レーニンによる芸術家の弾圧・・・マレーヴィッチの場合 |
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「共産主義は世界で最大の奴隷制度である」。 革命後、ひそかにそう書き残したマレーヴィッチ。 不幸な事に予言は当たった。1920年代には前衛芸術家の身の上に影が差す。 晩年の作品には荒れ果てた沈黙の陰にシニカルな抵抗心が隠されている。 (日本経済新聞99年3月28日朝刊P20、21より) ///////////////////////////////////// マレーヴィッチはロシア抽象画の巨人(1878年−1935年)。 (共産党)革命政権は、政治的プロパガンダの道具としてはわかりやすいリアリズム絵画の方が抽象絵画より適していると考え、抽象画を反動的な絵画として抹殺せよと、多くの(前衛)芸術家等を逮捕、銃殺した。 マレーヴィッチ自身3度も逮捕され、結局がんにより病死したが、彼の作品はペレストロイカまで非公開となり、歴史から抹殺されることになった。
−−以下、日本経済新聞99年3月28日朝刊P20〜21より引用−− 貴重な未公開資料を元に「芸術と権力」を執筆中の芸術研究家、フボスチェンコさんによると、国家保安委員会(KGB)の前身であるチェーカー(反革命・サポタージュ取り締まり全ロシア非常委員会)の初代議長ジェルジンスキーの側近、レフトが残した資料は、レーニンが20年ころ極秘の芸術推進計画を温めていた事実を明らかにしている。
「抽象など反動的な絵画のすべてのイズムを抹殺せよというレーニンの指令をレフトは受けていた。前衛的な画家は危ないというので、みなモスクワから逃げ出した」とフボスチェンコさん。 芸術家の弾圧はスターリン政権下というのが定説になっているが、マレーヴィッチらは早くから要注意人物として当局によって刻印を打たれていたことになる。マレーヴィッチは20−21年ころに一回目の逮捕を経験した事が最近わかった。歴史のジグソーパズルはピタリとはまるのである。 (義弟の)カツマンも権力の内側にいて多くの意外な事実を書き残している。それによると、ソビエト権力は多くの芸術家を殺そうとした。驚いたことにあの著名なレーピンさえ含まれていた。マレーヴィッチも病死しなければまちがいなく銃殺になっていたはずと記している。 フボスチェンコさんは、22年ころ開かれた展覧会の出展リストを見ながら「その後、この画家も銃殺、この画家も銃殺。銃殺、銃殺・・・・・・」と悲惨な時代を振り返った。
26年6月10日付のレニングラード・プラウダ紙にマレーヴィッチが所長を辞めたばかりの国立芸術文化研究所(ギンフク)の批判記事が載る。「国立機関を隠れみのに、聖なる愚者たちが巣くっている修道院がある。彼らはあからさまな反革命を指揮している」 欧州から招待を受けていたマレーヴィッチがこの機会を利用したのは当然かもしれない。 「すぐに帰国すべし」という電報がマレーヴィッチのもとに届き、帰国後逮捕(2度目)された。ギンフクの閉鎖に伴い移っていた国立芸術史研究所も29年に追われる。 翌年秋には3度目の逮捕。根拠のないドイツのスパイ容疑だった。・・・・
27年の2度目の逮捕後、マレーヴィッチはいったん捨てた絵筆を再び握っている。それも奇妙な事にシュプレマティズム(絶対主義)以前に描いていた具象に戻った。 なぜか?・・・ 仏CNRS(国立科学調査センター)のマルカデ館長も「弾圧されて具象に戻ったわけではない」と弾圧説を否定。「飢餓で死んだ農民の苦悩を表現したいという気持ちが強まったのではないか」と分析する。 確かに、第二の農民シリーズにはカムフラージュして多くのメッセージが込められている。 例えば「畑の若い娘たち」。顔がなく、不気味なイメージである。このころからスターリンの独裁が強化され、32年の大飢饉でウクライナを含め旧ソ連では400万人とも1千万人ともいわれる農民が死亡した。絵の前に立つと告発の意志がはっきり読みとれる。 この時期の絵はほとんどが、制作年代をごまかしている。美術研究家のシャーツキフ氏は「抵抗の絵なので、わざと昔の年号にした」と見る。 32年にレニングラードで「最近15年間のロシア共和国の芸術家展」が開かれた。 共産党中央委員会の「文学・芸術組織の再編に関する政令」に従うもので、政令はあらゆる創造的な運動の息の根をとめてしまった。 この時はマレーヴィッチの作品は悪い例として展示される屈辱を受けた。 政府にとって、体制を支える社会主義リアリズム以外の芸術はもはや不要だった。 この時以降、ペレストロイカまでマレーヴィッチ作品は非公開となり、暗涙の中で歴史から抹殺されるのである。 −−− 後半は、レーニンを引き継いだスターリンの時代の記述となりましたが、芸術であっても、共産党政権に役立つかどうかによって、一方には活動の自由が与えられ、他方には「反動」「スパイ」というレッテルと、逮捕、銃殺、封印(歴史からの抹殺)がされるというのは、単に旧ソ連だけでなく、他の共産党独裁政権下でよく見られた事例であることは周知のとおりであり、レーニンの時に既にそのレールが敷かれていたのです。(ゆたかコメント) |