『大発見』 (明治42年6月) 


 
 鴎外は軽い冗談を書こうとしている。しかし鴎外の冗談には苦々しい内容が含まれており、軽快さや面白さに届かない。「発明発見」の言葉の意味を外国語の意味を交えて無意味に説明しても、つまらないことを大げさに表現しても、背後に固い表情の鴎外が見えている。漱石も「吾輩は猫である」で大げさな表現をする形式を使ったが、内容には自由な軽快さがあった。鴎外は自由な精神を持つ事ができなかった。
 「そこで洋語の未熟なものは、飛んだ間違つた話をして、西洋人に笑はれたり何かする。僕なんぞもさういふ目に逢つたことがある。」
 明治の時代に洋語の使い方を間違って西洋人に笑われるのは滑稽ではない。だから、「僕なんぞもさういふ目に逢つたことがある」というのは、過去の失敗の告白ではない。その上、「洋語の未熟なものは」という言葉には、未熟でない者の姿が透かして見える。洋語の力に頼っている鴎外には洋語の実力を滑稽に描く力量はない。明治42年に洋語自慢をするのは時代錯誤であるが、鴎外はどのように表現を工夫しても洋語自慢を否定する事も隠す事もできない。それが鴎外の自己認識の限界であり鴎外に生まれ始めた隠れた苦悩である。
 旅行は僕はめつたにしない。北海道は箱館より先を知らない。九州は熊本より先を知らない。満洲や台湾は戦争をする兵隊に附いて歩くので、職務の為めに行かねばならない処まで行つたに過ぎない。欧羅巴は学問修行を申附けられて、独逸へ行つて、帰りに倫敦と巴里とを見たばかりだ。近頃評判のスエン・ヘヂンやシャックルトンのやうに土地を発見することも出来ない。
 鴎外は、洋語の次に洋行についても否定的に描いている。しかし、やはり否定しきれない。私は月に行ったことがあるが、表面をちょっと歩いたばかりだ、と否定的に表現するのは、月に行くという大きな実績に似合わない。月に行った事を誇るのが自然である。しかし、洋行帰りの威光は年々力を失って、洋行の成果が日本の社会にどれほど貢献するかが厳しく問われるようになる。洋行の履歴だけに頼る者は滑稽に描かれ無能呼ばわりされる時代になる。まして、官僚として成功し、文名も高かった鴎外が、いまさら洋語や洋行の履歴を誇るのは老兵の時代錯誤である。だから、洋語も洋行も自慢ぬきに描かなければならない。漱石は洋語や洋行の日本史における意味について深刻に反省したが、鴎外は自慢するか謙遜するか、冗談めいて吹聴するかしながら後生大事に守り続けた。鴎外にはこの古くさい道具以外に自分を特徴付け、肯定する手段がなかった。鴎外が自分の経歴を滑稽にでも描こうとするのは、威力を失った最後の手段の使い道を探ろうとする苦肉の策である。
 洋語と洋行は、鼻くそをほじくるというつまらない話との関係でなんとか面目を保っている。洋語と洋行の社会的な威力は依然として巨大であるが、最先端の意義を持つ事はできなくなっている。そして、洋語と洋行の威力は結局鴎外の持つ官位によって支えられる以外になかったことをもこの作品が示している。
 
 独逸婦人を奥さんにしてをられるといふことだから、所謂ハイカラアの人だらうと思つたところが、大当違で、頗る蛮風のある先先である。突然この大きな机の前の大きな人物の前に出て、椋鳥の心の臓は、斂めたる翼の下で鼓動の速度を加へたのである。

 洋行についてのこのような否定的描写は初期作品にも後期の作品にも見られない。初期作品では洋語と洋行は、前途洋々とした青年の誇りとして描写されていた。後期には、世間の評価を問題にせず、俗世を離れた高尚な精神の経歴として改めて肯定される。この時期の鴎外はまだ世間の、文壇の批評との対立の中に生きており、洋語と洋行の意義をその対立の中で位置づける必要を感じている。
 鴎外が自分の基本的な力である洋行を、公使の前での臆病で卑屈な留学生の姿として、失敗談の側面から描いていることに、明治社会に於ける洋行の意義の変化が反映している。そして、この時代の変化は、洋行と洋学の知識と官位だけを武器とする鴎外に対して、それらの意義をいかに肯定的に解釈するか、という空虚な課題を押しつける事になった。
 洋行した日本の青年は大なり小なり無知で無経験で卑屈な側面を持っている。それは分かりやすい経験的な事実である。洋行したエリートの本質的な特徴はここにはなく、このあとに分岐点がある。洋行した青年はこうした初期的な経験を経て、エリートとして帰国する。西洋での失敗談は、洋行の事実を示すだけの経験的な思い出となり、エリートとして日本で果たす役割が、エリートの社会的特徴になる。実力を発揮できなければ洋行の脱け殻になる。洋行を滑稽に描いても批判的でないかぎり、空威張りの空虚感が漂うことになる。
 鴎外は洋学や洋行が時代後れになっている事を経験的することができてもそれを理解する事はできなかった。鴎外の洋学と洋行は、官僚の地位と鴎外個人の教養以上の意義を持たず、鴎外にとってそれがすべてであった。鴎外は結局社会から退いて洋学と洋行を肯定する事になる。世間はそれを理解することができない、というのが鴎外の解釈である。この作品では、自分としても、洋行と洋学だけを特別に優れていると考えているわけではない、という事を、つまり、それ以上のものがあることを余裕によって示そうとしている。しかし、それはないのであるから、鴎外としては、洋行と洋語と官位の肯定に引き返す意外に道はない。しかし、それは社会的な否定的な評価への無理な抵抗であって、主観の形式で言えば、大きな不満を内包した虚勢的な満足にならざるをえない。
 
 僕は三年が間に、独逸のあらゆる階級の人に交つた。詰まらない官名を持つてゐたお蔭で、王宮のアツサンブレエやソアレエにも出て見た。労働者の集まる社会党の政談演説回にも往つて見た。但し次の分は内証である。あの時は翌日新聞に書かれて、ひどく恐縮したつけ。
 鴎外を支える基本的な力は、語学と洋行と官位である。鴎外は最後に官位の威力を書いている。官位がつまらない、と書くことはできても、官位のつまらなさや官位を持つ人間のつまらなさを描くことはできない。鴎外は、つまらない官名と修飾したうえで、官名の威力を描いている。官位がつまらないことを認識するには天才と度胸も必要である。鴎外には天才も度胸もなかった。この書きかたでは鴎外の官名を「詰まらない」とは誰も思わないし、鴎外が本当に詰まらないと思っているとも思わないし、鴎外も思われるとは思っていないだろう。鴎外の自己認識、社会認識は官位を否定する内容をまったく持つ事ができなかった。鴎外は洋行と洋語と官位を一般的に肯定するという、思想としては困難極まりない、無理な課題を背負って努力し続けた。孤高の努力であったが、成果のない努力である。
 さらに倫敦でも独逸でも「鼻くそをほじる人間に合わなかった」ことや、鼻糞についての汚らしい話と、ホメロスだとかダンテだとかの盛り沢山の外国の作家の名前や書物的な知識が書き並べられ、さらに、文壇の悪評についての愚痴を並べている。
 鴎外は自分の時代が去ったことを思い知らされ、洋行と語学という古い武器で滑稽に闘っている。しかし、それがうまくいかず、納得もいかず、露骨な愚痴を添えている。多読によって、西洋人でも鼻糞をほじくることを発見した、といったやけくそな文章は面白みがない。こんな面白味のない話を、不愉快極まりない心持ちを抑えて愉快そうに書くことが面白い現象だと言えなくもないが、結局は面白いものではない。愉快に無理がある。



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