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共産主義者による虚偽情報例

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以下は、無教会派のキリスト者である内村鑑三の弟子にあたる元東大総長の矢内原忠雄氏による指摘です。

氏は、「大学法案について、虚偽の、もしくは不正確の事実に基いてのセンセーショナルの宣伝をしていること」を例に、

共産党の人の理性を晦ませ、人の判断を晦ませるような情報を一方的に供給する戦術をとる実践のやり方を、一種の暴力であると鋭く指摘しています。

 

 

『マルクス主義とキリスト教』キリスト者の信仰III 矢内原忠雄 岩波書店P231〜P234より

−−−−− 

「近頃の共産党は、共産主義は精神を否定しないとか、宗教を否定しないとか申してをります。

それは腹の底から言ってゐることなのか戦線拡大の戦術として言ってをることなのか、その見分けをしなければならないのであります。

抑も共産主義の世界観が唯物論であるとするならば、唯物論に立つ思想的・政治的団体たる共産党が凡ての物の造り主である超越神を信ずるといふ立場に立つ基督者を抱擁することができるかどうか。

若しも基督教の信仰と相容れると言った時に、唯物論の哲学は崩壊してしまうのではないか。これが一つの問題です。

次に実践の問題があります。

目的と手段との関連を考へる必要があります。

共産党が実践の目的とするところは、社会解放・世界平和・日本復興といふ問題であります。

私共の扱ってをる学生政治運動によつてつくづく実感してをることでありますが、

共産党細胞の行動の中には、目的のためには手段を選ばないといふ嫌いがあるのです。

例へば大学法案反対のために全国の各大学の教授・職員組合・学生が一団となって共同闘争をするといふ運動が今盛んに行はれております。

その胆煎役をした者は日本共産党である事は前に申しました。

この大学法案反対の共同闘争には東大の南原総長も賛成であり、阪大の今村総長も之を支持するといふ趣旨の声明書が学校の掲示板にでかでかと掲げられまして、広く全国的に宣伝せられました。

ところがこれは事実に相違致しまして、南原総長は共産党の代議士にむかひ、大学当局は大学当局の既定の方針で進む、学生は学生で全国的に運動するのはよいが、大学当局としては共同闘争には合流しないといふことを、二回にわたり明白に言明したに拘らず、あのやうな声明書になって現れた。

そこで南原君は学生の代表を呼びまして、違ふぢやないかと詰りましたら、学生は申訳ありませんと言つてあやまつた。

併しその取り消しの声明書を出さないために、他の学校の教員や学生の間にまで、東大では南原総長が共同闘争に賛同したといふことがひろまつて、強い影響をもつたのです。

私昨日西宮で今村総長にお会ひしました時、伺つて見ましたところが今村総長もやはり大学当局は既定の方針によつて往く、学生の運動はそれとして認めるが、大学としては共同闘争に合流しないといふことをはっきり言明したと言つてをられたのであります。…

 

そこで、基督教若しくは基督教会が共産党と提携できるかどうかといふその限界がおのづから浮び上つてくる。

共産党が基督教を認めると言ふことは基督教会を手段として利用するのであつて、腹の底からさう考へてゐるのではない。

それから、共産党の戦術には目的のために手段を選ばないといふ嫌ひがある。

新聞で見たことですが、ある懇談会で森戸辰男氏が、社会党は共産党に対して一線を画する理由として、共産党は暴力を肯定すると言つたところ、赤岩栄氏が、それは違ふ、日本共産党は暴力を肯定しない、若し日本共産党が暴力を是認すれば、赤岩は共産党を叩く、と言つたといふことです。

私は之を新聞で読んだだけでありましてそれ以上のことは知りませんが、併しそれならば、共産党細胞の学生たちが大学法案に就いて、虚偽の、若しくは不正確の事実に基いてセンセーショナルの宣伝をしていることに対して、赤岩牧師は何とおつしやるか。

虚偽の事実に基いて過大な宣伝をすることは、暴力の一種ではないですか。

人の理性を晦ませ、人の判断を晦ませるような情報を一方的に供給する戦術は、一種の暴力であります。

暴力を否定するといふならば、虚偽をも否定しなければなりません。

逆に言ふと、共産党がその実践のやり方を改めない限り、基督教会も基督教の牧師も基督信者も共産党と手を握つて、共同闘争の戦線に立つことは出来ないと、私は考へる。

抽象的に考へて目的が一つであるからと言つて、合流することは出来ません。」