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こころの清い人は幸いである

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「こころの清い人は幸いである。彼らは神を見るであろう。(マタイ5/8)」

この言葉は、イエス様が語られた有名な『山上の垂訓(すいくん)』の一節です。

神様を信じない人がいう言葉に

「神様がいるんだったら、見せてみろ。見せてくれたら信じよう。」「客観的事実として、神様がいる証拠を見せてくれ。」ということがあります。

科学は、同じ条件でやった場合は、誰がやっても同じ結果が出るということ(再現性)を重視します。

ところで、神様について知るには、その前提条件として、「こころを清く」「幼子のように神の国を受け入れる(ルカ18:15)」ことが必要になってきます。

これは、最初から否定的、懐疑的、批判的に考える人には、到底受け入れられないことではあります。

しかし、それが、神様を知るもっとも早い近道になるのです。

 

神様に対する私の理解はこうです。

誤解を避けず、わかりやすいたとえで言えば、

『神様』は、いままで現れたもっともすばらしい親よりも子である私たち人類を愛してくださる最高の心情をもたれた存在(=親なる神)であり、

人類史上最高の宗教家・思想家以上の存在(=宗教の神)であり、

人類史上最高の科学者以上の存在(=科学の神)であり、

人類史上最高の芸術家以上の存在(=芸術の神)であり、

実践者・創造者(=愛の実践の神)である。

イエス様以上の愛と心情とあわれみをもたれ、

ニュートン、アインシュタイン、中にはダーウィン、最近ではホーキングなどの科学者以上に科学的知識をもち、

最高の芸術家として、宇宙の調和と神秘、その美しさ

その創造をなされ、アダムの時も、イエス様のときも、今も生きて働かれておられる...。

 

 

しかし、いままで、私たちは、科学的な知識が人間以下の無能な存在か、無存在(つくりあげた存在)かのように神様をあまりにも過小評価、みくびって、誤解してきているのです。

さしたる目的もなく、宇宙万物、人間を創造しただけの神様という程度で、ある意味でそこまで真剣に考えてこなかったのです。

 

−−−−

(これには、神様を信ずるものたちにも責任があったことを告白せざるを得ません。

1)神様が科学の神でもあることを理解せずに、自らの権威の維持のため宗教裁判(cf.ガリレイの『それでも地球は回っている』)を行ったり、科学的対象に対して科学的アプローチをすることに拒否したり、

2)神様の名前、イエス様の名の下に、愛を示すよりも自らの正義を押しとおすことにより、また自ら自身の救いに汲々としていて社会的不公平に対して愛の実践を行えきれず、そのような姿をつうじて、他の人々が「このような無慈悲な世に神など存在するだろうか?」と不信するきっかけとなったこと等、残念ながら存在しているからです。・・・・・・

(ある意味で、神様を信じれない人々には、神様を信じれないだけの理由があることも事実なのです。)

 

しかしながら、これらの問題については、最終的には、生きて働かれる神様とメシヤをつうじて真の愛に接し、生まれかわった体験(新生)をもち、日々真の神様の心情をたずね求めるようにならなければ、根本的な解決がもたらされることがないのかもしれません。)