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ホープ軒@千駄ヶ谷・・・・・「1978年頃の有名店」

 渋谷区千駄ヶ谷2-33-9 無休 24時間営業

  千駄ヶ谷「ホープ軒」は当時「ニュー・ホープ軒」といっていた
  「かつて妻が好きだったホープ軒」
  何故いまさら我が家は『ホープ軒@千駄ヶ谷』で食べるのか

 千駄ヶ谷「ホープ軒」は当時「ニュー・ホープ軒」といっていた

1978年のangleでは「ニューホープ軒」と紹介されていた。「元祖ホープ軒」というのも吉祥寺にあるから,それとのからみがあったのかもしれない。1978年当時の75店の中で,背脂こってり系のラーメンはかなり珍しかった。あと三田の「ラーメン二郎」くらいか。とにかく東京に来て初めて知った味だった。

食券制の店も珍しかったし,おしぼり(自分で温蔵庫から出すのだが)やジャスミン茶(?)が出るのも他にはなかった。まさにタクシー運転手御用達の24時間営業の貴重な1店だった。当時は木造平屋でやはり立ち食い,1階カウンターのレイアウトは,現在の3階建てのビルになってからも左右が逆になったくらいで変わっていない。たまに見かける主人はまさに「たたき上げ」といった印象。よく客の立ち位置を仕切っていた。

屋台から始めたというここのラーメンは,背脂がのった醤油味のスープ(色は薄い)に固めの太麺,それにゆでモヤシと脂身の多いバラ肉チャーシュウそしてメンマがのる。こってり味も色々なパターンがある今となっては雑な味かもしれないが,当時としては貴重な味だった。茨城に帰郷(1983年)してからは,上京する度にこの店に必ず寄っていた時期もある。

ただこの店は店員の入れ替わりが非常に多い店で,味にもばらつきが多く,その時々で当たり外れがあった。それでも1994年頃まではよく行っていたが,調理場の中の会話が日本語でなくなっていくにつれ足は遠のいていった。食べても以前ほどの喜びがなくなっていったのである。

私の妻も女性にはあまり受け入れられないここの味が好きで,1才になった子供をおんぶしてまで食べていた時期もあったが,ここ5年くらい「ホープ軒に寄っていこう」という言葉は出ていない。味が落ちたのか,自分達の舌が肥えたのか・・・・(1999.4)

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  「かつて妻が好きだったホープ軒」

1999年05月23日

そのホープ軒を久しぶりに訪ねてみる。妻は何年振りだろう。今日は子供も一緒だ。

今8才の上の娘など,4才くらいまでは毎週のように食べていた。「ホープ軒がこの子の幼児食だったね」と妻が言う。その頃は,大盛りラーメン(最盛期にはさらに並ラーメン)を頼んで,小さいお椀を貸してもらい分けて食べていた。それを食べきるのである。しかも,ホープ軒の大盛りのどんぶりをぐいっと持ってスープを飲みきる女の人なんて,わが妻以外見たこと無かった。妻の名誉のために言っておくが,わが妻は小柄で,決して太っているわけではない。155cm・50Kgといったところか。だから,そうしてスープを飲んでいると周りの人からじろじろ見られたものだ。僕はただただ苦笑いするだけだった。

自動販売機で並ラーメン2つの食券を買い(この日妻と娘は3店目,僕は4店目のラーメンだった)2Fに上がる。この店は女の人がいるグループは2F・3F(座って食べられる)に行けと言われるのである。今日は,妻に言わせりゃ「今の味を確認するため」の,なかば義務的なものだった。ところが,意外にうまかったのだ。全盛期の味だったのである。スープの上に膜を張った脂の質がよく,それが少ししょっぱいスープと固めの太麺・シャキシャキのもやしとあっておいしくいただけたのである(チャ-シューは昔より固かったが)。和歌山・旭川・家系と濃厚なスープのラーメンが最近続いているので,むしろ見た目と裏腹にあと味はすっきりしているとも感じてしまった。妻も「今日の出来はよかった。昔の味だね」と言っていた。

しかし,である。「このラーメンがクセになっていたんだ・・・」と妻は首をかしげた。うまいとは思ったが,また毎週のように通うことはないと言う。「舌が肥えたのかしら」と妻。僕は「選択肢が増えたんだ」と思う。「こってりラーメンの多様化」とでも言おうか。でも,僕の中での「ホープ軒の復活」はうれしい。またいつか食べに来ると思う。いつ行ってもやっているのがこの店の最大の価値なのである。

「今,ホープ軒のスープを飲みきる女の人を見たら,感心するだろうね」 そんなこと妻と話しながらホープ軒を出た。

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  「何故いまさら我が家は「ホープ軒@千駄ヶ谷」で食べるのか」

2000年02月27日

新宿まで来たところで,昼のラーメンが和風だったから,今度は「こってりがいい」と妻が言う。意外にも娘達もまたラーメンを食べたいと言う(さすが『ラーメン家族』)。並ばずに済んで,近場の「こってり」と言えば・・・「ホープ軒@千駄ヶ谷」である。4〜5年前は東京に来るたびに食べていたところだ。妻に異論はない。明治通りを南下。そしてそこへの道すがら,この一杯を頭の中にイメージして楽しみにしている自分がいたのである。久しぶりだからなんか楽しみなのだ。昔はいつもこうだった。とにかく「ホープ軒」だけを楽しみにしていた時期が事実あったのである。新婚の頃も,上の子供ができた頃も・・・。でも,考えてみれば,今年6歳になる下の娘を連れてきた記憶があまりない。ちょうどそのくらいこの店から足が遠のいていた。

例の如く1階の券売機で食券を買い,「家族連れ」は例の如く2階の席へ通される。外苑西通りを見下ろす狭いスペース。入り口近くの温蔵庫で熱いお絞りを人数分取り,高いカウンターの席に並んで座る。なんか懐かしい。1階が空いてるんだから,2階席はガラガラ。昔はあんなににぎわったのに。3階席(今は使ってないようだ)のテーブルででよく大盛を妻と一杯ずつ食べたのに。エレベーターに乗ってラーメンが来た。ざるに入った刻みネギを好きなだけ入れて,子供用の1杯を借りたお椀に分けて,さぁ食べよう。妻も無口になる。背脂が浮いているものの,スープそのものはコッテリしているわけではない。タレの味も薄い。それにうどんのような太麺。今なお独特のラーメンである。まさに雑な味。屋台らしい味。そして僕が通い始めた1970年代後半の頃の味・・・。妻も「昔に戻ってる」と力説する。僕もそう思う。これはこれで正しい味なのだ。これは「ホープ軒」の世界なのだ。「ラーメン二郎@三田」がネット上で「神格化」されてこの「ホープ軒」が取り残されている(話題にもならないと言ってもいい)のは,「おやじ」のカリスマ性の違いか?その味に,違いはそんなにないと思うから。でも我が家にとっては依然「懐かしい味」なのだ。上の娘が大きくなった時,この店に毎週のように通った2〜3才頃の記憶が残っているかどうかが興味深い。>「食べ歩き日記」()

2001年12月24日

仕上げは妻の希望のこの店だ。いつも「久しぶりにホープ軒に行きたい」と言うかけ声だけで,実際にこの店にたどり着く頃には力尽きてパスしている(一般的にはそれが当たり前なのだが・・・汗)のだが,今日はクリスマスだし(?)気合い十分である。ラーメン650円の食券を2枚買う。普通,女性連れだと2Fに案内されるのだが,何故か店員にそう言う動きもない。客もまばらなカウンターに立つ。2Fに客がいないのかもしれない。いずれにせよ3Fのテーブル席まで一杯だったかつてのにぎわいは今はない。時は流れた。いつも通り温蔵庫からおしぼりを出して,水差しから自分でコップに注ぐようになったジャスミン茶を準備しながら調理場を見ると,珍しく麺上げからスープ張りまで店主自らやっている。ちょっと期待して食べてみると,ひと頃(外国の人がたくさん厨房にいた頃)より,よくなって(と言うか昔の味に戻って)いた。この感想は前回と同じである。麺なんてけっこう特徴的で「二郎」の太麺と比べても遜色ないように思える。でもここは閑散としている・・・。僕自身もまた通いたいかというとそうでもない。「ラーメンの多様化」とか「情報網の広がり」とかで,背脂ふってこってりと言うだけでは「こってり好き」もなかなか満足してくれない。それだけいろいろなことにここ7〜8年でみんな(客も店も)気づき始めたと言うことか。> 「どんぶり会議」に投稿:「二郎〜ホープ軒〜土佐っこ」について考える(2002/01/16)

2002年7月07日

妻のリクエストで,久しぶりにこの店へ。ねぎラーメン(800円)とラーメン(650円)を注文する。麺が細くなった気がする。・・・とか話していたら,急に妻がカウンター内のおじさんと話し出した。いくらラーメンブームとは言え,ホープ軒のラーメンについて熱く語ってしまう女は我が女房くらいなものだろう(笑)。>詳細は『拉麺徒然草・2002』参照

2003年9月28日

問題は夕食。冗談で「ホープ軒@千駄ヶ谷」と言ったら,上の娘が「あの黄色いお店?行きたい!!」と言うので苦笑い。今12才になるこの娘が1〜5才の頃は,ホント東京に来る(or通過する)たび寄っていた店だもの。「このコが大きくなったらこの味に懐かしさを覚えるんだろうなぁ」と言いながら当時は食べていた(>「ホープ軒」参照)ものだが,もうそれがホントの話になるくらい時間が流れてしまった。10年一昔,早いものである。親子で3杯分の食券を買い2階に上がる。温蔵庫からおしぼりを出すのがお約束。下の娘は実質上この店で意識して食べるのは初めてかもしれない。食べてみればたしかに佇まいは「ホープ軒」スタイル。でも「スープが薄い」と上の娘。同感。子供の記憶はごまかせないと言うこと。やはりかつての暴力的な背脂と太麺の「パワー」は感じなかった・・・。ところで,例の冷えた「ジャスミン茶」が美味しかった。思いっきり薄いものだが,これを飲むと懐かしい感じになる。8才にしてお茶好きの下の娘がこれをいたく気に入り,この日以来,我が家の冷蔵庫にはペットボトルに入った自家製ジャスミン茶が常備されている(笑)。

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