」によって公開されるまで、何故68年間にわたって決して一般の人々の目の前にあらわされることがなかったのかその理由がわかると思います。) ・死を恐れぬレーニン(5.5追加) ・証言(5.5追加) ・レーニンによる芸術家に対する弾圧(7.22追加)NEW! 引用文献) あらかじめ裏切られた革命・岩上安身著・講談社より −−−−−− ご参考) 旧ソ連で、共産党がクーデターに失敗し、結局政権の座から滑り落ちた際、 89年の東欧革命におけるレーニン像の破壊や撤去のシーンに酷似していたために、イメージが重なり合う効果もあった。 そのため、東欧で起きた後戻りできない歴史的変化が、ロシアにも2年遅れで訪れたのだという了解が生まれ、あの3日間の出来事に対して実証的な検証が行なわれる以前に、「民主主義の勝利」という誰にもわかりやすい通俗的解釈がいきわたることになったのである。
クーデター事件直後のモスクワには、あの3日間の体験の記憶をとどめるシンボルがそこかしこに点在している。 ジェルジンスキー像のないジェルジンスキー広場、「万国の労働者よ、許してくれ」とペンキで殴り書きされたマルクス像、ホワイトハウス裏手のバリケードの残骸、ソ連国旗にとってかわっていたるところにひるがえるロシア三色旗−。 しかし、そうした民主派の勝利を誇示するシンボルがあふれるなかにあって、オクチャブリスカヤ広場(十月革命広場)のレーニン像だけが傷つけられず、孤塁を守っているのが、逆に印象に残る。 ジェルジンスキー像が倒され、マルクス像が汚されるのを見逃したにも関わらず、当局はレーニン像のまわりだけに警官を配して警備にあたらせたのだ。 当局が守ろうとしたものは、言うまでもなく銅像そのものではない。 シンボルとしてのレーニンである。 ほかはともかく、断固としてそれだけが守り通されたことは、共産党に関わるあらゆる記号がネガティブなイメージを負ってしまった今、最後の政治シンボルとしてかろうじて残されたレーニンの価値を懸命に保存しようとする勢力が存在することを暗示している。 (P286〜287) |