イエス様について |
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![]() イエス様は、考えてみれば不思議な方です。 ユダヤの片田舎に大工の家の子として誕生し、3年程の公生涯を歩まれ、30歳代で十字架上で亡くなられましたが、イエス様を慕い、クリスチャンとなった人々の前には、殉教という道がありながらも、それをイエス様に対する愛と信仰で克服する力を与え、その後、最も多くの人々に魂の救いを与える世界で最大の宗教としてのキリスト教の発端となられました。 初期の悲惨な迫害・殉教がつづいていた当時に生きていた人々の誰が、そのキリスト教が2000年後、世界最大の魂救済の宗教となると想像することができたでしょうか? なぜ、そのようなことが可能だったのでしょうか? それは、今まで人類が知らなかった「愛」「神様の姿」を知らせ、永遠の命をあたえてくれる方=神の子であり、神様から出発した運動であったからだと思います。
今まで人類が知らなかった「愛」とは 「『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害するもののために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」(マタイ5/43〜45)という言葉や 十字架上で自分を迫害するものに対して「父よ、彼らを許したまえ。彼らは何を行っているかわからないのです。」というとりなしの祈りに象徴されていると思います。 そのほか「よいサマリヤ人(よき隣り人)の話」「収税人のかしらザアカイの話」「迷い出た羊の譬(たとえ)」など、 イエス様の言葉にどれほど多くの人々の傷ついた魂が癒されたでしょうか。 希望と勇気が与えられ、人間の愛とは質や次元の違う初めて出会う神様の真の愛を感じることができたのではないでしょうか。それとともに自分の愛の足りなさを感じさせられたのではないでしょうか。
今まで人類が知らなかった「神様の姿」とは キリスト教の母体となったユダヤ教での神観が「正義の神、全知全能の創造神」だとすれば、イエス様が教えてくださった神様は「愛の神」、「アバ(アラム語で『おとうちゃん』というような意味)、父よ」ということができるのではないかと思います。 これは、神様が「正義の神」から「愛の神」に変わったからではなく、神様に対する人間の認識が、より、深く、正確に神様の本質・本当の姿を捉えることができるように、神の子、イエス様により、明らかにされたからと言うことができます。 cf.放蕩息子のたとえ(新約聖書ルカによる福音書15章11節−32節)」
結局、神様に対する正しくかつ本質的な理解(知的だけでなく、情的、意的にも)が、正しい人生観、宇宙観、生き方に反映されてくることになります。 イエス様の偉大さは、単に神様のみ言葉を語られただけでなく、み言葉のごとく生きられた=み言葉の実体であったからです。 わたしたちも、その語られた言葉のごとく生きようとすると、それがどんなにか大変かわかります。 たとえば、「人がその友のために死ぬほどの大きな愛はない」 −−−−−−−−−− ところで、神の子イエス様に関連して、これから以下のような疑問について、考えていきたいと思います。
イエス様は十字架につかれるためにこられたのだろうか? 十字架による救いがすべての救いの目的だったのだろうか? 再臨の必要性は? イスカリオテのユダのこと エリヤのこと 洗礼ヨハネのこと ゲッセマネの祈り 救いについて |