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北海道一周・縦横無尽のラーメン行脚&青森の温泉

(青森〜函館〜小樽〜札幌〜宗谷〜網走〜旭川〜夕張〜札幌〜函館〜十和田)

共同企画三者三様・それぞれの北海道紀行2002』参照

5月02日( 一気に青森へ600km 【茨城〜郡山〜青森】
5月03日( 初日に最北端まで縦断 【函館〜小樽〜札幌〜滝川〜留萌〜宗谷岬】
5月04日( 北東の海岸線を一気に南下 【宗谷〜サロマ湖〜網走〜美幌峠〜上川町】 
5月05日( 道央の観光地を攻略し函館へ 【旭川〜富良野〜夕張〜札幌〜函館】
5月06日( 最後に青森の温泉を満喫 【函館〜青森〜八甲田〜十和田〜盛岡〜茨城】

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 憧れの北海道・遙かなる北海道
ラーメンを語る上で北海道は避けて通れないのはラーメン好きの共通の認識だろう。札幌ラーメンに加え,旭川に函館,さらには上川とマスコミをにぎわすラーメンどころが目白押しのラーメン地帯。HP開設間もない頃から「どんぶり会議」で,めぐぞうさんの『出張天国!!ラーメン食記(北国編) [1999/07/26]や,Carusoさん旭川生まれの札幌育ち(北海道レポート 長文)』[1999/08/06]と言った実食報告に触発されながらも, クルマでの移動を基本とする我が家にとっては津軽海峡がネックになって躊躇する毎年だった。仕事の関係で5月のゴールデンウィークにしかまとまった休みがとれない我が家,1999年の「西日本横断ラーメン強行軍」,2000年の「北関東〜磐越横断ラーメンツアー」,そして昨年の「USJ&関西のラーメン」とくれば,あとは北海道しかない・・・。それは妻も薄々感じていたようで,「連休は・・・北海道・・・かな?」であっさり決定したのが,例の如く出発直前の4月末。買ったのは昭文社の『北海道まっぷる2002-03年版』,でもろくに読まないまま5月に入ってしまった。
僕自身は,15年前に大洗からのフェリーで初の北海道を経験した。初めての愛車,10年落ちのホンダZでまわったその時のコースは「苫小牧〜襟裳岬〜釧路〜美幌峠〜北見〜旭川〜小樽〜札幌〜洞爺湖〜室蘭」というコース。摩周湖でいきなりエンジン不調になり,かなり慌てたが,幸いプラグがかぶっただけで見事復活。「こんなちっちゃいクルマでよく来たねぇ〜」と同情的なギャラリーに囲まれながらボンネットの中をいじっていたのも今となっては懐かしい思い出だ。当時デビューしたてだった渡辺美里のCDを聞きながらまわった道南〜道東,誰もいない早朝の襟裳岬や屈斜路湖を見渡す晴天の美幌峠,夕暮れの能取岬から見た暗く静かなオホーツクの海・・・渡辺美里の「ロングラン」なんて聴くと今でもその時のワクワクした気分に戻れる。貧乏旅でも何ものにも代え難い想い出。やはり旅はいいものだ。もちろん当時もラーメンは好きだったわけだが,今のように情報なんてなかったので超有名店「味の三平@札幌」で食べただけ。感想は「こんなもの??」。当時でも普通の味噌ラーメンのように感じた(味噌ラーメンの原点なんだから無理もない?)。むしろ旭川から札幌に向かう街道沿いにあったなんでもないラーメン屋の方が,それまで経験したことのないこってりした味で強く印象に残っている。これが旭川ラーメンだったのかもしれない。旅の最終日は,当時札幌にいた友人に紹介された千歳の牧場の娘さんと支笏湖をドライブした。帰りに千歳空港に置いてあるという彼女のクルマまで送ったら,それが新型ソアラで,僕のオンボロ軽自動車の助手席に笑顔で乗っていた彼女に恐縮するやら感謝するやら・・・(笑)。帰りは室蘭からのフェリーで。僕が行った当時は,大洗〜北海道のフェリーは丸一昼夜かかる深夜便(23時発〜20時着)だけ。しかも,帰りの便では完全に船酔いしてしまい,1日中,床にへばりついていた。頭をちょっと上げるだけで目が回ったのである。でもそれもまたいい思い出。
実は家族でもHP開設前の1998年2日間の連休で函館を往復したことがある(1998/10/10〜11)。その時の日程はこうだ。仕事後の前日午後六時に自宅を出発し,常磐道〜磐越道〜東北道と通り青森まで行ってしまう(約600K・渋滞など全くないので6時間で行ける)。深夜2時過ぎの青函連絡船に乗れば目が覚めたときは函館と言うわけだ(約3時間・車は青森港に置いておく・無料)。函館朝市で朝食(辻仁成ゆかりの「茶夢」と言う狭い店)をとり,レトロなチンチン電車『函館ハイカラ号』で市内を行ったり来たり(イカのキーホルダー型の乗り放題チケットがある)。「五稜郭」から啄木ゆかりの「立待岬」も行き,市街地に戻ってレンガ造りの「金森レストラン」で食事。「ハリスト正教会」「旧函館公会堂」等々の定番を散策し,最後は函館山から100万ドルの夜景をしっかり堪能。帰りも深夜発の青函連絡船で本州へ戻るという強行軍。2日目は青森から八甲田山へ向かい「雪中行軍」の碑を見て,次は「酸ヶ湯温泉」(混浴)に行き家族で朝風呂。ここの年季の入った木造の馬鹿でかい屋内風呂はかなりおすすめ。奥入瀬を抜けて十和田湖へ向かい八幡平から玉川温泉に寄る。最後は乳頭温泉「鶴の湯」へ。こちらは秘湯と言われるが,人も多くまた思った以上に狭かった。夕食は盛岡に出て名物「冷麺」食べて(「食道園」という有名な焼肉店)帰る。ラーメンも食べたかったが,当時はネット環境になかったのでラーメンという発想がなかったのだ。仕事の関係でまとまった休みの取れないわが家にとって,北海道まで行けただけでも幸せだった。実はこの時の旅の心残りがある。それは吉田拓郎の名曲「旅の宿」(♪浴衣の〜君はすすきのかんざし〜)の舞台となったという「蔦温泉」に行けなかったこと。いつか行ってみたい。でもそれだけのために青森まで行くのは効率が悪い・・・。
結局,今回の旅行は4日と6時間での総走行距離3300km(+青函連絡船)になった。つまり1日あたりの走行距離は平均800km近くなるとんでもないものだが,北海道は「一般道」を80kmで走っていても当たり前のように後続車にどんどん抜かれてしまうくらいクルマのペースが速いので,同じ時間でもけっこう距離はかせげるのだ(1時間60kmと考えていい)。でも,もう一度同じコースを回れと言われたら無理だろう(笑)。北海道の「道の駅」と「立ち寄り湯温泉データ&宿泊施設」についてはインターネットの情報が充実している。特にHBCの温泉データはかなり詳しい。本がいらないくらいだ。

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 5月02日(一気に青森へ600km 【茨城〜郡山〜青森】
今回も夕方に自宅を出て,ほんの600kmほど常磐道〜東北道をノンストップで走れば,深夜2:50青森発の青函連絡船に乗れるはず(笑)。実際19時過ぎに日立南インター発で,20:30過ぎに郡山,21:30に仙台と通過し,23:30に盛岡(仙台〜盛岡間は思ったより距離があるのだ),青森には深夜1時過ぎに着いた。連休でもそうだったのだから,全行程渋滞はまずないだろう。高速代は11850円。問題は食事。前回,途中のSAのレストランに入りとても寂しい思い(冷凍物のトンカツとか・・・)今回は一応自宅で夕食をとっていく。もう少し時間に余裕があれば「春木屋@郡山」あたりで食べるという手もある。新しいところでは「正月屋@郡山・桑野」と言う情報もあるが,いずれにせよ今回は無理である。
 ■ まるき@青森:青森市橋本2-7-16 深夜2時まで営業
さて,青函連絡船乗船前の深夜1時半に「まるき@青森」でまず1杯。赤い看板に「手打ちラーメンの店まるき」と描かれた角地にあるこの店,『RamenBank』の「とらさん」での情報から深夜営業なので選んもの。支那そば・550円もあったが,手打ち醤油・550円を注文。しっかり醤油色だが透明感のあるスープ。和風であっさりタイプ。パンチはないが青森らしいと言えば青森らしい?「手打ち麺」と表示されたやや太めの縮れ麺は固めでけっこうよかったかな。あとから入ってきた「肉体労働者!」という雰囲気のおじさん4人組,その会話が判別不可能で「青森に来たんだなぁ〜」と旅を実感する(笑)。その一帯にけっこう周囲に深夜営業の店が多かったのが印象的。
青森港フェリーターミナルは青森インターからも青森市中心部からも近い。青函連絡船については「北海道へのフェリー情報”El Puetro”」を参照。一応,事前に電話で予約するのが無難だ。「K-7」とかの予約番号がもらえる。ターミナルで車検証持って簡単な渡航書類に記入。出発の1時間前に着くように予定を組むのが理想的かな。普通車に家族4人(小学生2人)で20000円と言うところ(2等の場合)。復路も先に買うと復路分から1割(つまり2000円引き)になる。往復4万円で自分のクルマで行くのがいいか,レンタカーがいいか(渡航費を抜くと差額は実質3万円),北海道での滞在期間によりけりだろう。これで船内で3時間ほど眠れば,朝には函館に立てるわけだ。もっともこの日は船内はすし詰め状態。前回(1998年)の経験から寝袋持参で行ったのだが,クルマでの乗船がかなり最後の順番になり,すでに満席状態。寝る場所の確保にかなり苦労した。費用に余裕があるなら2等寝台以上の確保が必要である。もしくは早めに港に到着して乗船待ちのクルマの最初の方に並び,乗船したら早めに場所を確保することだろうか。一般乗客が先に乗船するため,どうしてもクルマでの客はあとになってしまうのである。
北海道はへ他の航路もいろいろある(「航路と時刻表」参照)ので色々な選択肢がある。『苫小牧発仙台行きフェリー』(吉田拓郎の「落陽」と言う唄に出てくるなぁ・・)がうまい具合に寝る時間にはまると(深夜仙台発で苫小牧に昼頃着とか・・・20時発・翌11時着と言うのはあった),茨城からの渡航にはちょうどいいかもしれない。苫小牧なら道央の観光地に高速道路ですべてアクセスがいいからだ。帰りには苫小牧or室蘭を21〜23時頃出港する青森or八戸行きのフェリーがあった(「航路と時刻表」参照)から,1泊を船の中と考えれば,まだまだ色々な選択肢がある。・・・もう1回行こうかしら(笑)。

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 5月03日(初日に最北端まで縦断 【函館〜小樽〜札幌〜滝川〜留萌〜宗谷岬】
妻の希望で前回(序文参照)に行けなかった函館郊外の「トラピスチヌ修道院」をまず観光し,一路小樽へ。長万部から道央道が出ているが,室蘭〜苫小牧経由で遠回りになるため小樽が先なら一般道を使った方がいいそうだ(函館の人に聞いた情報)。時速60kmをキープできるから4時間ほどで行ける。さわやかな天気のもと,北海道らしい風景を満喫。同じ北なのに東北地方と雰囲気が違うと妻と意見が一致。ぽっこりと突き出た羊蹄山(蝦夷富士)を遠くに近くに眺めながら,函館本線に沿うように走る国道5号線を北上し,ニセコ〜余市経由で目的地・小樽着いた(1時過ぎ)。なにはともあれラーメンだろう(笑)。
  初代@小樽:小樽市住吉町14-8 火休  11〜15(土〜17・日祝〜18) <0134-33-2626>
ちょっと前に「愛の貧乏脱出大作戦」の修行先の店として出ていた全国的な有名店だ。札幌側からなら札幌道を下りて市街地に得心したまもなく左側にある。ちょっと中心部から外れた場所だが,店外にあふれる15〜6人の行列。石倉を改造した洒落た店で,左路地奥に駐車場がある。外に並んでいるうちに注文をとりに来るが,すぐ決めなければならないのでせわしい。外にメニューがあればいいのに。店内はまぁ普通の広さだが,黒い梁がむき出しの天井は高く開放的。一方カウンターは低くて調理場は丸見えだが,ラーメン自体はうまく見えないように奥のコーナーで作っている。味噌・塩・醤油の三色を注文。スープには厚くて熱い油の膜が張り,黄色い麺はプルプルで独特の歯応え。それにどーんと麺を覆うほぐれるチャーシューが1枚のり,あとメンマに海苔も。味的には濃い目の味付けで,最終的には魚介系の出汁が効いた「塩」が一番バランスがよいように感じた。「チャーマヨ」と言う,海苔に乗ったご飯にマヨネーズとタレを絡めたチャーシュー片が乗ったもの(3個で220円)が定番のようだ。味も雰囲気も抜群のこの店,小樽に来たら絶対お薦めである。
 ■ 小樽運河食堂 : 小樽市港町6-5 無休 9〜24(ラーメン店は11〜23頃)<0134-24-8000>
平成13年4月にオープンしたばかりの話題の「小樽運河食堂」を一応「見学」(笑)。市の観光の中心となる運河倉庫街の浅草橋の隣にある。食堂と言っても大きな石造りの倉庫をうまく改造した体育館ほどの大きさのもので,全国の人気店が集まった「ラーメン工房」とバイキングが楽しめる「浅草橋ビアホール」からなる。レトロな昭和20〜30年代の雰囲気を再現したもので,両サイドに3軒ずつ店が並び,手前にある階段を登った一段高いオルゴールの店「海鳴楼」から見下ろした薄暗い館内の雰囲気は,まんま「ラ博@新横浜」。横浜のとは逆に東京の有名店が主に出店している(大勝軒・がんこくじら軒・でび)。あと博多の「一風堂」と札幌の「すみれ」も。他の店より「でび」と「すみれ」の列がかなり長かったのが印象的。「でび」はやはりテレビの影響だろうか。「くじら軒」や「がんこ」等比較的歴史の新しい店(僕にはだが)が,ああ言うレトロな店構えだとちょっと違和感がある。「東池袋大勝軒」はすっきり広すぎて,違う意味で違和感があった(笑)。入場&駐車は無料。娘達は中央の駄菓子コーナーに興味津々だった。けっこう遅くまで営業している(22〜23頃)ので,バイキング(ランチ1580円・ディナー1980円)を組み合わせればラーメン家族の小樽観光にはもってこい。関東から行った場合は,本店との味の違いを試すのもいいかもしれない(笑)。
小樽にはもっと色々な観光施設があり,ちょっともったいない気もしたが,15年前のひとり旅の時に一通りは見た場所なので先を急ぐ。札幌自動車道で一路札幌へ。札幌では人並みに北海道庁旧本庁舎〜札幌市時計台(イメージよりずっとこぢんまりとしている)〜北大とかを観光。まるで巨大なUFOが道路の真ん中に着陸したように見える「札幌ドーム」を見ながら,クラーク博士が天を指さす銅像がある羊ヶ丘の展望台へ。夕食は今さらラーメン横町にするわけもない。「純連(すみれ)」へ向かう。
 ■ 純連(すみれ)@札幌:札幌市豊平区中の島二条4-7-28 無休 11〜21<011-824-5655>
陸橋下の低い位置にあるため,クルマで行くとわかりづらいが,黒の外観の和風一戸建ての落ち着いた店構え。午後6時前で広めの店前の駐車場(20台)はほぼ満杯。デッキ風の入口脇のスペースに10人程度の行列。入口に券売機があるのだが,外に並んでいるうちに注文を聞きに来た女の子がチケットを買ってきてくれた。席に着けばまもなくラーメンが運ばれてきたから,行列の割には開店がいい店だろう。やはり味噌・塩・醤油の三色を注文。各々表面に厚い(&熱い)油の膜が張った,香辛料の効いたスープ。かなりはっきりした濃い目の味付け。細かいチャーシュー片とメンマがのってボリューム感もある。コシの強い黄色い太麺もかなり特徴的で,麺もスープも各々に自己主張していてがっぷり四つという感じだ。味的に僕は満足。「はるばる札幌まで来て違うラーメンを食べた〜」と言う満足感に浸れる。「ラーメン博物館@新横浜」開館時から出店していて,今や全国レベルの有名店のこの店,「初代@小樽」「青葉@旭川」同様,どちらも今の北海道のラーメンのスタイルを語る上で避けられない店だろう。それにしてもこの店の壁一面のサイン色紙は,もう有名人なら何でもありの感じ。よくわからない名前もかなりあった。せっかく黒基調のきれいな店なのに・・・。
 ■ 純連(じゅんれん)@札幌:札幌市豊平区平岸二条17丁目1-41 無休 11〜19 <011-842-2844>
もう一つの雄,澄川の「純連(じゅんれん)」は,日祝休と「全国おいしいご当地ラーメン」に掲載されていたので寄らなかったのだが,今は無休になっているとのこと。どちらかと言えば,家族で食べるなら絵的に「すみれ」の方がよさそうだったし,夕方6時の時点で次は旭川で1杯,かつ近辺の立ち寄り湯に入って最北端の宗谷岬を目指す,と距離も考えずに予定していたので,わりとあっさりと「あとは帰りに寄ろう」と北上。でも,羊ヶ丘の展望台あたりは省略して,19時まで営業の純連(じゅんれん)に行っとけばよかったかなと,ちょっと後悔している。次の機会はラーメンに徹しよう(笑)。「縁や」「かとうラーメン」「桑名」「平成軒」「山桜桃」等々まだかなりそそられる店がありますし・・・(>「全国おいしいご当地ラーメン」参照)。
結局,旭川は思ったより札幌から遠く(130kmくらいある),19〜20時頃に閉まる店が多くて,これまた帰りに寄ろうと断念。途中にあったHBCの温泉データで調べた滝川の立ち寄り湯(滝川ふれ愛の里『食と健康の養生館』:滝川市西滝川76-1第1月休 9〜22<0125-26-2000>大人600円・小人300円)でゆっくりしてしまった。で,ここから宗谷岬まで一般道で240km(汗)。パトカーに追いかけられて止められながらも(妻が運転していてセーフ)平均80kmで走り何とかたどり着いた。『RamenBank』で稚内の店の情報が2軒あったが(「ランチョン@稚内」と言う店が気になった),さすがに深夜〜早朝営業の店はなく,ラーメンは断念。北海道の最北端にクルマで向かうのは自分との戦いだ。「何故こんなことやってるんだろう・・」と言う感じ(笑)。途中が行きも帰りも単調なのだ。

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 5月04日(北東の海岸線を一気に南下 【宗谷〜サロマ湖〜網走〜美幌峠〜上川町】 
雨の中,三角錐のデザインの「日本最北端の地の碑」で記念撮影。ただこれだけのためにここまで来た。それだけで満足。この前後の道程を考えると,おそらく一生に一度のことだろう。頭の中の日本地図もまだあやふやな娘達も「北海道の北の端に行った」と言う記憶は残る。「モノより思い出」,旅とはそんなものだ。宗谷岬にあった売店で一通りのおみやげを買う。稚内観光協会が発行している最北端グッズの定番・『日本最北端証明書』(100円・日付と時間が入る)や,北海道をかたどった木製ハガキ(300円)等々を購入しさぁ出発。ここからが長い。目的地「網走」まで一般道で約300kmあるのだ。松山千春の「オホーツクの海」あたりを聴きながら,ペターッとした静かなオホーツクの海を左に見て,北東の海岸線を南下する。猿払村までの国道238号線の風景はまさに独特。「ここは日本なのか」と感じてしまうくらい人気(ひとけ)のない海岸線の一本道。「違うよなぁ〜」と妻と感嘆しながらひたすら南下する。最北の湖「クッチャロ湖」を抜け,さらに120km先の紋別へ。『RamenBank』情報(iモードもあるのでケイタイでわかる)で「とらや食堂@紋別」と言うのもあったのだが,昼食との時間が合わず断念。ラーメン店の営業時間と地区間の距離,食事の時間に観光まで考えると,北海道まで行っても分刻みのスケジュールだ(笑)。次はサロマ湖。抜群の眺望で遠く知床連山まで望めるという丘の上の「サロマ湖展望台」は山道だったので断念。15年前の思い出の地,能取湖も観光して(昼過ぎだったので観光客も多く前回感じたような神秘性はなかった),3時近くに網走へ着いた。とりあえず「網走刑務所」へ。行ってみるとわかるが決して「地の果て」と言う場所ではなく,網走駅にほど近い,橋一本で市街地と隔てられた川の向こうの明るい場所である。すっかり観光地と化している赤レンガのアーチ型正門の前で記念写真。考えてみれば,ここは高倉健の「網走番外地」で有名になった場所で,歴史的な名所というわけでもない。日本全国見渡しても,門の前で記念写真を撮りたくなる刑務所なんてここだけではないか。立派な木の看板がまたそそられるのだ。
 ■ 博物館網走監獄:網走市呼人1-1 無休 8〜18(11〜3月は9〜17)大人1050円小中学生520円P400台<0152-45-2411>
網走市南西部の天都山中腹にある。昭和59年まで実際に使っていたレンガ門・庁舎・浴場の現物が移築・再現された大きな施設だが、中でも五翼放射状舎房が見応え十分。扉や柱の傷、舎房の番号が雑に書かれた古い札まで現実を伝える迫力がある。むしろをかけた囚人の蝋人形が並ぶ休泊所(別名・動く監獄=たこ部屋)もかなりリアル。じっくり見ると2〜3時間かかり見応えはあるものの、親子4人で3000円を越える出費となると微妙なところ。でもまぁ網走まで来た場合は外せない場所だろう。
美幌町を抜けR243を南下し美幌峠を目指す。遠目にも峠部分が明るく輝くように陽が射しているのがわかる。小高い丘の上に展望台から見る中島が浮かぶ屈斜路湖の立体的な光景はまさに絶景。これぞ北海道と言う雄大な光景。西側の山系に夕日が沈むのを親子4人で周りに誰もいなくなるまで見つめていた。
あてにしていた『RamenBank』情報の「オホーツク@女満別」が18:30で閉店。夕食は美幌市内のR243沿いの「すし若丸」(美幌町字稲美68-84)へ。たまたま入ったいわゆる回転寿司なのだが、手ごろな値段で北海道の海の幸を味わえる?家族連れにはちょうどいい。地元の人気店らしく店内に12〜3人の待ち客がいた。
 ■ 峠の湯@美幌:美幌町都橋40-1 第2水休 10〜21:45 P150台 500円〜250円 <01527-3-2121>
道内一のスケールという丸太を使ったドーム型の大浴場が圧巻。はるか頭上の丸太の梁を眺めながら、茶褐色のねっとりした泉質の湯船につかる。屋外には数寄屋風の半露天のコンパクトな風呂。サウナとミストサウナもあり設備も充実。この値段でオレンジ色のタオルがついてくるのもありがたい。手ごろな値段のレストランもある。閉館時間までゆっくりしてしまった。
美幌町から北見市へ。北見にもRamenBank』情報で鳳龍」「飛龍」と言った情報はあったのだが、店名がそそられないのでパス。R39を西に向かう。石北峠を越え層雲峡経由で上川町に入る。この上川町は第4のラーメン地帯として注目されているところで「北海道まっぷる2002-03年版」と「RamenBank」に共通で掲載されているのは「ゴードーしばやま」(中央町72 不定休 11〜22)「あさひ食堂」(南町135 第2日休11〜21「き七@川崎」が姉妹店)と言ったところ。時間的に営業時間に間に合わなかったのでパス。

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 5月05日(道央の観光地を攻略し函館へ 【旭川〜富良野〜夕張〜札幌〜函館】
旅も3日目の朝,いよいよ向かうは旭川である。
 ■ 青葉@旭川:旭川市2条8 水休 9〜20 <0166-23-2820>
なんと朝9時から営業しているこの店,創業昭和22年,屋台から始まったという老舗で,僕にとっては昭和61年発刊の「ベストオブラーメン」(文芸春秋社)に「蜂屋」と並んで掲載されていた当時からの憧れの店。その後「ラーメン博物館@新横浜」に期間限定で出店したことがあって,一躍全国区の有名店になったが,その混雑情報にめげてラ博では食べられなかった。つまり,僕の15年越しの夢がかなうことになる。裏通りにこぢんまりとあるイメージを勝手に描いていたのだが,旭川駅にほど近いかなり大きな通り沿いにあるビルの1階。まわりはオフィス系のビルだらけ。もっとも店自体は普通に狭く,入っているビルもかなり年季の入った雑居ビルで,裏口が中のビル飲食街の通路に通じている。トイレはその地下。朝一番では他に客もまだなく,メガネの若いご主人(3代目?)がいろいろと「熱く」語ってくれた。博多ラーメンスタジアム〜青葉@甲府旭王@新橋(姉妹店だそうだ)の話題から,海老名に今度出すという店のことまで。スープの話になると「東京は水が違うから・・・」と何度もこぼしていたのが印象的。さて肝心のラーメン,家族4人で例の如く醤油・塩・味噌を食べたのだが,この店はうまい。甲府と比べると濃縮度は低い感じだが,決して薄いというわけではない。つまり「青葉@甲府」では「山頭火」や「好@市川」に共通するこってり感を感じたのだが,それは一歩間違えばくどく感じるもの。この店は違う。表面を覆う魚系の香りのする独特の油はけっしてくどいものではなく,すごく食べやすかった。タレの味も独特で,それがプリプリのタマゴ麺に絡んですいすい入る。思わず顔がほころんでしまった。はるばる来た甲斐があった。
次はある意味一番憧れていた観光地「富良野」。R237で旭川から南へ一直線。だが,この美瑛〜富良野という一帯は,花の咲く時期を選んでいかないとただののどかな田舎町になる(笑)。この時期はまだ緑一色。ポツンと桜が咲いてるだけ。一応「パフィーの木」「かんのファーム」「深山峠」「千望峠」とまわるが,「おおっ」というような光景には出会えなかった。少しは「富良野に来た」と言う実感が欲しくて,富良野駅に近い「北の国から資料館」に向かうが,オープンは夏だけのようで,そのレンガ造りの倉庫にはきっちりシャッターが下りていた(涙)。とりあえず郊外にあった「富良野チーズ工房」(富良野市中五区 9〜17 無休&無料)に向かう。ガラス越しにチーズの製造工程を見学できる施設だが,娘達の希望だった牛の乳搾りも体験(2階の売店にあったリアルな牛でだが・笑)。別棟のアイス工房で買ったアイスを緑の中の木のベンチで家族4人で食べて,北海道を感じる(笑)。R38〜R452桂沢湖経由で夕張へ向かう。
今回のこの旅,ラーメン的には結局「初代@小樽」「純連@札幌」「青葉@旭川」「五丈原@札幌」等の代表的な店を廻っただけだったのだが,めぐぞうさんのサイトで紹介されている,まだあまりマスコミに露出していない「のんきや@夕張」が圧倒的に強く印象に残った。
 ■  のんきや@夕張:夕張市本町1 火休 11〜17<01235-2-3327>
レトロな映画看板が街を彩る夕張の街。ホテルシュパーロ(公共の宿<01235-2-2400>)の裏手の坂の上。傾きかけてるどころではなく,完全に傾いて後ろの土手に寄りかかっている物置小屋のような店構え。「えっここ?この店がそう??」が第一印象(笑)。腰が完全に曲がったおばぁちゃんが狭いカウンター内でつくるまさに『魂の一杯』。古い店にありがちな「支那そば風」ではなく,煮干しが効いたこってりスープ。丸い麩にカラフルな色合いの蒲鉾,しっかりしたチャーシュー4〜5枚と具沢山な印象。満足感高い。昭和52年封切りの「幸せの黄色いハンカチ」を見て高倉健に感動した世代の人(30代後半〜?)は北海道に行ったら是非食べておくべき店だろう。その良さがきっとわかると思う。この店、猫が2匹調理場に常駐していて,それがカウンターに飛び上がってきた時は驚いた。でもおばぁちゃんは「あ〜ごめんね・・・」と力無くつぶやくだけ(笑)。棚の上に寝床があるようで,カウンターは通過点に過ぎないようだ。共同企画「三者三様・それぞれの北海道紀行2002」の中のCarusoさんの報告の中に,店の外観と塩ラーメンの画像があるので見てみるといい。特に冬の画像は迫力がある。ホント潰れそう・・・。
夕張と言えばメロンだろう。夕張という町は山間の街道を登っていく感じの縦に長い町なのだが,夕張駅よりさらに奥(北側)に「夕張メロン城」(夕張市丁末14-1 無休 9:30〜16:30 無料)というのがある。「夕張メロンを原料としたワインやブランデーの製造過程を見ることができる」と言う紹介文に魅力を感じたのだが,時間がなくなってしまい断念。
  幸せの黄色いハンカチ想い出広場:夕張市日吉5-1 無休 9〜17(冬期〜16)無料 P30台
かつて炭坑で栄えた夕張は,毎年2月に世界的な映画祭を開催する映画の街である。たぶんそのきっかけになったのが昭和52年封切りの名作『幸せの黄色いハンカチ』。網走の刑務所を出所した主人公の高倉健が目指すのがこの夕張の炭坑街なのである。「俺を許してくれるなら黄色いハンカチをかけておいてくれ・・・それがなかったら何も言わずに消えるから・・・」。その黄色いハンカチが見事にたなびく長屋の映画のセットがそのままある(映画と同じ場所?),この丘の上の「想い出広場」は泣けた〜。長屋そのものの中が映画の資料館になっていて,映画に使った武田鉄矢の赤いスターレットが展示され,壁も天井も来館者が黄色い紙に書いたメッセージが神社の絵馬のようにピンでびっしり貼られていて圧巻。奥には当時の茶の間を再現したセット。丸いちゃぶ台の前に高倉健の等身大の人形が座り,家具も当時のものでなんかとても懐かしい・・・。何のセリフもない倍賞千恵子とのカメラを引いたラストシーンが館内のビデオで繰り返し流されていて,まさにその風景が地形ごとそこにあるわけだから,駐車場からこの長屋を遠く見下ろした時には文句なしに感激した。まさに気分は高倉健。映画の中で山田洋次監督が,軽薄な武田鉄矢,はじけきれない桃井かおりの若い2人と,刑務所帰りの高倉健の関わりを通じて見せたかったものは,まさに不器用な日本男児のもどかしいくらいの誠実さだったのだろう。改めてまた観てみたくなった。手前の普通の家で売っていた,山田洋次監督・高倉健・倍賞千恵子・桃井かおり・武田鉄矢のサイン入りの黄色いハンカチ(500円)は定番。ハンカチ自体は夕張若菜青年会が発売元のようで,平成4年7月からの発売だから,封切り時のブームにのったものではなく,しっかり地元に映画が根付いてからの町おこしみたいなものだったのだろう。裏話の紙が入って500円。早速自宅の壁に飾っている。
北海道の最後の夕食はやはり札幌だろう。大きい地図には載っていないが,夕張の中心部から札幌へ抜ける道がある。札幌へ向かう街道沿い(長沼町?)の普通っぽいアイスクリーム店に行列ができていて,クルマを止めて並ぼうかと一瞬思ったのだが,先があるので断念。あとで聞いたのだが,それが「あいちゅらんど」と言う店だったらしい。マスコミで紹介されて行列になっているそうだ。ダントツのうまさだとか。
 ■ 五丈原@札幌:札幌市中央区南7西8 火休 16〜翌4:30(スープ切れ終了)<011-561-3656>
繁華街からちょっとはずれたなんでもない街角にある「五丈原本店」は午後7時過ぎで店外に5〜6人の行列。ちょっと安心したらカウンター席のみ店内に20人ほどの行列があった(汗)。でも,かなり早めに注文を聞かれ,席に着くとすぐラーメンが出てくるので回転はかなり早い。札幌の人気ラーメン店の中では珍しい白濁トンコツスープ。イメージよりあっさり&さっぱり。麺は今風札幌系。実際に初めて食べてみて,以前コンビニで買って食べた十勝新津製麺の「五丈原のとんしおカップラーメン」はそれほど店の味と外れてはいなかったんだなぁ〜と妙なところで納得してしまった(笑)。メニューにはないが,コンビニおにぎり2個分ほどの厚みのある極厚のチャーシューおにぎり(150円)が定番のようだ。持ち帰りもできるので,満腹でも連食予定でも,一応買っておくべきだろう(笑)。これほどまで行列して食べるほどのものかというとちょっと疑問だが,茨城から来て並んで食べる僕のような人間が行列の一因であることは間違いないだろう。食べ終わって店外に出ると20人ほどの大行列ができていた。計40人の行列・・・。
札幌の有名店はけっこう早く閉まる店が多く(20〜21時),最後の夜にまとめて食べ倒そうというもくろみは五丈原の行列でくじけ,近くのファミレスで待っていた家族と合流して21時過ぎに札幌を出発。目指すは300km先の函館。深夜の夜景を楽しむためだ。高速(道央道)へ。
北海道の中心を走る道央道は通行量が思いの外少なく,その結果SAがほとんどなく,しかも深夜になるとガソリンスタンドが閉まっているので注意が必要だ。あてにしていた有珠山PAのスタンドが閉まっているのを確認した時は冷や汗が出た(函館にたどり着けなくなる・・・・そもそも朝のスタンド開店を待っていたのではフェリーに間に合わなくなる)。その先の伊達料金所で長万部インターの函館側に24hのスタンドがあることを聞いて命拾いしたが,その一帯以外に夜間営業のスタンドはほとんどなかった。高速を下りても函館まで100km以上あるので,夜のクルマでの移動は要注意。残量がどうでも高速に乗る前に満タンにしておくのが無難だろう。
函館山は22時まで一般車は登れない。バスorロープウェイで登るしかないが,これが休日は大混雑するのだ。クルマを青森に置いてきた前回は,それでどっと疲れた。でも22時以降は一般車も進入可。クルマの場合はこれが狙い目。人もいないのでゆっくり夜景を楽しめる。妻も改めて感激していた。この夜景のために,また旅の基点の函館まで戻って来たのである。百万ドルの夜景は深夜でも変わらないのだ(風が強く寒かったけど・・・)。

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 5月06日(最後に青森の温泉を満喫 【函館〜青森〜八甲田〜十和田〜盛岡〜茨城】
本当は午前中函館観光を楽しんで(できれば函館ラーメンを食べて),昼12:10の青函連絡船で青森に向かおうとしたのだが,これもその次の2時の便もなんと満席。知らないでここまで来たら函館で足止めになるところだった。特に帰りの便はやはり早めの予約が必要。本州に帰れなくなってしまう。早朝の函館朝市&市内観光をざっとした後,朝9:40の便で青森に向かう。横になって休めるかなと思ったら,眠るわけでもないと,青森までの3時間30分はかなり退屈な時間だった。もっとも,行きの便では眠っていた娘達はデッキに出て船旅を楽しんでいた。少しは北海道の遠さを実感できたかもしれない。1時過ぎに青森に着いた。青森での昼食は,やはり『RamenBank』の「とらさん」で検索した「マル海ラーメン」へ。青森のシンボル『アスパム』(青森駅の東にある青森港の公園「青い海公園」にそびえ立つ14階建ての三角形のビル・展望ラウンジやパノラマ館がある観光施設のようだ)の前にある。
 ■ マル海@青森:青森市安方2-2-16 日休10:30〜21<0177-22-4104>
アスパム前の一等地にある。周囲は繁華街ではなくがらんとしているが,手前の交差点から見ると店の奥にそびえ立つ巨大なアスパムがちょっと異様な感じ。大きな交差点の角地にあるが,看板はあるものの,店先にのれんとかないので近づくまで営業しているかどうかわからなかった。薄暗い店内はテーブルが15台ほど。ほぼ満席。元気のいいおばちゃんが店を仕切っている。メニューは醤油大・550円と中・500円の2種類のみと潔い。スープはうどんつゆに油少々というイメージの煮干し系スープ。麺はやや太めの麺でちょっと柔らかめだが(うどんのような感じ),そういう麺なのかもしれない。午後2時でもかなりひっきりなしに客が入ってくる繁盛店。地元の完全な定番のようだ。青森のラーメンのティスト(?)に納得。
さて,ここからは東北道で一直線の帰路につく予定だったのだが,せっかくここまで来たのだから温泉でも入って行こうかと言う話になり,八甲田山へ向かうことにした。予定外の行動で細かい資料を持ってこなかったので,コンビニ立ち読みで情報収集(笑)。目指すは『混浴』千人風呂の「酸ヶ湯(すかゆ)温泉」。前回も来たのだが,ここまで来たら是非再訪したくなったのだ。
  酸ヶ湯温泉@八甲田:青森市八甲田山1 <0177-38-6400>
基本的に風情のある大きな木造旅館なのだが,ここの広さ80坪の総ヒバ造り,体育館ほどの大きさの木造の古い浴場の大浴槽(千人風呂)が圧巻。日帰り入浴ができる(〜17時・大人500円・小人250円)。脱衣室は別でも中は混浴で,その千人風呂の向こうとこちらに男女が分かれて向き合って入り異様な緊張感がある(笑)。基本的に白濁の湯なので,湯舟につかる状態ではもちろん普通の緊張感なのだが,湯気にけむる女性のつるつるした背中を遠くに見たりするのは(たとえそれが見慣れた女房のものであっても),程良い色香があるものだ(笑)。一応中央に衝立はあるのだが,どうにも中途半端なサイズ。もっともこういう場所に入ってくる若い女性は堂々としたもので,かえってこちらが恥ずかしくなるほど。加えて年輩のおばちゃん達はもう遠慮なしの状態(笑)。清々しいくらいだ。僕の経験的には,上高地の白骨温泉・泡の湯の混浴露店風呂が,女性側更衣室が湯舟につかるまでしっかり衝立で覆われているので,あとは皆自由に白濁の湯を中腰で移動するから,けっこう開放的だ。若い人も皆カップルで肩を並べて入っている。こういう温泉に一応女房と入って,うわのそらでその話を聞きながら,ぼんやりと周囲の人間模様を眺めているのが風流だろうか。もちろん,最後は女房に「どこ見てんのよ」と頭をひっぱたかれるが(笑)。秋田乳頭温泉・鶴の湯の露天風呂も開放的だが,ここは見学だけの観光客が多く勇気がいる。それでも堂々と入ってきた若い女性もいたけど。下呂温泉の「河原」の露天風呂に深夜入るという手もあるが,タオルを巻いて入ろうとした女性に注意していたおじさんがいた。思わず苦笑い。
 ■ 蔦温泉@八甲田:上北郡十和田湖町奥入瀬蔦野湯1 <0176-74-2311>
次は拓郎の名曲「旅の宿」(『浴衣の〜君は〜すすきの〜かんざし〜』)のモデルになったと言う渋い建物の「蔦温泉」へ。ここはずっと憧れていた場所。昔は「旅の宿」にモデルがあったなんて印象がなかったのだが,最近になって岡本おさみ自身が公開した話だったようである。シングルとアルバムであれほど印象が違う曲も珍しいが,蔦温泉はひっそりとしていて完全にアルバムバージョンのイメージ。立派な新館ができていたが,正面奥の3階建て(?)の旧館は昔のままで,そこの上階の部屋の障子窓に腰を下ろして「上弦の月」を眺めながら「もう一杯いかが?」なんて熱燗をすすめられてみたい!!こんな温泉は子供抜きで(できれば女房以外の女性と)のんびりと訪ねたいものだ(笑)・・・(ぱし〜ん 「何考えてんのよ〜」)。
連休も最終日でガランとした奥入瀬(道沿いの渓流が絶景)&十和田湖(「乙女の像」は駐車場からはかなり奥にありちょっと観光しづらい)を抜けて(十和田湖から東北道十和田インターまでけっこう距離があり疲れる)十和田インターへ。東北道下りのSAの食事は,あまりパッとしたところがないので,盛岡インターを下りてすぐのところにある「ぴょんぴょん舎」あたりで名物の冷麺を食べたりするのが「麺的」にはよかったかなと反省している。まぁ,がらんとした前沢SAのレストランで,カツカレーとか食べている我が家も,それはそれでいい思い出だが(笑)。子供の頃は,旅の帰りはいつもこういうパターンだったような気がする。妻と交代で東北道をひたすら南下。深夜に自宅に着いた。総走行距離3300km(+青函連絡船)!!
体力的にはかなり辛い行程だったが,僕自身,旅先でゆっくりしようなどと言う考えはさらさらないので(ゆっくりしたいなら家にいるのが一番・笑),念願の「最北端」に行けてかなり満足感がある。一生に一度そこまで行けたという記憶だけで十分だし。ラーメン的にはまだまだ攻略の余地があるが,まぁ無難に店をこなせたと思う。夕張が一番印象的だったかな・・・。さっそくおみやげの「黄色いハンカチ」を壁に飾ったし。家に帰ってしみじみ日本地図を見てみると,北海道に比べるとなんと九州の小さいことか・・・。「次は九州一周かな」と言ったら妻に呆れられた(笑)。
>「どんぶり会議」に投稿(02/05/09)
共同企画三者三様・それぞれの北海道紀行2002』参照

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