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『ラーメンを愛すると言うこと』【1999/08】

ラーメンを愛している。ラーメン食べ歩きの方は18で上京してからなので23年目になる。そしてこのHPを開設して4ヶ月。今まで漠然としていたラーメンへの思いが具体化し,より強固なものになっているのがわかる。

では,ラーメンを愛するとはどういうことなのか。その食べ方とはいかなるものなのか。

私の世代は,親から「作った人に感謝してご飯は残さず食べるんだ」「熱いものは熱いうちにおいしく食べろ」と言われて育った。

終戦は松山の航空隊で迎えたという,大正生まれの父は柔道家(七段)。警察官として練馬警察署で柔道を教えていたこともある。そんな父だから,食事にはうるさかった。当然正座で食べる。おしゃべりは御法度。黙々と食べていた。白黒テレビはついていた(ほとんどNHK)が,テレビの方を見ることは許されない。でも,テレビの音がないと息苦しいくらいだった。だけど,ずっとそんなものだと思っていた。だから今でも黙って食べることは苦にならない。感謝している。食事は楽しく食べた方がいいだろうが,そうもいかないことはけっこうあるのだ。時と場所により食事のあり方は様々なのである。

ましてやラーメンだ。ゆで時間数分の麺を食べるのに,のびるほど時間をかけて食べるわけにはいかない。常に熱い状態で寸胴鍋に待機していて出されたスープを,おしゃべりしてる間に冷ましてしまうのも嫌だ。熱いうちにベストな状態で食べたい。そのためには,無駄なおしゃべりは不要である。できることならスープも飲みきりたい。ラーメンに無駄なもの(飾りもの)はないからだ。

もちろんこれは他人に強制できることではない。私がそう思い,私(及びその家族)が実行しているだけだ。だから,他人がどう食べようと自由だとは思う。しかし,人気店で混雑していて,順番を待っている人がいる店で,会話を楽しんでいつまでも席を占領するのはどうか。そんなときに「自由」を主張されたくはない。こんな私の考えを「常識」とは言わない。しかし,そう思うことをラーメンマニアの「非常識」とは言われたくない。

だから,私は自分の子供達にいつも「待ってる人がいるんだからおしゃべりしないで早く食べるように」と教えてきた。自信を持って。ラーメンは一気に食べた方が絶対においしいと思うからだ。 普段はにぎやかな子供達もラーメンが出ると静かになる。それでいいと思っている。

ラーメンは,時間をかけて会話を楽しみながらいただく,フルコースのフランス料理とも会席料理とも違う。すぐ麺がのびてしまう一品料理なのだ。しかも単価が安い。良質のラーメンを店主の思うベストな状態で出し,なおかつ利益を上げてもらうためには,『効率よい回転』が必要だと思う。私はそれにできるだけ協力したい。後ろで待つ人のためにも。安い値段でうまいラーメンを提供してくれる店のためにも。それがラーメンに対する「愛」だ。(1999.8.10)

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