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『どんぶりサミット』

そもそも「どんぶりサミット」とはなんなのか
超絶食べ歩き『第3回どんぶりサミット』報告
総括と教訓と展望
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 そもそも『どんぶりサミット』とはなんなのか
「サミット」とは言っても,要するに「オフ」のことなのであるが,そもそもなぜ「どんぶりサミット」などという大げさな名前がついているのかから説明せねばなるまい。僕自身ネットに関わったのは1998年の暮れからであり,HP開設時(1999年4月)になって「とらさん会議室」「ラーメン情報交換室」へ投稿を始め,いわゆるROMから脱却。そんな程度だから「オフ=オフラインミーティング」と言ってもまるで身近なものではなかった。むしろなんとなく「苦手」なものだった。

「オフ」というのは「オフライン・ミーティング」の略称。NIFTY-SERVE や PC-VAN などのパソコン通信で,会議室やチャットなど 「オンライン」でのコミュニケーションに対して,そこで知りあったメンバーが機会を設けて集まり,直接顔を合せることを「オフライン」と呼ぶようになった。「オフミ」「オフ会」などとも言う。(以上DMでの情報)

ところが,「どんぶり会議」という掲示板を5月末に設置し,来てくださる方が増えてくると自然と「オフ」の声が出てくる。そういうわけで記念すべき『第1回』は,SJさんというミラノ在住の方の帰国をMbさん・Hさんが迎えたことが始まり(その報告はこちら)。僕は金曜だったので参加できなかったのだが,楽しそうなのでSJさんの年末の再帰国に合わせて『第2回』を「ひがし@馬橋」で開催(1999.12.26)。MZさんの顔で東葛地区の方々が集まってくださり盛況となる。これでオフにはまってしまったわけだ。

たかが「ラーメン」だけの関係で,茨城の片田舎にいる僕と,日本中,はては世界中をまたにかけて活躍する方々が一同に会せる。これを「サミット」と呼ばずしてなんと呼ぼうか(なんて言ったりして)。やはり,されど「ラーメン」なのである。

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 超絶食べ歩き『第3回どんぶりサミット』報告2000.02.06
第2回には参加できなかったMbさん・Hさんに一度はお会いしたいと企画されたのが,今回の『第3回』。アメリカ〜日本を往復しているHさんの帰国に合わせて「どんぶり会議」に公示すると,思いのほか参加者が集まる。東葛〜東京〜神奈川と広範囲。加えて,なんと都銀を退職し,近々夫婦で「中国」に出国するというNDさんがDMで参加表明。ますます『サミット』らしくなったわけである。
問題はその開催場所だったのだが,Hさんの未食店が僕の宿題店リスト「東京都下の有名ラーメン」に合致。主宰者権限で町田周辺に強引に決定。都下とはいえ「町田」はクルマ的には東名高速で「川崎の先」であり,有名ラーメン店が多いにもかかわらずなかなか行けない場所だったのだ。>開催までの「どんぶり会議」上の詳しい経緯l
7時半に自宅を出発。東葛(柏)でMrさんをピックアップ。あーだこーだとラーメンのことばかり話しながら,都内を抜けて東名で横浜ICまで。横浜線・成瀬駅北口に1時集合なのに,12時には着いてしまった。それではと,「おやじ@町田」に行ってみる。しかしクルマが止めづらい上に店外に5〜6人の行列。断念し成瀬に戻る。NDさんが黒いスカイラインで待っていた。駅前の広場に移動する。ほどなくSyさん,赤Pさん,MZ&MCさん,amさん,Kwさん,S(M)さん&KnさんにKBさんカップル,Mbさん&Hさん(Sではないそうだ)とそろってしまう。総勢15人。遠方からの人が多い(僕が一番遠いのだ・160km)だけに,かえって早くに勢ぞろいしたと言うことかな。こうなるとハンドル呼び合って,名刺交換して・・・はたから見れば異常な集団だろう。でも会えてうれしいんだからしょうがない。
まず,最初の目的地「ばりこて@成瀬」にクルマ5台で大移動。通行量の多い街道沿いの店。当然のことながら普通の店に15人がいっぺんに行けば行列になるのはあたりまえ。おまけにクルマをとめる場所に手間取り(店の隣の駐車場は満杯)他のお客さんの間に交互に挟まるように並んで待っていたものだからややこしい。「なぜこんなに混んでいるのだろう」と思ってことだろう。行き交うクルマも渋滞気味なので珍しそうに見ている。さてその一杯は期待を裏切らないものだった。味は濃くはないが,丁寧に抽出した「トンコツ」と言う感じ。嫌な臭みがないのだ。本格的細麺(博多直送と言う)とのバランスがよく,僕的には「御天@井草」「金太郎@足立」より印象が良かった。替え玉したい気持ちをぐっと抑えて(連食の予定だから)店を出る。
店の前で次の店を検討。立て続けにラーメンを食べるなんていう発想のない方もけっこういたのだが,まぁここまで来たら僕の場合,一杯ではあまりにもその単価が高くなるのだ(交通費がかかっている)。(>「ラーメン連食の正当性を論証する」) というわけで,鶴川の「正ちゃん」「つばさ屋」経由で「天童@稲城」を目指すことに決定。
カーナビの指定したコースが旧道だったようで手間取ってしまう。「こどもの国」(「鎌倉家」の場所を確認)「TBS緑山スタジオ」のそばを通って鶴川到着。「正ちゃん@町田」はおよそ話題になるような店とは思えない「普通の民家」と言う小高い場所にあった。昼の部の時間を過ぎていたのだがSyさんがお願いしてKwさん,KBさん達と食べていたので,「醤油好き」のMrさんが合流。僕は「黒川駅」に途中合流のFjさんを迎えに行くため断念。「つばさ屋」の前を通ったら何人かが食べて,残りの人たちが店の前でしゃべっていた。黒川駅でFjさんをピックアップしてもどると,ちょうど食べ終わったところで,そこに「正ちゃん」組が合流。再度大挙して「天童」へ(所要の赤Pさんは予定通りここで離脱)。
天童@稲城」は,店の左脇の奥に駐車場がある。カウンター12席くらいの店だから,15人で行けば当然のことながら一気にここでも行列が出来てしまう。Mbさんがマスターと顔なじみ,NBさんは先週来たばかりと言う。「日本一不幸なラーメン店」と一時話題になったここの天童市出身のマスターは,黙っていればいい男なのだが,東北出身の人特有の「朴訥さ」がある。こんなとんでもない集団が一度に来ると「圧力団体」がプレッシャーかけてるようでなんか申し訳なかった。「天童中華そば」を食べたのだが,青海苔の溶けたスープが独特で,かなりいい感じだった。蕎麦粉を使った麺の「田舎麺」が話題のようで,それを食べている人が多かった(>『天童の田舎麺のご感想は?』論争)ここでも「つけめん」もいきたかったのだが,ぐっと我慢する。ここで離脱するMZ&MCさんは当然のようにダブ完してた。ある意味ではうらやましかった。S(M)さん&Knさんも仕事の関係でここで離脱する。店の前で次の打ち合わせをしていたら,店主がわざわざ出てきてみんなに丁寧にお辞儀して挨拶してくれた。僕の場合,こういうことでいっきに印象がよくなるのだ。ラーメン店にすればネット関係の人間はある意味やっかいな人種だとは思うのだが(勝手なこと書くし),それでも「お客」であることに変わりはないもの・・・。
残った11人ですぐそばのデニーズへ。テーブル3台あわせて一緒に座りやっと一ヶ所に落ち着く。あらためて自己紹介して,少し「オフ」らしい展開となる。僕はなんとなくコーヒーを頼んだが,Kwさんはパフェを頼んでいた。そうすりゃ良かったとちょっと後悔(けっこう好きなのだ)。ほどよく周囲の席も空いていたので,割と気兼ねなくハンドル呼び合ってゆっくりする。
次なるポイント府中へ。amさんの案内で「ふうや」のそばのパーキングビルにクルマをとめる。やはりアルコールを含めなければ「大人」のオフとはいえまい。駅そばのビルにある「白木屋」へ。ちょうど独立した一部屋(カラオケ用?)に案内されたのでけっこう落ち着いてなごやかに歓談することが出来た。僕やSyさんはノンアルコールだったが,別に平気である。料理はいかにも「白木屋」というそれなりのものだったが,次のラーメンを考えている僕にはちょうどよかった。
府中にきた以上,僕は「らいおん@府中」をおさえておきたい。MrさんKwさんが同行。案内してくれたamさんは店の前で離脱。若者が多い行列店。カウンターのみの店内に待ち客が5人ほどいた。店内おすすめの「ライオンラーメン」はネギ入りのようなので「ラーメン」を注文。雰囲気は家系のそれだったが,味はかなりちがう。旨みを強く感じる一昔前のこってりラーメンという印象を持つ。まぁ,それなりに納得した。でもスープは飲みきれなかった。パーキングに戻ると,ほどなく「ふうや」に行った他の人たちも戻ってきた。次に府中に来たら僕も「ふうや」だな。そこで解散となる。ここまで残ったメンバーは3〜4杯食べた方もいるようだ。僕には平均的な日曜の展開だが,いくらラーメン好きとはいえみなさんオーバーペースだったようだ。お付き合いすいません。
と言いつつも,「最後の締めの一杯」。Hさんが親代わりのようにあちこちで話題にしている「日向屋@砧」へ。同行者はHさん,Mrさん,Fjさん。甲州街道から環八へ。クルマならさほど遠くはない。実はこの店は2回目なのだが,最初食べたときよりは「まとまっている」感じがした。最近けっこう雑誌にも紹介されている店なのに,相変わらず若い店長は「弱気」。今にも潰れそうなことを言う。この味ならそこそこ大丈夫だと思うのだが,場所的に苦しい(駅から遠い・クルマがとめづらい)のかしら。それとも家賃が高いのか・・・。
千歳船橋でFjさんをおろし,来月にはまたアメリカに行くと言うHさんと松原でさよならする。あとはいつもどおり都内を抜けて,今日のオフの総括をMrさんと話しながら柏まで。その後はひとり。いつもと違い,しゃべりっぱなしの一日が急に終わる。吉田拓郎の「祭りのあと」みたいだなぁと思いながら,静かな6号線を北上する。

♪ 祭りのあとの寂しさが 嫌でもやってくるのなら 祭りのあとの寂しさは たとえば女でまぎらわし・・・

2時に自宅に着くと,妻と二人の娘がぐっすりと眠っていた。これまたいつも通り・・・。テーブルの上の娘達の「おやすみなさい。ラーメンのお友達と食べたラーメン,おいしかった?」のメッセージに返事を書いて,長い一日が終わる。

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 総括と教訓と展望
実際問題として,同じ「ラーメン好き」と言ってもその関わり方は様々なようだ。当然の如く連食する人もいるが,「ここ一番」と「がんばる」人もいる。一方,普段「一日1杯以上食べたことないんだけど・・・」と言う人もけっこういた。でも,それが普通。考えてみれば,僕もつい2〜3年前まではその部類だった。そして今でも,休日こそ「なんでそこまで」と言われるくらい食べ歩いているものの,平日はいたって普通の食生活(自慢にはならないが・・・)。ところが,普段から(つまり毎日)2〜3杯と言うペースで食べ歩き続ける人も『存在』するのである。そしてその気持ちがわかってしまう『最近の自分』がここにいるのである。帰りの車の中で,今日初めて「がんばって」食べ歩いたMrさんに言った。

「長い人生の中でこんなとんでもない一日があってもいいでしょ?」

「どんぶりサミット」参加者の「どんぶり会議」にくださったご感想

今回のオフの教訓。 

「大勢で 行けばいきなり 行列店」
 「ちょっと待て こんでいるのは 誰のせい」
 「ラーメン好き 15人集まりゃ 『圧力団体』」

 で,「ラーメン好きに国境はない(日本・米国・中国・イタリア・水戸藩)」
 「初対面 ハンドル知ってりゃ もう顔なじみ」
 「腹一杯でも 仲間が行くと 食べちまう ♪あんたもわたしも 悲しいラ族」

次はどんなオフになるのだろう。『第4回どんぶりサミット』(僕が言ってるだけだが・・・)が楽しみだ。日曜なら何処にでも行くのである。東京・神奈川・埼玉・千葉はもちろん,静岡・山梨・群馬・栃木・福島まですべて僕的には可能なのだ。

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